ちゃん♪ ちゃん♪ ちゃ♪ちゃ♪ちゃ♪ちゃ♪ちゃ♪
ちゃん♪ ちゃん♪ ちゃ♪ちゃ♪ちゃ♪ちゃ♪――。
朝の澄んだ空気の中、聞き慣れたラジオ体操の音楽が流れている。
昨日まで東京にいたボクにとっても、夏休みの朝といえばこれだった。
ただし――。
その中に一人だけ、明らかに違うものが混じっていた。
「れっつ! ダンシングー!!」
……体操じゃない。
みんなが腕を上げている横で、一人の女の子だけがくるりと回る。
腕を振り、腰をひねり、最後には片足を伸ばしてポーズまで決める。
ラジオ体操というより、完全にダンスだった。
なのに不思議なことに、音楽とはちゃんと合っている。
なんだ、この子……。
あまりの異様さに、ボクは体操するのも忘れて見入ってしまった。
すると――。
「ム!」
少女の動きが止まった。
「誰なん? うちをじっとり見ているあなたは!!」
びしっ!
指を突きつけられる。
しかもラジオ体操最後の深呼吸から、その指差しまでが妙に滑らかにつながっていた。
無駄がない。
……ある意味すごい。
「……あの、ボク……」
「ムムッ!」
少女がこちらへ向き直る。
「見かけない男の子なん! どっから来たですか!!」
両腕をぶんぶん回しながら、ずんずん距離を詰めてくる。
近い。近い。
なんかこの子、すごいな……。
「れんちゃん」
困っているボクに、隣にいた蛍が助け舟を出してくれた。
「この子、私の従兄弟なの。昨日からうちに来てるのよ」
「ほたるんの?」
少女はボクと蛍を交互に見比べる。
そして何かを考えるように腕を組むと――。
「むむー……」
しばらく唸ったあと、突然片手を上げた。
「にゃんぱすー」
「え?」
何だろう、それ。
挨拶……なのかな。
「えっと……にゃん、ぱす?」
「!」
少女の目が見開かれた。
「ほたるんと反応が同じなん!」
「え?」
「わかった! 君はほたるんの従兄弟だ!!」
「それでわかるの?」
どういう判定方法なのか、さっぱりわからない。
けれど少女の中では、これで疑いが完全に晴れたらしい。
満足そうに頷くと、今度は右手を差し出してきた。
「宮内れんげなん。できましたら名前を教えてくださいなー」
「あ、うん」
ボクも手を差し出す。
「ぼくはボクだよ」
握手。
すると――。
れんげちゃんの顔が曇った。
「…………」
あれ?
「宮内れんげなん。できましたら名前を教えてくださいなー」
もう一度、まったく同じ自己紹介をされた。
「だから、ぼくはボクだよ」
「…………」
さらに不機嫌そうになった。
どうしてだろう。
嘘なんて言ってないのに。
れんげちゃんはしばらくボクを睨んでいたが、やがて何かに気づいたように蛍を見る。
「ほたるん」
「な、なに?」
「ほたるんの教育が悪いから、こうなってしまったんな?」
「私!?」
「よし!」
れんげちゃんが胸を張る。
「うちが矯正してあげるんなー!」
「ええっ!?」
蛍が慌てる。
けれどボクには、何を矯正されるのかすらわからなかった。
そんな二人を見ながら、蛍はようやく事情を察した。
(れんちゃん……ボク君にあだ名をつけられないから怒ってるんだ……)
最近になって、ようやくれんげという少女の思考回路が少しだけ読めるようになってきた蛍だった。
そして同時に思う。
嫌な予感がする。
ものすごく嫌な予感がする。
「れ、れんちゃん。それでどうするつもり……?」
蛍がおそるおそる尋ねる。
「ふっ、ふっ、ふっ……」
れんげちゃんが不敵に笑った。
「知れたことなん」
そしてボクを指差す。
「新入りはまず、なっつんの洗礼を受けてもらうまで!」
「えっ! 夏海先輩ですか!?」
蛍の声が裏返った。
れんげちゃんは仁王立ちになり、さらに胸を張る。
「そうなん! なっつんのとびきり猛烈な洗礼を受けないと、世知辛いこの場所では生きていけないんな!!」
「世知辛いの……ここ?」
昨日見た限り、ものすごく平和だった気がする。
「えっと……よくわかんないけど」
ボクはとりあえず笑った。
「れんげちゃんのお友達を紹介してくれるんだよね。ありがとう」
「!!」
れんげちゃんが一歩後ずさる。
「ほたるんとは違った、ぽじてぃぶなあぷろーち……」
顎に手を当てる。
「むむむ……ボクとやら、あなどれん……」
「?」
「早くなっつんに会わせねば!」
何故か決意を新たにされてしまった。
その時だった。
「あんたたち! 早くこっち並ばんねっ!!」
雷みたいな声が響いた。
「スタンプやらんよっ!」
振り返ると、ラジオ体操の係をしていたおばさんが怒っている。
よく見れば、ボクたち以外の子供たちはとっくにカードへスタンプを押してもらい、帰り始めていた。
「なっつんのお母さんな」
れんげちゃんが小声で教えてくれる。
「怒ると怖いんな」
「聞こえとるよ!」
「なんっ!」
れんげちゃんが飛び上がった。
ボクたちの番になると、おばさんは蛍のカードにスタンプを押し、それからボクを見た。
「あら? この子、見慣れんね。どっから来たの?」
「私の従兄弟のボク君です。夏休みの間、うちで過ごすことになって」
蛍が説明してくれた。
「そうなのー」
ぽん、とボクのカードにもスタンプが押される。
「何もないところだけど、時間と自然だけはいっぱいあるからね。うちの子たちに遊びに連れてってもらいな」
「うん。ありがとう、おばちゃん」
頭を下げる。
すると横かられんげちゃんが鼻息荒く割り込んできた。
「そうなん! 今からなっつんのところに連れていくん!」
「え、夏海に?」
おばさんの表情が微妙になった。
「ロクな遊びしか教えんよ」
「だからなん!」
れんげちゃんは何故か誇らしげだった。
「なっつんに、ここの掟を体に覚えこませてもらうんな!!」
「何の掟よ……」
おばさんが呆れている間に、れんげちゃんはボクの手を掴んだ。
「行くん!」
「わっ!」
ぐいぐい引っ張られる。
蛍も慌てて後を追った。
「あんたたち、どこ行くん――って、うちと同じ方向じゃない!」
後ろから声が聞こえた。
けれどれんげちゃんは止まらなかった。
* * *
着いたのは、昔ながらの大きな古民家だった。
れんげちゃんは呼び鈴を押すこともなく、玄関を勢いよく開ける。
「なっつん! なっつんはいないのですかー!」
返事の代わりに奥から出てきたのは、小柄な女の子だった。
「どうしたの、れんげ。夏海なら駄菓子屋に行ったけど……」
そこでボクを見る。
「その子、誰?」
「私の親戚のボク君です」
蛍が答える。
「そっか。私は――」
「もういいのん!」
れんげちゃんが遮った。
「挨拶は揃ってからするのん! こまちゃんもついてくるのん!」
「強制かい!」
女の子が叫ぶ。
「っていうか、こまちゃん言うな! 私もやりたいことあるのに……」
「すみません、先輩……」
蛍が申し訳なさそうに頭を下げる。
「蛍が謝ることじゃないけどさ」
女の子はため息をついてからボクを見る。
「それにしても、れんげをここまで張り切らせるなんて……ボク君、なかなかやるな」
「え?」
「ぼく、何にもしてないよ?」
「だよね」
もう一度ため息。
「まあ……こうなったれんげは止まらないし、付き合うしかないか」
切り替えが早い。
(先輩……巻き込まれるのに慣れすぎてる……)
蛍が何とも言えない表情になっていた。
* * *
駄菓子屋へ着くと、店先に一人の女の子がいた。
瓶入りのサイダーを一気に飲み干し――。
「ぷはぁーっ!」
満足そうに息を吐く。
「あー、生き返る!」
れんげちゃんが駆け寄った。
「なっつん! 新入りなん!!」
「おっ、れんちょん。新入り?」
女の子――夏海ちゃんがボクを見る。
「この子か?」
「そうなん!」
れんげちゃんが力説する。
「ぼくをボクと言って名前を言わないのん!」
「なるほど……」
夏海ちゃんは腕を組み、ボクをじっと観察した。
そして――。
「エクセントリックネーム!!」
「え?」
「れんちょん。この子の名前は『ボク』と言うのだよ」
夏海ちゃんが、びしっとボクを指差す。
「な? ボク!」
「うん。ぼくはボクだよ」
「ほら!」
「うそなん!」
れんげちゃんが食い下がった。
「名前には苗字もあるのん!!」
「れんちょん」
夏海ちゃんが急に真面目な顔になる。
「世の中にはな……苗字がない子もいるのだよ」
「そうなん!?」
「そこは触れてはいけないぜ」
「そうなん……?」
「そう!」
びしっ!
再び決めポーズ。
「れんちょんは物分かりがいい!」
「わかったん!」
(納得するんかい!!)
小鞠ちゃんが声には出さず、全力で突っ込んでいた。
「名前のことは納得したん」
れんげちゃんはボクに向き直る。
「ボクさん、ごめんなさい」
「うん。いいよ」
「でも!」
また指を差された。
「新入りは、ここでの掟を体に覚えないといけないん! なっつん、お願いします!」
「まーた、わけのわからんことを……」
夏海ちゃんは頭を掻いた。
けれど次の瞬間、何かを思いついたらしい。
口元がにやりと上がった。
「……ボク君とやら」
「なに?」
「君は、夏休みの自由研究をもう決めたのかな?」
「自由研究?」
そういえば、そんな宿題もあった。
「うーん……まだ決めてないけど」
「いかん!」
「えっ」
夏海ちゃんが立ち上がる。
「夏休みはあっという間だ! 決めてないと、素晴らしい研究はできない!」
「そうなの?」
「そこで!」
夏海ちゃんは胸を張った。
「夏海先輩が、君にお題を授けよう!」
「お題?」
「それを達成した暁には――」
声を潜める。
「この土地に隠された、とっておきの秘密を教えてあげよう」
「秘密?」
なんだろう。
昨日見つけた秘密基地みたいな場所だろうか。
それとも、もっとすごいものがあるんだろうか。
少し気になってきた。
「どんな秘密?」
「それは秘密だから秘密なのだ!」
「そっか」
「達成したら教えよう!」
「わかった!」
ボクは頷いた。
「どんなお題なの?」
「よくぞ聞いた!」
夏海ちゃんは、さっき飲み干したサイダー瓶を持ち上げる。
「一つ目は――これだ!」
瓶の口から王冠を外し、ボクの掌へ載せた。
金属製の小さな王冠。
表には、どこかの国の国旗が描かれている。
「ジェットサイダー?」
「そう!」
夏海ちゃんが店先に積まれた瓶を指差す。
「駄菓子屋が昭和に流行ったジェットサイダーの復刻版を見つけて入荷したのだ。そして、この王冠には全部で五十種類の絵柄がある!」
「五十……」
「これを全部集める!」
「全部?」
「実はね」
夏海ちゃんが少し気まずそうに頬を掻いた。
「うちが集めてて、コンプリート直前までいってたんだけど……母ちゃんに見つかってさ」
嫌な予感がした。
「『そんなガラクタ、いつまで取っとくんね!』って捨てられそうになって」
「うん」
「逃げた」
「うん」
「追いかけられた」
「うん」
「そしたら……」
夏海ちゃんが遠くを見る。
「あちこちに散らばった」
「…………」
「…………」
「それ、ぼくが集めるの?」
「自由研究とは困難を乗り越えてこそ価値がある!」
「夏海が散らかしただけじゃん」
小鞠ちゃんの冷静な一言が刺さった。
「細かいことは気にしない!」
夏海ちゃんは続ける。
「駄菓子屋に残ってたのが四本。今うちが一本飲んだから、まだ三本ある」
指を一本立てる。
「つまり――四十六個は、この辺のどこかに落ちている!」
「そんなに!?」
「道端!」
二本目。
「山!」
三本目。
「田んぼ!」
四本目。
「川!」
「川の中にもあるの!?」
「あるかもしれない!」
無茶苦茶だ。
でも――。
ちょっと面白そうだと思ってしまった。
「でも安心したまえ」
夏海ちゃんが得意げに笑う。
「散らばる前に、全部の王冠に蛍光塗料を塗っておいた!」
「なんで?」
「夜でも探せるように!」
「最初からなくす前提じゃん」
また小鞠ちゃんの一言が刺さる。
夏海ちゃんは聞こえなかったことにした。
「近くまで行けば光って見える! だから探せる!」
ボクは掌の王冠を裏返した。
そこには細かい文字が書いてある。
「でも……これが自由研究になるの?」
「なる!」
即答だった。
「王冠の裏を見てみ!」
「……国の名前と、何か書いてある」
「そう!」
夏海ちゃんが胸を張る。
「その国の特徴が書いてある。それを全部ノートに丸写しすれば――」
両腕を大きく広げた。
「世界五十か国研究の完成だ!!」
「丸写しじゃん」
「立派な資料調査です!」
「言い方変えただけじゃん」
小鞠ちゃん、強い。
「なるほどなん!」
れんげちゃんだけは感心していた。
「それでなっつん、王冠を集めていたん?」
「まあねー」
夏海ちゃんが得意げに鼻を鳴らす。
「でも、それだけじゃない!」
「まだあるの?」
「この王冠を持っているとな……」
夏海ちゃんが声を潜める。
ボクたちも自然と顔を寄せた。
「水の中に潜っていられる時間が――」
ごくり。
「長くなる!」
「えっ!」
「……ような気がする」
ずるっ!!
全員が盛大にずっこけた。
「気がするだけなん!?」
「そこは今後の研究課題です!」
夏海ちゃんは堂々と言い切った。
掌の上には、一枚の小さな王冠。
それがこの夏休みを大きく変えることになるなんて――。
この時のボクは、まだ知らなかった。