以前から配信回にちらちら出てた人の話。本作のホラー担当。
『はーい、みんなこんばんは! 美月だよー!』
画面の中で、美月が両手を振った。
御門の従妹で少し前から同居している美容系インフルエンサーである。
白いニットに、ゆるく巻いた髪。背景には観葉植物と、ガラスの棚に並べた化粧品の瓶。いつもの配信部屋だった。開始の告知から五分で、同時視聴者数は一万を超えていた。
《こんばんはー!》
《待ってた!!》
《今日もかわいい》
《美月ちゃんのニット似合いすぎ》
《寒いからこの配信で暖を取る》
『今日のテーマはね、冬の乾燥対策と、朝の時短スキンケア! 最近ほんっとに寒いよね。私も朝起きたら、ほっぺたがかぴかぴしてて。みんなはどう?』
《かぴかぴしてる》
《口のまわりが粉ふく》
《手がガサガサで泣いてる》
《マスクの下が乾燥地獄》
《朝五分しかない社会人です助けて》
『だよねー! じゃあ今日は、寝る前と朝、それぞれ私がやってることを全部見せちゃいます!』
美月は手元の小さなトレーを画面に近づけた。化粧水と、乳液と、小さなワセリンの缶。それからなぜかラップが一本。
《ラップ?》
《料理配信始まる?》
《ラップで何するの》
『ふふ、ラップはあとで使います!』
◇
『まず、夜ね。お風呂から出たら、とにかく三分以内に化粧水! これだけは絶対。お風呂上がりって、肌の水分がどんどん逃げていくから、タオルで拭いたらすぐ』
美月は手のひらに化粧水を出して、顔を包み込むように押さえた。
『こすらないで、ハンドプレス。手のひらで温めてから、ぎゅーって。三回に分けて重ねるのがおすすめ。一回でたくさんつけるより、ちょっとずつ何回ものほうが、ちゃんと入っていく感じがするの』
《メモった》
《三回に分けるの知らなかった》
《美月ちゃんのほっぺたもちもち》
《ハンドプレスしてる手が白くて綺麗》
『それから乳液でフタをして、最後に、乾燥がひどいところだけワセリンをちょびっと。口のまわりとか、小鼻の横とか。全顔に塗るとベタベタしちゃうから、ほんとにちょびっとね』
美月はワセリンを米粒ほど指に取ってみせた。
『で、ここからがラップの出番!』
《来た》
《ラップ待ってた》
『手がガサガサの人、これやってみて。寝る前にハンドクリームを多めに塗って、その上から両手をラップで包むの。それで、手袋をして寝る。朝起きたら、びっくりするくらいしっとりしてるよ』
《天才か》
《今夜やる》
《ラップのコスパ最強》
《手袋どこで買えばいい?》
『百円ショップの綿の手袋で大丈夫! ちょっと蒸れるけど、それがいいの』
美月は自分の手をラップでくるくると巻いて、画面に向かって振ってみせた。
《かわいい》
《ラップで手を巻いてる美月ちゃんかわいい》
《何してもかわいいの反則》
◇
『次は朝の時短ね! 朝五分しかない社会人さん、お待たせしました!』
《助かる》
《五分で足りる?》
『三分で終わらせます!』
美月は手元にタイマーを置いた。
『洗顔は、朝はぬるま湯だけでもいいの。乾燥してる時期は、朝まで洗顔料で洗うと、取っちゃいけない油まで取れちゃうから。それから、化粧水と乳液がひとつになってるやつ。これ一本で済ませる』
《オールインワン派です》
《ぬるま湯だけでいいの目からウロコ》
『で、日焼け止めだけはサボらないで。冬でも紫外線はあるからね。下地兼用のやつを選べば、それでもう一工程減らせる』
タイマーが鳴った。
『はい、三分!』
《本当に三分だった》
《神》
《明日からやる》
《美月ちゃんの説明わかりやすすぎる》
『あとね、意外と大事なのが部屋の湿度。加湿器がなかったら、濡れたタオルを一枚、部屋に干しておくだけでも全然違うよ。あと、寝室の湿度計、六十パーセントくらいが目安!』
《湿度計買う》
《濡れタオル作戦やってみる》
《美月ちゃんの部屋の湿度管理されてそう》
『されてるよー。家族の分もちゃんと見てるもん』
《家族》
《家族って》
《あっ》
《例の》
コメント欄が、少しだけざわついた。
◇
そのとき、画面の奥の扉が、かちゃりと開いた。
美月の後ろの、少しぼやけた背景の中に、人影が一つ現れた。寝癖で跳ねた前髪。だぼっとしたパジャマに、美月とお揃いのもこもこのカーディガンを羽織っている。
「……美月」
かすれた声だった。
「お腹、すきました」
美月の動きが止まった。
それから、ゆっくりと振り返った。
「ゆ、優子ちゃん……!」
声が、二段階くらい高くなっていた。
「起きたの!? え、待って、何時間寝てた? 十四時間? すごい、えらい! ちゃんと寝れたね!」
「……寝すぎて、頭が痛いです」
「お水飲んで! テーブルの上に置いてあるから! あとね、お鍋にお雑炊あるの。卵ふわふわにするから、ちょっと待ってて! あ、梅干しのせる? のせるよね?」
美月の頬が、みるみる赤くなっていった。目がきらきらと輝き、両手を胸の前でぎゅっと握りしめている。さっきまでの、落ち着いた美容系配信者の顔ではなかった。
どう見ても、恋をしている顔だった。
コメント欄が爆発した。
《!!!!???》
《声のトーン変わりすぎ》
《二オクターブ上がった》
《今の誰!?》
《優子ちゃんって、例の優子ちゃん?》
《テレビとかに出てた御門先生の声では》
《美月ちゃんの顔が完全に恋する乙女》
《は? かわいすぎるが?》
《脳破壊された》
《俺の美月ちゃんが……》
《いや、むしろてぇてぇ》
《てぇてぇ》
《てぇてぇてぇてぇ》
《十四時間寝てえらいって褒め方が母性の塊》
《梅干しのせるよね? の圧》
画面の奥で、人影がぼんやりとこちらを見た。
「……配信中、でしたか」
「あっ」
美月は慌ててカメラのほうへ向き直った。顔は真っ赤だった。
『ご、ごめんねみんな! 今のは、その、家族! 家族です!』
《家族(意味深)》
《家族の湿度まで管理してる件》
《さっきの伏線回収早すぎ》
《優子ちゃん、カーディガンお揃いでは?》
『顔は映してないからね! 映してないよね!? ぼやけてたよね!?』
《ぼやけてた》
《ぼやけてたけど寝癖は見えた》
《前髪ぴょんってなってた》
《そこまで見えてたら十分です》
◇
「美月」
画面の奥から、また声がした。
「急がなくていいですよ。配信、続けてください。私は自分でお雑炊を温めます」
「だめ!」
美月が振り返った。
「優子ちゃんがコンロ使うと、お鍋焦がすでしょ! 前に土鍋ひとつだめにしたの、忘れてないからね!」
「……あれは、論文を読んでいたので」
「読みながら火をつけないの!」
《土鍋ひとつ》
《論文読みながら火をつけるな》
《優子ちゃん生活力ゼロで草》
《美月ちゃんが世話焼くの分かる》
《これは放っておけない》
人影は、少しだけ肩をすくめたようだった。それから、とことこと画面の端を横切って、ソファに腰を下ろした。ちょうど、カメラの画角のぎりぎり外だった。カーディガンの袖と、膝の上で組んだ手だけが、画面の隅にのぞいていた。
『……じゃあ、えっと、続けます!』
美月はカメラに向き直って、深呼吸をした。
『最後にね、唇の乾燥対策。リップクリームは、塗る前に唇を軽く湿らせて』
そこまで言って、美月はちらりと画面の端を見た。
『……優子ちゃん。唇、かさかさになってない?』
「……なっていません」
『なってるよ。今、ちょっと見えたもん。こっち来て』
「配信中ですよ」
『顔は映さないから。手だけ。ね』
少しの沈黙があった。
それから、画面の端から、カーディガンの袖がのそりと伸びてきた。美月はその手首をそっと掴んで、自分のほうへ引き寄せた。カメラに映ったのは、美月の顔と、その横にわずかに入り込んだ、誰かの顎の線と肩だけだった。
『はい、じっとしててね。これ、はちみつのリップ。こうやって、内側から外側へ、ちょんちょんって』
「……甘い匂いがします」
『はちみつだもん』
「なめたら、だめですか」
『だめ!』
コメント欄が、とんでもない速さで流れ始めた。
《公開イチャイチャ》
《リップ塗ってあげてる》
《顔近い(見えないけど)》
《見えないのに見える》
《なめたらだめですかって何》
《優子ちゃん天然すぎる》
《はちみつ》
《俺は何を見せられているんだ》
《ありがとうございます》
《脳が破壊されて、再生して、また破壊された》
《美月ちゃんの手つきが優しすぎて泣いた》
《推しの推しが尊い》
『……はい、できた。もう動いていいよ』
「ありがとうございます」
カーディガンの袖が、画面の外へ戻っていった。
美月は、カメラに向き直った。耳まで赤かった。
『……え、えっと、今のが、正しいリップの塗り方です!』
《無理がある》
《今の全部実演扱いでいくの強い》
《実演(意味深)》
《参考にならない、いや、なった》
◇
「美月」
画面の外から、また声がした。
「いつも、配信見ていますよ」
美月の動きが、ぴたりと止まった。
「……え」
「美月の説明は、分かりやすいです。私は化粧のことはよく分かりませんが、見ていると、なんとなく分かった気になります。それに、美月が楽しそうに話しているのを見るのは、好きです」
美月は、カメラの前で固まっていた。
口が、ぱくぱくと動いた。言葉は、何も出てこなかった。
それから、両手で顔を覆った。
『……みんな、ちょっと待って。今、私、溶けてる』
《溶けてる》
《美月ちゃんが溶けた》
《本人から公式てぇてぇ供給》
《優子ちゃん、それはずるい》
《天然で殺しにくるタイプ》
《古参だけど美月ちゃんのこんな顔初めて見た》
《三年見てきて初めて見た》
《優子ちゃん、ちゃんと毎日ご飯食べてください》
《視聴者が優子ちゃんの健康を心配し始めた》
《もう二人まとめて推す》
そのとき、画面の外から、小さな音が聞こえた。
ぐう、と。
配信のマイクは、それをしっかりと拾っていた。
「……失礼しました」
かすれた声が、少しだけ恥ずかしそうに言った。
《腹の音入った》
《ぐう》
《かわいい》
《雑炊早く作ってあげて》
《もう配信いいから》
《俺たちのことは気にするな》
美月は、顔を覆っていた両手を、ゆっくりと下ろした。
頬はまだ真っ赤だった。けれど、その目は、配信の始めよりずっと、ずっときらきらしていた。
『ごめんねみんな、今日はここまで! 優子ちゃんにご飯作らなきゃいけないから!』
《配信より優子ちゃん優先で草》
《潔すぎる》
《それでこそ美月ちゃん》
《お幸せに》
《雑炊の配信もしてくれ》
《優子ちゃんにちゃんと食べさせてあげて》
《次回、優子ちゃんのスキンケア回希望》
『今日やったこと、全部概要欄に書いておくね! 化粧水は三回! ラップで手! 湿度六十! リップは内側から外側! じゃあまたね、おやすみー!』
美月は両手を大きく振った。
その振り方は、配信の最初よりずっと大きかった。
画面の端で御門の手がカーディガンの袖に半分隠れながらも一緒に小さく振られているのが、最後の一瞬だけ映っていた。
◇
配信が切れた。
美月は椅子から立ち上がった。それからふと思い出したように、パソコンの画面に戻った。
録画の保存のボタンを押した。それから保存したファイルを開いて、最後の数十秒だけを切り出した。
背景の奥で、寝癖の人影が「お腹、すきました」と言う場面。それから、画面の外から「いつも、配信見ていますよ」と聞こえる場面。最後に、小さく、ぐう、と鳴る場面。
ファイル名を打ち込む。
20XXMMDD_おなかすいた。
20XXMMDD_いつもみてる。
20XXMMDD_ぐう。
保存先のフォルダには、同じような名前のファイルが、ずらりと並んでいた。
美月は満足げに頷いて、パソコンを閉じた。
「優子ちゃん、今行くねー!」
台所のほうから、少し眠そうな声が返ってきた。
「……梅干し、二つでお願いします」
美月はエプロンの紐を結びながら、とびきりの笑顔で台所へ駆けていった。
短編集④ 美月の冬じたく 了
どうでもいいけど予約投稿がいつも0分じゃなくて1分になっているのは、初回で間違えて設定したため。あとはなんとなくそれを続けています。