温泉恐竜は家に帰る   作:ごろうまるし

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本日投稿2回目です。最新から来た人は目次からさかのぼってね。


断章13 小さな恐竜の帰るところ

 小さな恐竜は少しだけ暖かい、黒いのの近くが好きだった。

 

 朝、目を覚ますと、大きいのがいなかった。

 

 落ち葉を押し固めて作った寝床には、昨夜まで二つの身体があった。大きいほうが風の来る側に横たわり、その腹と後肢の近くに小さい身体が収まっていたのだが、今はそこだけが空いている。鼻先で押してみると、落ち葉の窪みはまだほんのりと温かかった。匂いも残っていて、地面には歩いていった跡もある。小さな恐竜は慌てて追いかけることなく身体を起こすと、寝床の周囲を歩き、落ち葉の下へ鼻先を入れて昨夜隠した木の実を一つ見つけた。

 

 殻を割って食べ終えると、小さな恐竜は足跡の続くほうを向いて座った。尾の先だけが、落ち葉の上で小さく左右に揺れていた。

 しばらくして、遠くで枝の折れる音がした。すぐに頭を上げると、黒い身体が木々のあいだから現れる。二歩ほどそちらへ進んでから止まり、近づいてくる大きな身体の周囲を半周すると、口元から血の匂いがした。大きいのは、もう自分の食事を済ませてきたらしかった。

 

 それから、大きいのは口を開けて、咥えていたものを地面へ置いた。

 

 赤く熟れた実が、枝ごといくつも付いていた。

 小さな恐竜は実へ鼻先を寄せ、それから黒い顔を見上げた。大きいのは、少し離れたところへ座り、こちらの食事が終わるのを待っていた。小さな恐竜は、一つずつ、ゆっくりと食べた。最後の一つを食べ終えてから顔を上げると、黒い目はまだこちらを見ていた。

 

 それが、今の朝だった。

 

◇

 

 最初から、そうだったわけではない。

 最初に大きいのを見たとき、小さな恐竜は岩壁のそばで五頭の恐竜に囲まれていた。どれも自分より大きく、右へ動けば一頭が寄り、左へ動けば別の一頭が頭を下げる。前へ出れば距離を詰められ、後ろには冷たい岩があるため、小さな身体を低くして相手の動きを見ているしかなかった。

 

 五頭の向こう、木の陰にはさらに大きなものがいた。

 黒かった。

 最初に一頭がそれに気づき、続いて別の一頭も頭を向けた。やがて五頭すべてが岩壁のそばにいた小さな身体から離れ、黒いほうへ走り出す。それを迎えた黒い身体も動き、土が飛び、枝が折れ、大きな身体同士がぶつかるたびに地面が揺れた。

 

 小さな恐竜は岩のそばに身体を伏せ、その様子を見ていた。最初の一頭が動かなくなり、続いてもう一頭が倒れる。黒い身体の横からは血の匂いがしたが、それでも残った恐竜たちは離れず、黒いのも逃げなかった。

 

 やがて最後の一頭も動かなくなり、森が静かになった。

 立っている大きなものは、一頭だけだった。

 黒いのがこちらを見る。小さな恐竜は身体を低くしたが、相手は近づいてこなかった。そのまま少し離れた場所へ移動し、こちらを追うこともなく、血の匂いを漂わせながら身体を休め始めた。

 

◇

 

 しばらくして、小さな恐竜は岩壁から離れた。

 五頭はもう動かず、黒いのも近くにいるが襲ってこない。地面の匂いを嗅ぎながら歩いていると、草の下に木の実を見つけた。一つはその場で食べたが、もう一つは口に咥えた。

 

 少し歩けば、黒いのがいる。

 途中で一度止まった。黒いのもこちらを見る。それでも再び近づき、ある程度まで距離を縮めたところで、咥えていた木の実を地面へ置いて後ろへ下がった。

 

 黒いのは食べなかった。

 木の実を見て、小さな恐竜を見る。また木の実を見るものの、大きな前肢は動かない。そこで小さな恐竜は近くにあった別の実を拾い、殻を割って食べた。それから黒いのを見て、地面に置いた実へ顔を向け、もう一度相手を見る。

 

 しばらくして、大きな前肢が動いた。

 木の実を拾い、口へ入れる。黒いのが分けてあげた木の実を食べた。

 小さな恐竜の尾が、ぱたりと一度、地面を叩いた。自分でもなぜそうなったのかは分からなかった。

 

 小さな恐竜はその場に留まった。黒いのも動かなかった。少ししてから木々のあいだへ戻り、また木の実を探す。一つ見つけ、さらにもう一つ見つけると、今度は二つとも黒いののところへ持っていき、さっきより少し近い場所へ置いた。

 

◇

 

 それから、黒いのの近くにいる時間が増えた。

 

 黒いのは、よく分からないものをたくさん持っていた。大きな袋、青いもの、透明な容器、薄くて大きなもの、それから小さく光る丸いもの。どれも食べられそうにはなかったが、大きな袋だけはいろいろな匂いがするので、鼻先を入れようとしたことがある。

 

 そのたびに黒い前肢が出てきて、鼻先を押し戻された。もう一度やっても同じで、横から回れば身体で塞がれる。仕方なく地面へ伏せていると、やがて黒いのが自分から袋を開いたので、小さな恐竜はすぐに頭を上げた。

 

 すると袋が閉じた。また伏せる。

 もう一度袋が開けば、また頭を上げる。今度は黒いのの喉から低い音がしたが、その意味は分からない。けれど、しばらくすると袋の中から木の実が出てきたので、それはすぐに食べた。

 

 次の日も袋を見たが、木の実は出てこなかった。さらに次の日には出てきた。それからは、袋が開くと近くへ行くようになった。

 

◇

 

 黒いのは、ときどき一頭でいなくなった。

 

 その前にはこちらを見て、低い音や短い音を喉から出すことが多かった。意味は分からなかったが、前へ出ようとすると鼻先で押し戻され、もう一度出ればまた押し戻される。それでも進もうとしたときには黒い尾が道を塞いだので、そこから先へ行くことはできなかった。

 

 やがて黒いのだけが遠ざかり、そういうときは離れた場所から大きな音や知らない匂いが届いた。小さな恐竜は伏せて待った。最初のころは食べ物を探したり水を飲んだりするために少し移動したものの、黒いのがいなくなった場所から遠くへは行かなかった。

 

 一度だけ、待っているあいだに知らない匂いが近づいてきたことがある。人間の匂いだった。それに、鉄と油の、森にはない冷たい匂いが混じっていた。茂みの向こうで何かがかちりと小さく鳴り、枯れ葉を踏む音が、止まっては動き、また止まる。小さな恐竜は伏せたまま、息を細くして動かなかった。匂いはしばらく同じ場所に留まってから、やがて遠ざかっていった。

 

 黒いのが戻ってきたとき、そのことを伝える方法はなかった。

 

 待っていれば、戻ってくることがあった。

 戻ってくると、小さな恐竜は真っ先に駆け寄った。足元をぐるりと一周し、もう一周してから、黒い脚に身体をこすりつける。それから少し離れて、また一周した。

 

 あるときは、とても強い血の匂いをつけていた。右の肩や身体の横など、いくつもの場所に傷がある。小さな恐竜が近づくと、黒いのは少し身体の向きを変え、傷のない側をこちらへ向けた。

 

 小さな恐竜は、その横で身体を丸めた。

 その夜、黒いのはあまり動かなかった。次の日も遠くへ行かず、その次の日も同じ場所で身体を休めていた。

 だから、小さな恐竜も遠くへ行かなかった。

 

◇

 

 夜中に目を覚ましたことがある。

 黒いのは眠っていて、昼間よりもゆっくりと呼吸をしていた。大きな腹が上下する近くで小さな恐竜も身体を丸めていると、虫や葉、遠くを流れる水の音に混じって、知らない音が聞こえた。

 黒いのからだった。

 

 起きているときの低い喉鳴らしとは違う。もっと小さく、高く、短く途切れる音だった。

 

 小さな恐竜は頭を上げた。黒いのは眠ったままで、身体にも異変はない。しばらく見ていると、もう一度だけ小さな音がした。

 立ち上がり、黒い頭の近くまで行く。鼻先を寄せる。

 息はある。血の匂いもなく、危ないものの匂いもしない。それなら離れる理由はなかった。

 

 小さな恐竜は、黒い鼻先のすぐ横で伏せた。それから少し考えて、自分の顎を、その大きな鼻先の上にそっと乗せた。

 

 黒いのの呼吸が、一度だけ深くなった。不思議な音は、しばらく止んだ。

 朝になるまでに、その音は何度か聞こえた。そのたびに、小さな恐竜は顎を乗せ直した。日が昇るころには、音は消えていた。やがて黒いのが目を覚ますと、今度はいつもの低い音が喉から出た。

 

 小さな恐竜も立ち上がった。

 

◇

 

 水の中へ入ることもあった。

 

 最初の水は温かく、白い湯気が立っていた。黒いのは先に入ったが、小さな恐竜は岸に残った。水には違いないものの、いつもの水とは匂いが違う。それなのに黒いのは沈まず、襲われることもなく、やがて水の中で動かなくなった。

 

 しばらく見てから水際へ近づき、前肢を入れる。すぐに引いたものの、もう一度入れたときには少し長くそのままにできた。やがて両方の前肢が入り、腹が入り、最後に後肢まで入る。

 黒いのが少し場所を空けたので、浅いところまで進んだ。

 温かかった。

 しばらくして身体から力が抜け、目が細くなった。近くで黒いのの喉が低く鳴ったが、小さな恐竜は水から出なかった。

 

 次の日は、黒いのより先に水際へ行った。

 

◇

 

 白くて丸いものもあった。

 

 木の根元の、枯れ草を丸めた窪みの中に二つ並んでいた。小さな恐竜は一つを咥えて黒いのの前へ置き、もう一つは自分で殻を割って、中身を舐め取った。木の実とは違う、濃くてぬるりとした味がした。

 

 食べ終えて顔を上げると、黒いのはまだ自分の分に口をつけていなかった。白いものを見て、湯気の立つ水を見て、また白いものを見ている。やがて大きな前肢がそれを拾い上げ、湯気の濃いほうへ歩いていったので、小さな恐竜も後ろからついていった。

 

 白いものは温かい水の窪みに置かれ、上から小石が積まれた。鼻先を伸ばすと、黒い前肢がそっと押し戻してくる。もう一度伸ばしても同じで、喉から低い音がした。小さな恐竜は伏せたが、鼻先だけは石の囲いのほうへ向けたままにしておいた。

 

 長いあいだ待った。黒いのが湯へ入ったので自分も入り、日の当たる場所が岩の上を少しずつ動いていった。ようやく引き上げられた白いものは、殻が割られると、さっき自分で食べたものとはまるで違う匂いがした。

 

 黒いのがそれを口へ入れると、喉の奥から、聞いたことのない音が漏れた。長くて、低くて、ふるえるような音だった。黒い目が細くなり、尾の先がゆっくりと揺れる。小さな恐竜は、その口元をじっと見ていた。

 

 すると、残りが目の前に置かれた。

 鼻先を寄せると、温かかった。知っている匂いのはずなのに、知らない匂いがする。少しだけ舐めて、それから一口食べたところで、小さな恐竜は動きを止めた。

 

 残りは、あっという間になくなった。地面に落ちたかけらまで探し、もう何もないと分かってからも、しばらく石の上を嗅いでいた。顔を上げると、黒いのの喉が、どこか得意そうに低く鳴っていた。

 

 同じように湯へ沈められた赤い肉もあったが、そちらは嗅いだだけで離れた。黒いのもそれを口にしたあと、しばらく妙な顔をしていた。

 次に白くて丸いものを見つけたとき、小さな恐竜はその場では割らなかった。二つとも咥えて黒いののところへ持っていき、温かい水のそばに置いて、黒い顔を見上げた。

 

 黒いのの喉から、また音がした。前に聞いたのとは少し違う、短く、何度か続けて弾むような音だった。それでも大きな前肢は白いものを二つとも拾い上げ、湯気のほうへ歩いていった。

 小さな恐竜は、その後ろについていった。待つのはもう、少しも嫌ではなかった。

 

◇

 

 大きな水もあった。

 向こう側が遠く見えないほど広い水へ、黒いのはためらわず入っていった。小さな恐竜は岸から見ていたが、黒い身体はどんどん遠ざかっても沈まず、しばらくするとこちらへ戻ってきた。

 

 岸へ上がった黒いのが身体を振ると、水が飛んできた。

 小さな恐竜は離れたが、黒いのが近づいてくる。小さい恐竜はさらに離れるが、黒い恐竜の喉から音がして、また近づいてくる。

 

 それでも最後には、浅いところまで入った。足は地面についていたが、少し深いところへ進んだ途端に身体が浮き、慌てて前肢と後肢を動かす。水ばかりが跳ねて、うまく前へ進まない。

 そこへ黒い身体が横から来た。その太い尾が触れたので、これ幸いと小さな恐竜はそこへ前肢を乗せた。

 

 黒い喉から長めの低い音がしたが、そのまましばらく掴まっていると、やがて岸へ戻された。濡れた身体には風が冷たく、黒いのが風の来る側へ立つと、小さな恐竜はその脚の近くに伏せた。

 大きな水には、その日はもう入らなかった。

 

◇

 

 旅をしているあいだ、黒いのは何度も薄くて大きなものを地面へ広げた。

 じっと見て、向きを変え、また見る。小さな恐竜には食べられないものだったので、近づいて鼻先を乗せてみた。

 

 横から黒い鼻先が入ってきて押されて、顔が外れる。もう一度近づけば、また押し戻された。

 三度目は近づいたところで黒い頭がこちらを向いたので、小さな恐竜は止まった。黒いのが薄いものを見る。小さな恐竜は黒いのを見る。

 

 四度目は、薄いものの真ん中に、そのまま座った。

 黒いのは、しばらく動かなかった。それから、小さな恐竜ごと薄いものを持ち上げようとして、やめた。かわりに喉の奥で、短く、ふっと息を吐くような音を鳴らした。小さな恐竜が知っている黒いのの音の中で、いちばん柔らかい音だった。

 

 やがて薄いものは畳まれ、袋の中へ入った。

 黒いのが立ち上がって歩き始める。小さな恐竜も遅れないように立って、後を追った。

 

◇

 

 知らない匂いは、まだたくさんあった。

 

 人間の住む場所へ近づくと、森にはない匂いが流れてくる。油や煙、甘いもの、それから焼けた肉。黒いのは、そういう匂いに反応することが多かった。

 

 森の中に、人間の匂いが残っていることもあった。新しい足跡がいくつも重なり、木の幹には、ときどき見慣れない小さな箱が括りつけられている。前を通りかかると、箱の中で赤い光が一度だけ点いて消えた。黒いのはそれに気づくと、いつも少し遠回りをした。小さな恐竜は、箱の前を通るたびに、その赤い光を見上げた。

 

 この前もそうだった。

 

 建物のある方向から強い匂いが流れてくると、黒いのは足を止め、鼻先を上げた。それから少し進み、また止まり、もう一度進む。小さな恐竜も後ろからついていったが、黒いのはいつまでも匂いのする方向を見ていた。

 

 だから後肢を鼻先で押した。

 黒い頭が下がると、こちらを見る。えい、ともう一度押した。

 黒いのの喉から短い音が出た。それから建物とは違う方向へ歩き始めたので、小さな恐竜もついていった。

 

 しばらくすると、また別の食べ物の匂いがした。黒いのの頭がそちらへ向いたので、小さな恐竜は近づいた。今度は、黒いのが先にこちらを見た。

 そのまま歩き続けたので、つつかなかった。

 

◇

 

 今朝も、大きいのが歩き始めた。

 

 肩にはいつもの袋があり、その中には青いものや透明な容器、薄くて大きなもの、小さく光る丸いものが入っている。そして今では、小さな恐竜が食べる木の実も入っていた。

 

 大きいのが歩けば、小さいのも歩く。大きいのが止まれば、小さいのも止まり、何かの音がすれば二つの頭が同じように上がる。危ない匂いがしたときは大きい身体が前へ出るが、狭いところでは小さい身体が先へ入ることもあった。

 

 水があれば飲み、食べ物があれば食べる。夜になれば風を避けられる場所を探し、大きな身体が横になると、小さな身体もその近くへ行く。

 最初に会った日、小さな恐竜は木の実を一つ置いた。

 大きいのは、すぐには食べなかった。だから、自分で食べてみせた。そうすると食べたので、次は二つ持っていった。

 

 それから先も、黒い背中は少し前を歩いていた。温かい水へ入った日も、白くて丸いものを二つ持っていった日も、大きな水で身体が浮いた日も、夜中に不思議な高い音を聞いた朝も、目を上げれば同じ背中があった。

 

 今日も、その背中が少し先にある。黒いのが振り返って小さな恐竜を見る。

 喉が、短く鳴った。一度、少し間を置いて、もう一度。

 最近になって増えた音だった。ほかのものを見るときには、あまり出さない。意味は分からなくても、その音が鳴るとき、黒い目はこちらを見ている。

 

 それに、その音は、どこかで聞いたことがあった。

 短く、二度。

 それは、小さな恐竜が、黒いのを呼ぶときに鳴らしてきた音だった。待っているあいだ。戻ってきたとき。夜中に、知らない音が聞こえたとき。ここにいる、と伝えたくて、何度も何度も鳴らしてきた音。

 

 黒いのが、それを鳴らしていた。下手だった。少し低すぎて、少し長すぎた。それでも、同じ音だった。

 

 小さな恐竜は頭を上げた。

 

 ――ぴ、ぴ。

 

 黒いのは、それを確認したように前を向き、また歩き始めた。尾の先が、ほんの少しだけ揺れていた。

 少しだけ開いた二頭の距離を、小さな後肢が駆けて埋めた。

 

 小さな恐竜は少しだけ暖かい、黒いのの近くが好きだった。

 

断章13 小さな恐竜の帰るところ 了

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