026 8月7日の夜 沖縄へ行こう! そのいち♪
ジーワ、ジーワ、ジーワ……。
日が暮れたというのに、外ではアブラゼミが最後の力を振り絞るように鳴いていた。
夕食を済ませたぼくと蛍お姉ちゃんは、二階の部屋で一枚の紙を囲んでいた。
そこには大きく書かれた文字。
『沖縄旅行! 8月11日〜14日!』
「いやあ、楽しみだね! 沖縄!」
「うん! 私、沖縄なんて初めてだから、すっごく楽しみ!」
蛍お姉ちゃんも満面の笑顔だ。
夏休みもまだ序盤だというのに、海水浴に、虫取りに、魚釣り。
それだけでも十分に楽しい夏休みだった。
ところが、今度は沖縄である。
卓兄ちゃんのPC 部品を買ってもらった福引券で沖縄旅行が当たり、ぼくたち五人は沖縄へ行けることになったのだ!
「えっと、旅行券で行くのが、ぼくと蛍お姉ちゃん、夏海お姉ちゃん、小鞠お姉ちゃん、れんげちゃんの五人だよね?」
「うん。それで、民宿の人に確認したら、追加料金を払えば十二人まで泊まれるんだって!」
「ということは、あと七人も入れるんだ!」
「でも、引率してくれる大人の人も必要だから……」
二人で顔を見合わせる。
そして、ほぼ同時に口を開いた。
「電話しよう!」
こうして、ぼくたちの沖縄旅行参加者募集作戦が始まったのである。
◇ ◇ ◇
最初に電話したのは、一穂先生だった。
『はいはい、宮内ですけど〜』
「あ、一穂先生! 蛍です!」
『お〜、蛍、どしたん?』
「実は沖縄旅行なんですけど、民宿に追加で泊まれることになったんです!」
『ほ〜、そりゃよかったねぇ』
「それで、先生も一緒に行きませんか?」
『…………』
電話の向こうが静かになった。
『沖縄?』
「はい!」
『四日間?』
「はい!」
『……学校の仕事、持っていってもいい?』
「先生、沖縄でもお仕事するんですか!?」
『いやぁ、仕事というより、夏休みの宿題の採点とかねぇ』
横で聞いていたぼくが思わず口を挟む。
「先生! 沖縄で寝てばっかりにならないでくださいね!」
『ボク君、先生をなんだと思ってるん?』
「寝るのが大好きな人!」
『否定できんわぁ……』
そんなわけで、引率者一名確保。
もっとも、この人を引率者に数えていいのか、若干の不安が残った。
◇ ◇ ◇
その頃、宮内家では別の事件が発生していた。
「ね、姉ちゃん……」
「ん〜?」
「沖縄旅行って、あたしも行けるの?」
「自分の旅費を出せるならねぇ」
「…………」
ひかげは財布を開いた。
中には小銭と、わずかな紙幣。
つい先日まで、それなりにお金が入っていたはずなのだ。
しかし、都会から帰ってきた開放感。
駄菓子、ジュース、雑誌。
そして、ちょっとした買い物。
気がつけば、財布は見事なまでに軽量化されていた。
「……姉ちゃん」
「ん?」
「お金、貸してください」
「やだよ〜」
「即答!?」
「ひかげ、自分で使ったんでしょ〜?」
「そ、それはそうだけど!」
「じゃ、仕方ないねぇ」
ひかげは拳を握った。
ここで諦めたら沖縄には行けない。
東京に戻れば学校の友達に自慢できる。
いや、それ以前に、れんげが沖縄に行くのだ。
姉として、妹だけが沖縄を満喫している姿を黙って見ていられるだろうか。
否!
「姉ちゃん!!」
「ん〜?」
「お願いしますうううっ!!」
ひかげは跳躍した。
両膝を折り曲げ、空中で姿勢を整える。
そして畳に着地すると同時に、額を床へ!
ジャンピング土下座!!
どごんっ!!
「沖縄に行かせてくださあああい!!」
「……ひかげ、畳が傷むんだけど」
「そこ!?」
そのとき。
ガラッ。
「ねえねえ、ひか姉、なにしてるん?」
れんげが顔を出した。
「…………」
ひかげは瞬時に立ち上がった。
「ん? ああ、ちょっと姉ちゃんと話してただけ」
「ひか姉も沖縄来るん?」
「まあね。姉ちゃんだからね。妹の面倒を見るのも姉の務めっていうか?」
腕を組み、余裕たっぷりに微笑むひかげ。
れんげは感心したように頷いた。
「ひか姉、頼りになるのん!」
「ふふん! 当然でしょ!」
れんげが去っていく。
ガラッ。
「…………」
「…………」
「姉ちゃあああん!! お願いだからあああ!!」
再び土下座。
一穂は大きなあくびをした。
「……お金は貸すけど、東京帰ってから返してねぇ」
「姉ちゃん大好きいいい!!」
こうして、姉の尊厳は辛うじて守られた。
少なくとも、妹の前では。
◇ ◇ ◇
次に電話したのは、このみお姉ちゃんだった。
『沖縄? いいね〜!』
「このみお姉ちゃんも来られる?」
『うん、行けるよ。ちょうどお金もあるし』
「えっ! すごい!」
『この前の海で楓ちゃんのお手伝いしたでしょ? そのアルバイト代、まだ使ってなかったんだよね』
「おお〜!」
『どうせ夏休みだし、みんなで行った方が楽しいもんね!』
なんという計画性!
ひかげお姉ちゃんとは大違いである。
……いや、本人には言わないでおこう。
その次は卓お兄ちゃん。
『…………』
「もしもし? 卓お兄ちゃん?」
『…………』
「沖縄、一緒に行かない?」
『…………!』
電話の向こうから、何かを落としたような音がした。
『…………』
「えっと、来られる?」
トントン。
電話の受話器を叩く音。
「……蛍お姉ちゃん、これってイエスかな?」
「たぶん、そうだと思うよ」
こうして卓お兄ちゃんも参加決定。
会話時間、およそ三十秒。
なんという効率のよさだろう。
◇ ◇ ◇
「次は楓お姉ちゃんだね!」
駄菓子屋に電話すると、いつもの少しぶっきらぼうな声が返ってきた。
『はい、加賀山です』
「あ、楓お姉ちゃん! ぼくだよ!」
『おう、ボクか。どうした?』
「沖縄行かない?」
『……ああ、昼に当たった旅行か?』
「そうそう、招待5人に加えて7名までお得に沖縄に行けるんだって!」
『そうなのか!』
「楓お姉ちゃんも行こうよ!」
『店があるだろ、店が』
「でも、お盆だよ?」
『お盆だからだろ』
「れんげちゃんも行くよ?」
『…………』
「れんげちゃん、楓お姉ちゃんも来てくれたら嬉しいって!」
『…………』
しばらく沈黙。
『……四日間だっけ?』
「うん!」
『仕方ねえな。店のことを調整してみるよ』
「やったあ!」
電話を切ったぼくは蛍お姉ちゃんとハイタッチ!
……ちなみに、楓お姉ちゃんが参加を決めた本当の理由は、聞かない方がよさそうだ。
◇ ◇ ◇
最後は北海道のみどりちゃん。
先日、一緒に長い道のりを歩いたばかりの友達だ。
『ええっ!? 沖縄!?』
「うん! 一緒に行かない?」
『行きたい! でも、お父さんとお母さんに聞かないと……』
「じゃあ、聞いてみて!」
しばらくして、みどりちゃんから折り返しの電話があった。
『ボク君! いいって!』
「ほんと!?」
『うん! お父さんがね、田舎に帰省させたら、そこから沖縄旅行に行くなんて思わなかったって!』
「はははっ!」
『それで、ボク君によろしくって!』
「うん! よろしく伝えてね!」
『沖縄、楽しみだね!』
「うん!」
受話器を置くと、ぼくは大きく伸びをした。
これで参加者が揃った!
旅行券組が五人。
追加で参加するのが、一穂先生、卓お兄ちゃん、ひかげお姉ちゃん、このみお姉ちゃん、楓お姉ちゃん、みどりちゃん。
合計十一人!
まだ一人分の余裕があるけれど、今回はこれで決まりだ。
「やったね、蛍お姉ちゃん!」
「うん! みんなで沖縄!」
二人で飛び跳ねる。
しかし。
このとき、ぼくたちは重大な問題を見落としていた。
◇ ◇ ◇
「……あれ?」
ノートパソコンを操作していたぼくの手が止まった。
「どうしたの?」
「……飛行機がない」
「え?」
「飛行機の座席がないんだよ!」
画面には、無情な文字が並んでいた。
満席。
満席。
満席。
「えええええっ!?」
蛍お姉ちゃんが叫んだ。
そう。
八月十一日。
お盆休み直前。
しかも沖縄。
旅行券組の五人は座席が確保されているけれど、追加の六人は別に飛行機を手配しなければならない。
「こ、これって……」
「うん……」
「みんな、行けないの!?」
「まだわからないけど……」
ぼくは航空会社のサイトを次々に確認した。
直行便。
乗り継ぎ便。
出発時刻の変更。
到着空港の変更。
しかし、六人まとめて座れる便は見つからない。
「うわあああ! どうしよう!」
「ボク君! なんとかならない!?」
「飛行機のエンジンなら勉強すれば直せるかもしれないけど、座席は増やせないよ!」
「そんなこと聞いてないよおお!」
二人して頭を抱える。
そのときだった。
コンコン。
「二人とも、どうしたの?」
部屋の入口に立っていたのは、蛍お姉ちゃんのお父さんだった。
「あ、おじちゃん!」
「なんだか賑やかだけど、何か困ってるのかな?」
事情を説明すると、おじちゃんは画面を覗き込んだ。
「なるほど。お盆前の沖縄便か……」
「お父さん、どうしよう……」
「うーん、ちょっと待っててくれる?」
そう言うと、おじちゃんは一階へ降りていった。
ぼくと蛍お姉ちゃんは顔を見合わせた。
「……どうするんだろう?」
「わからない……」
◇ ◇ ◇
三十分後。
「二人とも!」
おじちゃんが戻ってきた。
手には電話と、何やらメモ用紙。
「六人分、なんとかなりそうだよ」
「…………」
「…………」
「ええええええっ!?」
ぼくと蛍お姉ちゃんは同時に立ち上がった。
「ほ、本当に!?」
「うん。仕事の出張で飛行機をよく使うからね。普段お願いしている旅行会社にも相談して、空席を探してもらったんだ」
「すごい!!」
「ただし、条件があるんだ」
「条件?」
「みんなと同じ飛行機じゃないんだよ。追加の六人は別便で、到着が二時間ほど遅くなる」
「……それだけ?」
「それだけだよ」
「やったああああ!!」
蛍お姉ちゃんがお父さんに抱きついた。
「お父さん、すごい! ありがとう!」
「ははは、どういたしまして」
ぼくも思わず拍手する。
「おじちゃん、すごいよ! 魔法みたい!」
「いやいや、空いている席を探してもらっただけだよ」
「ぼくたち、あんなに探したのに!」
「こういうのはね、慣れている人に相談するのも一つの方法なんだよ」
おじちゃんは少し照れくさそうに笑った。
「それに、せっかくみんなで旅行するんだから、楽しい思い出にしてほしいしね」
……すごい。
普段はどこかのんびりしていて、時々おばちゃんに叱られているおじちゃん。
でも、今日は違った。
仕事で積み重ねてきた経験が、ぼくたちを助けてくれたのだ。
「おじちゃん!」
「ん?」
「ぼく、尊敬する!」
「ははは! それは嬉しいなあ!」
「お父さん、かっこいい!」
「ほ、蛍まで……」
おじちゃんは照れながら頭を掻いていた。
ただし。
「あなたー! 明日のゴミ出し、忘れないでねー!」
一階からおばちゃんの声が響いた。
「あっ、はい!」
……やっぱり、いつものおじちゃんだった。
◇ ◇ ◇
夜も更けてきた。
ようやく全員に連絡を終えたぼくと蛍お姉ちゃんは、窓際に並んで座っていた。
外には満天の星。
昼間の暑さが嘘のように、涼しい風が吹いている。
「ねえ、ボク君」
「なあに?」
「沖縄って、どんなところなんだろうね?」
「海がすごく綺麗で、サンゴ礁があって、珍しい生き物がいっぱいいるんだって!」
「そうなんだ……」
蛍お姉ちゃんはうっとりと目を閉じた。
きっと、青い海と白い砂浜を想像しているのだろう。
「小鞠先輩と沖縄……♥」
「ん?」
「な、なんでもない!」
蛍お姉ちゃんの顔が真っ赤になった。
「一緒に泳いだり……貝殻を拾ったり……写真を撮ったり……♥」
「うん! 楽しそう!」
「それに、夕焼けの海を小鞠先輩と二人で……♥」
「ぼく、ハブも見てみたいな!」
「…………」
蛍お姉ちゃんの妄想が止まった。
「……ハブ?」
「うん! 沖縄にはハブがいるんだよね!」
「そ、そうだけど……」
「ハブの毒って、主に出血毒なんだって! 神経毒とは作用が違うらしいんだけど、実際にはどうなんだろう?」
「…………」
「それに、ハブって夜行性らしいから、夜の森を調べれば……」
「ボク君」
「ん?」
「絶対に一人で探しに行っちゃ駄目だからね?」
「えー!」
「えー、じゃないよ!」
ぼくは少し残念に思った。
沖縄の生態系なんて、滅多に調べる機会がないのに。
「じゃあ、海の生き物を調べようかな。イモガイとか、ヒョウモンダコとか……」
「毒のある生き物ばっかり!?」
「だって珍しいんだもん!」
蛍お姉ちゃんは額を押さえた。
「……ボク君、沖縄で修理屋さんと生物学者さん、どっちになるつもりなの?」
「両方!」
「欲張りだね……」
ぼくたちは顔を見合わせて笑った。
そういえば。
この夏休みが始まってから、まだ一週間しか経っていない。
なのに、もう何ヶ月もここで暮らしているような気がする。
蛍お姉ちゃん。
夏海お姉ちゃん。
小鞠お姉ちゃん。
れんげちゃん。
そして、村のみんな。
毎日が楽しくて、毎日が新しい。
沖縄に行けば、きっとまた、知らない何かに出会えるのだろう。
「……楽しみだね」
「うん!」
ぼくは窓の外を見上げた。
夜空には、たくさんの星が瞬いていた。
東京では、こんなにたくさん見えなかった気がする。
沖縄の星空は、もっと綺麗なのだろうか。
「ねえ、蛍お姉ちゃん」
「なあに?」
「沖縄って、南十字星が見えるのかな?」
「どうだろう? 見られたら素敵だね」
「うん!」
そんな話をしていると。
コンコン。
「二人とも、そろそろ寝なさいねー」
おばちゃんの声だった。
「はーい!」
「はーい!」
ぼくたちは元気よく返事をした。
……ところが。
「あっ!」
「どうしたの?」
「絵日記!」
ぼくは机の上に置いていたノートを慌てて開いた。
「また忘れるところだった!」
「もう、ボク君ったら!」
蛍お姉ちゃんはくすくす笑っている。
鉛筆を握り、今日一日を思い返した。
池の主との戦い。
釣り竿のこと。
そして、突然決まった沖縄旅行。
……うーん。
今日は何を書こう?
しばらく悩んだ末、ぼくは鉛筆を走らせた。
---
8月7日 晴れ
きょうは、いけのぬしとしょうぶした。
それから、みんなでおきなわにいくことになった!
ひこうきがいっぱいでこまったけど、ほたるおねえちゃんのおとうさんがたすけてくれた。
おきなわには、ハブがいるらしい。
ぜったいにみてみたい。
---
「……よし!」
絵日記を閉じた。
すると、背後から声がした。
「ボク君」
「ん?」
「最後の一行、消そうか?」
「えええっ!?」
蛍お姉ちゃんはにっこり笑った。
「ハブは見に行きません!」
「……はーい」
仕方なく、消しゴムで最後の一行を消す。
そして、代わりにこう書いた。
おきなわのうみがたのしみです。
「うん! これならいいね!」
蛍お姉ちゃんは満足そうに頷いた。
ぼくは少しだけ考えた。
……海にも毒のある生き物、いるんだけどなあ。
でも、それは黙っておこう。
「おやすみ、蛍お姉ちゃん!」
「おやすみ、ボク君!」
電気を消して、布団に潜り込む。
窓の外では、虫たちが涼しげに鳴いていた。
あと四日。
あと四日で、沖縄だ。
どんな海が待っているんだろう。
どんな生き物がいるんだろう。
そして、どんな思い出ができるんだろう。
考え始めると、なかなか眠れそうになかった。
……でも。
今日はもう、寝よう。
夏休みは、まだまだ続くのだから。
――八月七日、おしまい。