前話が長いので区切ったらこっちが短くなっちゃった。
黒い背中が雪の斜面の向こうに消えた。
峠の駐車場には灯油ストーブの燃える音だけが残った。誰も口を開かなかった。最初に沈黙を破ったのは榊原だった。
「……で」
帽子をかぶり直しながら、榊原は北の山から目を離さずに言った。
「どうするんだ、これ」
「どう、とは」
御門が振り返った。
「とぼけるな、先生。四メートル超えの肉食恐竜だぞ。昨日、八王子で同じ肉食を一頭、跡形もなく引き裂いた個体だ。それを俺たちは目の前で治療して、発信機までつけて、手を振って見送った」
榊原はようやく御門のほうを向いた。
「上にバレたら、ただじゃ済まん。俺と岳はハンターの登録を取り消されるかもしれん。日下部先生だって獣医の免許がどうなるか分からん。あんたはたぶんクビだ」
「クビで済めば、いいほうですよ」
ストーブに手をかざしたまま、岳がぼそりと言った。御門は三人の顔を順に見た。それから、まっすぐに背筋を伸ばした。
「全部、私が決めたことです」
静かな声だった。
「報告書にはそう書きます。黒い個体の追跡は、研究担当の御門の独断で行われた。黒い個体と接触したのは御門一人。発信機を取りつけたのも、見送ったのも御門一人」
「先生」
「今日、ここには」
御門は、榊原の言葉を遮った。
「頭のおかしい恐竜フリークの研究者が、一人いただけです。恐竜に会いたい一心で、上の許可も取らずに峠まで来て。恐竜相手に一人で喋って、勝手に機械を押しつけて、勝手に見送った。……皆さんは、ここには来ていません」
誰も何も言わなかった。それから、榊原が盛大にため息をついた。
「……誰が信じるんだ、そんな話」
「信じます。私の普段の言動を知っている人なら、全員」
「そこを否定できないのが、つらいところですね」
岳が苦笑した。それから、ちらりと榊原を見た。
「それに、ライフルの持ち出し記録でバレバレですよ。子供の嘘じゃないんだから」
日下部が医療品を入れたケースの留め金をぱちんと閉めた。
「俺は昨日の夜は孫とケーキを食ってたことにしときてぇな」
「先生まで」
「本当に食ってたんだ。途中までは」
日下部は立ち上がって、腰を伸ばした。
「それに、あの小さいのはもう俺の病院の患者だ。患者を連れてきた付き添いのことを、獣医がいちいち上に報告する義務はない。……少なくとも、俺はそう解釈する」
御門は、三人を見た。
「……皆さん」
「先生」
榊原が御門の前に立った。
「一人で背負うな。そういうのは、柄じゃないだろう」
「でも」
「ここまで来たら、一蓮托生だ」
榊原は北の山を顎でしゃくった。
「あいつの鞄にあの機械をつけたのは、先生の手だ。だが、あいつが峠に来るまで銃を下ろして待ってたのは、俺たちだ。あいつの首を縫ったのは、日下部先生だ。……今さら、知らん顔はできん」
岳が肩をすくめた。
「俺、あいつにまだ話しかけてもいないんですよ。今度会ったら、ちゃんと名乗るつもりなんで。そのときハンターじゃなくなってたら、格好つかないでしょう」
御門は何か言おうとした。けれど、言葉にならなかった。そのとき、岳の肩の無線が小さく鳴った。
『こちら三枝。……全部聞こえてましたけど』
四人は顔を見合わせた。
『発信機の受信今のところ私のパソコンにしかつながってないです。本部のシステムに登録するの、うっかり忘れてました。……年末で忙しいので。年明けまでたぶん忘れたままです』
榊原が天を仰いだ。
「……どいつもこいつも」
『あと、峠の道路カメラ。あれ県の道路情報サイトで数分おきに更新される静止画で、向こうに記録は残らないんです。大雪の日にあんな山奥の峠の画像をわざわざ見てる人も、まずいません。うちで念のため録画してた分は……録画ボタン押し忘れてました。年末で忙しいので』
「三枝さん」
御門の声が震えた。
『先生。一蓮托生なら私も混ぜてください。仲間外れは嫌です』
御門は無線を見つめたまま動けなかった。それから、雪の上で深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
顔を上げたときその目は赤くなっていた。
「では、改めて」
乱れた髪を手で押さえながら、御門は小さく笑った。
「今日ここには、頭のおかしい恐竜フリークが五人いた、ということで」
「一人で十分だろ、そんなもん」
榊原が呆れたように言った。
それでも、その口元は笑っていた。岳も日下部も苦笑していて、無線の向こうからは、三枝が小さく吹き出す音が聞こえた。
北の山の向こうで、日が沈もうとしていた。
雪の斜面に、黒い恐竜の足跡が一列に続いている。
いつもその足跡の横でちょこまかとついていた、小さな足跡はもうついていなかった。
第48章 雪の上の足跡 了