配信開始まであと五分。
竜崎は画面の端に開いたままのウィンドウを、もう何度目か分からないほど見返していた。十日ほど前の配信の、アーカイブのコメント欄だった。
【八王子住み】うちも母の薬がもうすぐ切れます。いつもの薬局に聞いたら、入荷は二十四日の午後になるって言われました。父は仕事を休めないので、たぶん私が取りに行きます。気をつけて行ってきます。
二十四日の午後。
昨日だった。
昨日の午後八王子の薬局の前で何があったのか。竜崎はニュースで知っている。店の名前は報道されていない。駅へ向かう商店街の、小さな薬局だとだけ伝えられていた。そこに、何人かの客が閉じ込められていた。
あのコメントの主が、そこにいたのかどうか。それは分からなかった。
「……竜崎さん」
後ろでスタッフが声をかけた。
「時間です」
「ああ」
竜崎はウィンドウを閉じた。今日のサムネイルも白い背景に黒い文字が一行だけだった。
【解説】八王子事件 いま分かっていること
◇
『こんばんは。D竜崎チャンネルです』
コメント欄が一斉に流れ始めた。開始一分で、同時視聴者数は五万を超えた。
《待ってた》
《竜崎、昨日見てた?》
《八王子住みです。まだ手が震えてる》
《今日はちゃんとした情報が欲しい》
《ネットの噂が多すぎて何が本当か分からん》
『昨日八王子の市街地に、中型肉食恐竜が侵入しました。皆さんニュースで見たと思います。SNSでもものすごい量の情報が流れてます』
竜崎は少し間を置いた。
『今日はその中から確認できたことだけを話します。警察と東京都の発表。報道機関の取材。それから、現場にいた人の証言のうち複数の人が同じことを言っているもの。それだけです。確認できないことは、確認できないって言います。推測で話を盛ることも、しません』
《いつもの竜崎と違う》
《ありがたい》
《昨日駅前で人が噛まれたって見たけど、あれ本当?》
《小学校に入り込んだって話は?》
『まずそこから行きます』
竜崎は手元の資料を画面に映した。
『駅前で人が噛まれた。小学校に入り込んだ。恐竜は五頭いた。……どれも、確認できません。警察の発表にはありません。報道機関の取材でも裏が取れてません。たぶん、デマか、見間違いか、ほかの話が混ざったものです』
《五頭って書いてたやつ誰だよ》
《俺それ見てマジで家族連れて逃げようとした》
《デマ流したやつ全員特定して逮捕しろ。あいつらのせいで人が外に飛び出して怪我したんだぞ。人殺しと同じだ》
《>>特定しろ 気持ちは分かるけど、昨日の時点では誰も何が本当か分からなかったんだよ。怖くて見たものをそのまま書いた人も多いと思う。悪意のあるやつと、パニックで書いちゃったやつを一緒にするな》
『デマを流した人を責めたい気持ちは分かります』
コメントを目で追いながら竜崎は言った。
『でも、昨日の時点で何が本当か分かってた人なんて、ほとんどいなかったと思います。俺も正直配信のネタになるかもしれないって思いながらSNSを見てました。そしたら手が震えてきて途中で閉じました。それくらいみんな怖かった。……それは、まず言っておきます』
◇
『じゃあ、時系列で行きます』
画面に八王子市の地図が映し出された。
『前日の二十三日。長野から逃げていた中型肉食恐竜二頭のうち一頭が、あきる野市で人を襲いました。四十代の会社員の方が亡くなっています。この時点で東京都は多摩西部に緊急事態宣言を出しました』
《あきる野の人、ご冥福をお祈りします》
《この時点でもっと強く止めとけば》
『二十四日。午後一時の時点で、八王子市内での目撃情報はゼロでした。市からの通知も、外出は控えるように、ただし通院や薬の受け取りなど生活に必要な外出は注意して行うように、という内容でした』
竜崎はそこで言葉を切った。
『ここ大事なので、はっきり言います。昨日の午後八王子で外にいた人たちの中には、市の通知を読んでちゃんと確認して、それでも必要だから出かけた人がたくさんいました。薬を取りに行った人。透析の家族を病院へ送っていた人。介護の仕事で一人暮らしのお年寄りの家に向かっていた人。……その人たちは何も間違ってません』
《そうだよな》
《外に出てたやつは自己責任とか言ってる人、これ聞いてほしい》
《いや、緊急事態宣言出てたんだから出るほうが悪いだろ。薬なんか一日二日飲まなくても死なないし、透析だって日をずらせばいい。甘えてるから被害が出るんだよ》
《>>甘え 透析は日をずらせない。ずらしたら死ぬ。うちの親父がそうだから知ってる。知らないことを偉そうに言うな》
《>>甘え うちの母も薬が切れると発作が出る。一日でも駄目な薬はある》
『透析は日をずらせません』
竜崎は静かに言った。
『薬も種類によっては、一日切れただけで命に関わります。家にいろっていうのは、家にいれば生きていける人に向けた言葉です。家にいたら生きていけない人もいるんです』
『午後二時過ぎ。浅川の北岸で一頭目が目撃されました。ここで市内全域に緊急速報が出て、防災無線が鳴りました。屋外にいる人はただちに近くの建物へ』
『そこから先は皆さんも知っての通りです。自宅へ戻ろうとする車が一斉に道路に出て、渋滞と事故が起きた。商店街では店に逃げ込もうとした人たちが入りきれずに将棋倒しになった。恐竜は塀や庭や家の隙間を抜けて動いていて、ハンターの人たちはなかなか追いつけなかった』
《現場にいた。本当に地獄だった》
《電話が全然つながらなかったのが一番怖かった》
《家族が学童にいて、迎えに行きたくて、でも外に出るなって言われて、頭おかしくなりそうだった》
《車捨てて走ってる人、何人も見た》
『それから、もう一つ』
竜崎の声がわずかに硬くなった。
『ハンターの人たちが一時間近く一発も撃たなかった理由です。……撃てなかったんです。恐竜の後ろにいつも人がいたから。逃げ遅れた人。店のシャッターの陰に隠れてる人。マンションのベランダから撮影してる人』
《撮影してたやつ、マジでなんなの》
《ベランダから撮ってたやつのせいでハンターが撃てなかったって聞いた。あいつら全員、業務妨害で捕まえろ。自分の再生数のために人の命危険にさらしてんだぞ》
《>>撮ってたやつ ベランダで泣きながら撮ってた子もいたって。家族が外にいて、カメラで探してたんだって。全員がバズり目的じゃないよ》
《どっちにしろ、窓から身を乗り出すのはやめてくれ。射線ってそういうことなんだ》
『撮るなとは、俺には言えません』
竜崎は苦笑した。
『俺自身、誰かが撮った映像で解説して、それで食ってるので。……でも一つだけ。窓から身を乗り出すのはやめてください。あなたが窓から顔を出していると、その先の恐竜をハンターは撃てない。外れた弾があなたに当たるかもしれないから。撮るなら窓の内側から。カーテンの陰から。それだけで、ハンターが撃てるチャンスが一つ増えます』
◇
『それで、撃てない状況の中でハンターの人たちが何をしてたか』
画面に短い映像が流れた。近くの店の防犯カメラが捉え、報道機関が公開したものだった。
商店街のアーケードの入口。転んだ女性。その前に、ライフルを背負った若いハンターが飛び込んでいく。腰から抜いた刃物で、跳びかかってきた灰褐色の顎を斜めに叩き流す。恐竜は勢いのまま横のシャッターに頭から突っ込んだ。
《ドラゴンバスター!!》
《岳だ》
《何回見てもおかしい。人間の動きじゃない》
《マチェットで中型いなすとか正気か》
《この人、前に大型と格闘してバズってた人だよな》
《かっこいいとか言ってる場合じゃないけど、かっこいい》
『東京のハンターの、岳さんです』
竜崎は映像を止めた。
『この人たちは撃てない銃を抱えて、一時間近く市街地を走り回ってました。恐竜が人に向かうたびに間に割り込んで、音を鳴らして自分のほうに注意を引きつけて。倒すことより、誰も死なせないことを優先して』
『最終的に一頭目は午後三時半過ぎ、ハンターの人たちが人のいない駐車場まで誘導して一発で仕留めました。背後がコンクリートの擁壁で、外れても人に当たらない場所だったそうです』
《一時間かけて誘導したのか》
《一発で決めたのすごい》
《最初から撃てばよかったのにって言ってるやつ、これ聞け》
『で、ここからが皆さんが一番気になってるところだと思います』
竜崎は深く息を吸った。
◇
『黒い恐竜。いわゆる、温泉恐竜です』
コメント欄の流れが目に見えて速くなった。
《来た》
《これを聞きに来た》
《結局あいつは何だったの》
《人を守ったって話と、めちゃくちゃ暴れたって話と、両方聞く》
『最初に言っておきます。黒い恐竜の映像はほとんどありません。公開されてるのは、丘陵から市街地に入ってくるところを撮ったドローンの映像と、街路樹が折れた直後の写真くらいです。それ以外は全部、現場にいた人の証言です』
『確認できたことを順番に言います。一つ目。八王子の西の丘陵の近くで、介護の仕事で原付に乗っていた方が二頭目の中型肉食恐竜に襲われそうになりました。その方は取材にこう答えています』
画面に報道記事の一部が映った。
――急に灰色のが斜面から飛び出してきて、声も出なかった。そうしたら横から黒いのがぶつかってきて、私と灰色のの間に立ったんです。私に行けって言ってるみたいに、首を振って。それで近くの家に逃げ込めました。
《守ってるじゃん》
《やっぱりあいつは味方なんだよ》
《福島と同じだ》
『二つ目。市街地の通りで街路樹の欅が一本、根元から折れました。黒い恐竜が二頭目に跳びかかって外れたときに、なぎ倒したと見られています。この音で周りの人たちがさらにパニックになりました。けが人の一部はこのときのものです』
《欅を一撃で?》
《>>欅 中が腐って空洞になってた古い木だったらしい。それでも、ぶつかっただけで根っこごと倒れるのはおかしいけど》
《力どうなってんだよ》
《結局こいつのせいでけが人増えてるじゃん》
《>>こいつのせい 灰色を止めようとして外れたんだろ。わざとじゃない》
《わざとじゃなくても、四メートルの肉食が街中で暴れたらそうなるんだよ。英雄扱いしてるやつ自分の家の前の木が倒れても同じこと言えるか》
《てか、なんであの通り家から人が出てきてたの? 屋内にいろって言われてたのに》
『その質問、すごく多くもらってます』
竜崎は画面に一枚の写真を映した。欅が折れた通りの、両側の家並みだった。
『あの通り沿いは、ほとんどが古い木造の戸建てです。……欅が折れたとき、すぐそばの家は塀ごと潰れかけました。中にいた人たちは、窓の外で木が一本根元から折れるのを見たわけです』
竜崎は言葉を選ぶように一拍置いた。
『四メートルの肉食恐竜です。体重は発表されてませんけど、同じくらいの大きさの種類から考えると、一トン近くあるはずです。それがぶつかってきたら、木造の家の壁や雨戸は持ちません。中型の肉食恐竜なら玄関の扉くらいは体当たりで破れるっていうのは、これまでの事例でも分かってます。……家の中にいれば安全っていうのは、建物が恐竜に耐えられるならの話なんです』
『だからあの通りの人たちは、家を出て距離を取ろうとしました。少し先の鉄筋コンクリートのマンションや、商店街の頑丈な建物のほうへ。……逃げ出したんじゃないんです。もっと安全な建物へ移ろうとしたんです』
《そういうことか》
《うちも木造だから分かる。目の前で木が倒れたら、ここにいたら死ぬって思う》
《>>屋内にいろ 屋内ならどこでもいいわけじゃないんだな》
《いや、それでも外に出るのは危ないだろ。恐竜がいる通りに出るほうがよっぽど危険》
《>>外に出るほうが危険 恐竜が自分の家の前で暴れてて壁一枚しかなかったらどうする? 残るのも出るのもどっちも命がけだったんだよ》
《防災無線は「近くの建物へ」だったしな。木造の家も建物は建物だけど、それで足りるかは誰も教えてくれなかった》
《消防の人があの通りの人をマンションに誘導してたのを見た。誘導がなかったら、もっとバラバラに走ってたと思う》
『どっちも命がけだった。……俺も、そう思います』
竜崎は写真を閉じた。
『あの通りで家から出た人が悪かったとは、俺は言えません。出た人も残った人も、目の前で木が折れるのを見て、その場で決めるしかなかった。……ただ、そのとき一斉に人が通りに出たことで混乱が大きくなったのも事実です。この話は最後にもう一回します』
『三つ目』
竜崎の声が低くなった。
『商店街の薬局の裏の路地で、黒い恐竜と二頭目が戦いました。二頭目はそこで死んでいます。……この戦いの映像は公開されていません。現場にいた人の証言だけです』
竜崎は手元のメモに目を落とした。
『複数の人が同じことを言っています。黒い恐竜はものすごい勢いで二頭目を攻撃した。二頭目が動かなくなっても攻撃をやめなかった。……現場を見た人の中には、死骸がほとんど原形を留めていなかったと話している人もいます』
コメント欄が一瞬、止まったように見えた。
それから堰を切ったように流れ始めた。
《は?》
《原形留めてないって何》
《やっぱり化け物じゃねえか》
《これで英雄扱いしてたやつどう説明すんの》
《同族をそこまでやるって異常個体と変わらないだろ。次は人間かもしれない。今すぐ駆除しろ。ハンターはなんで撃たなかったんだよ》
《>>駆除しろ 薬局の中に人が閉じ込められてたんだぞ。二頭目はそこに入ろうとしてたって聞いた。黒いのが止めなかったら中の人がどうなってたか考えろ》
《>>駆除しろ 守るためにやったんならやりすぎだろうが何だろうが、結果として誰も死んでないだろ》
《やりすぎはやりすぎだよ。それは擁護できない。怖いものは怖い》
《怖いのは分かる。でも、福島でも栃木でもあいつは一回も人を襲ってない。そこは事実だろ》
竜崎は黙ってコメントを読んでいた。
『……どっちの意見も分かります』
『黒い恐竜が人を守ったって言う人がいる。介護の方の証言もある。薬局の人たちも助かってる。でも、黒い恐竜が怖かったって言う人もいる。現場にいた人たちは、あの路地ですごく怖い思いをした。四メートルの肉食恐竜が目の前で、別の恐竜をそこまでしたのを見たんですから』
『守ったことと、怖かったこと。どっちかが嘘ってわけじゃないと俺は思います。どっちも本当なんです』
竜崎はメモを閉じた。
『黒い恐竜はそのあと、怪我をした小さな恐竜を抱えて山のほうへ去っていきました。自分も首のあたりに大きな傷を負っていたそうです。今どこにいるのかは発表されてません。分かりません』
《小さいのって、いつも一緒にいたやつ?》
《あの小さいのも怪我したのか》
《無事でいてほしい》
『あの小さい恐竜は、薬局から逃げた人たちを身体を張ってかばった、っていう証言もあります。……これも、確認できるのは証言だけです』
◇
『最後に、数字です』
竜崎は背筋を伸ばした。
『昨日の八王子で亡くなった方は、ゼロです。恐竜に襲われた人も、逃げる途中の事故も含めて』
《ゼロ?》
《マジか》
《あれだけのことがあって、ゼロ》
『ゼロです。警察の発表です。……でも』
竜崎はもう一枚の資料を画面に映した。
『けが人は百二十人を超えています。そのほとんどが、恐竜に直接やられたものじゃありません。逃げるときに転んだ。人の波に押し倒された。車同士でぶつかった。重傷の方も何人もいます。今も病院にいる人がいます』
コメント欄が静かになった。
『死者ゼロは奇跡だと思います。ハンターの人たちと警察と消防と。それから、たぶんあの黒い恐竜と小さい恐竜と。いろんなものがぎりぎりで噛み合って、奇跡になった』
『でも、その奇跡の外側でたくさんの人が傷ついた。怖くて、走って、転んで。……俺はその人たちを責める気にはなれません。あの状況で冷静でいろって言うほうが無理です』
『だから次のために、二つだけ。もし次があったら』
『一つ目。自分の家が恐竜に耐えられる建物かどうか、今のうちに考えておいてください。木造の戸建てなら、近くのどの建物が頑丈か。鉄筋コンクリートのマンションか、学校か、公民館か。そこまでどの道を通れば行けるか。……移るなら恐竜が近くに来る前です。目撃情報が出た時点で早めに動いてください』
『二つ目。もう恐竜がすぐそばにいるときは、外に出ないでください。家の奥の窓のない部屋。お風呂場やトイレ。できれば二階。扉を閉めて、音を立てずに待ってください。外で何が起きてるのか分からないときに、恐竜のいる通りへ飛び出すのが一番危ない』
『……それがどれだけ怖くて、どれだけ難しいか。昨日みんな分かったと思うけど』
《分かった》
《次は、動かない》
《家族にも言っとく》
《竜崎、ありがとう》
◇
配信を締めようとしたとき、コメント欄に見覚えのある名前が流れた。
【八王子住み】
竜崎の手が止まった。後ろでスタッフが小さく息を呑んだ。
【八王子住み】竜崎さん、前の配信で母の薬のことを書いた者です。生きてます。
竜崎は画面を見つめたまま動けなかった。
【八王子住み】昨日、薬局にいました。たぶん竜崎さんが話してた薬局です。怖かったです。でも、怪我は軽くて今は病院にいます。母の薬も、ちゃんと受け取れました。
《え》
《マジか》
《無事でよかった……》
《生きててよかった》
《前の配信のコメントの人?》
【八王子住み】小さい恐竜に、助けてもらいました。あの子が前に飛び込んでくれなかったら、私、たぶん死んでました。あの子が無事か、ずっと気になってます。
【八王子住み】それと、黒い恐竜にも。すごく怖かったけど、たぶん、助けてもらったんだと思います。怖がってしまって、お礼を言えませんでした。
【八王子住み】もし、どこかで元気にしてるなら。ちゃんと、言いたいです。
竜崎は口元に手を当てた。何か言おうとして、声にならなかった。何度か息を吸っては吐いた。
『……生きてて、よかったです』
ようやく出た声はひどく掠れていた。
『前の配信のとき、気をつけて行ってきてくださいって俺、言ったんです。……それしか言えなくて。その日がこんな日になるなんて思ってなくて』
竜崎は目元を手の甲でこすった。
『お母さんの薬、受け取れてよかったです。……怪我、早く治してください。それから、その。言いたいこと、いつか言えるといいですね』
【八王子住み】ありがとうございます。
《泣いた》
《竜崎泣いてる》
《八王子住みさん、お大事に》
《小さい恐竜も無事でいてくれ》
《黒いのも》
《みんな生きててよかった》
『……今日の配信は以上です』
竜崎はもう一度目元をこすった。
『アーカイブは残します。広告もつけません。……今日も最後まで聞いてくれて、ありがとうございました。D竜崎でした』
◇
配信が終わったあとも、竜崎は暗くなった画面の前から動けなかった。
「……お疲れさまでした」
スタッフが温かい缶コーヒーを机の上に置いた。前の配信のときと、同じ銘柄だった。
「……なあ」
缶を握ったまま竜崎は言った。
「あの子、黒いのにちゃんと言いたいって書いてたな」
「はい」
「何を言いたいんだろうな」
スタッフは少し考えてから答えた。
「ありがとう、じゃないですか」
「……かもな」
竜崎は缶のプルタブを開けた。湯気がふわりと立ちのぼった。
それだけじゃない気がした。けれどそれが何なのかは分からなかった。画面の向こうの、名前も顔も知らない誰かが、黒い恐竜に何を伝えたいのか。竜崎には知るすべもなかった。
窓の外では、雪が静かに降り続いていた。
断章19 あの日、八王子で 了
八王子事件関係はこれで終わりかな