「おやすみなさい、スペちゃん」
サイレンススズカがパジャマ姿に着替えてベッドに横になり、部屋の灯りを消して眠りに就こうかと言う時である。
突然同じ布団に入り込んできたスペシャルウィークにがしっと抱きしめられた。スズカのほっそりとした体に、パジャマの上からスペの柔らかい体の感触が押しつけられる。女性としては正直羨ましく思えるのと同時に、アスリートとしては「スペちゃん太り気味……?」と心配になってくる。
「スペちゃん!?」
「今日からこうして寝ることにしました!エアグルーヴさんにきつく言われたんです、スズカさん夜の間に抜け出して走りに行っちゃうから、私がきちんと見張ってるようにって!」
スズカは、ああ、と内心で心当たりがあった。
確かに本当だ。夜中につい走りに行きたくなってしまうと自分を止められないのも、それが本当はいけない事なのも、副会長のエアグルーヴがそれを阻止しなければならない立場である事も、何度も夜中にエアグルーヴと追いかけっこになった事も。それはつまり、エアグルーヴがスズカを心配して夜回りをしてくれているのであり、スズカはエアグルーヴに心労と負担を強いている事になる。「走りたい」というウマ娘の堪えがたい欲求、そのために親友にいらぬ苦労をさせている。しかしエアグルーヴは本来多忙な身で、毎晩の睡眠時間をスズカ一人のために削るわけにはいかなかった。かくして、同室のスペシャルウィークに見張り役が申しつけられたのである。
「わ、分かったわスペちゃん、今夜は外には出ないから、だからもう離して……」
「ダメです!こうしてないと、スズカさんすぐいなくなっちゃうんですから。今日という今日は、逃がしてあげません!!」
スペはちょっときつい顔をして凄んでみせる。それもやはり、スズカの体を案じての事だ。その想いは感謝して、受け入れなければならない。走りへの欲求は、朝まで我慢するのだ。
しかし、止められるとかえって大きくなるのが欲求というものである。スズカは早くも走りたくなってきてしまった。
「わ……分かったわ、今日は本当に、どこにも行かないから……」
「うふふっ。それじゃあ、おやすみなさい、スズカさん」
スペは部屋の灯りを消すと、またスズカに抱きついて目を閉じる。それはスズカを心配しているだけでなく、スズカに抱きついていられる事が嬉しそうな、幸せな寝顔だった。
このままスペちゃんが寝付いたらこっそり腕の中から抜け出して……と考えながら、スズカは時間が過ぎていくのを待った。脚はただ、「走りたい」とうずうずしていた。
「えへへへ……♡ もう食べられないよ~♡」
スペの寝言がスズカの耳元に届く。スペはもうすっかり夢の中のようだ。スズカはそろそろ抜け出してもバレなさそうだと考える。
だが、スペは寝入った事で抱きしめていた腕の力が抜けている代わりに、スズカに覆い被さるような体勢になっていた。これではますます脱出が難しくなっている。
「スズカさんもぉ……♡ はい、あぁ~ん……♡」
なんとか脱出しようと思っていたスズカは、そんなスペの寝言を聞いて苦笑した。どうやら、夢の中では二人で食事をしているところらしい。
そこは学食なのかしら? どこかに二人でデートに行く夢でも見てるのかしら? ひょっとして夢の中の私はスペちゃんと同じくらい食べてないかしら……?
そんな事を考えながら、幸せそうなスペの寝顔を見つめていると、次第に本当に眠気が強くなっていく。
「しょうがないわ、スペちゃん……。今日は一緒にいるわ……」
スズカはスペの体に手を回して、二人で抱きしめ合いながら眠りに落ちていった。スペの柔らかい体が、心地良い抱き枕になっていた。
「寝坊で遅刻とは珍しいなスズカ、スペシャルウィークはともかく。何かあったのか」
エアグルーヴは、今日はいつもと別の理由でスズカを問い質す事になってしまった。
スズカが昼まで寝ているとしたら、また夜中に走り回っていて疲れたというのが一番考えられる。だがそれはスペシャルウィークに止めてくれるよう頼んでおいたはずだ。それが一緒になって二人で昼まで寝ているとは、何と言う事か。
「その……スペちゃんが私を逃がさないって夜中に抱きついてきて……」
「なっ!?」
「あんまり気持ち良くて……。それで、気がついたらあんな時間まで寝ちゃってて……」
「なんだと!?」
少し頬を赤らめて言い訳をするスズカ。しかしエアグルーヴの耳には、全く違った意味で聞こえていた。その誤解を解くために、さらに時間が必要になった。