「彼」が「因幡てゐ」となってからも、随分と長い事ダイコク村に異変は無かった。
今まで通り薬草園を世話し、野菜と交換しながら健康に気を使って兎一同平穏な日々を何百年も過ごしていた。
差し迫った必要性が無ければ、多少不便でも何事も無い生活を変革しようとは思わないのだ。
その点では、かつて薬草園を創始したり海を渡ったりしたてゐの行動は、兎としては異端であったと言える。
しかし人間達はそうではない。
遥か以前から古代にしては高度な技術を発展させていたが、近頃は人間の都市には高層ビルが林立し、都市を結ぶ舗装道路も出来ている。実験段階ではあるが、飛行機やロケットの構想もあると言う。
どう考えても時代が合わないのだが、てゐの中でこの件については「きっと私が知っている過去の日本とは違う別の日本なのだ」という風にとっくに整理が付いている。
因幡の素兎が沢山仲間を連れて渡海したり、妖怪化したり等という話も聞いた事が無かったし、数ある差異の一つでしか無いのだろう。
オオクニヌシの住まう神殿こそ変わり無い姿だが、それを取り巻く都市は最早てゐの前世の記憶にある西暦2000年頃の東京と比べても遜色無い程だ。
そんな出雲に、今日は遠方よりの使者が来ていると言う。
たまたま出雲の別宅に滞在していたてゐは、オオクニヌシに呼び出され直々にその話を聞いた。
兎達を束ねる長だとは言っても、日々何も変わらない生活を送るダイコク村にそんなに仕事がある訳も無い。更にこの数百年の間に妖力を帯び人化出来るようになった兎も増えて来た為、てゐが常に村に居る必要は無いのだ。
遠方よりの使者というのは、最近高千穂から大和に大勢で移り住んだ集団からであるらしい。
近隣を制圧し安定した基盤を固めた彼らは、オオクニヌシの治める出雲にも服属を求めて来た。
使者たるタケミカヅチは兵を引き連れており、武装を見る限り徹底抗戦すれば暫くは持ち堪えるものの被害は大きく、いずれは押し切られそうだとの見立てだ。
同席している神奈子は恫喝するような態度に
てゐにも異論は無い。オオクニヌシの身に害が及ぶのであれば心配するが、引退すれば害さないのならおとなしく従うのも良いだろう。前世で知っていた展開でもあり、諦めが早かった。
結局オオクニヌシは神奈子の反対を押し切り服属を決めた。
ー*ー*ー
翌日、オオクニヌシの
一応服属に納得はしたものの、無礼な態度に対する憤りが収まらず、こうして一人で文句を言いに来たのである。
一方でタケミカヅチも簡単に折れる訳には行かない。
別に彼本人の性格が悪い故の態度ではなく、本国から常に上位者として振舞えと命じられていたからこその不遜な態度だった。
勿論それを包み隠さず言う訳も無く、言い合いは平行線を辿り、遂に激発した神奈子は一対一の決闘を申し込んだ。主君にして父親でもあるオオクニヌシを
条件は以下の通りである。
タケミカヅチが負けた場合、オオクニヌシへの今までの態度を謝罪し、以後改める。
神奈子が負けた場合、出雲を退去した上で大和に従い、大和の軍神として働く。
その後近くの平野で始まった決闘は、十日に渡って続く激戦となった。
神奈子が膨大な弾幕を放ち、
お互い決定打が無く同じ展開を続けつつも、情勢はやがて段々とタケミカヅチに傾いて行った。
神奈子の攻撃には多大な神力を消費し、タケミカヅチの迎撃には然程の神力を要さない。
傍から見れば神奈子が一方的に攻撃し続けているようであっても、タケミカヅチの勝利が刻々と近付いていた。
当然、それは神奈子も判っていた。神力が尽きて接近を許す前に、大勝負に出る。
弾幕による牽制を維持したまま、御柱による攻撃を一時停止し、上空に並べた神奈子は、残った神力を振り絞り御柱に込めた。
時を置かず全ての御柱から発射された極大の砲撃が、或いは回避され、或いは神剣で切り裂かれ、幾らかは負傷を増やせたものの見事に耐え切られた所で、神奈子は負けを認めた。
少しすっきりしたような顔で戦場を後にする神奈子に、タケミカヅチは思わず声を掛けていた。
「良い闘いだった。大和に行っても軍神として活躍出来るだろう。御父上への態度については、職務とは言え俺も済まなかったと思っている」
神奈子は少しの間立ち止まったが、振り返る事も無く小さく「ありがとう」と一言残し立ち去った。