ゼンノロブロイが一緒に走りたいって言うから…… 作:Lagavulin
3月の面談で、父が最初に尋ねたのは、大学のことだった。
「進学は、今も考えてる?」
「うん。そこは変えない」
リーフは持ってきた資料を開いた。情報系の学科をいくつか比べて、授業の内容に線を引いてある。家でできる仕事を選びたい、という希望も、去年のままだ。
学園へ入る前に決めた、1年目の終わりの話し合いだった。両親とリーフ、榎本、それから学園の教員が面談室に集まっている。
机の端には共同通信杯の記事もあったが、成績表の下へ置かれた。授業には出ているし、課題も提出している。数学の点数が少し下がったところだけ、父に見つかった。
「ここは?」
「分かってる。もう見直した」
「なら、いい」
母のエバーメドウが笑った。優勝した話から始まると思っていたので、リーフは少しだけ椅子へ深く座り直した。
教員との確認が終わってから、父がもう一度口を開いた。
「学校は、続けたい?」
「続ける」
返事をすると、母がこちらを見た。リーフは、自分の資料を閉じた。
「知らない人に話しかけられるのは、まだ嫌。帰って何もしたくない日もある。でも、走る場所はいいし、授業も困ってない。トレーナーも、ちゃんと休みを作ってくれる」
「友達は?」
「いるよ」
「うん。知ってる」
母が笑ったので、リーフは少し眉を寄せた。
「知ってるなら、聞かなくても」
「どんなふうに答えるかなと思って」
「普通に」
父が資料を鞄へしまった。去年、この話をするときには、ほかの学校の案内も一緒に出てきた。今日は最後まで、その束は出てこなかった。
リーフは何度も転校してきた。初めから顔と名前を覚え直すのは、あまり好きではない。けれど今は、別の学校へ行く手間が惜しいだけでもなかった。
春休みには、ロブロイの図書当番を手伝う約束をしている。トランセンドとはゲームの続きをする約束がある。ビワハヤヒデとの練習で、まだ確かめたい走り方もあった。
「それで、4月は皐月賞を目指す」
リーフから言うと、母の笑い方が少し変わった。
「うん。聞いたよ」
「テレビで言った分とは別に。ここでも言っておこうと思って」
「……わかった」
母は頷き、机に置いた手を重ねた。隣の父が、面談の始まる前に買った飲み物を母の方へ寄せる。
「応援、行ってもいい?」
「来るでしょう」
「来るけど、聞いておきたいの」
「いいよ。終わったあと、すぐにいっぱい話すのは無理かも」
「それも分かってる」
リーフは頷いた。榎本が当日までの予定を説明し始めると、両親は今度こそ、レースの記事を机の中央へ出した。
*
面談室を出たあと、両親を正門まで送る途中で、ロブロイと会った。
本を運んでいるところだったらしい。リーフに気づき、声をかけようとして、隣の2人を見て立ち止まった。
「母と父。今日は、面談」
「あ……こんにちは。ゼンノロブロイです」
ロブロイが頭を下げた。母も挨拶を返し、京成杯の勝利を祝った。
「坂のところ、2人で声を出しちゃった」
「最後まで、どっちが勝つか見てたよ」
「ありがとうございます。あそこは、私も必死でした」
ロブロイは笑い、本を抱え直した。何の本を運んでいるのかと尋ねられると、図書室の特集に並べる本だと答える。
英雄が旅へ出る話を集めているらしい。母に1冊の題名を聞かれ、ロブロイはすぐにあらすじを話し始めた。
リーフは黙って聞いていた。親と友人が、自分を挟まずに話している。悪いことは何もないのに、少し落ち着かない。
「リーフも読んでるの?」
「それ、私が先に読んだ方」
「そうなんです。リーフさんに教えていただいて」
母が、リーフを見た。
昔の話をする顔だ。
「お母さん」
「まだ何も言ってないよ」
「今、言いそうだった」
母は笑って口を閉じた。ロブロイが少し不思議そうにしていたが、続きを尋ねなかったので助かった。
正門へ向かう前に、父がロブロイにも皐月賞のことを聞いた。
「同じレースを目指してるんだね」
「はい。出られたら、今度は私が勝ちたいです」
母が目を丸くし、それから嬉しそうに笑った。
「うん。そうだよね」
「私も勝つつもりだけど」
リーフが言うと、ロブロイは迷わずこちらを見た。
「知っています」
父が声を出して笑った。リーフは少し顔が熱くなり、母の背を正門の方へ軽く押した。
*
4月に入る頃には、リーフの名前を呼ぶ声に、皐月賞という言葉が付くようになった。
応援している。楽しみにしている。勝つところを見たい。
廊下を歩くだけで返事を考える日は、やはり疲れる。リーフは図書室にいる時間を少し増やしたが、練習まで隠れて行うつもりにはならなかった。
ロブロイとの併走は続いている。ただし、最後にどこから動くかを決める練習は、それぞれのトレーナーと別に行う日が増えた。
「今日は、私に見せない練習の方?」
走路の入口で聞くと、ロブロイは笑って頷いた。
「はい。先に走っていてください」
「分かった」
リーフも榎本のところへ向かった。後ろで何を話しているかは聞かない。こちらにも、当日まで言わずにおきたいことがある。
共同通信杯では、外に出てから前を抜けた。今度も同じ場所が空くとは限らない。強い相手が揃った中で、どの位置を選ぶか。今日の練習では、前に入られたあとに判断する時間を短くする。
離れた場所で、ロブロイが走り始めた。
リーフは見続けず、榎本の示した開始位置へ向かった。自分の靴の紐を確かめ、顔を上げる。
*
皐月賞への出走が決まった夜、リーフは机の上で2つの画面を開いていた。
片方には出走表。もう片方には、ロブロイと作っているゲームの街が映っている。今日は短い時間だけ、図書館の周りを仕上げる約束だった。
ロブロイが、通話の向こうで言った。
「図書館、もう少し大きくしてもいいですか?」
「道に当たる」
「道を、動かせば」
「その先に、家がある」
「……家も、少しだけ」
リーフは笑い、移動できる建物を選んだ。ロブロイが欲しがった広場を残すと、隣の通りも作り直すことになる。
「これ、本当に今日終わる?」
「すみません。中庭もあるといいなと思って」
「分かるけど。続きは、レースのあとね」
「はい」
必要な分だけ道をつなぎ、リーフは街を保存した。終了する前に、隣の出走表へ目を向けた。フライトリーフと、ゼンノロブロイ。デビュー戦と同じ名前が、G1の出走者の中にある。
「リーフさん」
「うん」
「本当に、また一緒ですね」
ロブロイの声が少し低くなった。リーフも椅子へ座り直した。
「次も、追いかけてきてくれますか?」
「ロブロイが前にいたら」
「私が後ろだったら?」
「私が先にゴールする」
通話の向こうで、ロブロイが笑った。
「では、前にいます。今度は、そこを譲りません」
「うん。やってみて」
リーフはゲームを閉じた。明日の練習に遅れない時刻でアラームを確かめる。おやすみと伝える前に、ロブロイがもう一度、図書館のことを言いかけた。
「レースのあとでね」
「……はい。おやすみなさい」
通話を切り、リーフはスマホを充電器へつないだ。広場へ置く噴水のことまで思いついたが、それも次に話すことにした。