再び元のように西日本にも人間が根付き、古墳時代に戻った文明をもう一度発展させ始めたが、てゐへの信仰がすぐに戻る事は無かった。
元より何か加護を与えたり災害を起こしたりして得た信仰ではなく非常に長く同じ姿で此の地に居る事が生んだ信仰であるから、最近やって来た人間が同様の信仰をする訳も無い。
オオクニヌシの眷属として神格を持っている事に変わりは無いのだが、信仰を失った神は弱い。純粋な神であればとっくに消滅するか「鬼」に変異している所だが、神に「なった」モノは信仰を失っても存在が揺らぐ事は無いので、力は失ったものの無事であった。
幾ら時が過ぎても変わらない暮らしを続けるダイコク村はまるで時が止まったようであったが、或る時薬草の採集経路の途中に、兎達がどうやっても入れない空間が現れた。
一見すると何も無いのだが、一歩踏み込んだ次の瞬間には先程まで居た場所とは全く別の場所に飛ばされているのだと言う。現地に案内させ、てゐが入ろうとしても同じ事が起こった。
兎達に突入させて何度か試した所、入り込めない空間は円状に広がっており、飛ばされる場所もその円の上にある事が解った。更に不思議な事に、消えた兎は瞬時に移動するのではなく、距離に応じてそれなりの時間が経ってから忽然と現れた。どうやら不可視の空間を無意識で歩かされているのではないか、とてゐは仮説を立てた。
紛う方無き異常事態であるが、てゐはこれを放置する事に決めた。
てゐの眼にも何も無いように見える以上、
触らぬ神に祟り無し、との言葉が冗談ではないかもしれない。円の中心に格上の神が居る可能性も十分にあるのだ。神でないとしても格上である事に違いはあるまい。
事によると「境界の妖怪」の仕業かもしれない、と以前聞いた名が思い出された。
ー*ー*ー
事態が動いたのは暫く経って、近隣の妖怪達がざわざわと落ち着かない動きをしていたと思えばどこかに消えて行くという、別の謎の事件が起こった後だった。
この頃になると打ち捨てられていた「白兎大明神」の社が再建され、
所々揺らめいて不安定になっている結界に、てゐは意を決して干渉を始めた。恐ろしい目に遭うかもしれないが、結界が不安定になっている今こそ接触を図るべきだろう。
結界は戦闘より特異な分野とは言え、干渉は困難を極めた。長く近くに居て手は出さずとも観察を続けたてゐですら困難なのだから、何も知らない者が侵入するのは事実上不可能だ。ところがその日の内にてゐは侵入に成功した。好条件を加味しても、知恵と思考を司るオモイカネの張った結界を一日足らずで破ったのは称賛に値するだろう。
とは言え流石に結界を破った上でその事実を隠蔽することまでは出来なかったので、押っ取り刀で駆け付けたオモイカネの前に立ち尽くす事となった。
てゐはオモイカネの顔を知らないが、眼の前の神が最上級神の一柱である事は察せられる。
――藪を突いたら
てゐは絶賛混乱中であるが、一方でオモイカネも状況が解らず少し混乱していた。
現在結界が揺らいでいるのは、地上の妖怪が
今結界に侵入して来たのは兎である。月で開発された玉兎とは風貌が違うが、或いは地上での活動の為に作られた新型か、と考えた辺りで、オモイカネはその兎に神力がある事に気付いた。
あの時地上に残った神か、その後に生まれた新しい神。
ならば月の意向を受けてはいない筈だ。
一足先に落ち着いたオモイカネは兎に、此の地の土地神なのかと問う。
問われたてゐとしては自身が土地神という意識は無かったが、考えてみればオオクニヌシに保護され此の地を長年守っている神に相違無い。その通りであると答えた。
「今まで勝手に住んでいた事を謝罪するわ。その上で不躾な御願いだけど、今後も私達を此処に置いて欲しい。今までの分も含めて対価は支払わせて貰う。詳しい事情までは話せないけれど、私達は追われていて、結界を張り続ける必要があるの」
上位の神に譲歩されては
物品は要らない。知識は欲しい。権力は要らない。防衛力は欲しい。
考えた末、てゐが要求したのは「薬草の知識」と「ダイコク村の防衛」である。
図らずもそれはオモイカネにとっては簡単なことであった。「あらゆる薬を作る程度の能力」と高度な結界術を以てすればどちらも容易い。
こうして盟約は為され、ダイコク村は結界の内側に入る事になった。
目眩ましに周辺に竹を植えて、迷ったのか結界に弾かれたのか区別が付かなくさせれば、此処には決して辿り着けない。何処を見ても同じような竹が方向感覚を狂わせ、陽射しを遮り時間感覚も失わせる為、迷わされた人妖は結界の存在に気付く事すら出来ないだろう。
そして最後になってお互い自己紹介すらしていない事に気付いた。
「私は出雲のオオクニヌシ様の眷属の因幡てゐ。妖獣上がりの土地神です」
「私は元の名を伏せて
まだ完全に信用された訳ではないな、当たり前かと内心で考えながらも変に拘らず引き下がり、新たな隣人との第一次遭遇は平和裏に終わった。