温泉恐竜は家に帰る   作:ごろうまるし

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短編集とは、細かい設定や時系列は無視してよいものである(暴論)
以前から配信回にちらちら出てた人の話。本作のホラー担当。


短編集④ 美月の冬じたく

『はーい、みんなこんばんは! 美月だよー!』

 

 画面の中で、美月が両手を振った。

 御門の従妹で少し前から同居している美容系インフルエンサーである。

 

 白いニットに、ゆるく巻いた髪。背景には観葉植物と、ガラスの棚に並べた化粧品の瓶。いつもの配信部屋だった。開始の告知から五分で、同時視聴者数は一万を超えていた。

 

《こんばんはー!》

《待ってた!!》

《今日もかわいい》

《美月ちゃんのニット似合いすぎ》

《寒いからこの配信で暖を取る》

 

『今日のテーマはね、冬の乾燥対策と、朝の時短スキンケア! 最近ほんっとに寒いよね。私も朝起きたら、ほっぺたがかぴかぴしてて。みんなはどう?』

 

《かぴかぴしてる》

《口のまわりが粉ふく》

《手がガサガサで泣いてる》

《マスクの下が乾燥地獄》

《朝五分しかない社会人です助けて》

 

『だよねー! じゃあ今日は、寝る前と朝、それぞれ私がやってることを全部見せちゃいます!』

 

 美月は手元の小さなトレーを画面に近づけた。化粧水と、乳液と、小さなワセリンの缶。それからなぜかラップが一本。

 

《ラップ?》

《料理配信始まる?》

《ラップで何するの》

 

『ふふ、ラップはあとで使います!』

 

◇

 

『まず、夜ね。お風呂から出たら、とにかく三分以内に化粧水! これだけは絶対。お風呂上がりって、肌の水分がどんどん逃げていくから、タオルで拭いたらすぐ』

 

 美月は手のひらに化粧水を出して、顔を包み込むように押さえた。

 

『こすらないで、ハンドプレス。手のひらで温めてから、ぎゅーって。三回に分けて重ねるのがおすすめ。一回でたくさんつけるより、ちょっとずつ何回ものほうが、ちゃんと入っていく感じがするの』

 

《メモった》

《三回に分けるの知らなかった》

《美月ちゃんのほっぺたもちもち》

《ハンドプレスしてる手が白くて綺麗》

 

『それから乳液でフタをして、最後に、乾燥がひどいところだけワセリンをちょびっと。口のまわりとか、小鼻の横とか。全顔に塗るとベタベタしちゃうから、ほんとにちょびっとね』

 

 美月はワセリンを米粒ほど指に取ってみせた。

 

『で、ここからがラップの出番!』

 

《来た》

《ラップ待ってた》

 

『手がガサガサの人、これやってみて。寝る前にハンドクリームを多めに塗って、その上から両手をラップで包むの。それで、手袋をして寝る。朝起きたら、びっくりするくらいしっとりしてるよ』

 

《天才か》

《今夜やる》

《ラップのコスパ最強》

《手袋どこで買えばいい?》

 

『百円ショップの綿の手袋で大丈夫! ちょっと蒸れるけど、それがいいの』

 

 美月は自分の手をラップでくるくると巻いて、画面に向かって振ってみせた。

 

《かわいい》

《ラップで手を巻いてる美月ちゃんかわいい》

《何してもかわいいの反則》

 

◇

 

『次は朝の時短ね! 朝五分しかない社会人さん、お待たせしました!』

 

《助かる》

《五分で足りる?》

 

『三分で終わらせます!』

 

 美月は手元にタイマーを置いた。

 

『洗顔は、朝はぬるま湯だけでもいいの。乾燥してる時期は、朝まで洗顔料で洗うと、取っちゃいけない油まで取れちゃうから。それから、化粧水と乳液がひとつになってるやつ。これ一本で済ませる』

 

《オールインワン派です》

《ぬるま湯だけでいいの目からウロコ》

 

『で、日焼け止めだけはサボらないで。冬でも紫外線はあるからね。下地兼用のやつを選べば、それでもう一工程減らせる』

 

 タイマーが鳴った。

 

『はい、三分!』

 

《本当に三分だった》

《神》

《明日からやる》

《美月ちゃんの説明わかりやすすぎる》

 

『あとね、意外と大事なのが部屋の湿度。加湿器がなかったら、濡れたタオルを一枚、部屋に干しておくだけでも全然違うよ。あと、寝室の湿度計、六十パーセントくらいが目安!』

 

《湿度計買う》

《濡れタオル作戦やってみる》

《美月ちゃんの部屋の湿度管理されてそう》

 

『されてるよー。家族の分もちゃんと見てるもん』

 

《家族》

《家族って》

《あっ》

《例の》

 

 コメント欄が、少しだけざわついた。

 

◇

 

 そのとき、画面の奥の扉が、かちゃりと開いた。

 

 美月の後ろの、少しぼやけた背景の中に、人影が一つ現れた。寝癖で跳ねた前髪。だぼっとしたパジャマに、美月とお揃いのもこもこのカーディガンを羽織っている。

 

「……美月」

 

 かすれた声だった。

 

「お腹、すきました」

 

 美月の動きが止まった。

 

 それから、ゆっくりと振り返った。

 

「ゆ、優子ちゃん……!」

 

 声が、二段階くらい高くなっていた。

 

「起きたの!? え、待って、何時間寝てた? 十四時間? すごい、えらい! ちゃんと寝れたね!」

 

「……寝すぎて、頭が痛いです」

 

「お水飲んで! テーブルの上に置いてあるから! あとね、お鍋にお雑炊あるの。卵ふわふわにするから、ちょっと待ってて! あ、梅干しのせる? のせるよね?」

 

 美月の頬が、みるみる赤くなっていった。目がきらきらと輝き、両手を胸の前でぎゅっと握りしめている。さっきまでの、落ち着いた美容系配信者の顔ではなかった。

 

 どう見ても、恋をしている顔だった。

 

 コメント欄が爆発した。

 

《!!!!???》

《声のトーン変わりすぎ》

《二オクターブ上がった》

《今の誰!?》

《優子ちゃんって、例の優子ちゃん?》

《テレビとかに出てた御門先生の声では》

《美月ちゃんの顔が完全に恋する乙女》

《は? かわいすぎるが?》

《脳破壊された》

《俺の美月ちゃんが……》

《いや、むしろてぇてぇ》

《てぇてぇ》

《てぇてぇてぇてぇ》

《十四時間寝てえらいって褒め方が母性の塊》

《梅干しのせるよね? の圧》

 

 画面の奥で、人影がぼんやりとこちらを見た。

 

「……配信中、でしたか」

 

「あっ」

 

 美月は慌ててカメラのほうへ向き直った。顔は真っ赤だった。

 

『ご、ごめんねみんな! 今のは、その、家族! 家族です!』

 

《家族(意味深)》

《家族の湿度まで管理してる件》

《さっきの伏線回収早すぎ》

《優子ちゃん、カーディガンお揃いでは?》

 

『顔は映してないからね! 映してないよね!? ぼやけてたよね!?』

 

《ぼやけてた》

《ぼやけてたけど寝癖は見えた》

《前髪ぴょんってなってた》

《そこまで見えてたら十分です》

 

◇

 

「美月」

 

 画面の奥から、また声がした。

 

「急がなくていいですよ。配信、続けてください。私は自分でお雑炊を温めます」

 

「だめ!」

 

 美月が振り返った。

 

「優子ちゃんがコンロ使うと、お鍋焦がすでしょ! 前に土鍋ひとつだめにしたの、忘れてないからね!」

 

「……あれは、論文を読んでいたので」

 

「読みながら火をつけないの!」

 

《土鍋ひとつ》

《論文読みながら火をつけるな》

《優子ちゃん生活力ゼロで草》

《美月ちゃんが世話焼くの分かる》

《これは放っておけない》

 

 人影は、少しだけ肩をすくめたようだった。それから、とことこと画面の端を横切って、ソファに腰を下ろした。ちょうど、カメラの画角のぎりぎり外だった。カーディガンの袖と、膝の上で組んだ手だけが、画面の隅にのぞいていた。

 

『……じゃあ、えっと、続けます!』

 

 美月はカメラに向き直って、深呼吸をした。

 

『最後にね、唇の乾燥対策。リップクリームは、塗る前に唇を軽く湿らせて』

 

 そこまで言って、美月はちらりと画面の端を見た。

 

『……優子ちゃん。唇、かさかさになってない?』

 

「……なっていません」

 

『なってるよ。今、ちょっと見えたもん。こっち来て』

 

「配信中ですよ」

 

『顔は映さないから。手だけ。ね』

 

 少しの沈黙があった。

 

 それから、画面の端から、カーディガンの袖がのそりと伸びてきた。美月はその手首をそっと掴んで、自分のほうへ引き寄せた。カメラに映ったのは、美月の顔と、その横にわずかに入り込んだ、誰かの顎の線と肩だけだった。

 

『はい、じっとしててね。これ、はちみつのリップ。こうやって、内側から外側へ、ちょんちょんって』

 

「……甘い匂いがします」

 

『はちみつだもん』

 

「なめたら、だめですか」

 

『だめ!』

 

 コメント欄が、とんでもない速さで流れ始めた。

 

《公開イチャイチャ》

《リップ塗ってあげてる》

《顔近い(見えないけど)》

《見えないのに見える》

《なめたらだめですかって何》

《優子ちゃん天然すぎる》

《はちみつ》

《俺は何を見せられているんだ》

《ありがとうございます》

《脳が破壊されて、再生して、また破壊された》

《美月ちゃんの手つきが優しすぎて泣いた》

《推しの推しが尊い》

 

『……はい、できた。もう動いていいよ』

 

「ありがとうございます」

 

 カーディガンの袖が、画面の外へ戻っていった。

 美月は、カメラに向き直った。耳まで赤かった。

 

『……え、えっと、今のが、正しいリップの塗り方です!』

 

《無理がある》

《今の全部実演扱いでいくの強い》

《実演(意味深)》

《参考にならない、いや、なった》

 

◇

 

「美月」

 

 画面の外から、また声がした。

 

「いつも、配信見ていますよ」

 

 美月の動きが、ぴたりと止まった。

 

「……え」

 

「美月の説明は、分かりやすいです。私は化粧のことはよく分かりませんが、見ていると、なんとなく分かった気になります。それに、美月が楽しそうに話しているのを見るのは、好きです」

 

 美月は、カメラの前で固まっていた。

 口が、ぱくぱくと動いた。言葉は、何も出てこなかった。

 それから、両手で顔を覆った。

 

『……みんな、ちょっと待って。今、私、溶けてる』

 

《溶けてる》

《美月ちゃんが溶けた》

《本人から公式てぇてぇ供給》

《優子ちゃん、それはずるい》

《天然で殺しにくるタイプ》

《古参だけど美月ちゃんのこんな顔初めて見た》

《三年見てきて初めて見た》

《優子ちゃん、ちゃんと毎日ご飯食べてください》

《視聴者が優子ちゃんの健康を心配し始めた》

《もう二人まとめて推す》

 

 そのとき、画面の外から、小さな音が聞こえた。

 ぐう、と。

 配信のマイクは、それをしっかりと拾っていた。

 

「……失礼しました」

 

 かすれた声が、少しだけ恥ずかしそうに言った。

 

《腹の音入った》

《ぐう》

《かわいい》

《雑炊早く作ってあげて》

《もう配信いいから》

《俺たちのことは気にするな》

 

 美月は、顔を覆っていた両手を、ゆっくりと下ろした。

 頬はまだ真っ赤だった。けれど、その目は、配信の始めよりずっと、ずっときらきらしていた。

 

『ごめんねみんな、今日はここまで! 優子ちゃんにご飯作らなきゃいけないから!』

 

《配信より優子ちゃん優先で草》

《潔すぎる》

《それでこそ美月ちゃん》

《お幸せに》

《雑炊の配信もしてくれ》

《優子ちゃんにちゃんと食べさせてあげて》

《次回、優子ちゃんのスキンケア回希望》

 

『今日やったこと、全部概要欄に書いておくね! 化粧水は三回! ラップで手! 湿度六十! リップは内側から外側! じゃあまたね、おやすみー!』

 

 美月は両手を大きく振った。

 その振り方は、配信の最初よりずっと大きかった。

 画面の端で御門の手がカーディガンの袖に半分隠れながらも一緒に小さく振られているのが、最後の一瞬だけ映っていた。

 

◇

 

 配信が切れた。

 美月は椅子から立ち上がった。それからふと思い出したように、パソコンの画面に戻った。

 録画の保存のボタンを押した。それから保存したファイルを開いて、最後の数十秒だけを切り出した。

 

 背景の奥で、寝癖の人影が「お腹、すきました」と言う場面。それから、画面の外から「いつも、配信見ていますよ」と聞こえる場面。最後に、小さく、ぐう、と鳴る場面。

 

 ファイル名を打ち込む。

 

 20XXMMDD_おなかすいた。

 

 20XXMMDD_いつもみてる。

 

 20XXMMDD_ぐう。

 

 保存先のフォルダには、同じような名前のファイルが、ずらりと並んでいた。

 

 美月は満足げに頷いて、パソコンを閉じた。

 

「優子ちゃん、今行くねー!」

 

 台所のほうから、少し眠そうな声が返ってきた。

 

「……梅干し、二つでお願いします」

 

 美月はエプロンの紐を結びながら、とびきりの笑顔で台所へ駆けていった。

 

短編集④ 美月の冬じたく 了

 




どうでもいいけど予約投稿がいつも0分じゃなくて1分になっているのは、初回で間違えて設定したため。あとはなんとなくそれを続けています。
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