朝の駄菓子屋には、すでにいつもの面々が集まっていた。
そしてボクは今、夏海お姉ちゃんから途方もない試練を言い渡されている。
「というわけで!」
夏海お姉ちゃんが、びしっ、とボクを指さした。
「ジェットサイダーの王冠、全五十種類! これを集めきったら、ボク君を一人前と認めよう!」
「それ、ほとんど丸投げじゃない?」
「細かいことを気にしてはいけない!」
胸を張る夏海お姉ちゃん。
どうやら本気らしい。
「まあ、それが無理なら虫相撲でウチに挑んでもいいし、川釣りでウチ以上の釣果を叩き出してもいい! ウチに勝てるものがあるなら、どーん! と挑んできたらいいさ!」
どん、と自分の胸を叩く。
すごい自信だ。
「ボク君、夏海先輩は強いから、無理して勝とうなんて思わないでね」
蛍お姉ちゃんが心配そうに言う。
「そうそう。まぐれでも勝ったら夏海はしつこいから大変だよ」
小鞠お姉ちゃんまで続いた。
「ねーちゃん! なんて人聞きの悪いことを!」
夏海お姉ちゃんが抗議する。
「ウチ、負けた時は潔く負けを認めるよ! ちゃんとボク君にも秘密を教えるし!」
「どの口が言う!」
小鞠お姉ちゃんが立ち上がった。
「虫相撲で連続して負けた時、ザリガニ出してきたのはどこの誰だ! 私のカナブン返せぇぇぇ!!」
「え?」
何の話だろう。
蛍お姉ちゃんが、そっとボクの耳元に顔を寄せた。
「先週、小鞠先輩がすごく大きなカナブンを見つけたんです。それが夏海先輩の自慢のノコギリクワガタに勝っちゃって……」
「うん」
「夏海先輩、次の対戦相手にザリガニを出したんです」
「…………」
嫌な予感しかしない。
「それでカナブンは……」
蛍お姉ちゃんが目を伏せた。
「ザリガニの餌食に……」
「私のカナブーン!」
小鞠お姉ちゃんの悲痛な叫びが駄菓子屋に響き渡った。
なんだ、この村の虫相撲。
怖い。
すると、それまで黙って話を聞いていたれんげちゃんが、腕を組んで重々しく頷いた。
「虫相撲とはいえ、甲虫たちはウチたちが作り出したデスゲームに巻き込まれているのん」
「デスゲーム……」
「ひと夏の尊い犠牲は、ウチたちに大切なものを教えてくれているのな」
「じゃあ、やめようよ」
「それとこれとは別なん!」
れんげちゃんの顔が、ずいっと目の前まで迫ってきた。
「不幸な事故はあったけど、これは掟なん! 夏休みと虫相撲は切り離せない、この地に伝わる祭なん!」
「いつから祭になったの!?」
小鞠お姉ちゃんが泣きながら突っ込んでいた。
ボクは手のひらを見る。
そこには、昨日見つけたジェットサイダーの王冠。
《トンガ王国》。
五十種類のうち、まだほんの一つ。
「……わかったよ、れんげちゃん」
王冠をぎゅっと握りしめる。
「とりあえず、できることからやってみるよ」
こうしてボクの夏休みに、新しい目標ができた。
◇ ◇ ◇
朝ごはんを食べるため、ボクと蛍お姉ちゃんは一条家へ戻ることになった。
もちろん、ただ帰るだけじゃない。
道端や草むらを覗き込みながら、ジェットサイダーの王冠を探していく。
「それにしても夏海お姉ちゃん、王冠に蛍光塗料を塗ってたんだね」
ボクは茂みを掻き分けながら言った。
「お母さんに見つかるの、最初から想定してたのかな?」
「夏海先輩、そういうところだけはすごく勘がいいんです」
蛍お姉ちゃんが苦笑する。
「それ以外はだいたい見抜かれてますけど」
「ふーん……」
草を掻き分ける。
朝の日差しが茂みの奥へ差し込んだ、その時だった。
何かが、きらりと光った。
「あっ!」
しゃがみ込んで拾い上げる。
「蛍お姉ちゃん、あった!」
「本当!?」
土を払う。
昨日のスペインとは違う。
描かれている国旗を確認する。
「アルジェリアだ!」
二個目。
やった!
「ボク君、すごいね。この調子ならすぐ集まるかも」
「そうだといいけど……」
ボクは王冠をポケットへしまった。
「夏海お姉ちゃん、あちこち逃げ回ってなければいいんだけど」
「あー……」
蛍お姉ちゃんの表情が微妙になった。
「あの時のおばさん、ものすごく怒ってたから……夏海先輩、半日くらい追いかけ回されてたから」
「半日!?」
「川に飛び込んで泳いで逃げたりもしてました」
「……川?」
嫌な予感がした。
「じゃあ王冠、川にも落としてるの?」
「たぶん……」
「見つかるかなぁ……」
いきなり五十種類への道が険しくなった気がする。
「ボク君」
蛍お姉ちゃんが少し心配そうにボクを見る。
「無理しないでね」
「うん」
一学期からこの村で暮らし始めた蛍お姉ちゃんは、都会とは違う遊びをたくさん経験してきたらしい。
山。
川。
虫取り。
魚釣り。
東京ではなかなかできない遊びばかりだけど、同時に危ない場所も多い。
蛍お姉ちゃんは女の子だから、みんなもあまり無茶をさせなかったらしい。
でもボクは男の子だ。
夏海お姉ちゃんに目をつけられた以上――。
なんだか、とんでもない遊びに巻き込まれそうな気がする。
◇ ◇ ◇
一条家へ帰ると、おばちゃんが出迎えてくれた。
少し遅くなった朝ごはんを食べていると、おばちゃんが何か思い出したように手を叩いた。
「そうそう。ボク君って、機械が得意なんだって?」
「うん」
「じゃあ、これってわかる?」
そう言って持ってきたのは、一台の無線LANルーターだった。
「あ、これ?」
ボクは箸を置いて手に取る。
「できるよ。ボクの家のは全部ボクが設定したから」
「本当!?」
おばちゃんの顔がぱっと明るくなった。
「助かるわぁ。インターネットの契約まではしたんだけど、ルーターの設定っていうのがよくわからなくて。業者さんにも頼めるんだけど、この辺まで来てもらうと出張費が結構かかるのよ」
「でも、おばちゃん」
ボクは家の中を見回した。
「この家広いから、一台だけだと二階までちゃんと電波届かないかもしれないよ」
「あら。そうなの?」
「うん」
「同じの、もう一台あるんだけど……」
おばちゃんが押し入れから同じ形のルーターを取り出してきた。
「二台あったら何とかなる?」
「ちょっと見せて」
側面を確認する。
切り替えスイッチがある。
これなら――。
「うん、できるよ。こっちをブリッジにして二階に置けば、二階でもネット使えるようになると思う」
「まあ!」
おばちゃんは嬉しそうに財布を取り出した。
「じゃあお願い。お駄賃も弾んじゃう!」
ボクの手のひらに置かれたのは――。
五百円玉。
「おおっ!」
輝いて見える。
「おばちゃん、ありがとう!」
夏休みに入って初めての収入だ。
五百円。
駄菓子ならいっぱい買える。
ボクは急いで朝ごはんを食べ終えると、ルーター二台を抱えて設定を始めた。
それからしばらくして。
一条家の通信環境は劇的に変わった。
一階と二階の両方で無線LANが使えるようになり、パソコン、タブレット、ゲーム機も次々とインターネットへ接続されていく。
そして何より大きかったのが携帯電話だった。
今まで電波状況の悪さに悩まされていたアプリも、無線LANにつなげば使える。
通話もできる。
動画も送れる。
蛍お姉ちゃんもさっそく東京の同級生とビデオ通話を始め、久しぶりに見る友達の顔に嬉しそうに笑っていた。
都会から離れたこの家に、ほんの少しだけ東京が戻ってきた。
そしてボクも――。
インターネットが使えるようになったことで、できることが一気に増えた。
「…………」
ボクは画面を見ながら、にやりと笑った。
さて。
何をしようかな。
◇ ◇ ◇
朝ごはんの後。
蛍お姉ちゃんにバスの乗り方を教えてもらったボクは、一人で学校へ向かった。
正確には学校ではない。
その裏に広がる山だ。
蛍お姉ちゃんから借りた虫取り網。
虫かご。
水筒。
目的は三つ。
虫相撲で使えそうな甲虫探し。
ジェットサイダーの王冠探し。
それから今後の昆虫採集や釣りに使えそうな場所の確認。
完璧な計画だと思った。
……思ったんだけど。
「いないなぁ……」
木を一本ずつ調べながら山道を歩く。
甲虫なんて全然見つからない。
「うーん。虫の見つけ方、夏海お姉ちゃんに聞いとけばよかった」
蝉時雨の中を歩き続ける。
暑い。
汗が止まらない。
それにしても、田舎の夏は音まで東京と違う。
ボクの住んでいた町では、ジージー鳴くアブラゼミや、シャワシャワとうるさいクマゼミばかりだった。
でもここでは、ミンミンゼミの声が山中から降り注いでくる。
夕方になれば、ヒグラシがカナカナカナカナと鳴く。
さらにツクツクボウシまで加わって、一日の暑さが終わることを教えてくれる。
昨日初めて聞いた時から、ボクはその音が気に入っていた。
――これが田舎の夏なんだ。
そんなことを考えながら歩いていると。
「あっ!」
山の一角に畑を見つけた。
その脇に、刈り取った草が積み上げられている。
「もしかして……」
駆け寄る。
虫取り網を置き、枯れ草を少しずつ掘り返していく。
すると――。
いた。
白くて大きな幼虫。
一匹。
二匹。
さらに三匹、四匹。
「やったぁ!」
何の幼虫かまではわからない。
でも、この大きさなら甲虫の仲間だと思う。
「もうすぐ大人になるかな?」
枯れ草と一緒に四匹を虫かごへ移す。
何が羽化するんだろう。
カブトムシだったらいいな。
もしかしたら、すごく強い虫になるかもしれない。
だけど、虫相撲にはまだ使えない。
即戦力も探さなければ。
ボクは再び虫取り網を手にして、山の奥へ向かった。
◇ ◇ ◇
午前中いっぱい山を歩き回った結果――。
「ノコギリクワガタ、一匹だけかぁ……」
木陰に座ったボクは虫かごを覗き込んだ。
小さなノコギリクワガタが一匹。
戦力としては、なんとも頼りない。
「まだ小さいしなぁ。これからもっと大きくなるのかな?」
そんなわけはないような気もするけど、よくわからない。
「駄菓子屋に寄って、成長させる栄養剤とかないか聞いてみよう」
おばちゃんが持たせてくれたおにぎりを頬張る。
「んぐ……おいしい」
午後は川を調べよう。
学校の裏を流れる川は浅い場所が多く、ここから見た限りでは大きな魚はいそうにない。
でも釣り餌に使えそうな生き物は捕れるかもしれない。
それに――。
夏海お姉ちゃんが逃走中に落としたというジェットサイダーの王冠。
川の中にもある可能性が高い。
虫取り。
王冠探し。
釣り場探し。
忙しい夏休みになりそうだ。
そんなことを考えながら、二個目のおにぎりに手を伸ばした時だった。
「おっ。きみが、ひかげの言ってたボク君かいー?」
「ん?」
振り返る。
そこに一人の女の人が立っていた。
「こんにちはー」
「あ、こんにちは」
のんびりした人だ。
「ひかげお姉ちゃんを知ってるの?」
「まーねー」
女の人は笑った。
「私は宮内一穂。ひかげのお姉ちゃんで、ここの学校の先生をやってるんだよ」
「先生?」
思わずじっと見る。
「なんか先生っぽくないね」
「あっはっはっは!」
一穂先生は豪快に笑った。
「私もそう思うよー」
「自分で言うんだ」
「だってさー、こんなところにわざわざ先生として来てくれる人、なかなかいないからねー」
一穂先生は頭の後ろで手を組む。
「大学で教員免許取ったら授業料の免除もあるって話だったから、なんとなーくそっちに進んじゃったんだよ」
「なんとなくで先生になったの?」
「人生なんて案外そんなものだよー」
すごいことを言っている気がする。
「本当は理系だったから、研究職とかもやってみたかったんだけどねー」
「そっちはもっと向いてなさそう」
「…………」
一穂先生の笑顔が止まった。
「初対面でここまで言うとはねー」
がくっと肩を落とす。
あ。
ちょっと言いすぎたかもしれない。
それでも一穂先生は怒らなかった。
「まあいいや。それより、山に入るなら気をつけるんだよー」
「うん」
「今日は暑いからね。熱中症にならないように、水はちゃんと飲むこと。あと、知らない場所に一人で入りすぎないこと」
「はーい」
「よろしい」
一穂先生はひらひらと手を振った。
「じゃあねー、ボク君」
「うん。またね、一穂先生」
そのまま学校の方へ戻っていく。
たぶん、校舎から山にいるボクを見つけて、わざわざ様子を見に来てくれたんだろう。
……先生っぽくない、なんて言ったけど。
ちゃんと先生なんだ。
「向いてないは、言いすぎたかな……」
ボクは頭を掻いた。
遠ざかっていく一穂先生の背中へ、小さく頭を下げる。
「ごめんなさい」
蝉の声にかき消されて、もちろん先生には届かなかった。
虫かごの中では、小さなノコギリクワガタがもぞもぞと動いている。
ジェットサイダーの王冠は二個。
虫相撲の戦力は一匹。
謎の幼虫が四匹。
そしてポケットには、今日稼いだ五百円玉。
まだ八月二日の午前中。
ボクの夏休みは――。
始まったばかりだった。