駅から電車に揺られ、主要駅で一度乗り換え。
さらに数駅。
窓の外に青い海が見えた瞬間――。
「海だあああああっ!!」
夏海お姉ちゃんの声が、車内に響き渡った。
「なっつん、まだ電車なん」
れんげちゃんの冷静な一言にもめげず、夏海お姉ちゃんは窓に張り付いている。
ぼくも人のことは言えない。
海なんて久しぶりだ。
駅を降りて海水浴場まで歩いている間も、潮の匂いが強くなるたびに足が速くなった。
そして砂浜に到着するなり――。
「ボク君!」
「夏海お姉ちゃん!」
「「海だーっ!!」」
二人揃って砂浜を全力疾走した。
服の下にはすでに水着を着ている。
夏海お姉ちゃんは赤い水着。
ぼくは椰子の木が描かれた海パン。
つまり、着替える必要などない!
「とうっ!」
「うっひょーっ!!」
二人同時に海へ飛び込んだ。
ばしゃーんっ!
「つめたーい!」
「気持ちいいな、ボク君!」
夏海お姉ちゃんがクロールで泳ぎ始め、ぼくも平泳ぎでその後を追う。
波打ち際から少し離れると、さっそく大きな波がやってきた。
ざっぱーん!
「ぶはっ!」
まともに顔へ浴びる。
口の中にも入った。
「しょっぱ!」
当たり前だけど、海の水は塩辛い。
でも――。
「すごい! 川より浮く!」
「はっはっは! ボク君、そんなことで驚いていていいのかな!」
夏海お姉ちゃんが不敵に笑った。
「ここは海! つまり本日の決戦場!」
「決戦場?」
「早速、潜水勝負といこうではないか!」
「おおー!」
ぼくも気合を入れる。
この日のために準備してきたのだ。
「ぼく、ジェットサイダーの王冠、あれから十六個も見つけたよ!」
「……うん」
「だから、もう夏海お姉ちゃんにも負けないくらい潜っていられると思う!」
「……そうなってるといいなー」
夏海お姉ちゃんが微妙な顔をした。
なんでだろう?
(まだ信じてるんだ……。王冠集めると泳ぎが上手くなるって話……)
「じゃあ行くよ!」
「おう!」
「「せーのっ!」」
二人同時に海へ潜った。
――その頃。
「元気だねぇ……」
一穂先生は砂浜にパラソルを立てながら、遠くで海に消えていった二人を眺めていた。
「準備体操もしてないんだけどねぇ。まあ、あの二人は朝から散々走り回ってたし、一番いらない気もするけど」
「そうだよ。二人ともラジオ体操の後も走ってたし」
小鞠が荷物を運びながら答える。
パラソルの下にクーラーボックスを置き、一穂はジュースを一本取り出した。
「こまちゃんは泳がないのー?」
「…………」
小鞠が固まった。
「水着……忘れました」
「…………」
「…………」
しばし沈黙。
「じゃあ、ぼくが買ってあげるよ!」
「うわっ!?」
いつの間に戻ってきたのか。
びしょ濡れのぼくが、小鞠お姉ちゃんの背後からひょっこり顔を出した。
「な、なに!? いきなり!」
「小鞠お姉ちゃん、ちょっと」
「え?」
耳元へ顔を近づける。
「お母さんに水着買ってもらえなかったんでしょ?」
「うっ……」
図星らしい。
「だから、はい!」
ぼくは海パンの上に置いていた自分の荷物から財布を取り出し、小鞠お姉ちゃんへ渡した。
「これ使っていいよ!」
「え?」
ぼくはそのままクーラーボックスから炭酸飲料を一本もらう。
ぷしゅっ。
ごくごくごく――。
「ぷはーっ!」
「あーあー、負けたー」
そこへ夏海お姉ちゃんも戻ってきた。
クーラーボックスを漁り、なぜかキュウリを一本取り出す。
ぽりっ。
「まさか本当にジェットサイダーの王冠に効力があるとは……」
「ほんと!?」
「……あるかもしれんなー」
「やった!」
夏海お姉ちゃんの目が泳いでいる。
その横で。
「い……」
小鞠お姉ちゃんが震えていた。
「い?」
「い、い、い……一万円!?」
「ん?」
ぼくのキャラクター物のビニール財布。
その中に入っている一万円札を、小鞠お姉ちゃんは両手でつまんでいた。
「なんで小学生の財布に一万円入ってんの!?」
「え?」
夏海お姉ちゃんが財布を覗き込む。
「おおっ!?」
そしてぼくを見る。
「ボク君……もしやその姿は世を忍ぶ仮の姿……」
「へ?」
「実は東京のIT企業の社長なのでは!?」
「違うよ?」
「では株か!」
「かぶ?」
野菜かな。
「お待たせしましたー」
そこへ蛍お姉ちゃんの声が聞こえた。
振り返る。
「みんなの着替えを手伝っていたら遅くなりました」
水色を基調にした水着の上にパレオを合わせた蛍お姉ちゃん。
その隣にはピンク色のワンピース水着を着たれんげちゃん。
そして白いワンピース水着のほのかちゃん。
「…………」
小鞠お姉ちゃんが固まった。
特に蛍お姉ちゃんを見る。
上。
下。
もう一度、上。
そして自分を見る。
「う……」
「小鞠先輩?」
「うわあああああん!!」
「小鞠お姉ちゃん!?」
ぼくの財布を握りしめたまま、小鞠お姉ちゃんが走っていった。
「待ってー!」
ぼくも慌てて追いかける。
残された一同は、その後ろ姿を見送った。
「……小鞠先輩、どうされたんでしょう?」
蛍が首を傾げる。
一穂は蛍をじーっと見る。
「自分の胸に聞いてみなよー」
「え?」
「ほたるん……本当に小学生?」
「小学五年生ですけど……」
「世の中って不公平だねぇ」
「???」
夏海はまだ別のことが気になっていた。
「それより、ほたるん!」
「はい?」
「ボク君の財布に一万円入ってた!」
「えっ」
蛍の表情が一瞬固まる。
事情は知っている。
しかしボク君から「みんなには内緒ね」と頼まれていた。
「え、えっと……」
頭を高速回転させる。
「お父さんとお母さんのお手伝いをするたびに、お小遣いをもらっていたそうなので……それが貯まったのでは?」
「こっち来てまだ四日だよ! 一日二千円稼いだことになるよ!」
「……先輩。二千五百円です」
「そこ!?」
一穂がぼそりと言う。
「数学の宿題、増やそうかー?」
「だあああっ!!」
夏海が頭を掻きむしった。
「ウチが言いたいのはそこじゃない! どさくさに紛れて宿題増やさない!」
そして財布を指差す。
「ボク君のお金の謎だー!」
「あー」
ほのかが手を挙げた。
「ボク君、うちのエアコン直してくれたよ」
「なぬ!?」
夏海が振り返る。
「エアコン!?」
「うん。おばあちゃんがお小遣いあげてた」
蛍が「あっ」という顔をする。
口止め、終了。
「ボク君、エアコン直せるの!?」
「なんか、いろんな物を直せるみたい」
ほのかは思い出しながら続ける。
「最近、走ってるボク君を見つけたら家に呼ぶのが、ちょっと流行ってるよ」
「なんということでしょう!」
夏海が砂浜に膝をついた。
「田舎に突如現れた、謎の出張修理少年!」
れんげの目が輝く。
「ボク君、すごいんな!」
「すごいぞ、れんちょん! 壊れた電化製品なんて普通は業者さんを呼ばないと直らないんだぞ!」
「ボク君、五百円もらって喜んでたよ」
「ノオオオオッ!!」
夏海が頭を抱えた。
「価格破壊!!」
「?」
「出張修理が五百円! デフレどころじゃない!」
がばっと立ち上がる。
「これからボク君への修理依頼は、夏海ちゃんを通すように!」
「手数料取る気だねぇ」
「ふっふっふ……」
夏海が悪い顔をする。
「ボク君修理サービス! 基本料金五百円! 夏海ちゃん紹介料――」
「それやったら誰も頼まなくなるよー」
一穂がキュウリをぽりっと齧った。
「ふっふっふっー!」
今度はれんげが胸を張った。
「ウチはそんなすごいボク君のお嫁さんになれるんだから、将来はあんたいなんな!」
「「「えええええっ!?」」」
全員の声が重なった。
「れ、れんちょん!?」
夏海が飛びつく。
「いつの間に!?」
「この前、駄菓子屋で一緒にお風呂に入った時になー」
「うんうん」
「駄菓子屋に『男の子と女の子は大きくなったら一緒に入らないもんだ』って言われたん」
「うん……?」
「だから、家族になればいいと思いまして」
「なるほど」
一穂が頷く。
「なるほどじゃありません!!」
蛍が珍しく大声を出した。
「なんでそうなるんですか!?」
「ほたるん、顔赤いよー」
「赤くもなります!」
「れんちょん、東京行くの?」
「かず姉!! そこでもありません!」
「じゃあどこー?」
「全部です!!」
夏海は腹を抱えて笑い出す。
「こりゃボク君が帰ってきたら面白いことになるぞー!」
「ウチ、ちゃんと聞いてみるん!」
「やめてあげてください!」
蛍の悲鳴が砂浜に響いた。
◇
「小鞠お姉ちゃーん、まだー?」
「待ってー! 今着替えてるから!」
海の家の更衣室。
ぼくはベンチに座り、小鞠お姉ちゃんが出てくるのを待っていた。
水着選びだけでも長かった。
着替えるのも長い。
女の人って大変だなあ。
足をぷらぷらさせる。
一分。
三分。
五分。
…………。
暇だ。
さらに十分ほど経った。
「小鞠おねえちゃーん」
返事はない。
「まだー?」
「もうちょっとー!」
「はーい……」
ぼくは大きなあくびをした。
その時だった。
「……ぼくくーん」
「ん?」
誰かに呼ばれた。
振り返る。
知らない男の人が三人いる。
三人ともぼくの顔を見ていた。
「君、どうしたの?」
「え?」
「お父さんとお母さんは?」
「一人なのかな?」
「お名前、言える?」
「…………」
ぼくは目をぱちぱちさせた。
なんでぼくのことを聞くんだろう。
しかも――。
「なんで、ぼくのこと知ってるの?」
三人が顔を見合わせた。
「…………」
「…………」
「…………」
一人が困った顔で頭を掻いた。
「いやー……それはだねぇ」
「ちょっと、こっちで話そうか」
「え?」
ぼくは首を傾げた。
◇
「お待たせー♪」
数分後。
更衣室のカーテンが勢いよく開いた。
「ボク君、遅くなってごめんね!」
オレンジ色のワンピース水着を着た小鞠が、少し照れながら出てくる。
「どうかな?」
くるっ。
本人なりに考えたポーズまで取ってみた。
「…………」
返事がない。
「あれ?」
もう一度。
「ボク君?」
誰もいない。
「…………」
きょろきょろ。
「どこ行ったのかな?」
トイレだろうか。
それとも待ちくたびれて、みんなのところへ戻ったのか。
「もう……待っててって言ったのに」
小鞠は仕方なく、砂浜へ戻ることにした。
◇
「ボク君がいない!?」
数分後。
パラソル周辺は騒然としていた。
「戻ってないの!?」
「戻ってないよー」
一穂が答える。
その隣では、夏海とれんげが卓の顔面を砂で埋めていた。
鼻と口の辺りにはシュノーケル。
どう見ても事件現場である。
蛍とほのかは砂山を作って遊んでいたが、小鞠の言葉を聞いた瞬間に手を止めた。
「小鞠先輩……ボク君と一緒だったんじゃ?」
「着替えてる間、外で待っててもらったの! でも出たらいなくなってて……てっきりこっちに戻ったんだと思って……!」
小鞠の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「だ、大丈夫ですよ!」
蛍が立ち上がった。
「ボク君、しっかりしてますし! 東京から一人でここまで来られるくらいですから!」
「でも知らない場所だよ!?」
「そうだ!」
蛍が手を叩く。
「キッズ携帯! ボク君、持ってましたよね!」
「おお、それなら――」
一穂が荷物をごそごそ探す。
「あったよー」
「え?」
一穂の手。
そこには。
ボク君のキッズ携帯。
「…………」
「…………」
「…………」
「ボク君――――っ!!」
蛍が涙目になった。
「ほ、ほたるん落ち着いて!」
「夏海先輩も探してください!!」
「もちろん!」
一穂も立ち上がる。
「みんな冷静にねー。こういう時こそ大人が落ち着いて――」
そこで一穂の動きが止まった。
「…………」
自分が引率者である。
つまり。
ボク君がいなくなった。
「…………まずい」
「先生?」
「いや、でもボク君は私の学校の生徒じゃないし……」
ぶつぶつ。
「保護者として来てるけど、責任の所在というものは――」
「かず姉が壊れた!!」
「先生! 現実逃避しないでください!」
一穂が頭を抱える。
「始末書で済むかなぁ……」
「そういう問題じゃないです!!」
「と、とにかく探そう!」
小鞠が叫んだ。
夏海。
蛍。
れんげ。
ほのか。
そして一穂。
全員が一斉に走り出す。
「ボク君ーっ!!」
「どこーっ!?」
「ボク君ー!」
青い空。
白い雲。
照りつける太陽。
楽しいはずだった海水浴場で――。
突如として姿を消した、ボク君。
彼が残したのは、謎の一万円札と、誰にも頼まれていないはずの修理の噂。
そして、彼の名を知っていた三人の男たち。
果たして。
彼はいったい、どこへ行ってしまったのか――。