ゼンノロブロイが一緒に走りたいって言うから…… 作:Lagavulin
フライトリーフがトレセン学園への入学を決めた日、夕食はハンバーグだった。
母は目玉焼きを載せてくれた。父は大学進学について調べた資料を食卓へ持ち込んだ。好物と紙の束を同時に出してくるのは、どう考えても相談の終盤に使う布陣である。
「近くの高校じゃ、だめ?」
「だめとは言ってないよ。走る場所をどうするか、まだ決まってないでしょう」
母のエバーメドウは、ケチャップの瓶をリーフの手元へ寄せた。地方のレースで走っていた頃の写真が、居間の棚に飾ってある。優勝した日の写真より、仲間と大皿の料理を囲んでいる写真の方が大きい。
地元のウマ娘用走路は、春から長期改修に入る。隣の市にも施設はあるが、家から片道1時間以上。学校が終わってから往復すると、走っている時間より移動している時間の方が長くなる。
「普通の道で、ゆっくり走ればいい」
「それで足りる?」
「……足りない日もある」
空いているからと歩道を速く走るつもりはない。車も自転車も来る。学校のグラウンドなら安全な時間は選べるが、あの狭さでは、気持ちよくなった頃に減速することになる。
父の修司が資料を広げた。
「大学へ行くことは、向こうにも伝えてある。1年目の終わりに、続けるかどうかを本人も交えて相談する。授業と練習にはきちんと参加する。それが今回、学校と話した内容だ」
「入ったら、やっぱり走れって言われない?」
「勧められることはあると思う。そこまでないとは約束できない」
父は、そこをごまかさなかった。
「合わなかったら、そのときは転校も考える。お母さんとも話してある」
「レースに出なかったから失敗、にはしないよ」
母が続けた。
「でも、走れる場所を見ないまま決めてほしくない。指導を受けてから、自分で選んでほしい」
リーフはハンバーグの端を切り取った。目玉焼きの黄身が皿に流れる。
両親は、人付き合いを増やせとも、友達を100人作れとも言わない。そこは分かっている。ただ、レースを走る自分を1度くらい見てみたいのだろう。母はときどき、テレビのレースとリーフを交互に見る。
リーフは小学生の頃、何度か転校した。新しい教室で名前を覚えて、ようやく話せる子ができた頃に、また別の学校へ移る。初めのうちは自分から話しかけてもいたが、そのたびに初対面からやり直すのがしんどくなり、休み時間は本を開くことが増えた。気づけば、立派なド陰キャである。今では1人でいる方が落ち着くし、それで退屈することもない。
本人としては、情報系の大学へ行き、家でできる仕事を増やしたい。連絡はできるだけ文章で済ませたい。仕事を終えたらゲームをして、気が向いたら走って、よく寝たい。
「入学試験、すごく速く走らなくてもいい?」
「必要な力は見せなさい。落ちるために走るのはなし」
「普通に受かるくらい」
「それなら、自分で考えて」
母の返事を聞いて、リーフは箸を置いた。
「……受ける」
トレセンには、自分より注目される子がたくさんいる。毎日の走りを少し抑えるだけで、かなり広い走路を使える。合格してしまえば、少なくとも通学先の話し合いは終わる。
母は笑って、残りのハンバーグを半分くれた。
*
工事が始まる前の最後の日曜、母と2人で走路へ行った。
貸切時間の終わりまで、あと15分。リーフは十分に身体を温めてから、直線へ入った。母が脇で時計を持っている。人影はほかにない。
歩幅を広げると、流れていく柵の間隔が急に狭くなった。風が頬に当たり、耳元を抜ける。呼吸を脚の回転に合わせ、曲線へ入る前に少しだけ力を抜く。出口でまた上げた。
風が気持ちいい。
誰かに合わせず、道を譲ってもらう必要もなく、脚を伸ばせる。家へ帰れば冷凍庫にアイスがある。
走り終えて戻ると、母が時計を見ていた。
「先週より速い?」
「うん」
「今日は風、弱かったから」
「それだけじゃ説明できないんだけどね」
母は時計をリーフへ向け、すぐに下ろした。
「……これを毎日見てると、勧めたくもなるのよ」
「毎日は見てないけど」
「毎日思い出すのよ」
リーフが笑うと、母も諦めたように笑った。
*
入学試験当日は、試験官の視線がいつこちらを向くかが気になった。
名前を呼ばれたら返事をする。質問には聞かれたことだけ答える。志望理由は練習してきた。安全な環境で走り、専門的な指導を受けながら学業にも取り組みたい。全部、本当のことだ。
実技では、事前に調べた合格者の水準に余裕を足した。周囲の走りも見たが、その場の順位に合わせて不自然に加減することはしない。前半を抑え、後半に少し上げて終える。
1番速い子よりは遅い。かといって、試験官が困った顔をするような走りでもない。
「後半も崩れなかったね」
「ありがとうございます」
用意していた返事を使えた。よし。
ほかの種目も予定どおりに終えた。毎回同じ評価へ寄せる必要はない。得意なところは少しよく、慣れていないところはそれなりに。変にぎりぎりを狙う方が怖い。
数週間後、届いた合格通知を見て、母は大喜びした。父は寮へ送る荷物の一覧に、ノートパソコンを書き加えた。私よりも両親の方がずっと喜んでいる。
「持っていっていいの?」
「勉強にも使うだろう」
「使う」
「今の返事だけ、ずいぶん速かったな」
リーフは箱へ電源コードを入れた。
合格はできた。特別な新人として騒がれてもいない。次は授業を休まず、練習をこなし、自由時間を確保する。
パソコンの上に入れかけた小説を抜き、手荷物へ移した。引っ越しの車内で読む分まで送ってしまうところだった。