後日、詩音から電話がかかってきた。圭一はこの電話を受けた時、なぜ自宅の電話番号が言ってもいないのに判明しているのか、全くもって分からなかった。理由を聞こうにも、
「これが園崎家の力です☆」
なんてはぐらかされる。
詩音と話すたびに妙な疲れが溜まる圭一であったが、今回は魅音には電話番号を教えていたので、そのツテで知ったのだろうと勝手に納得することにした。
もっとも、詩音も挨拶をするためだけに電話をかけてきたわけではない。当然、用件がある。
「圭ちゃん、今度の週末って空いてます?えっと、週末はゴールデンウィークでしたね」
「まあ、特に予定はないけど」
「でしたら興宮デパートに行きません?」
「デパート?」
圭一は受話器を持ち直した。
興宮へ引っ越してから何度か前を通ったことはある。近年の再開発に合わせて建てられた大型百貨店で、衣料品から食品、玩具、家電まで一通り揃う、今の興宮を象徴するような建物だった。
「そこで何すんだよ」
「お買い物です」
「それだけ?」
「それだけです」
怪しい。
ここ数日の付き合いで、圭一にもそれくらいは分かるようになっていた。
「……本当か?」
「圭ちゃん、疑り深いですねぇ」
「お前相手なら普通だろ」
電話口の向こうで詩音が小さく笑った。詩音は最後に付け加えた。
「それと、圭ちゃんにはちょっとだけ見せたい人がいるんです」
「人?」
「ええ。服に関しては、たぶん興宮で一番信用できる人です」
その時は、それ以上詳しいことを教えてはくれなかった。
そして週末。天気は快晴で、雲一つない。圭一は空を見上げていた。
「なあ、こんなにデカかったんだな。ここって」
「ええ、興宮デパートです。多分、この辺じゃ一番大きい建物ですよ」
圭一は見上げていた。天まで続くかと思われた摩天楼。このデパートという建物は、屋上のさらに上にある塔の先端が鋭利に尖っている。それが突き刺されば、今の自分の身体でもさすがに持たないだろうと、圭一はどうでもいい妄想をしていた。
「圭一くん、すごっく興奮してるね」
レナ、魅音、沙都子、そして梨花。いつものメンバーがなぜか集っていた。圭一も詩音に誘われたときは、ヒーローに必要な物の買い出しや、例のスーツ作りについて話があるのだと思っていた。
ところが蓋を開けてみれば、この人数である。
いや、ほんとになんでみんなで来てんだ?
圭一は隣にいる詩音を見る。
詩音は何食わぬ顔で、デパートの案内板を眺めていた。
「おい」
「はい?」
「ちょっと来い」
圭一は他の面々から少し距離を取り、詩音へ小声で問いかける。
「何で全員いるんだよ」
「だって、お買い物ですよ?」
「そういう話じゃねえ。俺はてっきり、例の……」
圭一は周囲を見る。魅音がこちらをちらりと見た。慌てて声を落とす。
「……服とか、道具とか。その辺の話をするんだと思ってたんだけど」
「しますよ?」
「じゃあ何で魅音たちまでいるんだよ!」
「その方が自然でしょう?それに圭ちゃんだけじゃなくて、みんなも買うものがあるんです。それならみんなで行った方が楽しいでしょう?」
詩音は小声で答えた。
「圭ちゃんと私だけで何回も出掛けてたら、お姉がもっと面倒になりますよ」
「それは……」
言われてみれば、その通りだった。
ここ最近、魅音は妙に詩音と圭一の関係を気にしている。昨日も学校で何度聞かれたか分からない。
詩音は続ける。
「それに、普通のお買い物もしないと怪しいじゃないですか。必要な物を見ながら、隙を見て抜ければいいんです」
「……最初からそう言えよ」
「言ったら圭ちゃん、絶対面倒そうな顔するでしょう?」
「今してるよ」
「ほら」
詩音は笑った。
そのとき、少し離れた場所から魅音の声が飛んでくる。
「二人ともー! 何こそこそ話してんの?」
「何でもない!」
圭一は即答した。
「怪しいなぁ」
「怪しくねえ!」
魅音は疑わしそうに目を細めたが、詩音は平然としている。
「お姉、早く入りましょうよ。こんなところで立ってたら邪魔ですよ」
「詩音に言われると...なんだか腹立つなぁ」
「何でです?」
「何でも!」
姉妹はまた言い合いを始めた。圭一はため息を吐きながら、その後についていった。
デパートの中へ入る。
まず目に入ったのは、広い吹き抜けだった。上を見上げれば何階分もの廊下が重なり、それぞれの階を客が歩いている。中央には大きな時計。エスカレーターが斜めに何本も伸び、休日とゴールデンウィークが重なっているいうこともあって人の数も多い。
「すげえ……」
また声が漏れた。
魅音が横から笑う。
「圭ちゃん、本当に都会から来たの?」
「東京にだってデパートくらいあるわ!」
「じゃあ何でそんな田舎者みたいな顔してんのさ」
「興宮にこんな建物があると思ってなかったんだよ!」
数年前までなら、ここまで大きな商業施設が建つ土地ではなかったらしい。だがダムや研究施設の建設以降、人口が一気に増えた。それに合わせて駅前も再開発され、このデパートも数年前に完成したのだという。
「昔はここ、もっと何にもなかったんですよ」
詩音が言う。
「へえ」
「お姉なんか、工事してる頃から見てますよね?」
「まあねぇ。最初はこんなデカいの本当に建つのかって思ってたけど」
魅音は少し得意げだった。
「今じゃ休日なんてこの通り。興宮も変わったもんだよ」
圭一はもう一度吹き抜けを見上げた。
高い。
思わず、もしここで壁に張り付いたら何階まで一気に行けるだろう、などと考えてしまう。
最近、こういうことばかり考えている気がする。
「圭一くん?」
「ん?」
「また上見てるよ?」
レナが不思議そうにこちらを見る。
「いや……ちょっとな」
「高いところ好きなの?」
「まあ、最近は」
意味深な答えになってしまった。詩音だけが横で小さく笑った。
最初に向かったのは一階の食品売り場だった。
圭一としては、いきなり服売り場へ向かうものだと思っていたのだが、沙都子が試食コーナーを見つけた瞬間に予定は崩壊した。
「梨花! あちらでウインナーの試食をしていますわよ!」
「みぃ。行くのです」
「お前ら目的変わってない?」
沙都子は聞いていない。二人はすでに売り場へ向かっていた。レナも楽しそうについていく。
「はぅ~、あっちのお菓子もおいしそうだよ!」
魅音まで、
「せっかくだし、何か買ってあとで屋上で食べようか」
と言い出す。
圭一は詩音を見る。
「……今日、ちゃんと目的果たせるんだろうな?」
「まあまあ。急がなくても逃げませんよ」
詩音は余裕そうだった。
結局、圭一も試食コーナーへついていくことになった。
白い皿の上には、一口大に切られたウインナーが並んでいた。焼き目もついている。見た目だけなら普通のものとほとんど変わらない。
沙都子は爪楊枝を一本取る。
「いただきますわ!」
梨花もその隣で一つ口へ入れる。
「みぃ……普通においしいのです」
「本当ですわね」
圭一も一つもらった。噛む。
皮が軽く弾けるような食感がして、そのあと肉らしい旨味が広がった。
「うまい」
「圭ちゃん、さっきまであんなに不満そうだったのに」
「食い物に罪はねえ」
詩音が呆れたように笑った。その横で、レナが商品の箱を手に取る。
「でもこれ、普通のウインナーじゃないみたいだよ?」
「ん?」
圭一も箱を見る。
表には少し大げさなくらい未来的な字体で、
『新世代タンパク食品・プロテインソーセージ』
と書かれていた。
その下に小さく、
『鹿骨総合生体科学研究所 食品生体研究部門共同開発』
とある。
圭一は眉を寄せた。
「何だこれ」
試食台の後ろには説明用のパネルまで立っている。
そこには、家畜を大量に育てなくても安定したタンパク質を供給できる将来技術だとか、細胞培養や人工タンパク質研究を応用した食品開発だとか、圭一には半分ほどしか分からない説明が並んでいた。
「これ、肉じゃねえの?」
店員が笑顔で答える。
「お肉に近い組成になるように作られたタンパク食品なんですよ。まだ普通のお肉も一部使っていますけど、研究所では将来的に、もっと人工的に作った部分を増やせないか研究しているそうです」
「人工的に……肉を?」
圭一はもう一度、自分が食べたウインナーを見る。
さっきまで普通にうまいと思っていたものが、少しだけ不思議な物体に見えてきた。
魅音が横から箱を覗き込む。
「最近よく見るよ、これ。研究所の成果展示ってやつ」
「よく見る?」
「うん。食品だけじゃないよ」
魅音が売り場の奥を指した。食品売り場の一角には、小規模な展示スペースが設けられていた。
大きな看板には、
『未来の暮らしをつくる――鹿骨総合生体科学研究所 研究成果展』
と書かれている。
「何だあれ」
圭一が近づく。
展示されているものは、思っていたより幅広かった。
乾燥させても保存しやすい高タンパク食品。傷みにくい加工食品。植物由来の代替タンパク。魚の養殖効率を上げる餌。
隣には食品とは直接関係なさそうな展示まである。
人間の筋肉の動きを補助する柔らかな素材。義手や義足へ応用するための人工筋繊維。傷ついた組織の回復を助ける研究。微細な生体繊維を利用した丈夫な医療用の糸。
圭一の足がそこで少し止まった。
「……糸?」
透明なケースの中に、細い白色の繊維が展示されている。
『生体繊維研究――軽量・高耐久素材への応用』
説明にはそう書いてある。
圭一は無意識に、自分の部屋にある蜘蛛の糸を思い出した。ただ、展示されているものは見た目も性質も違うらしい。
「圭ちゃん?」
詩音が横から覗く。
「いや、何でもない」
圭一は視線を外した。今の段階で、何でもかんでも自分の蜘蛛と結びつけるのは考えすぎだろう。沙都子は別の展示を見ていた。
「こちらは何ですの?」
そこには人間の腕を模した模型が置かれていた。
内側には赤茶色の繊維状素材が何本も走っている。
係員が説明する。
「人工筋肉の試作品です。電気信号に反応して収縮する素材を、人間の筋肉の補助に使えないか研究しているんですよ」
「これで力持ちになれるんですの?」
「まだそんな大げさなものではありませんよ。足腰の弱い人を助けたり、怪我をした人のリハビリを支えたりするためのものです」
「へえ……」
圭一は少し感心した。
「すげえな」
「でしょう?」
なぜか詩音が得意そうに言った。
「なんでお前が自慢げなんだよ」
詩音はいつものように笑う。毎度のこと過ぎて、もう呆れすら出ない。
圭一はもう一度、展示全体を見る。食品から医療、人工筋肉、生体素材。一つの研究所がやっているにしては、妙に範囲が広い気がした。
そこで圭一は、ふと思い出したように詩音を見る。
「なあ」
「はい?」
「どっかで聞いたことがあるんだが、この『ダム研究所』って何なんだ?」
詩音は少しだけ目を瞬かせた。
「圭ちゃん、本当に知らないんですね」
「引っ越してきてまだ一か月も経ってねえんだぞ」
「まあ、それもそうですね」
詩音は展示パネルの上部にある研究所の写真を指した。
湖と巨大なダム。その脇に、白い研究棟らしき建物がいくつも並んでいる。
「正式には鹿骨総合生体科学研究所って言うんですけど、地元の人は大体『ダム研究所』って呼んでます」
「何で?」
「ダムと一緒に作られたからですよ。発電所の近くにも研究区画がありますし、ダム湖の周りにも研究施設がいくつもあります」
「国の施設?」
「一応は。国と大学と企業が一緒に出資してる、かなり大きな研究所らしいです」
「らしい?」
「私だって中まで入ったことありませんから」
魅音が横から口を挟む。
「でも結構有名だよ。研究所が出来てから興宮も一気に人増えたしね。研究員とか、その家族とか、関連会社とか」
「このデパートが出来たのも、その辺の開発と同じ頃だよ」
レナもそう付け加える。
圭一は再び写真を見る。
「へえ……」
ダム。研究所。新しい町。
圭一が来る前から、この辺りでは全部が繋がっていたらしい。
沙都子が突然、
「でも、怪しい噂もありますのよ!」
と声を潜めた。
「怪しい噂?」
「沙都子」
魅音が苦笑する。
「またその話?」
「本当ですわ! 夜になると黒い車が研究所に入っていくとか、地下に秘密の実験室があるとか!」
「それ普通に職員の車じゃねえの?」
「皆さん方、夢がありませんわね、きっとわたくしたちの知らない何かがあると思いますの」
「いや、研究所なんだから夜勤くらいあるだろ」
梨花が小さく笑う。
「地下には怪物がいるとも言われているのです」
「ほら! 梨花も知ってますわ」
圭一は沙都子の話は冗談げに、馬鹿にするように聞いたが、梨花ちゃんの方の話は素直に頷く。それで、沙都子はいつものように圭一にむぎーっと怒っている。通常運転で圭一は受け流す。
そしてレナの方は、少し楽しそうだった。
「でも、そういう噂は昔からあるよ。人間に変な実験をしてるとか、動物を大きくしてるとか」
「完全に子供の怪談じゃねえか」
「圭ちゃん、そういうの好きそうですけどねぇ」
詩音がからかう。
「俺を何だと思ってんだよ」
そう言いながらも、圭一は研究所の写真をもう一度見た。
巨大なダムの向こう。白い建物。別に何かがおかしいわけではない。むしろ展示されている研究成果を見る限り、人の役に立つものばかりだった。
それでもなぜか。写真の奥にある研究棟だけが、妙に遠く感じられた。
「圭ちゃん」
詩音の声で我に返る。
「何ぼーっとしてるんです?」
「いや」
圭一は試食皿からもう一本ウインナーを取った。
「人工肉って言われても普通にうまいなと思って」
「結局そこですか」
「だから食い物に罪はねえって」
魅音が笑い、レナもつられて笑った。そのまま一行は再び食品売り場を歩き始める。この時の圭一にとって、ダム研究所とはそれだけの存在だった。新しい町を支えている、大きくて少し変わった研究所。
二階では雑貨。
レナが妙なぬいぐるみを見つけて動かなくなり、魅音と圭一が引き剥がす。
「はぅ~! この子かわいいよ! お持ち帰りしたい!」
「ダメだレナ! 絶対デカすぎる!」
「でもでも!」
「どこに置くんだよ!」
「家!」
「答えになってねえ!」
三階では玩具とゲーム。魅音が圭一をゲームの体験台へ引っ張っていく。
「勝負しよう圭ちゃん!」
「上等!」
「負けた方が今日のジュース奢り!」
「乗った!」
数分後。
「何でだよ!」
圭一が叫んでいた。魅音の勝ちだった。身体能力がいくら上がっても、ゲームの腕まで突然良くなるわけではない。
「いやー、圭ちゃん弱いねぇ」
「もう一回!」
「ジュース二本?」
「望むところだ!」
「圭一さん、完全に乗せられてますわね」
沙都子が呆れている。梨花が隣で頷く。
「圭一は単純なのです」
「聞こえてるぞ!」
結局、二回目も僅差で負けた。魅音が満足そうに笑っている。
「はい、ジュース二本ね」
「覚えてろよ……」
「何なら次はボウリングでも勝負する?」
「それなら絶対負けねえ!」
圭一が即答する。その瞬間、詩音が横からちらりと圭一を見る。圭一も気づいた。
まずい。今の身体でボウリングを本気で投げたら、多分洒落にならない。
「……いや、やっぱやめとく」
「何で!?」
魅音が不満そうにする。
「今日は買い物だろ!」
「逃げたなー?」
「戦略的撤退だ!」
そのまま四階へ上がる。そこは衣料品売り場だった。圭一の足が僅かに遅くなった。
スポーツウェア。手袋。靴。様々な種類の布地や服が並んでいる。
今までなら興味などほとんどなかった。
だが今は違う。
動きやすさ。
伸縮性。
身体へどの程度密着するか。破れにくそうか。夜でも目立ちすぎないか。気がつけば、服を見る基準が完全に変わっていた。
「圭ちゃん?」
魅音が声をかける。
「何だ?」
「さっきからめっちゃ真剣に服見てるけど」
「……別に」
「へえー」
魅音の顔がにやける。
「もしかしてお洒落に目覚めた?」
「違う」
「じゃあ何で?」
「動きやすい服が欲しいだけだよ」
これは嘘ではない。
「運動するならこっちのスポーツウェアとかじゃない?」
魅音が一着を手に取る。身体へぴったりと沿うタイプのものだった。
圭一は少し考える。確かに悪くない。
身体の動きを邪魔しなさそうだ。
その横に赤い生地のものがあり、さらに反対側には濃い青。
圭一の目が止まった。
赤と青。
何となく、二つを見比べる。
「……」
「何?」
魅音が気づいた。
「いや」
「その色好きなの?」
「別に。ただ……」
赤だけでは派手すぎる。
青だけだと地味。
組み合わせれば――。
そこまで考えて、圭一は我に返った。何を本気で考えているんだ。
「何でもない」
魅音は首を傾げた。
その様子を少し離れたところから、詩音が見ていた。何も言わなかった。しばらくすると、レナと沙都子、梨花が別の売り場へ移動した。
魅音も、
「ちょっとあっち見てくる!」
とレナを追っていく。
圭一は一人、スポーツ用品の棚の前に残った。
ちょうどその瞬間だった。
背中を軽く叩かれる。
振り向く。
詩音だった。
「圭ちゃん」
声が小さい。
さっきまでの遊び半分の顔ではなかった。
「何だ?」
詩音は周囲を確認する。
魅音たちは少し離れた売り場にいる。
こちらを見ていない。
「今です」
「今?」
「行きますよ」
「どこに?」
詩音は少しだけ笑った。
「本命のお買い物です」
圭一の表情が変わる。
「……例の?」
「はい」
詩音は先に歩き出した。
「お姉たちには、ちょっと別の物見てくるって言ってあります。そんなに時間は取れませんから」
圭一はもう一度、魅音たちの方を見る。
レナが何かを手に取って、魅音と楽しそうに話している。沙都子と梨花も一緒だった。
今なら抜けられる。
「……分かった」
圭一は詩音の後を追う。
だが、数歩進んだところで一度だけ振り返った。
赤と青のスポーツウェアが、棚に並んでいる。
その色が、妙に頭へ残った。
圭一はすぐに視線を戻す。この時はまだ、それが自分のもう一つの姿を象徴する色になるなど、考えてもいなかった。