朝、圭一は身体の痛みで目を覚ました。六月一日。暦の上ではまだ初夏だが、興宮では既に夏を思わせる陽気が続いている。朝方の冷え込みもすっかりなくなり、窓から差し込む日差しは、閉め切った部屋の空気をじんわりと暖めていた。圭一はベッドの上で上半身を起こした。
「……いててて。まだ痛えなぁ……」
身体を動かした途端、脇腹から鈍い痛みが走った。思わず顔をしかめ、片手でその辺りを押さえる。昨日は散々だった。興宮の再開発地区に現れたリザードウーマン。
人間離れした巨体と、爬虫類のような外見を持つ女との戦いは、圭一にとっても決して楽なものではなかった。スイングにも地上で歩くのと同じように慣れて、自分の能力をある程度使いこなせるようになったつもりだったが、あの女はそんな自信を何度も打ち砕いてくれた。おまけに、戦闘が終わった後も大変だった。詩音に傷の手当てをしてもらい、葛西の運転で雛見沢へ戻り、両親に気づかれないようマンションの壁を這って自室へ帰る。
ベッドに倒れ込んだ頃には、日付が変わって随分と時間が経っていた。しかも、ようやく眠れたと思ったら、妙な夢まで見てしまった。
「……それにしても、変な夢だったな」
圭一は寝癖のついた髪を掻いた。夢に出てきたのは、蜘蛛に噛まれた日のことだった。壁に張りついた自分の手を見て驚き、庭で跳び上がっては転び、訳も分からないまま身体の異変を調べていた頃。それから詩音と出会い、何度も失敗しながらウェブシューターを作り、ようやく街を自由に飛び回れるようになるまで。それらの出来事が、何の脈絡もなく次々と現れたのである。
「……詩音と出会ってから、もう二か月か」
思えば、随分と色々なことがあった。ついこの間まで、圭一は東京から越してきたばかりの、どこにでもいる中学生だった。それが今では、昼間は学校へ通い、夜になると赤と青のスーツに着替えて街を飛び回っている。
まったく、人生とは分からないものである。
「……さて、と」
圭一は大きく伸びをしようとして、途中で脇腹の痛みに顔をしかめた。
「いででででっ! くそっ、あのトカゲ女……!」
悪態をつきながら、枕元へ手を伸ばす。そこには小さな目覚まし時計が置かれていた。針が示している時刻は――午前九時。
「…………」
圭一は時計を見つめた。一秒。二秒。三秒。
「……九時?」
もう一度、時計を見る。やはり九時だった。
「…………」
圭一はゆっくりと窓の外へ目を向けた。よく晴れている。鳥のさえずりが聞こえる。何とも平和な朝である。
「…………」
そして。
「――九時ぃぃぃぃっ!?」
圭一の絶叫が、部屋中に響き渡った。慌ててベッドから飛び起きようとしたものの、身体を捻った拍子にまたもや脇腹が痛み、圭一は情けない声を漏らしながら布団の上へ倒れ込んだ。
「いってええっ! ……って、そうじゃねえ! 学校! 学校だろ!?」
既に始業時刻は過ぎている。今からどれほど急いだところで、一時間目に間に合うはずもない。それに、昨日の戦闘で受けた疲労も完全には抜けていなかった。スパイダーマンとしてなら、マンションの窓から飛び出し、ウェブスイングで学校へ向かうこともできるかもしれない。しかし、朝っぱらから赤と青のスーツで学校に現れるわけにもいかないだろう。圭一はしばらく天井を見つめていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「……ま、もう遅刻は確定だしな」
そういえば、今日は両親もいない。父も母も仕事の都合で出張しており、帰宅するのは明日になる予定だった。昨夜、帰宅が遅くなっても咎められずに済んだのは幸運だったが、今朝は誰も起こしてくれなかったわけである。もっとも、目覚ましをかけ忘れたのは圭一自身なのだから、文句を言える相手もいなかった。
「……ったく。ヒーローが寝坊で遅刻って、締まらねえなぁ」
圭一はぼやきながらベッドを降りた。洗面所で顔を洗い、歯を磨く。鏡を覗き込むと、頬には昨日の戦闘でできた痣が残っていた。幸い、目立たない位置ではあったが、よく見ればすぐに分かる程度には色が変わっている。
「……うわ。こりゃ聞かれるな」
圭一は指先でそっと触れ、すぐに手を離した。どう説明したものか。階段で転んだ。自転車で転んだ。壁にぶつかった。最後のものは、実際に近いといえば近かった。
「……まあ、適当に誤魔化すか」
制服に着替え、居間へ向かう。テーブルの上には、母親が作り置きしてくれた朝食が用意されていた。圭一は冷蔵庫からおかずを取り出し、ご飯をよそって席についた。普段なら、この時間にはとっくに学校で授業を受けているはずだった。
しかし、こうして誰もいない居間で、のんびりと朝食を食べるというのも妙な気分である。圭一は箸を取った。そして、ふと思い出した。
「……そういや、昨日のあれ、ニュースになってんのかな」
リザードウーマン。あれほど派手に暴れ回ったのだ。再開発地区では騒ぎになっていたし、警察も出動していた。無論、一般人に目撃された場面も少なくない。ならば、新聞やテレビで報じられていてもおかしくない。それに。
「……ふっふっふ」
圭一の口元が、自然と緩んだ。昨夜、あの怪物を止めたのは誰か。そう。スパイダーマンである。圭一は箸を置き、テーブルの上にあったリモコンを手に取った。
「……さーて、世間の皆さんはこのスパイダーマン様の大活躍を、どう報じてくれてるのかなぁ?」
少々期待を込めながら、テレビの電源を入れる。画面が明るくなり、ニュース番組が映し出された。ちょうど地方の事件を紹介しているところらしかった。そして。
『――昨夜、興宮市内の再開発地区を中心に、複数の建物や車両が損壊する事件が発生しました』
「……おっ!」
圭一は身を乗り出した。画面には、見覚えのある街並みが映し出されていた。建設途中のビル。壊れた道路の柵。警察車両と、その周囲に集まる大勢の人々。間違いない。昨日、圭一がリザードウーマンと戦った場所である。
『警察によりますと、事件には間宮律子という女性が関与していた疑いがあり、女性は現場周辺で身柄を確保されました。現在、警察が詳しい経緯を調べています』
「……おお、捕まったのか」
圭一は思わず声を漏らした。間宮律子。昨日、あの異様な姿へ変貌していた女の名前だった。
最後には人間の姿へ戻っていたものの、あれだけの騒ぎを起こした以上、警察が放っておくはずもない。画面には、昨夜撮影されたらしい映像が映し出されていた。救急車の近くに警察官が集まり、その奥で、一人の女性が搬送されている。ただし、顔ははっきりとは映っていなかった。
『女性は事件後、医療機関へ搬送されましたが、警察は関係者から事情を聴くなどして、引き続き捜査を進めています』
「……そっか」
圭一は少しだけ安心した。少なくとも、あの女は生きている。昨夜の戦闘では、彼女が普通の人間では考えられないほどの力を発揮していたこともあり、圭一は最後まで気を抜けなかった。しかし、戦いが終わった後には人間の姿へ戻っていた。それがどういう仕組みなのか、圭一にはまったく分からない。
ただ、今は警察の管理下にいるのなら、ひとまず安心してもいいのだろう。
『なお、事件現場では、爬虫類のような姿をした人物が暴れていたという目撃情報も寄せられていますが、警察では慎重に確認を進めています』
「……慎重に、ねえ」
圭一は苦笑した。そりゃそうだろう。いくら警察でも、人間が巨大なトカゲに変身したなどと言われれば、簡単に信じられるはずがない。だが、実際にそういうものが存在していたのだ。そして、それと戦った人物もいた。圭一は、再びテレビに目を向けた。
「……で? そろそろ出るんじゃねえの?」
期待が高まる。昨夜、街を守るために怪物と戦った謎のヒーロー。赤と青のスーツ。蜘蛛の糸を操り、ビルからビルへ飛び移る正義の使者。スパイダーマン。その名前が、いよいよ全国へ知られる時が来たのかもしれない。圭一は思わず胸を張った。
ところが──
『そして、今回の事件で注目を集めているのが、現場で救助活動にあたった、こちらの人物です』
「……ん?」
画面が切り替わった。そこには、一人の男が映し出されていた。赤と白を基調とした、見慣れない服装。頭部には専用の防護具。そして左腕には、大きな円形の盾。その男は、損壊した建物の傍らで、消防隊員たちと協力していた。
『この人物は、関係者によりますと、特殊な訓練と装備を備えた自衛隊関係者で、今回の騒動では市民の避難誘導や救助活動に協力したということです』
「…………は?」
圭一は箸を止めた。テレビの中では、男が大きな瓦礫を持ち上げ、消防隊員たちがその下から人を救い出している。続いて、崩れかけた建物の入口付近で、取り残された人々を安全な場所へ誘導する場面が映し出された。その動きは、明らかに普通の人間とは異なっていた。大きな瓦礫を支えながら、落ち着いて周囲へ指示を出しているのである。
「……おいおい、何だよ、こいつ」
圭一は思わず身を乗り出した。
『現在、関係機関ではこの人物について、キャプテン・トミタケという名称で紹介しています』
「……キャプテン?」
『通称、日本の盾。その驚異的な身体能力と、特殊な盾を用いた救助活動が注目されています』
「……日本の盾ぇ?」
圭一は目を丸くした。何だ、その名前は。日本の盾。
キャプテン・トミタケ。
随分と大袈裟な名前ではないか。いや、確かに映像を見る限り、相当な力を持っているのは間違いない。しかし、昨日の事件で怪物と戦っていたのは圭一である。少なくとも、あの女が暴れている最中、こんな男は見かけなかった。
「……いやいやいや。ちょっと待てよ」
テレビの中では、さらに別の映像が流れていた。今度は、事件後に撮影されたインタビューである。
『それでは、現場で救助活動にあたったキャプテン・トミタケさんに、お話を伺います』
赤と白のスーツを着た男が、報道陣の前に立っていた。その背中には、例の盾が携えられている。
『今回の事件について、どのように感じていらっしゃいますか?』
『そうですね。まずは、被害に遭われた方々の一日も早い回復を願っています』
男は穏やかな口調で答えた。
『僕が現場に到着した時には、既に大きな騒ぎになっていました。消防や警察の皆さんが懸命に活動されていましたし、僕もできる範囲でお手伝いをさせていただいただけですよ』
『しかし、巨大な瓦礫を持ち上げるなど、通常では考えられない力を発揮されていましたね』
『ははは。まあ、そこは少し特殊な事情がありまして』
男は照れ臭そうに笑った。
『ですが、大切なのは力の強さではありません。その力を何のために使うかだと思っています』
「…………」
圭一は、黙ってテレビを見つめていた。なるほど。言っていることは、確かに立派である。それに、救助活動をしていたのも事実らしい。別に、悪い人間には見えない。むしろ、随分と感じのいい男ではないか。しかし。
「……いや、だからってよぉ……」
圭一は小さく呻いた。昨日、怪物に追いかけ回され、ビルの間を飛び回り、散々な目に遭いながら戦ったのは誰だ。あの巨大な尻尾に振り回され、身体のあちこちを痛めつけられたのは誰だ。今だって、こうして痣まで作っているというのに。テレビに映っているのは、どこの誰とも知れないキャプテンである。
『なお、今回の事件では、もう一人、正体不明の人物が目撃されています』
「――おっ!」
圭一は顔を上げた。来た。ようやく来た。
『赤と青の衣服を身につけ、建物の間を飛び移っていたという人物で、現場ではスパイダーマンと名乗っていたとの証言も寄せられています』
「……よっしゃ!」
圭一は思わず拳を握った。スパイダーマン。ついに、その名前がテレビで呼ばれたのである。ところが。
『この人物については、怪物とされる人物を止めようとしていたという証言がある一方、建物の損壊や騒動に関与していたのではないかという声もあり、現時点では詳しい事情が分かっていません』
「…………」
圭一の笑顔が消えた。
『警察では、事件当時の状況を確認するとともに、身元不明の人物についても情報を集めています』
「……は?」
画面には、赤と青の人影が映し出された。どうやら、遠くから撮影された写真らしい。高層ビルの壁面に張りついているようにも見えるが、画像はぼやけており、顔はもちろん、スーツの細かな模様も分からない。その横には、文字が表示されていた。
『正体不明の蜘蛛男 事件との関係は?』
「……おい」
圭一はリモコンを握りしめた。
「ちょっと待てよ」
テレビの中では、街の人々への聞き取りが始まっていた。
『赤と青の人? ああ、見ましたよ。建物から建物へ飛んでて……。正直、怖かったですね』
『いや、私はあの人が怪物と戦ってるのを見ましたよ。助けようとしてたんじゃないかな』
『でも、あの人が現れてから余計に騒ぎが大きくなったんじゃないですか?』
『何とも言えませんねぇ。顔も隠してますし』
圭一は呆然と画面を見つめた。何ということだ。自分は怪物と戦い、市民を守った。それなのに、世間では正体不明の怪しい人物として扱われている。一方、キャプテン・トミタケなる男は、堂々とテレビに出演し、英雄として称賛されている。
「……冗談じゃねえぞ」
圭一は椅子の背にもたれた。
「何だよ、それ……。そりゃないだろ……」
思わず、昨夜の戦闘を思い出す。あの時、圭一は確かに自分なりに全力を尽くした。それでも、すべての被害を防げたわけではない。建物は壊れたし、車両も損傷した。怪物を止めるためだったとはいえ、周囲へ迷惑を掛けたことも事実である。
しかし、それとこれとは話が別だ。せめて、少しくらいは褒めてもらってもいいのではないか。
「……ったく。何が日本の盾だよ」
圭一は不機嫌そうに呟いた。
「こっちは蜘蛛の糸一本で戦ってたってのに……」
テレビでは、再びキャプテン・トミタケの映像が流れ始めていた。男は笑顔で、子供たちに手を振っている。その姿は、実に堂々としていた。
「…………」
圭一はしばらく画面を睨んでいたが、やがて溜息を吐いた。
「……まあ、いいけどさ」
そう言いながら、冷めかけた味噌汁へ箸を伸ばす。
しかし、どうにも面白くない。しかも、ふと時計を見れば、もう九時半を回っていた。
「……やべ」
圭一は慌てて朝食を片づけ始めた。結局、ニュースを見ていたせいで、さらに時間を無駄にしてしまったのである。
午前十時過ぎ。圭一は、ようやく興宮総合学園へ到着した。校門を抜ける頃には、二時間目の授業が始まっていた。校庭には生徒の姿もほとんどなく、校舎の窓から時折、教師の声が聞こえてくる。
「……はぁ」
圭一は肩を落とした。
「ったく、朝から散々だぜ……」
遅刻。身体の痛み。そして、テレビでの扱い。まったく、今日はいいことがない。職員室で遅刻の事情を説明し、圭一は自分の教室へ向かった。
もちろん、昨夜まで街を守るために戦っていたなどと言えるはずもない。結局、寝坊したことを素直に伝えるしかなかった。教室へ入ると、教師が黒板の前で授業を進めていた。
「……前原。随分と遅かったな」
「……す、すみません」
圭一は頭を下げた。教室の何人かが、くすくすと笑う。
「まあいい。席につけ」
「はい……」
圭一は、できるだけ目立たないように自分の席へ向かった。しかし、その途中。
「……圭一くん?」
小さな声が聞こえた。顔を向けると、レナが心配そうにこちらを見ていた。圭一は軽く手を振り、自分の席へ腰を下ろす。授業は既に進んでいる。魅音は三年生なので授業の時は別の教室にいるし、詩音も旧校舎側で授業を受けているはずだった。今のところ、妙なことを聞いてくる相手はいない。圭一は少しだけ安心した。しかし、それも束の間だった。休み時間になると、レナが真っ先に近づいてきたのである。
「……圭一くん!」
「お、おう。どうした、レナ?」
「どうした、じゃないよ! 今日、どうしたのかな? 遅刻なんて珍しいね」
「ああ、いや……ちょっと寝坊しちまってさ」
「寝坊?」
レナは目を瞬かせた。
「圭一くん、昨日は遅くまで起きてたの?」
「……まあ、ちょっとな」
圭一は曖昧に笑った。するとレナは、ふと彼の顔を見つめた。
「……あれ?」
「ん?」
「圭一くん、顔……」
嫌な予感がした。
「……顔?」
「ここ、どうしたの?」
レナは自分の頬を指さした。圭一は思わず、同じ場所へ手を当てた。痣。今朝、鏡で確認したばかりのものだった。
「あ、ああ! これか!」
圭一は慌てて笑った。
「いやぁ、昨日ちょっと転んじまってさ!」
「転んだの?」
「そうそう! 暗いところで足元見てなくてな!」
「……ふぅん」
レナは、じっと圭一を見つめた。
「……本当に?」
「ほ、本当だって!」
「でも、痛そうだよ?」
「ああ、いや! 大したことねえって!」
圭一は慌てて両手を振った。しかし、その動作でほんの少し肩が痛み、思わず顔をしかめる。
「……っ!」
レナの表情が変わった。
「圭一くん!?」
「い、いや! 何でもねえ!」
「……もしかして、他にも怪我してる?」
「してねえって!」
「……ほんとに?」
レナはますます心配そうな顔をした。圭一は困った。この少女は、普段こそ穏やかで可愛らしいが、こういう時には妙に鋭い。しかも、相手を本気で心配しているからこそ、簡単には引き下がらない。
「……ま、まあ、ちょっと身体をぶつけたくらいだよ。もう大丈夫だって」
圭一は苦笑した。レナはしばらく圭一を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「……そっか」
そして、少しだけ微笑んだ。
「でも、無理しちゃ駄目だよ? 圭一くん」
「……おう」
「もし痛かったら、保健室行こうね?」
「ああ。ありがとな、レナ」
圭一がそう答えると、レナはようやく安心したようだった。しかし、圭一の方は別の意味で冷や汗を掻いていた。今後は顔に傷を作らないよう、もっと気をつけなければならない。もっとも、怪物と戦いながらそんなことを考えていられるかどうかは、甚だ疑問だったが。
昼休み。校舎の廊下は、朝とは打って変わって賑やかになっていた。生徒たちが教室を出入りし、購買へ向かう者や、中庭へ足を運ぶ者が行き交っている。そんな中、圭一は妙なことに気づいた。朝から、どこへ行っても同じ話題が聞こえてくるのである。
「なあ、昨日のニュース見たか?」
「見た見た! あの盾持ってたやつだろ!」
「そうそう! キャプテン・トミタケ!」
圭一の足が止まった。
「…………」
廊下の向こうでは、男子生徒たちが楽しそうに話していた。
「すげえよなぁ! あんなデカい瓦礫、軽々持ち上げてたんだぜ!」
「しかも聞いたか? キャップって時速五十キロで走るらしいぞ!」
「マジで!?」
「マジマジ! 今朝のテレビで言ってた!」
「やっぱすげえな、キャップは!」
「……」
圭一は、無言でその横を通り過ぎた。時速五十キロ。なるほど。確かに、人間がそんな速度で走れるなら大したものである。
しかし。
「……こっちはビルとビルの間を飛んでんだけどなぁ」
圭一は、小さく呟いた。無論、誰にも聞こえない程度の声である。それでも、胸の中に溜まった不満が消えるわけではない。さらに、階段を下りようとしたところで、別の生徒たちの話が聞こえてきた。
「ねえ、キャプテン・トミタケって格好よくない?」
「分かる! あの盾とか、すごいよね!」
「しかも、インタビューでもすっごく落ち着いてたし」
「何か、本物のヒーローって感じ!」
「…………」
圭一は立ち止まった。本物のヒーロー。何とも耳の痛い言葉である。
「……へえ、そうですかい」
圭一は不機嫌そうに鼻を鳴らした。しかし、そのまま歩き去ろうとした時、今度は別の声が聞こえた。
「でもさ、昨日の事件って、他にも変なやつがいたんだろ?」
「ああ、蜘蛛男?」
「そうそう。スパイダーマンだっけ?」
圭一は反射的に顔を上げた。
「何か、怪物と一緒に暴れてたって話だけど」
「えー、あいつも悪いやつなの?」
「知らねえ。でも、正体隠してるって時点で怪しくね?」
「……!」
圭一の眉がぴくりと動いた。いや、待て。ちょっと待て。正体を隠しているから怪しい?それなら、テレビに映っているキャプテン・トミタケだって、顔の一部を覆っていたではないか。そもそも、こちらには正体を隠さなければならない事情があるのだ。中学生がスパイダーマンだなどと知られたら、平穏な学校生活など送れるはずもない。
「……くそっ」
圭一は小さく歯噛みした。反論したい。猛烈に反論したい。しかし、反論すればするほど、自分がスパイダーマンであることを疑われるかもしれない。
結局、圭一は何も言えなかった。そのまま足早に廊下を進む。しかし、耳に入ってくる話題は、相変わらずキャプテン・トミタケばかりだった。
「……キャップ、キャップってよぉ」
圭一は頭を掻いた。
「どいつもこいつも……!」
昼食の時間。部活メンバーは、いつものように校舎の一角へ集まっていた。圭一、レナ、魅音、沙都子、梨花。そして、旧校舎からやってきた詩音。六人が揃って昼食を取るのも、すっかり日常の光景となっていた。もっとも、今日の圭一だけは少々機嫌が悪かった。
「……圭ちゃん?」
魅音が弁当を広げながら、首を傾げた。
「何だい、その顔。朝から寝坊したって聞いたけど、まだ引きずってるの?」
「……別に」
「へえ?」
魅音はにやりと笑った。
「おじさん、圭ちゃんがそんなにしょんぼりしてるところ、珍しいなぁ」
「誰がしょんぼりしてるって!?」
「ほら、元気じゃん!」
「……ったく」
圭一は溜息を吐き、弁当の蓋を開けた。その隣では、詩音が何食わぬ顔で昼食の準備をしていた。しかし、彼女は圭一の顔を見るなり、僅かに目を細めた。
「……圭ちゃん」
「……何だよ」
「随分と眠そうですねぇ」
「……まあな」
「昨日は夜更かしでもしたんですか?」
詩音は、いかにも何も知らないという顔で尋ねた。圭一は思わず睨み返した。
「……お前なぁ」
「ふふっ。冗談ですよ」
詩音は小さく笑った。もちろん、彼女はすべて知っている。昨夜、圭一がリザードウーマンと戦っていたことも、その後に怪我の手当てをしたことも、帰宅が随分遅くなったことも。それなのに、こうして他の部活メンバーの前では、何事もなかったかのように振る舞っている。圭一は、その器用さに少し感心しながらも、何とも言えない苛立ちを覚えた。
「……まあ、いいけどよ」
圭一は箸を取った。すると。
「――そういえばさ!」
魅音が、思い出したように声を上げた。
「みんな、今朝のニュース見た?」
圭一の箸が止まった。嫌な予感がした。
「ニュース?」
レナが首を傾げた。
「うん! 昨日の興宮の事件!」
「ああ、あれか!」
沙都子が身を乗り出した。
「わたくしも拝見しましたわ! 何だか、大変な騒ぎだったそうですわね!」
「そうそう!」
魅音は勢いよく頷いた。
「それでさ、あのキャプテン・トミタケって人! すごくなかった!?」
「…………」
圭一は無言で弁当を見下ろした。来た。やはり来た。朝から何度も聞かされている、あの名前である。
「ああ、キャップのこと?」
レナが微笑んだ。
「レナも見たよ。すごい力だったね。はぅ〜」
「でしょ!?」
魅音は嬉しそうに身を乗り出した。
「いやぁ、あれは格好よかったねえ。あんなに大きな瓦礫を持ち上げてさ! しかも、周りの人たちに冷静に指示を出してたんだよ!」
「確かに、落ち着いていたよね」
レナが頷いた。
「そうそう! ただ力が強いだけじゃなくて、ちゃんと周りを見てるっていうかさ!」
魅音は満足そうに腕を組んだ。
「やっぱり、ああいうのが本物のヒーローってやつだよねぇ!」
「……ぶふっ!」
圭一は思わず咳き込んだ。
「……圭ちゃん?」
「い、いや! 何でもねえ!」
圭一は慌ててお茶を飲んだ。魅音は不思議そうに首を傾げたが、すぐに話を続けた。
「しかも、あの人って自衛隊の人なんでしょ? だからちゃんと訓練も受けてるんだろうし、安心感が違うよね!」
「……安心感、ねえ」
圭一はぼそりと呟いた。
「ん? 何か言った?」
「……別に」
「ふぅん?」
魅音は首を傾げた。その隣で、沙都子が勢いよく箸を置いた。
「ですが、わたくしは少々疑わしいと思いますわ!」
「……おっ?」
圭一は顔を上げた。思わぬ援軍である。
「ほう? どういうことだ、沙都子?」
「そもそも、昨日まで聞いたこともなかった方が、いきなりテレビに現れて英雄扱いされているんですのよ?」
沙都子は得意げに胸を張った。
「いくら何でも、少々出来すぎではありませんこと?」
「……おお!」
圭一は思わず頷いた。
「そうだそうだ! よく言った、沙都子!」
「をーっほっほっほ! 当然ですわ!」
沙都子は高笑いした。しかし、次の瞬間。
「それに、あのスパイダーマンとかいう方も、随分と胡散臭いですわね!」
「…………は?」
圭一の表情が固まった。
「赤と青の変な衣装を着て、建物の間を飛び回っているんでしょう? そんなもの、どう考えても怪しいですわ!」
「……おい」
「顔まで隠しているそうですし、正義の味方を名乗るなら、もっと堂々とすればよろしいんですの」
「……お、おいおい、沙都子?」
圭一は引きつった笑みを浮かべた。
「そ、それはちょっと違うんじゃねえか?」
「何がですの?」
「いや、ほら! 正体を隠してるのには、それなりの事情があるかもしれねえだろ?」
「事情?」
沙都子は首を傾げた。
「例えばなんですの?」
「……え?」
圭一は言葉に詰まった。例えば。学校に通っているから。親に知られたら困るから。友人たちに迷惑を掛けたくないから。理由ならいくらでもある。しかし、それをそのまま説明するわけにもいかない。
「……ま、まあ、色々あるだろ!」
「何ですの、その適当な説明は…」
沙都子は呆れたように眉を寄せた。
「まったく、圭一さんは時々、訳の分からないことをおっしゃいますわね」
「……ぐっ」
圭一は唸った。その様子を見て、詩音は口元を手で隠した。肩が僅かに震えている。笑っているのである。圭一は横目で睨んだ。
しかし詩音は、素知らぬ顔でお茶を飲んでいた。
「……そうですねぇ」
やがて、詩音が口を開いた。
「でも、まだどちらがどういう人なのか、よく分からないじゃありませんか」
「……へえ?」
魅音が詩音を見た。
「何だい、詩音。キャップのことも疑ってるの?」
「いえ、そういうわけじゃありませんよ」
詩音は微笑んだ。
「救助活動をしていたのは本当みたいですし、立派な方なのかもしれません。ただ、昨日の事件で何が起きていたのか、私たちはテレビで見ただけでしょう?」
「……まあ、そりゃそうだけどさ」
「それに、スパイダーマンの方だって、怪物を止めようとしていたという証言があるそうですし」
詩音はそこで、ちらりと圭一を見た。
「……案外、悪い人じゃないかもしれませんよ?」
「……!」
圭一は思わず顔を上げた。詩音は、にっこりと笑っていた。
「……なーんて。実際に会ったわけじゃありませんけどね」
「……お前なぁ」
圭一は小声で呟いた。すると、レナが頷いた。
「レナも、詩ぃちゃんと同じかな」
「……お?」
「キャプテン・トミタケさんは、確かにすごい人だと思うよ。でも、スパイダーマンさんの方は、まだよく分からないよね」
レナは少し考え込むように視線を落とした。
「テレビでは、助けていたっていう人もいたし、危ないっていう人もいたかな、かな?」
「……ああ」
「だから、レナはちゃんと分かってから考えたいな。悪い人だって決めつけるのは、ちょっと違うと思うから」
「……レナ」
圭一は、思わず感心したように呟いた。何という優しさだろう。やはりレナは素晴らしい。そのまま、もう少しスパイダーマンを褒めてくれてもいいのではないか。圭一がそんなことを考えていると、今度は梨花が小さく首を傾げた。
「……みぃ」
「ん? 梨花ちゃんはどう思う?」
魅音が尋ねた。梨花はしばらく考えてから、いつもの穏やかな声で答えた。
「……ボクには、よく分からないのです」
「そっかぁ」
「でも……」
梨花は小さく微笑んだ。
「二人とも、本当にみんなを助けてくれる人なら、嬉しいのですよ」
「……おお!」
レナが目を輝かせた。
「梨花ちゃん、いいこと言うね! はぅ〜!」
「みぃ」
梨花は嬉しそうに微笑んだ。魅音も頷く。
「まあ、確かにねぇ。どっちもいい人なら、それが一番だよね!」
「ただし、わたくしはまだ信用しませんわよ!」
沙都子が胸を張った。
「特に、あの蜘蛛男! いかにも怪しいですもの!」
「……お前、まだ言うか」
圭一は小さく呟いた。しかし、誰にも聞こえなかったらしい。魅音は楽しそうに笑いながら、再びキャプテン・トミタケの話を始めていた。
「それにしても、あの盾はすごいよねぇ! あんな大きなものを片手で持ってさ!」
「時速五十キロで走れるって話もありましたわね!」
「本当なのかな? かな?」
「いやぁ、あの力ならあり得るんじゃない?」
「……みぃ。すごいのです」
話題はまたもやキャプテン・トミタケへ戻ってしまった。圭一は無言で弁当を食べ続けた。
一方、詩音は隣で楽しそうに微笑んでいる。その笑顔が、どうにも腹立たしい。圭一はちらりと詩音を見た。すると、詩音はわざとらしく首を傾げた。
「……どうしました、圭ちゃん?」
「……何でもねえよ」
「ふふっ。そうですか」
明らかに楽しんでいる。圭一は確信した。詩音は今、この状況を心の底から面白がっている。しかし、他の部活メンバーの前で文句を言うわけにもいかなかった。結局、圭一は黙々と昼食を平らげた。
「……ごちそうさん!」
いつもより早く弁当を食べ終えた圭一は、勢いよく蓋を閉じた。
「おっ、圭ちゃん。今日は随分早いね」
魅音が顔を上げた。
「ああ。ちょっと用事があってな」
「用事?」
「まあ、色々だよ」
圭一は適当に答え、立ち上がった。そして、隣に座っている詩音へ視線を向ける。
「……おい、詩音」
「はい?」
「ちょっと来い」
「……私ですか?」
「ああ」
詩音は一瞬、不思議そうな顔をした。しかし、すぐに何かを察したらしい。
「あらあら。圭ちゃんからお呼び出しとは、珍しいですねぇ」
「いいから!」
「ふふっ。はいはい」
詩音は弁当を片づけ、立ち上がった。魅音はそんな二人を見て、にやりと笑った。
「……何だい何だい? また二人だけで秘密のお話?」
「……ち、違えよ!」
圭一は慌てて否定した。
「ちょっと聞きたいことがあるだけだって!」
「へえ〜?」
魅音は面白そうに目を細めた。
「まあ、いいけどさ。あんまり時間掛けすぎないでよ?」
「分かってるって!」
圭一はそう答えると、足早にその場を離れた。詩音も、くすくす笑いながら後を追う。二人は廊下を進み、生徒の少ない階段の踊り場へ向かった。窓からは、昼の日差しが差し込んでいる。遠くでは、生徒たちの笑い声や話し声が聞こえていた。圭一は周囲を確認すると、ようやく足を止めた。そして、くるりと詩音へ振り返った。
「……おい、詩音!」
「はいはい。何でしょう?」
詩音は楽しそうに微笑んだ。圭一は、堪えきれないというように口を開いた。
「――ありゃ、何だ!? キャプテン・トミタケとかいうやつ!」
詩音は一瞬、目を丸くした。それから。
「……ぷっ」
小さく吹き出した。
「……何がおかしいんだよ!」
「い、いえ……ふふっ。すみません、圭ちゃん」
詩音は口元を押さえた。
「いやぁ、随分とご立腹みたいですねぇ」
「当たり前だろ!?」
圭一は声を潜めながら、それでも勢いよく言った。
「昨日、あのトカゲ女と散々戦ったのは誰だと思ってんだよ! こっちはこんな痣まで作って、朝は寝坊するし、学校じゃ遅刻扱いだし!」
「……それは圭ちゃんの都合でしょう?」
「うるせえ!」
詩音は、とうとう声を立てて笑い始めた。
「ふふっ……! だ、だって圭ちゃん、そんなにテレビに出たかったんですか?」
「そういうわけじゃねえよ!」
圭一は即座に否定した。しかし、少しだけ言葉に詰まる。
「……いや、まあ、ちょっとは期待したけどさ」
「……ちょっと?」
「……それなりに」
「ふふっ」
詩音は楽しそうに頷いた。
「なるほど。圭ちゃんとしては、街を救った英雄として大々的に報道される予定だったわけですねぇ」
「そこまで言ってねえだろ!」
「でも、今朝のニュースではキャプテン・トミタケさんが主役だったと」
「……そうだよ!」
圭一は腕を組んだ。
「おまけに俺は、正体不明の怪しい蜘蛛男だとよ! 冗談じゃねえ!」
「まあ、確かに……」
詩音は少しだけ笑みを和らげた。
「それは、ちょっと気の毒でしたね」
「……だろ?」
「でも、キャプテン・トミタケさんが救助活動をしていたのは本当みたいですよ?」
「……そりゃ分かってるって」
圭一は小さく息を吐いた。
「別に、あいつが悪いことしたって言いたいわけじゃねえよ。テレビで見た限りじゃ、ちゃんと人を助けてたみたいだしな」
「……ええ」
「たださ……」
圭一は窓の外へ目を向けた。
「……何か、納得いかねえんだよ」
詩音は、しばらく圭一を見つめていた。そして、静かに頷いた。
「……まあ、気持ちは分かりますよ」
「……ほんとか?」
「ええ。圭ちゃんが昨日、どれほど頑張っていたか、私は知っていますから」
その言葉に、圭一は少しだけ表情を緩めた。詩音は微笑んだ。
「だから、ニュースで何と言われようと、私にとっては圭ちゃんがちゃんと人を助けたことに変わりありません」
「……詩音」
「……ただし」
「……ん?」
詩音は、にっこりと笑った。
「だからといって、調子に乗って無茶をしていいわけじゃありませんからね?」
「……分かってるよ!」
「本当ですかぁ?」
「本当だって」
詩音はくすくすと笑った。そして、ふと真面目な表情に戻った。
「……それにしても、キャプテン・トミタケさん、ですか」
「ああ。そういや、お前は何か知ってんのか?」
圭一は詩音へ向き直った。
「葛西さんとか、園崎家の方でさ。あんなすげえ奴がいたなら、前から噂になっててもおかしくねえだろ?」
「……それがですねぇ」
詩音は少し考え込むように顎へ手を当てた。
「私も、昨日初めて知ったんですよ」
「……え?」
「少なくとも、キャプテン・トミタケという名前は聞いたことがありませんでした」
圭一は眉を寄せた。
「……マジか?」
「ええ。葛西にも少し聞いてみたんですけど、詳しいことは分からないみたいです」
「……へえ」
圭一は腕を組んだ。
「園崎家でも知らねえのか……」
「正確には、まだ十分な情報がない、というところですね」
詩音は窓の外へ目を向けた。
「昨日まで誰も知らなかったような人が、突然テレビに現れて、あれほどの力を見せたんです。普通に考えれば、少し不思議ですよね」
「……確かにな」
圭一は頷いた。あれほどの身体能力。大きな盾。そして、特殊なスーツ。どれも、普通の人間が簡単に用意できるものではない。まして、あの男は公然とテレビに出演していた。正体を隠しているスパイダーマンとは違い、少なくとも何らかの組織が、その存在を認めているらしい。
「……なあ、詩音」
「はい?」
「……あいつも、俺と同じなのかな?」
詩音は圭一を見た。
「……同じ?」
「ああ。ほら、普通じゃねえ力を持ってるだろ?」
圭一は自分の手を見つめた。蜘蛛に噛まれたあの日から、自分の身体は大きく変わってしまった。今では壁を這い、信じられないほど高く跳び、普通の人間では考えられない力を発揮できる。昨日のリザードウーマンも、以前戦った鉄平も、同じように常識では説明できない能力を持っていた。
そして、今度はキャプテン・トミタケ。
「……何かさ」
圭一は小さく呟いた。
「最近、こういう奴、多くねえか?」
詩音は答えなかった。ただ、静かに圭一の顔を見つめていた。そして、しばらくしてから口を開いた。
「……そうですねぇ」
その声には、先ほどまでの冗談めいた響きがなかった。
「私も、少し気になってきました」
「……だろ?」
「ええ」
詩音はゆっくりと頷いた。
「……キャプテン・トミタケ。ちょっと、調べてみる必要がありそうですね」
圭一は、再び窓の外へ目を向けた。初夏の日差しが、興宮の街を明るく照らしている。その空の向こうには、昨日まで知らなかった、もう一人の超人がいる。キャプテン・トミタケ。日本の盾。
圭一は、その名前を小さく呟いた。
「……ったく。何者なんだよ、あいつは」
その問いに答えられる者は、まだ誰もいなかった。少なくとも、この二人の中には。