町を離れてから、男は昼間に高い場所から道路を観察し、日が沈んでから移動する生活を続けていた。
これまでは人間を避けるため、できるだけ山の中を進もうとしていた。しかし山には標識がなく、斜面や沢、崖や深い藪によって簡単に進路を変えられてしまう。南へ向かっているつもりでも、渡れない川や切り立った斜面を迂回するうちに、気づけば大きく東西へ逸れていることもあった。
身体の奥にある奇妙な方向感覚は、今も消えていない。青森で目覚めたころから感じていた、ある方角を背にするとわずかに楽になるような感覚は相変わらず残っていたが、それが教えてくれるのは大まかな向きだけだった。どの橋を渡るべきか、どの町を避けるべきか、山を越えるのと川沿いを進むのとではどちらが安全なのか、そんな具体的な道筋までは分からない。
そこで男は、人間の道路を目印として使うことにした。
道路そのものを歩けば、車や人間に見つかる。だが、少し離れた山林や農地の外周を道路と並行して進み、分岐だけ近づいて標識を読めば、現在地と進行方向をかなり絞り込める。昼間は高い場所から交通量と地形を確認し、夜になってから動く。食料は山で確保し、水は沢や川を利用する。町へ近づくのは、標識や天気などの情報が必要なときだけでいい。
その方法を試してみると、予想以上にうまくいった。道路は人間が移動するために作ったものだが、そこを直接歩かなくても、巨大な道標として利用できる。何より自分には日本語が読めて、標識の意味も理解できる。スマートフォンも地図も持っていない今、それだけでも大きな違いだった。
もちろん、一直線に進めるわけではない。大きな川にぶつかれば渡れる場所を探し、人家が密集している地域は遠回りする。昼間は山林や河川敷で身体を休め、夜になると遠くに道路を見ながら移動した。食料が必要になれば山へ入り、ウサギや小型の草食恐竜を狩った。
身体の成長も続いている。以前なら追跡するだけで苦労した獲物へ短距離なら簡単に追いつけるようになり、前肢の力も増していた。一方で身体が大きくなれば、人間から姿を隠すことは難しくなる。力が増したからこそ、男は以前より慎重に人間との距離を取るようになっていた。
旅の途中では二本目のペットボトルも拾った。道路脇へ捨てられていたものを沢で何度も洗い、非常用の水筒としてショルダーバッグへ加える。合わせても一リットル程度にしかならないが、次の水場が見つからないときの余裕は確実に増えた。防水シートも何度か雨をしのぐのに役立ち、男の生活は少しずつ、その日を生き延びるだけのものから、移動しながら暮らすものへ変わっていった。
町を見つけても、毎回入ることはなくなった。遠くから交通量や標識だけを確認して通り過ぎることのほうが多く、情報が欲しいときだけ慎重に生活圏へ近づく。ある夜には民家から漏れてくるラジオの音を聞き、別の場所では外から見えるテレビをしばらく眺めた。自動販売機の周囲で小銭を探すこともあったが、最初のコーラのように都合よく百円玉が見つかることはほとんどない。
(世の中、そんなに金落ちてないな)
考えてみれば当然だった。それでも沢の水を飲み、野生の獲物を食べ、夜になれば歩き、雨が降ればシートを使う生活には慣れてきた。ときどき人間の町からニュースや娯楽を借りられれば、それだけでも十分だった。
そんな旅の途中、小さな集落の外れを通った夜に、男は道路脇の資源回収場所で新聞の束を見つけた。濡れて読めなくなったものが多かったが、屋根の下に押し込まれていた数日前の朝刊は比較的状態がよく、人の気配がないことを確かめてから一部だけ引き出した。
新聞を読むこと自体は難しくないが、広げる作業が今の身体にはひどく面倒だった。前肢で端を押さえようとすれば爪が紙を破りそうになり、鼻先でめくれば何枚もまとめて動いてしまう。しばらく悪戦苦闘した末、地面へ置いた新聞を小石で押さえ、前肢の側面を使ってどうにか地方欄の見開きを広げた。
そこには東北各地で起きた事件や事故が並んでいた。比較的大きな記事では、人工恐竜を違法に売買していたブローカーグループが摘発され、複数人が逮捕されたと報じられている。正規の登録を経ていない人工恐竜や受精卵を複数の県にまたがって仲介していた疑いがあり、関係先から押収された個体や取引記録をもとに、警察が流通経路を調べているという内容だった。
その隣には、郊外の県道で乗用車が中型の草食恐竜に襲われた事故が写真付きで載っていた。ボンネットは大きくへこみ、フロントガラスには蜘蛛の巣状のひびが入っている。運転手は軽傷で済んだものの、警察と自治体は繁殖期や子連れの草食種へ不用意に接近しないよう注意を呼びかけていた。
(草食でも、車こうなるのか)
普段は食料になるかどうかという目で見ることが増えた相手でも、人間にとっては十分に危険な野生動物である。男は潰れた車の写真を眺め、自分が狩りの際に正面からぶつからないよう気をつけているのは間違っていなかったらしい、と妙なところで納得した。
さらに紙面の隅には、山間部や立入規制区域の周辺で行方不明者の届け出が相次いでいることから、単独で山へ入らないよう求める注意記事もあった。すべてが恐竜による被害と確認されたわけではなく、遭難や事故、事件の可能性も含めて捜索が続いているらしい。人工恐竜の生息域では痕跡を追って不用意に山へ入らず、危険個体を見つけた場合は距離を取って通報するよう呼びかけられていた。
男は記事を読みながら、これまで自分が歩いてきた山々を思い返した。自分には人間より鋭い嗅覚と聴覚があり、夜でもある程度周囲を見ることができる。それでも大型の捕食者に突然出くわすことがあるのだから、普通の人間が夜の山へ入れば、危険な動物が近くにいても気づかないまま接近してしまうことは十分にあり得た。
(そりゃ、俺みたいなのが歩いてたら怖いよな)
地名と日付(最後に覚えている日から、ひと月ほどが過ぎていた)をいくつか頭へ入れたところで新聞を元の束へ戻し、男はその場を離れた。
旅の形が大きく変わったのは、それからさらに移動を続けた先でのことだった。
最初に違和感を覚えたのは、立派な道路に車が一台も走っていないことだった。男は林の中に伏せたまま、しばらく道路を観察した。舗装が完全に壊れているようには見えず、少なくとも目の届く範囲には通行できないほどの陥没もない。それなのに十分、二十分と待っても車が来ない。
(通行止めか?)
道路に沿ってさらに進むと、やがて交差点の向こうに柵が見え、その近くには複数の標識が立っていた。男は暗くなるまで待ち、人の気配がないことを確認してから近づいて書かれている文字を読む。
そこは、災害による立入禁止区域だった。
許可のない立入りは禁止され、地震と津波による地盤や上下水道への被害、復旧工事に伴う危険に加え、野生動物や人工恐竜の流入についても注意書きがある。男はそこで、以前ニュースで見た記憶を少しずつ掘り起こした。
近年、この一帯では大きな災害が起きていた。地震と津波によって沿岸部の住宅やインフラが被害を受け、それだけなら復旧を進められたはずだが、今の日本では別の問題もある。防護設備や飼育施設が損傷したことで周辺へ人工恐竜が流入し、住民の帰還より安全確保が優先された結果、今も立入りが厳しく制限されている区域が残っていた。
テレビで見ていたころには遠くの出来事だった災害の跡地に、今は自分自身が立っている。男は柵の向こうに続く暗い道路を眺め、しばらく動かなかった。
(ここなのか……)
◇
翌朝、高い場所まで移動した男は、そこで初めて区域全体を見渡した。道路があり、住宅があり、コンビニらしい建物や倉庫、小さな商業施設まで残っている。信号機も駐車場もあり、遠くから見れば普通の町とそれほど変わらない。低い土地には災害の痕跡が残り、壊れた建物や撤去しきれていない瓦礫も見えたが、比較的新しく、外見上はほとんど無傷に見える住宅も少なくなかった。
それなのに、そこには人間だけがいなかった。道路を走る車もなく、歩道を歩く人もいない。駐車場には何台か車が残されているものの動く気配はなく、信号機の一部も消えている。これまで通ってきた小さな町でさえ、昼になれば軽トラックが走り、買い物をする人や犬を散歩させる人がいた。それらが丸ごと抜け落ちた街並みは、建物が残っているからこそ奇妙だった。
風が吹き、遠くで何かが動いた。男は反射的に姿勢を低くしたが、道路へ出てきたのは人間ではない。数頭の草食恐竜が、誰にも追い払われることなく交差点を横切り、住宅地の植え込みを食べながら歩いていく。人間が作った町を、恐竜のほうが堂々と使っている光景は、映画やゲームで見た廃墟とはどこか違っていた。
だからといって、男はすぐ街へ入ろうとはしなかった。人間がいないことは、安全であることを意味しない。草食恐竜が集まれば、それを狙う肉食恐竜も来る。野生化した犬のような動物もいるだろうし、災害を受けた地域なら崩れかけた建物や、見えにくい地面の陥没にも注意しなければならない。
昼間いっぱい観察していると、草食恐竜だけでなく鳥や数頭の犬らしい群れも確認できた。さらに遠くでは、それより大きな動物の影も一度だけ見える。そして午後になり、上空を一機のドローンが横切ったため、男はすぐ木々の奥へ下がり、枝葉と幹で上空から身体が見えない位置へ移動した。
(完全に放置されてるわけじゃないか)
考えてみれば当然だった。立入規制区域でも、復旧状況の確認や防犯、危険な恐竜の監視は必要になる。人間が住んでいないからといって、行政までこの土地を見捨てているわけではない。それでも道路標識が残り、人間がほとんどおらず、建物によって雨風を避けられるこの場所は、男にとってかなり利用価値が高かった。道路を使えば山中より速く移動でき、何より自分が現在どこまで来ているのかを標識によってかなり正確に確認できそうだった。
(ここでルートを決めよう)
ただし、水道は使わない。災害後の設備なら、蛇口から水が出たとしても安全とは限らない。店や住宅の中に残っている食料にも手を出さず、必要なら街へ入り込んでいる野生動物を狩る。建物についても、誰かの家へ勝手に入ることは避け、倉庫や開放された構造物など、生活の痕跡が薄い場所だけを休息に使うことにした。
ここは誰かの故郷であり、誰かが帰れる日を待っている場所でもある。自分が生きるために利用することと、好き勝手に荒らすことは違う。その線だけは、姿が変わった今でも守りたかった。
◇
日が完全に沈んでから、男は山を下りた。道路へ出る直前でいつものように左右を確認したが、車のライトはどちらからも見えず、耳を澄ませてもエンジン音はなく、人の匂いもしない。そこで初めて道路の中央へ足を踏み出した。
舗装路の上を堂々と歩くというだけで、妙な感覚があった。これまでは横断する数秒間さえ緊張していた道路を、今は進行方向そのものとして使っている。信号の消えた交差点、人のいないコンビニ、シャッターの閉じた店舗、庭へ雑草が伸び始めた住宅。その間を、黒い人工恐竜が古いショルダーバッグと畳んだ防水シートを身につけて歩いていく。
(ゲームみたいだな)
文明崩壊後の世界を探索するゲームを思い出したが、実際に歩いてみると画面の中の廃墟とはまるで違う。玄関先には植木鉢が残り、庭には子供用の自転車が置かれている。物干し竿がそのままになっている家もあれば、窓越しにカーテンが見える家もある。最初から廃墟だった場所ではなく、ある日まで誰かが朝起きて、食事をして、仕事や学校へ出かけていた町なのだ。
男は住宅へ近づかず、大きな交差点に設置された案内標識を目指した。そこには複数の地名と道路番号、主要都市へ向かう方角が記されている。以前ならスマートフォンで写真を撮れば済んだが、今は何度も見直して頭へ叩き込むしかない。それでも、自分がどの地域まで来ているのかを具体的に把握できたことで、八王子までの旅が単なる「南」という方向ではなく、実際の土地を一つずつ越えていく移動として感じられた。
標識を見比べていると、ここから先は単純に南へ進み続けるより、どこかで内陸へ寄ったほうがよさそうだった。海沿いは平坦で移動しやすい反面、人の生活圏が途切れにくい。東京へ近づくほどその傾向は強くなるはずで、今のうちに西へ抜けられる道や川沿いの経路も覚えておいたほうがいい。山へ入りすぎれば移動速度は落ちるが、人目を避けるという点では利点がある。
その夜は、住宅地から少し離れた古い倉庫を休息場所に選んだ。入口は開いていたが、内部には生活用品らしいものはほとんどなく、大型動物の匂いもない。床が乾いていることまで確認してから鞄を外し、ペットボトルの水を少し飲んだ。
これまでは水場の近くで休むことが多かったため、持ち運んでいる水を本格的に使うのは初めてだった。一本あたり五百ミリリットルしかないとはいえ、夜中に知らない土地で水場を探さなくていいだけでも十分に価値がある。一本のコーラを飲みたくて手に入れたペットボトルが、今では旅を支える道具になっている。その成り行きが少しおかしかった。
倉庫の入口から外を見ると、暗い道路の向こうに人のいない町が広がっていた。山ではないが、人間の街とも言い切れない。文明だけが形を残し、その隙間へ野生が少しずつ入り込んでいる。
そのとき、遠くで金属が何かへぶつかる音がした。男はすぐに頭を上げて耳を澄ませる。一度だけではなく、少し間を置いてもう一度聞こえ、さらに今度はわずかに違う方向から響いた。風で看板かシャッターが揺れている可能性もあったが、音の位置が動いているように感じられる。
鞄を身体へ掛け直し、防水シートを固定したまま、男は倉庫の外へ出た。建物沿いを進み、角では必ず止まって耳と鼻を使う。市街地は山より見通しがいいようでいて、建物が視界を完全に遮るため、すぐ向こうに何がいるのか分からない。湿った風、泥、錆びた金属、古い建材、植物、いくつもの動物の匂いまで混ざり、嗅覚だけに頼ることもできなかった。
やがて道路の先に、小さなホームセンターらしい建物が見えてきた。その駐車場で何かが動いているため、男は物陰へ身体を伏せ、しばらく観察した。金属音の正体は四足歩行の草食恐竜だった。今の男より一回り小さい程度のずんぐりした個体が、駐車場に残された金属製の台車へ身体を擦りつけており、身体が当たるたびに台車が動いてガンと音を立てている。
(お前かよ)
警戒して損をしたような気分になったが、男はすぐには姿を現さなかった。草食恐竜は人間のいない環境に慣れているのか、周囲をほとんど警戒せず、そのまま駐車場に生えた草を食べ始める。男は無意識に距離と体格を測り、真正面から組みつく必要はないこと、横からなら押さえ込めそうなこと、明日まで近くにいるなら十分な食料になることまで考えてから、自分でも少し呆れた。
(俺、最初に何食分か考えたな……)
恐竜を見て驚くより、食べられるかどうかを先に考えるようになっている。八王子へ帰るために必要な変化だとは分かっているものの、以前の生活を思えば、ずいぶん遠いところまで来たものだった。
草食恐竜が去ったあと、男はホームセンターの駐車場へ入った。割れたガラス越しに店内を見れば、ロープ、防水用品、容器、工具など、今の自分に役立ちそうなものはいくらでもある。しかしシャッターの向こうに並んでいるものは商品であり、無人だからといって所有者が消えたわけではない。命がかかっていれば別だろうが、今は水も雨具もあり、食料も自分で確保できるため、店内へ入る理由はなかった。
その代わり、駐車場の端で泥に埋もれたプラスチック容器を見つけた。取っ手がつき、数リットルは入りそうで、今使っているペットボトルよりはるかに多くの水を運べそうだった。ところが鼻を近づけても以前何が入っていたのか判別できず、飲料用だった保証もない。便利そうではあったが、洗えば何でも使えるわけではないため、男は容器をその場へ残した。
◇
翌朝、日の出前に倉庫を出た男は、街の外側を流れる水路を見つけた。淀んだ場所を避けて上流側まで移動し、色と匂いに異常がないことを確認してから水を飲む。ペットボトル二本もすすいで新しい水へ交換すると、今度は昨夜見かけた草食恐竜の痕跡を追った。
足跡はアスファルトへ出ると分かりにくくなったが、匂いは残っている。植え込みの葉が食べられ、放置された住宅の庭にも新しい食痕があった。それを一つずつ追っていくと、小さな公園へ出た。滑り台とブランコ、砂場が残されたその真ん中で、昨夜の草食恐竜が悠々と草を食べている。
(すごい絵だな)
人間がいなくなるだけで、こんなにも景色が変わるらしい。男は風下へ回り、植え込みの陰へ入った。近くで見ると相手は思っていたより頑丈そうで、頭部にも硬い部分がある。正面からぶつかる必要はないと判断し、逃走方向と公園のフェンスの位置を確認してから、身体を伏せて待った。
草食恐竜がゆっくり横を向き、こちらへ側面を晒したところで一気に距離を詰める。獲物はすぐに気づいて走り出そうとしたが、数歩で追いついた。男は側面から身体をぶつけて体勢を崩し、前肢を胴へ掛けながら首の付け根へ噛みつく。予想以上の力で暴れられ、後肢に引きずられかけたものの、正面から力比べをするのではなく、自分の身体を横へずらして相手が脚へ十分な力を入れられない角度を作った。前肢で胴を押さえたまま牙を離さずにいると、やがて抵抗が弱くなっていった。
完全に動かなくなったことを確かめてから、男はようやく力を抜いた。大きな怪我はなく、これなら今日と明日の食料を十分に確保できる。公園の隅まで獲物を引きずり、必要なだけ食べている途中で滑り台が目に入ると、かつて子供たちが遊んでいた場所で黒い人工恐竜が草食恐竜を食べているという光景に、自分でも妙な気分になった。
(世紀末すぎるだろ)
腹を満たしたあとは日陰で休み、夕方になったら西寄りの道路も含めて次の経路を調べるつもりだった。しかし身体を伏せて間もなく、遠くから低い機械音が近づいてくる。昨日も聞いた音だと気づいた男はすぐに立ち上がったが、ここで体表を周囲へ馴染ませても、背負った青い防水シートや鞄までは消えてくれない。
食べ残した獲物をその場へ置き、公園に面した建物の軒下へ駆け込む。そこからさらに放置車両の陰へ身体を滑り込ませ、上空から直接見下ろされない位置まで移動してから動きを止めた。体表の色はゆっくり周囲へ馴染んでいったが、それは最後の補助にすぎない。装備を身につけている以上、最初から遮蔽物へ入るほうが確実だった。
やがて一機のドローンが道路に沿って低い高度を飛んできた。男は車体の陰で伏せたまま、見上げることもせずに機械音が通り過ぎるのを待つ。十分に遠ざかってから顔を上げたところで、自分がいた公園へ視線を戻した。
そこには仕留めたばかりの草食恐竜が残り、その周囲には血が落ち、土の上には足跡まで残している。自分の姿を隠すことはできても、狩りをした痕跡まで消せるわけではない。
(俺が映らなくても、こっちは見えるよな)
別の肉食恐竜による捕食として扱われる可能性はある。それでも、この地域には人工恐竜を監視するためのドローンが飛んでいる。何日も滞在して同じような痕跡を増やせば、いずれ見慣れない捕食者が活動していると気づかれるだろう。
男は予定を一日早め、その日の夜に町を離れることにした。この場所は人間を避けながら道路や建物を利用でき、食料になる動物もいる。雨風をしのぐ場所にも困らず、暮らそうと思えばしばらく暮らせるかもしれないが、長く留まるほど監視に引っかかる危険も増していく。
日が沈むまで倉庫で身体を休めたあと、水を補給してから最後に大きな案内標識を確認した。これまでのように南へ進む道だけでなく、内陸へ向かう道路と山側の地形も頭へ入れる。海沿いをそのまま進むか、どこかで西へ寄って山地を越えるかは、次の地域を見てから決めればいい。
夜が深まるころ、男は誰もいない町を離れた。道路そのものを長く歩くことはせず、街の外れから再び林へ入っていく。身体の横では古いショルダーバッグが揺れ、その中には二本のペットボトルが入っている。背中には青い防水シートがあり、腹には昼間仕留めた獲物の肉が十分に収まっていた。
木々の隙間から振り返ると、人のいない町はすでに夜の中へ沈みつつあった。その上空を、先ほどと同じものかは分からないドローンが小さな灯りを点滅させながら横切っていく。
自分そのものを鮮明に撮られたとは思わない。それでも、足跡や獲物の死体まで消すことはできない。身体が大きくなり、食べる量も増えていけば、通ったあとに何も残さず旅をすることは、これからさらに難しくなっていくはずだった。