東方狡兎録   作:真紀奈

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オオクニヌシ

 声を掛けられた「彼」はもう状況からして相手がオオナムチであると半ば確信していたが、一応誰何(すいか)の声を上げた。

 海水を浴びせられて痛む傷口に、更に追い討ちを掛けられる可能性も無いとは言えない。

 しかし青年は過たずオオナムチその人であった。

 大勢の傷付いた兎達に驚きながらも手早く薬を練り、癒して行く。

 兎達が備蓄していた薬草を島から持って来ていたのも功を奏し、順次立ち直った兎と協力しながら、全ての兎を癒すのに然程(さほど)の時間は要さなかった。

 

 兎の頭領である「彼」は告げる。

「御助力ありがとうございます。慈愛の心を持つ貴方様は、必ずや成功するでしょう」と。

 

 その時不思議な事が起こった。

「彼」の体から白い靄が立ち上り、オオナムチを包んだかと思うと消える。

 同時に「彼」は己の「人間を幸運にする程度の能力」を理解した。とすると、今のオオナムチは未だ神ではなく人間であるらしい。

 オオナムチにはこの後様々な困難が降り掛かるだろう。この幸運を以て乗り越えて貰えれば重畳である。

 

「それでは、幸運を祈ります」

 

 重ねて能力を行使し、兎達を引き連れた「彼」は海岸を後にした。

 

 ー*ー*ー

 

 あれから幾年月が過ぎ、「彼」と眷属の兎達は新たな地で再びの繁栄を享受(きょうじゅ)していた。

「彼」は未だに健在である。兎として生を受けてから二百年程経つが、死ぬどころか体力気力の衰えすら見られない。他の兎達は遅くはあるが老い始めているので、恐らくは能力に目覚めた事が関係していると思われた。

 

 此処は因幡の国であると、周辺に住む人間から聞いていた。人間達は高度な文明を発達させており、「彼」の知る古代人とはかなり違っているのだが、神代ならそういう事もあるのだろうと無理矢理納得する事にした。

 人間達が既に農耕や牧畜を行っているのは奇妙ではあるが、兎達が狩りの対象にならず都合が良い。

 都合が良い事なら多少おかしな事であっても気にしない方が良いのだ。

 兎の集団は、栽培した薬草を人間達に譲る対価に野菜を貰い、文化度を向上させた。

 

 人間達からの噂で出雲で新たな王が即位したと聞いた「彼」は、出雲へ行ってみる事にした。

 因幡にある兎の村は眷属に任せ、旅支度をする。旅支度と言っても小さな兎一匹であるから、怪我に備え効果の高い薬草を幾らか持ち出す程度だ。食料は其の辺に生えている草で事足りるだろう。

 数十年ぶりの遠出に少し高揚しながら、「彼」は村を後にした。

 

 ー*ー*ー

 

 因幡から出雲までの旅路は思いの外短く、特に急がずとも3日で着いてしまった。

 久しぶりの遠出の心算(つもり)があっさり終わってしまい拍子抜けではあるが、「彼」は目的を忘れず新たな王に会いに向かった。

 巨大な鳥居の向こうに見える、これまた巨大な階段に些か気後れするが、密かに気合を入れて鳥居をくぐる。

 階段の手前で衛兵に止められたので、因幡で昔会った兎であると告げると、暫し確認を取った上で本殿に通された。

 

 其処で待っていた王は、年を取って風貌が変わっているが、オオナムチであった。

 やはり今はオオクニヌシと名を変えているらしいが、随分前に一度会ったきりの兎の事をちゃんと覚えていてくれたようだった。

 聞けば幾多の試練の間にも何度か望外の幸運を得られて切り抜けた事があり、兎の祝福の御蔭だと感謝していると言う。

「彼」からすると其処まで大した事をした訳ではなく面映ゆい心地を覚えたが、恩返しをしたいと言われて尚固辞する程に無欲でもない。

 とは言え兎の身で金銀財宝を頂いても意味は無く、何を要求しようかと考え込んだ「彼」は、数分後に考えが纏まったのか声を上げた。

 

「私は因幡で眷属達と共に暮らしているのですが、村がオオクニヌシ様の庇護下にあると宣言して頂けますか」と。

 

 王は提案を快諾し、当日より兎の村は「ダイコク村」と称され、オオクニヌシの直轄地となった。

 兎達は皆感謝し、祭では必ずオオクニヌシを讃える唄を歌った。


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