ゼンノロブロイが一緒に走りたいって言うから…… 作:Lagavulin
ロブロイは、隣のゲートに入る相手へ短く頭を下げた。
返ってきた顔も硬い。今日の12人は、全員が初めてのレースへ向かう。これまで練習で何をしてきたかも、誰と走っていたかも、観客にはほとんど見えない。
リーフは9番。ロブロイは5番だった。
パドックで目が合ったとき、リーフは口を開き、閉じた。ロブロイも上手な挨拶はできず、小さく頷いただけだった。それでも、ここまで来たことは互いに分かった。
トレーナーと決めた作戦を、最後に思い返す。
前へ行く子たちを見ながら、好位を取る。無理に競り合わない。リーフの動きだけを待たず、自分が動けるところで先に動く。
ゲートが開いた。
脚を出す。前へ行こうとする相手が2人いて、ロブロイはその後ろへ収まった。最初の曲線で外へ膨らまないよう、周囲との間隔を保つ。
リーフがどこにいるか、見たくなる。
けれど、今ここで後ろへ顔を向けても、自分の位置はよくならない。ロブロイは前の2人を見た。速すぎない。呼吸も整っている。このままなら、最後に動ける。
向正面へ入る頃には、足音がひとまとまりになった。観客席が遠ざかり、前を走る相手の息遣いが聞こえる。
長く感じていた2000mが、走り始めると次々に過ぎていく。
前の1人がわずかに外へ動き、その後ろにいた相手もついていった。ロブロイはすぐ追わず、空いた位置へ寄る。脚はまだ残っている。
曲線に入り、前の2人の間隔が開いた。
ここからなら、直線へ出る前に近づける。
ロブロイは外側の余裕を確かめ、少しずつ速さを上げた。集団の足音が後ろへずれる。先頭の相手がこちらに気づき、腕を強く振った。
最後の曲線を抜ける。
前にいた肩が横へ来て、やがて下がった。長い直線が開けた。観客の声が一斉に近くなる。
『ゼンノロブロイ、先頭に立ちました!』
聞こえた名前が、自分のものだと分かった。
このまま行きたい。
身体を起こしすぎず、脚を運ぶ。練習で残してきた分を使う。背後の音が近づくが、それでも、まだ自分が前にいる。
*
リーフは、前の相手が外へ出るのを見て、選びかけた進路を変えた。
内側へ入れそうにも見える。けれど、そこには別の相手がいる。近づいてから空かなければ、急に止まることになる。
榎本と見た映像を思い出し、右の相手との間隔を確かめた。さらに外へ出す。少し長く走ることにはなるが、前が空いた。その先に、ロブロイの背中が見えた。
あの仕掛けを、今日は観客席から見ていない。追いかける脚が自分にもある。リーフは息を吸い、地面を押した。
最初の数歩で、前にいた1人を抜いた。腕を振る幅を広げ、次の1人へ近づく。走路は広い。進路を確かめた先には、ロブロイまで遮るものがない。
風が強く当たった。耳元を抜ける音が変わる。ロブロイとの距離が縮まっていく。
いつもの併走なら、隣へ来たところで速さを合わせる。今日は違う。ロブロイは前へ行こうとしているし、リーフも先に着きたい。
肩が並んだ。ロブロイは、こちらへ顔を向けなかった。正面を見たまま、さらに脚を動かした。その走りを見て、リーフも力を込めた。
前へ出る。観客席から、大きな声が上がった。自分の名前らしい音が混じっている。振り向かず、ゴールへ向かった。
脚はよく動いた。芝を踏む感覚がはっきりしていて、地面を押した分だけ身体が進む。走る前には重く感じた観客の声が、今は遠い。白い線を越えた。
急に止まらず、十分に走ってから速さを落とす。息を吐いて、ようやく後ろを見た。ロブロイともう1人もゴールを抜け、少し離れたところで速さを落としていた。
勝った。
声にしようとして、何も出なかった。口を開けたまま歩いていると、ロブロイが追いついてきた。呼吸は荒く、額に汗が浮いている。
「リーフ、さん」
「うん」
「……速い、です」
言葉の途中で、ロブロイはまた息をついた。リーフは何と返せばいいか分からず、黙って隣を歩いた。
掲示板に、9番と5番が並んだ。
1着、フライトリーフ。2着、ゼンノロブロイ。着差は5馬身。
数字を見た途端、リーフの頭に、レース前に考えていたことが一斉に戻ってきた。これを見た人は、きっと覚える。明日、名前を呼ばれる。今までと同じにはならない。
なのに、1着の表示から目を離せない。
戻ってきたリーフを、榎本が迎えた。
「おめでとう。今、痛いところは?」
「ないです」
「息は?」
「大丈夫です。あの」
「うん」
「勝ちました」
榎本が笑った。
「見てた。ちゃんと、自分で前へ出たね」
リーフは頷いた。差し出された手を握ると、思ったより強く力を込められた。
その向こうで、ロブロイがトレーナーと話している。何度も頷きながら、最後の直線の方を指していた。
リーフもそちらを見た。さっきまで走っていた芝の上では、係の人が次のレースの準備をしている。観客席の声はまだ大きい。
「トレーナー」
「何?」
「今、ちょっと嬉しいです」
「ちょっと?」
「……結構」
言ってから、笑みがこぼれた。榎本は何も付け足さず、タオルを渡してくれた。