「あーあ……散々な目にあったー。結局、ストームジェットは山に帰っちゃったし……」
夏海が肩を落とし、とぼとぼと駄菓子屋へ向かって歩いている。
問題は――その騒動の裏で、とんでもない被害を受けた人が一人いたことだった。
「私なんて……カマキリも……カナブンも……」
「小鞠先輩、元気出してください……」
本気で泣いている中学二年生を、小学五年生の蛍お姉ちゃんが慰めている。
なんだろう。
ものすごくシュールな光景だった。
「ねーちゃん、ごめんってばー。あたしのカゴに入りきらなかったから、ちょっとお邪魔させただけなんだって」
「だからって……勝手にザリガニ入れるなんて……」
小鞠お姉ちゃんは、もう怒る気力すら残っていないらしい。
大切に集めていた虫たちの中へ、夏海お姉ちゃんがザリガニを放り込んだ結果――。
あとは思い出したくない。
「夏海先輩」
蛍お姉ちゃんが少し厳しい顔をする。
「せめて小鞠先輩が気に入りそうなカナブンとかカマキリを見つけたら、代わりに捕まえてあげませんか? さすがに小鞠先輩が気の毒すぎます」
「うっ……はい」
さすがの夏海お姉ちゃんも反論できなかった。
もう一度、小鞠お姉ちゃんに頭を下げる。
これで一応の決着がつき、ぼくたち四人は駄菓子屋へ向かうことになった。
ちなみに、れんげちゃんとほのかちゃんは「二人で遊びに行くん!」と言って別行動中だ。
そして駄菓子屋へ着くと――。
「あっ! 卓先輩に、このみさん!」
蛍お姉ちゃんが声を上げた。
店先には夏海お姉ちゃんと小鞠お姉ちゃんのお兄さん――越谷卓先輩と、近所に住んでいる高校生の女の人がいた。
卓先輩は虫取り網を持ち、その女の人は大きな虫カゴを抱えている。
「…………」
卓先輩は、いつも通り何も言わない。
「おーい! みんな、やっほー!」
女の人が手を振ると、店の中からひかげお姉ちゃんまで出てきた。
「おー、みんな来たか」
「あれー? みんなどうしたん?」
夏海お姉ちゃんが不思議そうに近寄る。
その瞬間――。
ゴン。
「いたっ!」
ひかげお姉ちゃんの手刀が、夏海お姉ちゃんの頭へ落ちた。
「な、何すんのさ、ひか姉!」
「お前のせいだ。小鞠を泣かすから、このみちゃんに連絡してメガネ君を連れ出して、代わりの虫を探させてたんだよ」
「そうだよー、夏海ちゃん」
このみと呼ばれた女の人が、にこにこと笑う。
「小鞠ちゃんがあまりにも不憫だったから、メガネくんに事情を説明して、すぐ探してもらったんだよ」
「…………」
キラン。
卓先輩のメガネが光った。
なんか、ちょっとカッコいい。
そして、このみお姉さんが持っていた虫カゴを小鞠お姉ちゃんへ差し出す。
「はい、小鞠ちゃん」
「え……?」
ぼくも横から覗き込んで――驚いた。
「わっ! すごいや!」
中にはカナブン、カマキリ、甲虫――いろんな虫が入っている。
夏海お姉ちゃんが集めていた数より、ずっと多い。
「お兄ちゃん……私のために探してくれたの?」
「…………」
卓先輩が、こくんと頷く。
「ありがと、お兄ちゃーん!」
小鞠お姉ちゃんが嬉しそうに抱きついた。
卓先輩は何も言わず、妹の頭を優しく撫でる。
……やっぱり、カッコいい。
「あー! ずるーい!」
その光景を見ていた夏海お姉ちゃんが、すぐに割り込んだ。
「ねえねえ、すぐるお兄ちゃん♪ 私にも何かちょうだーい。ねえーってばー」
「夏海ちゃん?」
このみお姉さんが笑った。
笑顔だった。
声も穏やかだった。
なのに――。
なんだろう。
ものすごい迫力を感じる。
「……はい」
夏海お姉ちゃんが、一瞬で大人しくなった。
この人、強い。
たぶんこの村では、逆らってはいけない人の一人だ。
「おー、ボク君」
今度はひかげお姉ちゃんがぼくのところへ来て、ぽん、と頭に手を置いた。
「三日ぶりだけど、こっちには慣れた?」
「うん! すごく楽しいところだね。みんな面白いし、毎日あっという間に終わっちゃうよ!」
「そっかそっか。それはよかった」
にやり、と笑う。
そして、ひかげお姉ちゃんは少しかがんで、ぼくだけに聞こえる声で囁いた。
「……そうそう。れんげが『ボク君と結婚するん!』とか言ってたけど……なんかあった?」
「…………」
ぼくは少し考えた。
「……できましたら、黙秘でお願いします」
ぺこり。
「なんだそりゃ」
ひかげお姉ちゃんが笑った。
「まあ、よく分からんけどさ。れんげは一回決めるとしつこいタイプだから、絡まれたボク君は大変だと思うよ。まあ頑張んなー」
ぽんぽん、と肩を叩き、そのまま店の中へ入っていく。
……何を頑張ればいいんだろう。
「君が噂のボク君だね?」
さっきの女の人が、今度はぼくの前へやってきた。
「こんにちはー。私は富士宮このみでーす」
「こんにちは! このみお姉さんは、いつもみんなと一緒じゃないの?」
「私は高校生だからね。部活とかもあるし、いつも一緒に遊んでるわけじゃないんだ」
「そうなんだ。じゃあ、このみお姉さんと遊べる日はレアなんだね」
「おははは! 面白い言い方するねー!」
このみお姉さんは片膝をつくと、楽しそうにぼくの頭を撫でた。
「元気な男の子でよろしい! この辺じゃ男の子って卓君くらいなんだけど、あの通り無口だからねえ」
ちらっ。
「…………」
卓先輩は無言だった。
「ちゃんと喋る男の子って新鮮だなあ。やっぱり男の子もかわいいねー」
わしゃわしゃと撫でられる。
「ところで、なんでみんな駄菓子屋さんに集まってるの?」
「ああ、それね」
このみお姉さんが店先のベンチを指差した。
そこには携帯電話が置かれている。
「私とひかげは携帯持ってるんだけど、この辺ってほとんど圏外なんだよね」
見ると、確かに電波が入っていない。
「でも最近、この駄菓子屋が無線LANを導入したから、ここに来ればネットが使えるようになったんだ」
「へ、へえー……」
「ひかげは東京の高校に通ってるから、さっきまでアプリ電話で友達と宿題を見せ合ってたんだよ」
「便利だね!」
「便利なんだけどさー」
このみお姉さんが苦笑した。
「楓さん、最近商売上手になっちゃって。ここで買い物しないと使わせてもらえないんだよね」
「…………」
「しかもパスワードは毎日変わるし、一定時間経つと接続まで切れちゃうの。また使いたかったら買い物しなきゃいけないし……」
「…………」
「誰の入れ知恵なんだか」
「ぎくっ」
ぼくの背中に、冷たい汗が流れた。
――それ、ぼくです。
頭の中に、昨日の出来事が蘇ってきた。
* * *
「じゃあ、お菓子を買ってくれた人だけ無線LANを使えるようにすれば、売り上げが安定しない?」
「そんなことできるのか?」
楓お姉ちゃんが目を丸くした。
「無線LANの機械はあるんだけど、設定が分からなくてな。パソコンもこれ一台しかないし、ずっと押し入れで眠ってるぞ」
「できるよ!」
ぼくは機械を確認する。
「まず、楓お姉ちゃんが普段使っているネットワークと、お客さん用のネットワークを分けるんだ。お客さん用はインターネットに出るだけにして、駄菓子屋のパソコンや設定画面には入れないようにする。もし誰かが変な操作をしても、店の機械まで触られないようにするためだよ」
「…………」
楓お姉ちゃんが難しい顔をした。
「言ってることがさっぱり分からん」
「えー」
「だが!」
がしっ、と肩を掴まれた。
「駄菓子屋の経営改善には、君の力が必要だ!」
「えっ」
「ぜひ頼む! 上手くいったら特別待遇を用意しよう!」
「ほんと!?」
「おう!」
「じゃあ任せてよ!」
ぼくは機械の設定画面を開き、店用と来客用の無線を別々に設定した。来客用には新しい名前を付け、暗号化も有効にする。誰でも勝手に接続できる状態にしてしまうと、近所の人がただ乗りしたり、知らない機械から不正な通信をされたりするかもしれないからだ。
さらに、接続した端末ごとに利用時間を記録し、一定時間が経つと自動的に通信を止める仕組みを作った。利用者が増えすぎて回線が遅くならないよう、同時に接続できる台数にも上限を設定する。
パスワードは毎日新しいものに変更し、楓お姉ちゃんが店で買い物をした人へ、その日の分だけ教える。買い物をした人が同じ日に何度も使えるよう、端末ごとの利用時間を管理することにした。
「これで、店のネットワークには入れず、インターネットだけ使えるようになったよ。時間が来たら自動で切れるし、次の日は新しいパスワードが必要になるんだ」
「なるほど……つまり、買い物をしないと使えず、使いすぎても駄目ってことだな」
「うん。あと、知らない人が外から設定を変えられないように、管理画面のパスワードも変えておいたよ。楓お姉ちゃん以外には教えないでね」
「分かった!」
楓お姉ちゃんは大きく頷いた。
「これなら、駄菓子屋に来た人だけが安心して使えるな!」
「そうそう。電波が届く範囲も店の周りだけにして、外まで広がりすぎないように調整したから、村中どこでも使えるわけじゃないよ」
「それは助かる。ここで買い物をした人へのサービスって感じになるからな!」
* * *
――そして現在。
ぼくは恐る恐る店の奥を見る。
楓お姉ちゃんと目が合った。
「…………」
にこっ。
笑っている。
とても穏やかな笑顔だった。
だけどぼくには、その目がはっきりと語っているように見えた。
――余計なことは言うな。
――待遇なしにするぞ。
「…………」
ぼくは静かに視線を逸らした。
考えてみれば当然だ。
ぼくが設定方法を教えたと知られれば、富士宮家、越谷家、宮内家にも無線LANが導入されるかもしれない。
そうなったら――。
駄菓子屋へ来なくても、ネットが使える。
つまり。
楓お姉ちゃんが、ようやく手に入れた新しい収入源が消える。
ぼくは気づいてしまった。
もしかしてぼく――。
一番、商売を教えてはいけない人に知恵を与えてしまったんじゃ……。
「どうしたの、ボク君?」
蛍お姉ちゃんが心配そうに顔を覗き込んだ。
「顔色、悪いよ?」
「蛍お姉ちゃん……」
「うん?」
ぼくは小声でお願いした。
「ぼくが機械に強いこと……周りには言わないでね」
「え……?」
蛍お姉ちゃんは戸惑ったものの、ぼくの顔を見て何かを察してくれたらしい。
「う、うん。分かったよ」
理由を聞かない。
その優しさが、今はとてもありがたかった。
その時だった。
「みんなー!」
楓お姉ちゃんが大きな声を上げる。
「今日は私からの奢りだ! 楓特製のお好み焼き、食っていってくれ!」
「ええっ!?」
紙皿に乗ったお好み焼き。
しかも一人一枚。
さらにオレンジジュースまで付いている。
その場にいた全員へ、次々と配られていった。
「……阿漕な商売の駄菓子屋がサービス?」
夏海お姉ちゃんが怪訝そうな顔をする。
「嬉しいけどさあ……明日みんなで海水浴に行くんだよ? 天気が心配になってきた」
「お前は食うな」
楓お姉ちゃんが店の外を指差した。
「帰れ」
「楓お姉様のご厚意、謹んで頂戴いたします!」
夏海お姉ちゃんは一瞬で態度を変えた。
「みんなも感謝して食すように!」
紙皿を両手で礼儀正しく受け取る。
……この人も強い。
そして、ぼくの番になった。
「ほら」
「ありがとう、楓お姉ちゃん!」
お好み焼きを受け取る。
すると楓お姉ちゃんが、ぼくにだけ聞こえる声で言った。
「次も、いい案を楽しみにしてるぞ」
「…………」
にこっ。
その笑顔を見た瞬間――。
ぼくの楽しい夏休みが、少しだけ凍りついた。