東方狡兎録   作:真紀奈

9 / 13
加護

 新たな隣人が増えてから一年の間は、先日までの平穏が嘘のような慌しさだった。

 結界の拡大や竹の植林に、互いの腹の探り合いもあり、例年の十倍は忙しかったかもしれない。何せ例年はその辺に生えている健康に良さそうな草を選んで食べ、気が向いたら薬草を集め貯めておき、時には妖力や神力の修練をして、襲撃を受けたら追い払う程度しかしていない。

 (ちな)みに食べ残した健康に良くなさそうな草は兎以外の連中が食べる。

 てゐは兎以外の健康には興味が無かった。

 

 作業の間に隠されていた屋敷「永遠亭」に通う事もあり、「姫」を見る機会も幾度かあった。

 これぞ日本の姫といった風情で、黒く美しい髪を長く伸ばし、何枚もの煌びやかな着物を儚げな身に(まと)っている。容貌も知らず溜め息が(こぼ)れる程美しく、絶世の美女という評がこれほど相応(ふさわ)しい者は他に居るまいと思えた。

 尚、てゐの兎に対する美的感覚は雄兎に捧げられているが、人間の姿をした者に対しては今でも女性的な風貌に魅力を感じる。もう随分と長く生きて今更、それも他種族相手の恋に身を焦がす事も考えにくい身の上であるから、今後宗旨替えする事もなさそうだ。

 

 さてそのような絶世の美女である「姫」だが、姿を見掛けただけでまだ一度も会話を交わした事は無い。永琳が結界で隠し、同盟相手にも名を伏せる徹底した秘匿。「追われている」のが永琳ではなく「姫」である事は言わずと知れた。

 それにしては屋敷の中を立ち歩き、てゐに姿を見せた辺り本人は然程(さほど)危機感を覚えていないのかもしれない。或いは二人きりで隠れ潜む事に飽いていたのか。退屈は人を殺すと言うが、長命の者は只の人間よりも退屈に弱い。退屈は人外を特に念入りに殺す。

 

ー*ー*ー

 

 慌しい作業が一段落すれば、多少の刺激は増えたが概ね平穏な暮らしが戻って来た。

 てゐと妖獣の兎達は、盟約に従って永琳から薬の知識を授かる事になった。これまでは収集した薬草を症状に応じて食べたり傷に押し当てたりと薬草のまま使っていたが、てゐは調合して薬を作ればもっと大きな効果があると知っていた。前世の知識である。

 初回の講義の冒頭で、永琳は自らが「あらゆる薬を作る程度の能力」を持つ事を明かした。

 作業を通じて兎達と交流し、自分に関する情報は或る程度公開して良いと考えるに至ったのだ。てゐは未だ読み切れないものの、他の兎達は純粋で勤勉な良い兎である。まるで月面に居る玉兎のように思えたのが最後の一押しだっただろうか。

 まずは蓄えられた薬草で作れる初歩の薬から習って、次は目に付く薬草を何も考えず育てていた薬草園に手を入れる事になった。

 

 村の周辺は既に背の高い竹に覆われている。竹は元々成長が早いが、此処の竹は永琳の品種改良によって一日で風景を変える程に伸びる。一度通った道の判別が付かず、結界に踏み込めば無意識に彷徨って何処か別の場所に放り出されるのだから、自力で竹林を出る事は非常に困難だ。

 これでは結界は効かないとは言え兎も迷って帰れなくなってしまうので、てゐが全ての兎に帰り道に迷ったら偶然(・・)村に辿り着ける加護を与えた。神力は大きくないが神の端くれであるから、直接の眷属に永続的な加護を与えるくらいの事は出来るのだ。

 

ー*ー*ー

 

 新しい生活にも慣れて来て、てゐが一応薬師を名乗れる腕前を身に付けた頃、近くの人里で流行り病があった。知識だけでなく実地研修も必要だと考えていたので、てゐは永琳と相談して兎達を連れて病を治しに行く事にした。勿論対価は取らない。食糧は筍も取れるようになって間に合っているし、金銭を貰っても仕方がない。

 以後も辺りの人里で流行り病がある度に貴重な経験の機会だと出て行って対価無しに治すので、感謝した人々の信仰によって白兎大明神の加護に新たに「疾病快癒」が加わったのだが、てゐは永琳の講義の結果と勘違いした。

 てゐは兎以外の健康には興味が無いのだ。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。