場繋ぎの短編はこれで一旦終わり。
要望があればまだストックあるので出そうかな。メインキャラの飲み会や、竜崎の飲み会、少年の脳破壊、プルゴリたちの休日、ドラゴンバスターの遊び、御門家の怖い夜など
スタジオの正面に、大きなパネルが掲げられていた。
徹底討論! 温泉恐竜は人類の味方か、脅威か。
その下に、長机が二つ向かい合わせに置かれている。片方には東和大学名誉教授の鷲尾誠一郎。もう片方には、政府の恐竜対策部門で行動分析を担当する御門優子。二人のあいだの司会席には、局のベテランアナウンサーが座っていた。ひな壇には、お笑い芸人が一人と、アイドルが一人。
「本日は、お二人の専門家に、とことん議論していただきます」
司会者がカメラに向かって笑顔を作った。
「鷲尾先生は、温泉恐竜の行動はすべて動物の習性で説明できるというお立場。御門さんは、そうとは言い切れないというお立場です。では鷲尾先生から、どうぞ」
鷲尾は眼鏡を直した。
「では、はっきり申し上げます。あの個体が人を助けたという話は、偶然の積み重ねにすぎません」
御門がほんの少しだけ眉を動かした。
「福島でも八王子でも、たまたま肉食恐竜同士の争いの場に人間がいた。人間の側が、そこに勝手に物語を読み込んでいる。青森の映像で頭を下げたように見えるのも、首の可動域の問題です」
「首の可動域の問題であれば」
御門が静かに口を開いた。
「あの角度で三秒以上静止する理由が説明できません。肉食種が周囲の匂いを嗅ぐときの首の動きは、もっと細かく左右に振れます。青森の映像では、まっすぐ下げて、止めて、まっすぐ戻しています」
「三秒程度の静止なら、警戒の解除行動でも見られる」
「警戒の解除であれば、尾の位置も同時に下がるはずです。あの映像では、尾は水平のまま保たれていました」
「……画質の問題だろう」
「画質の問題であれば、断定はしません。ですが、少なくとも先生の説明で、すべてを片づけることもできないと思います」
鷲尾の口元が、わずかに引きつった。
スタジオの空気が、ぴりっと張りつめた。
ひな壇の芸人が、隣のアイドルに小声で「バチバチやん」と囁いた。アイドルは、目を輝かせて頷いた。
◇
討論は、十分ほどで最初の山場を迎えた。
「では那須の自動販売機はどうですか」
司会者が話を振った。後ろのモニターに、コーラを買う黒い恐竜の映像が映し出された。
「あれもカラスと同じです。報酬と行動の結びつきを学習しただけだ」
鷲尾が即座に言った。
「カラスは、ボタンを押す前に、硬貨の投入口を確かめません」
御門も即座に返した。
「あの個体は、ボタンを押す前に投入口に鼻先を近づけています。硬貨が入っているかを確認する手順を踏んでいる。報酬と行動の単純な結びつきでは、その手順は生まれません」
「……ふん」
鷲尾は腕を組んだ。
「それは、確かに興味深い動きではある」
「はい」
「あの、硬貨を入れるときの前肢の使い方も」
鷲尾がぽつりと付け加えた。
「あれは、なかなかのものだった。指の可動域が限られている中で、手首の返しを使っている。爪の先で硬貨を挟んで、ほんの少しだけ傾けて」
「そうなんです」
御門の声が、少しだけ高くなった。
「あの手首の返しを見たとき、私、思わず映像を止めました。前肢の構造上、あの角度はかなり無理をしているはずなんです。それなのに、何度も練習したような迷いのなさで」
鷲尾が身を乗り出した。
「わかる、あれは手慣れ感というか、習熟した動作だった」
「あれが始めての購入では無かったと考えられます。過去、何かのきっかけで購入動作を知り、それから必要な硬貨が集まるまで練習していたような」
鷲尾はほう、と感心したように息を吐いた。
司会者の笑顔が、ほんの少しだけ固まった。
◇
「で、では、福島の事件について」
司会者が慌てて次のパネルを出した。
「赤い大型恐竜との戦いです。ここで黒い恐竜は、明らかに人間を守るような位置に立っていますが」
「位置取りだけなら、獲物を奪い合っていると解釈できる」
鷲尾は気を取り直したように言った。
「しかし、あの戦い方」
それから言葉を切った。
「あの戦い方は、実に見事だった」
「……先生も、そう思われますか」
御門の目が、ぱっと輝いた。
「しかり。赤いほうは体格で上回っていた。正面からでは勝てない。だから、あの黒いのは、一度も正面に立たなかった。常に相手の右斜め後ろへ回り込んで、尾の届かない位置を取り続けた」
「そうなんです! しかも、あれは本能だけではできない動きなんです。相手の尾の振りの周期を、数回で読み切っている」
「三回目の振りから、明らかに間合いが変わっている」
「四回目からです」
「いや、三回目だ」
「……もう一度見直します」
「私も見直そう」
二人は同時に手元の資料をめくった。
ひな壇の芸人が、隣のアイドルに囁いた。
「……なあ。これ、討論ちゃうよな」
「え、でも、なんか二人とも楽しそうです」
「楽しそうなのが問題やねん、討論番組って謳い文句なんやぞ」
◇
カメラの横で、ADがカンペを掲げた。
――もう少し対立をお願いします。
司会者はそれをちらりと見て、咳払いをした。
「お二人とも、本日のテーマは、味方か脅威かです。ずばり、鷲尾先生。温泉恐竜は、人類にとって脅威ではないのですか」
「大型に届きうる肉食恐竜なので、明確に脅威です」
鷲尾はきっぱりと言った。
「体長四メートルを超える肉食種が、人間の行動を学習している。高い知能は、危険と同じ意味です」
「御門さんは」
「危険であることは、否定しません」
御門も、きっぱりと言った。
「ですが、危険であることと、敵であることは別の問題です。あの個体は、少なくとも記録が残っている範囲で、一度も人間を襲っていません」
「襲っていないから安全だと言うのは、早計だ」
「安全だとは申し上げていません、敵であると決めつけるべきで無いと言う話です」
ようやく討論らしくなった。司会者がほっとしたように頷いた。
そのとき、後ろのモニターに、山形の野湯の映像が映し出された。湯気の中で、黒い恐竜が肩まで湯に浸かり、目を細めている。番組のスタッフが、次の話題のために用意していたものだった。
鷲尾と御門が、同時にモニターを見た。
同時に、黙った。
「……この、目の細め方」
鷲尾がぽつりと言った。
「これは、君ならどう解釈する?」
「私は、純粋なリラックス反応だと考えています。瞬膜は動いていません。まぶたの筋肉だけで、ゆっくりと閉じている」
「同感だ。肩の位置も見てみたまえ。湯に入る前より、明らかに下がっている」
「首の付け根の筋が、緩んでいるんです」
「尾の先も水中で、ゆっくり揺れています」
二人はモニターを見つめたまま、しばらく何も言わなかった。
それから鷲尾が、ほとんど独り言のように呟いた。
「……いい顔をしている」
「……いい顔ですよね」
御門が静かに頷いた。
「恐竜は、いい」
「いいです」
「実に、いい」
「はい。本当に、いいです」
二人の声が、そろって半音上がっていた。スタジオが、静まり返った。
司会者は手元の進行表を見下ろしたまま固まっていた。ADのカンペは、いつの間にか下ろされていた。
ひな壇の芸人が、マイクに入る声で言った。
「……恐竜オタクの飲み会かいな」
スタジオの観覧席から、どっと笑いが起きた。
◇
「け、結論をお願いします」
番組の終わりに、司会者が引きつった笑顔で言った。
「温泉恐竜は、人類の味方か、脅威か。お二人、一言ずつ」
鷲尾は眼鏡を直した。
「現時点では、判断できません。ですから、きちんと保護して、きちんと調べるべきです。それと」
「それと?」
「怪我をしたら、まず獣医です」
観覧席から、拍手と笑いが起きた。
「御門さんは」
「断定はしません」
御門はいつもの口調で言った。
「ただ、一つだけ申し上げるなら。あの個体を、怖がることと、知ろうとすることは、同時にできると思います。鷲尾先生と私は、たぶん、そこは同じです」
鷲尾がふん、と鼻を鳴らした。
否定はしなかった。
◇
収録のあと、楽屋の廊下で、鷲尾は御門を呼び止めた。
「御門くん」
「はい」
「さっきの福島の尾の周期だが。帰ったら、映像を送ってくれないか。三回目か四回目か、はっきりさせたい」
「はい。私も確かめたいので」
「それと」
鷲尾は少しだけ目を逸らした。
「うちの研究室に、古い記録映像が山ほどある。四十年分の、爬虫類の行動記録だ。もし興味があれば、見に来なさい」
御門は一瞬だけ目を丸くした。
それからほんの少しだけ笑った。
「……伺います。ぜひ」
「ふん。茶ぐらいは出す」
鷲尾はそれだけ言って背を向けた。歩き方が、来たときより少しだけ軽かった。
音痴な鼻歌が廊下にちいさく流れていた。
◇
その夜、放送が終わると、SNSの話題の一覧に、三つの言葉が並んだ。
ツンデレ教授。
恐竜、いい。
オタク同士の会話すぎる。
鷲尾の家の居間では、妻の和子が、録画を三回巻き戻して見ていた。そのたびに、「実に、いい」のところで、ソファに倒れ込んで笑っていた。
書斎の鷲尾は、耳まで赤くしながら聞こえないふりをして、福島の映像を再生していた。
御門から早速送られてきた映像である。
鷲尾はスロー再生していた映像を三回目の尾の振りで、映像を止めた。
「……ふむ、やはり三回目だ」
鷲尾は満足そうにグラスを傾けた。孫と会う時以外に上がらないはずの口角は、にんまりと弧を描いていた。
短編集⑥ 徹底討論 了