ゼンノロブロイが一緒に走りたいって言うから…… 作:Lagavulin
12月の中山で、フライトリーフは自分の名前が書かれた小さなボードを見つけた。
緑の葉が、四隅に描いてある。持っているのは知らない女の子だった。隣の大人が何か話しかけると、女の子はボードを少し高く上げた。
リーフは目を逸らしかけ、会釈だけした。女の子が飛び跳ねたのが視界の端に入り、ますますそちらを向けなくなった。
今日は葉牡丹賞。芝2000mの、1勝クラスのレースだ。10月のデビュー戦以来、2度目の出走になる。
ロブロイと同じレースではない。彼女は11月の初勝利のあと、年明けを目指して練習を続けている。予定を聞いたときは少し迷ったが、自分まで同じ日を待つ必要はないと、リーフから榎本へ伝えた。
ロブロイとは、また勝負しようと話した。追いつくまで待っていてほしいとも言われたし、自分も今より速くなるつもりだと答えた。その気持ちは変わっていない。ただ、それで何年もレースを続けると決めたわけではなかった。
榎本が組んでくれた予定なら、自由時間もそれほど減らない。右回りの走路で、練習したことを試す機会にもなる。ひとまず、もう1レースくらいは出てみよう。その先をどこまでやるかは、まだ決めなくていい。
榎本と目が合うと、リーフは短く頷いた。挨拶のあとに言うことも、帰るまでの予定も確かめてある。今は前を歩けばいい。
*
ゲートが開くと、リーフは先に出た3人の後ろへ入った。
最初の直線から、もう上り坂がある。前の子が少し苦しそうに腕を振ったが、リーフは間隔を詰めすぎないように足運びを調整した。外側から1人が来た。その背中を追い、曲線へ入る前に位置を決める。
東京で後ろから見ていたときより、前が近い。
2番手にいるのはオータムグロウだった。橙色の髪を高く結んだウマ娘で、前走は早めに先頭へ出て、そのまま押し切っている。今日も、前の相手が緩めれば抜きに行きそうだ。
リーフはその少し外、後ろを走った。隣の足音を確かめながら、向正面へ出る。
オータムグロウが動いた。
まだ直線まで距離がある。けれど、前との差が開いてから追うより、ここで一緒に上げた方が走りやすい。リーフは外に人がいないことを確かめ、脚を伸ばした。
すぐに、オータムグロウの肩が近くなった。相手が一瞬こちらを見て、腕を強く振る。曲線の出口まで、並んだまま進んだ。
速くしても、まだ隣にいる。
リーフがさらに地面を押すと、橙色の髪が視界から下がった。正面が開き、客席の声が急に近づく。先に見えるゴールまでは、東京で走ったときより短い。
『フライトリーフ、先頭! オータムグロウも追っていますが、差が開く!』
坂へ入っても、脚は動いた。追ってくる足音は聞こえるが、もう隣には来ない。後ろを振り返る代わりに、ゴールの先まで目を向けた。
走り抜け、ゆっくり速度を落とすと、喉の奥に冷たい空気が残った。
今度は、勝ったとすぐに分かった。前へ出るところも、追ってくる相手を離すところも、自分で見ていた。
遅れて戻ってきたオータムグロウが、リーフの横を歩いた。呼吸を整えながら、最後の坂を見ている。
「あそこで離れるの、ずるいなあ」
「あ……ごめん」
「いや、謝らないで。次はもっと前から行くって話」
オータムグロウは笑い、リーフの肩を軽く叩いた。その手がすぐ離れたので、リーフも顔を上げられた。
「私も、追いかける」
「でしょうね。置いていけるか試すから、覚えてて」
掲示板の着差は4馬身だった。
戻る通路では、前のレースより大きな声で名前を呼ばれた。リーフは足を止めずに会釈し、榎本のいる方へ歩いた。勝った直後の気持ちを、もう少しそのまま味わっていたい。けれど、次にどこへ行くのかも気になる。
榎本は身体の状態を確かめてから、タオルを渡してくれた。
「自分から、前を取りに行けたね」
「はい。今日は、途中も分かりました」
「途中?」
「どこを走ってたか。前は、ロブロイを見つけるまで忙しくて」
榎本が笑うと、リーフも少し笑った。そのあとで、これからの予定をもう一度聞いた。
*
ロブロイは、観客席で拍手を続けていた。
リーフが前へ出た瞬間、後ろから一斉に声が上がった。デビュー戦を見ていたという人も、映像しか知らないという人もいる。すぐ隣では、新聞を折り畳んだ男性が連れへ顔を向けた。
「後ろからしか行けない子かと思ってた」
「今日は自分で動いたね。これ、上でも走るだろ」
ロブロイもそう思う。けれど、頷くだけでは落ち着かず、止まった映像をスマホで巻き戻した。
オータムグロウが動いたとき、リーフはもう周囲を見ていた。学内の練習で、空いた場所を探している間に置いていかれたリーフではない。
追いつきたい相手も、練習している。
ロブロイは画面を止め、リーフが走っていた外側の余白を見た。直線へ入る前から、外へ出る進路を確保している。直線だけをどうにかしようとしても、そこへ来るまでに離されるかもしれない。
トレーナーへ送りたい箇所を控えてから、応援のボードを持った女の子に気づいた。リーフが戻っていった方を、まだ見ている。
「また来てくれるかな」
「次に走る日が決まったら、見に来ようね」
親子の会話を聞いて、ロブロイはスマホを鞄へしまった。次に自分が走るとき、あんなふうに待っている人がいたら、きっと嬉しい。
*
帰りに会ったリーフは、ライブまで終えて疲れ切った顔をしていた。
「おめでとうございます。途中で前へ出るところ、見ました」
「うん。前へ出るタイミング、どう見えたかあとで聞いてもいい?」
「私も聞きたいことがあります」
「じゃあ、次の練習で。今日は、人が多すぎて疲れた……」
リーフは額へ手を当てた。ロブロイは質問をしまい、持ってきた紙袋を渡した。駅前で買った、さつまいもの焼き菓子だった。
「食べられそうですか?」
「それは大丈夫。ありがとう」
袋を開いたリーフの顔が、少し緩んだ。
「ロブロイも」
「リーフさんの分です」
「2つあるよ」
半分を渡され、ロブロイも包みを開いた。2人で食べていると、移動の準備を終えた榎本が戻ってきた。リーフは最後のひと口を急いで飲み込み、空いた袋を畳んだ。