1-2.序章 その2
「遅くなりました……」
僕の手がドアノブに触れる寸前、扉がゆっくりと開いて部室に入ってこようとした人と鉢合わせになった。
「あっ、姫園さん」
「っ、佐井村くん。どこかに……行くのです?」
急に声をかけられて驚いた姫園さんは、大きな目を見開きながら僕に問いかけた。昼食を買いにコンビニに行こうとしていたことを伝えると、ズレてしまった赤いフレームの眼鏡の縁を指で掴んで整え、少し恥ずかしそうな表情を浮かべながら、少し大きめの包みを鞄から取り出した。
「お弁当を作りすぎちゃったので、良かったらどうぞ……」
「えっ、いいの!?」
「は、はい。お口に合うか、分かりませんけど……」
「いやいや、喜んで頂くよー。この暑い中コンビニまで行くのは酷だからさー」
僕は姫園さんにお礼を言って包みを受け取り、先ほど座っていたパイプ椅子の前にある机の上に置いて、早速頂くことにした。
「驫木くんも、どうです?」
「いや、僕はもう済ませてあるんだ。気にせずに食事を取ってくれればいい」
「そうですか……」
そんな姫園さんと斗馬のやりとりを耳にしながら、可愛らしい大きめのハンカチの結び目を解くと、綺麗な真っ赤の弁当箱が現れた。ぐぅぐぅと鳴り続ける腹部に答えるように弁当箱の蓋を開けると、中にはハムカツとレタスのサンドウィッチに、ちょこんとケチャップがのったオムレツ、ミックスベジタブルのマヨネーズソース和えがバランス良く、見栄えも完璧に詰められていた。
「うおー、めちゃくちゃ旨そうー!」
歓喜の声を上げながら、どこから手をつけようかと迷っていると、僕の向かい側に座って弁当箱を広げた姫園さんが、鞄の中から細長いプラスチックケースを取り出して開き、僕に渡してくれた。
「これを使ってください……」
「おぉっ、何から何までありがとねー、姫園さん」
「い、いえ……」
中に入っていたフォークを有り難くお借りして、まずはたこさんウインナーから頂くことにした。赤く着色されたウインナーならやっぱりこれだよね。懐かしい味笑みがこぼれそうになりながら、ゆっくりと噛んで味わった。
「え、えっと、お口に……合います?」
「うん。めちゃくちゃ美味しいよー。本当にありがとねー」
「い、いえ、よ、良かったです……」
僕はにっこりと笑いながら礼を言うと、姫園さんは何故か僕から顔を反らして俯いていた。
「ん……?」
急に気分でも悪くなったのかなと気になったので、顔を覗き込もうと椅子から立ち上がって身を乗り出すと、姫園さんは「あ、あの、え、えっと……」と言いながら慌てふためいていた。
「食事の時に立ち上がるのは行儀が悪いと思うのだが、竜」
「あー、ごめんごめん」
斗馬の注意に促されて、僕は静かに椅子に座った。姫園さんにも「ごめんね」と、片手を立てて謝ると、「いえ、大丈夫ですから……」と言ってくれた。
「後、もう少しだな」
「ん、何さ?」
「……いや、止しておこう。それくらいは自分で気づくべきだよ、竜」
「……何のこと?」
「…………」
斗馬は僕の顔を無言のジト目で睨んでいた。悪意はなさそうなのだけれど、何となく嫌な感じだったので顔を逸らして弁当へと向き直った。
「「……はぁ」」
斗馬と姫園さんのため息が調和するように合わさって聞こえた。仲が良い二人だなぁと思いながら、僕は気にせずに弁当の続きを頂くことに集中する。メインであるサンドイッチを掴んで頬張ると、ハムカツのジューシーさとソースの甘さが口いっぱいに広がり、何とも言えない心地良さを感じながら食を進めていく。オムレツをフォークで切り分けると、中からミンチ肉と細かく刻んだタマネギを炒めたものが入っていて、ふんわりとした卵の食感と合わさって、これも絶品だった。
「いやぁー、本当に美味しいよー。斗馬もちょっとだけ頂いたらいいのに」
「いや、僕はもうお腹がいっぱいだからね、竜」
「俺と同じように、食べそびれていたら良かったのに」
「次の機会があれば頂くことにするさ」
「そっか」
週に何度も顔を合わせる同じ部員だから、そういう機会も何度かあるだろう。それに、これだけ美味しい料理なら今後も食べられると嬉しいし。
「ホンと、これだけ旨く作れるんだから、姫園さんは良いお嫁さんになるよなー、斗馬」
「…………」
それとなく姫園さんへの世辞を含めた会話を斗馬に振ると、モニターに向けていた顔を無言のままこちらに向けて、唖然とした表情で僕を見つめていた。
「な、何……かな?」
「……鈍感とかそういうレベルではないと思うのだが、竜」
「……鈍感? 僕が?」
姫園さんへのお世辞を直接言うにはなんだか恥ずかしいので間接的に斗馬に振ったつもりなのに、鈍感と言われると訳が分からない。姫園さんなら分かるかなと思って振り向いてみると、顔から耳まで真っ赤に染めてリンゴ病患者みたいになっていた姫園さんは、フォークを片手にしたまま何故か固まっていた。
「おーい、姫園さーん」
大きく見開いた眼の前で手を振ってもまったく気づく様子もなく、僕は心配になったので姫園さんの両肩を掴んで前後に揺さぶった。ぐらぐらと頭が前後に動いて、頭を打った直後なら絶対にやっちゃいけないよねーと思いながら揺さぶり続けていると、急に眼に光が戻った姫園さんは、僕の顔と掴んでいた両肩の手を交互に見て「あ、あわわわわ……」と声を上げた。
「気絶してみたいだけど、大丈夫?」
僕の問いに、姫園さんは顔を激しく上下に振って頷いた。その動きが、ヘビメタのライブ会場で一斉に動く観客のように見えて、ちょっぴり吹き出しそうになってしまった。まぁ、これだけ動けるんだから大丈夫なんだろうと思って両手を離し、椅子へと戻った。
「でも、なんで気絶なんかしたんだろ……?」
疑問に思ったことを呟いて座ると、斗馬の大きなため息が聞こえてきた。また何か訳の分からないことを言われるんじゃないかと思い、食べることに集中する。サンドイッチを頬張りながら正面の姫園さんの顔を見てみると、まだ顔は赤くなったままで、俯き気味にチラチラと僕の方を見ていた。なんだか上目遣いっぽくて可愛く見えた姫園さんにドキドキしそうだったけれど、表情に出さずフォークを持つ手を動かした。これ以上何か言ったら、斗馬の説教タイムが始まってしまうかもしれないし。
「ふぅ……おいしかったー」
フォークを弁当箱の前に置いて、両手で合掌。空腹は最高のスパイスと言うけれど、そうじゃなくてもこの弁当は本当に美味しかった。至って普通のサンドイッチとおかずだったけれど、どこか懐かしさもあって、身も心も満たされた感じがした。
「姫園さん、ごちそうさまでした。本当に助かったよー」
「い、いえいえ。お粗末様です」
「弁当箱とフォークは、明日洗って持ってくるからね」
「あ、いえ、そんな……気を使わないでください」
「えっ、でも、これくらいはさせて貰わないと」
「いえいえ、元はと言えば……」
「……ん?」
姫園さんは顔を伏せて僕から視線を逸らす。何か疚しいことがあるのだろうか、隠し事をしている子供のような雰囲気に僕は問い詰めることもできず、言葉に詰まってしまう。
「ふむ、やはりそういうことだったんだな」
斗馬が納得したような声を上げたので振り返ってみると、モニターに向けた顔を動かさずに、そのままキーボードを叩いていた。
「そういうことって?」
「簡単なことだよ、竜」
「いや、分かっている斗馬は簡単かもしれないけど、僕にはさっぱりなんだ」
「ふむ、そうは言ってもだね……」
モニターに向けていた顔を、僕ではなく姫園さんの方へ向ける。視線に気づいた姫園さんは、少しだけ身体を震わせて、おずおずと顔を上げた。
「あ、あの……えっと……」
申し訳なさそうに見つめる姫園さんを見て、斗馬は「ふぅ……」とため息をついた。
「まぁ、鈍感な竜には分からなくても良いことがあるのだよ、竜」
「ちょっ、なんだよそれ!」
何度も鈍感と言われて少しイラっとしてしまった僕は、斗馬に抗議の声を上げた。だが斗馬は気にすることなくモニターへと視線を戻すと、再びキーボードを叩き始めた。
「ご、ごめんなさいっ」
「ええっ!?」
姫園さんが急に頭を下げたので僕は驚いてしまう。思い当たることもなく、むしろお弁当の礼がある僕の方が頭を下げるべきなのに、一体何があったというのだろう?
「そ、その……佐井村君が昼食を食べそびれた理由が、私にもあるので……」
「……どういうこと?」
「えっと、簑河先生の用事の……事なんです」
「……ん?」
なんで姫園さんがそのことを知っているのだろう。4時間眼の授業が終わった後、部室に向かう途中に簑河先生に会って用事を頼まれ、職員室に入って荷物を持ってから視聴覚室に向かった。その間、同じクラスの姫園さんとは教室を出て以降、会った記憶はないのだけれど……。
「実は、最初に簑河先生が用事を頼んだのは、私なんです。でも、荷物が結構重いって聞いて、私じゃ無理かもしれませんって言ったら、佐井村君に頼むって……」
「あー、そういうことだったのか」
つまり、姫園さんは自分が出来そうに思えなかった簑河先生の用事を断ったことで、僕に白羽の矢が立ったことに後ろめたさを感じて、お弁当を用意してくれたという事なのだろう。そう考えれば姫園さんが僕に謝った理由も分からなくてもないんだけれど……
「いや、そもそも簑河先生があんな重たい荷物を姫園さんに頼むことが間違っているんだよ」
「い、いえ……私は非力ですから……」
いや、20kgを女子生徒に運べってのは、結構酷な話だと思うよ?
「まぁ、そんなに気にしないでよ。むしろ、用事を受けたおかげで美味しい弁当を食べられたんだし」
「あ、あぅ……そ、その……ありがとうございます……」
姫園さんは再び俯くと、机の上の弁当箱とフォークを素早い動きで鞄へと片づけた。洗って返そうと思ったけれど、無理に言ってもなんだか悪い気がしたので、今度借りが返せそうなときに返せばいいだろう。
「ふむ……」
斗馬が聞こえるか聞こえないかの声で呟きながら、僕の顔を一瞬だけ見た。まるで姫園さんには分からないようにといった感じで、僕にだけ分かるように。
その瞬間、僕の頭に一筋の光のようなモノが閃いた。簑河先生の用事は今日の昼に言われたこと。じゃあ、姫園さんの作ってくれた弁当は、いつ用意したのか。
「……偶然が重なっただけ……だよな?」
誰にも聞こえないように小さな声で呟き、関連する出来事を思い出そうとしたけれど、すぐに止めた。考えすぎだと自分に言い聞かせるように肩をすくめて一息つく。
たとえどんな事情があったにせよ、姫園さんの弁当が美味しかったことは事実だし、コンビニに行く時間や昼食代が浮いたことに変わりはない。先生の用事も、筋トレの一環と考えれば悪いことは一つもないのだから。
続きます。
次回も近いうちに。