ゼンノロブロイが一緒に走りたいって言うから…… 作:Lagavulin
ロブロイが座った場所から、通路の向こうの画面が見えた。
リーフがインタビューを受けている。マイクへ顔を近づけすぎたのか、相手に少し位置を直され、慌てて背を伸ばした。
『初めてのG1を、見事な勝利で飾りました。今のお気持ちは?』
『嬉しいです』
短い答えだった。そのあとで、リーフは客席の方を見た。聞こえてきた拍手へ何か返そうとして、もう一度、ありがとうございますと言う。
ロブロイは膝に置いたタオルを畳んだ。トレーナーが持ってきてくれた飲み物は、半分ほど残っている。さっきより呼吸は落ち着いたが、立つと脚が重かった。
『これで4戦4勝。次は日本ダービーでの二冠が期待されます』
リーフの目が、一度だけ横へ動いた。画面の外に榎本がいるのだろう。
『まず、休んでから。トレーナーと相談したいです』
ロブロイは顔を上げたまま、その返事を聞いた。そうだった。リーフは皐月賞より先のことを、まだ決めていない。ロブロイはさっきまで、前を追うことしか考えられなかった。それなのに、今度は別のところが気になってくる。次の舞台に、リーフがいるとは限らない。
飲み物を取ろうとして、指が止まった。今、頼むことではない。
ロブロイはボトルを持ち、少しずつ飲んだ。画面の中で、リーフがもう一度頭を下げる。インタビューは終わり、代わりにレースの映像が流れ始めた。
映像のロブロイが、向正面で外へ出る。
その後ろに、オータムグロウが続く。
「ここ、あとで見直したいです」
隣へ戻ってきたトレーナーに言うと、頷きが返った。
「映像は残しておく。今、話す?」
「……少しだけ」
ロブロイはボトルを膝へ置いた。
「抜くまでに、思ったより脚を使いました。前の方も、そこで速さを上げてきて」
「向こうも、そこから勝ちたかったからね」
「はい」
画面では、自分が先頭へ出た。後ろの集団が伸びていく。走っている間には、前が開いたことにほっとした。そのすぐ後ろで、オータムグロウはまだ腕の振りを大きくしていない。
「オータムグロウさん、私が先頭に出るまで、後ろで待っていました」
「うん」
「分かっていたんです。でも、リーフさんが来る前に、もっと離しておかないとって」
トレーナーは画面を見たまま聞いてくれた。そこで正解を言われなかったので、ロブロイはもう少し考えた。
自分が動いたら、ほかの子も動く。
練習で聞いていたことだ。今日だって、知っているつもりだった。けれど、先頭へ並ぶときに気にしていたのは、見えないリーフの位置ばかりだった。
「次は、前にいる方のことも、もっと考えます」
「そのために、今日はほかの子の映像も取っておこう。続きは休んでからにしようか」
ロブロイは頷いた。画面へ目を戻すと、リーフが直線へ出たところだった。
目を逸らしかけたが、そのまま最後まで見た。どこから見ても、リーフは速かった。
*
ライブの立ち位置を確かめるとき、ロブロイはリーフの隣へ並んだ。
リーフは床の印を見ていた。顔を上げてこちらに気づくと、何か言いかけ、それからロブロイが話すのを待ってくれた。
「おめでとうございます」
「ありがとう」
声にすると、思っていたより普通に言えた。リーフも普通に受け取った。そのことにほっとしたあと、ロブロイは少しだけ視線を下げた。
嬉しかったですね、とまでは、まだ続けられない。
「脚、大丈夫?」
リーフが聞いた。
「はい。痛いところは、ありません」
「よかった」
「リーフさんは?」
「私も。今、間違えないで踊れるかの方が気になる」
ロブロイは床の印を見た。中央の少し後ろ。今日の自分が立つ場所は、ここだ。
「最初、右へ出るところですよね」
「うん。最後の練習で、左に行った」
「私の方に来るのは、その次です」
「分かってる。今は」
ロブロイは少し笑うことができた。リーフも笑い、それからもう一度、右足を小さく動かして確かめる。
スタッフの声がかかり、2人は正面を向いた。
音楽が始まると、リーフは間違えずに右へ出た。ロブロイも自分の位置を進み、次の動きで隣へ並ぶ。そこからリーフが中央へ進むと、ロブロイは振り付けに合わせて少し後ろへ下がった。
光の中で、リーフが手を上げる。ロブロイは自分の振り付けを続けた。客席の声が大きい。今日のリーフを覚えた人が、こんなにいる。
あそこへ、自分も立ちたい。
次の音に合わせて腕を伸ばした。リーフを見続ける代わりに、正面の客席へ顔を上げた。
*
着替えを終えたあと、リーフとは小さな休憩スペースで会えた。
互いのトレーナーが帰る準備を確かめている間だけだった。リーフは椅子へ深く座り、飲み物のラベルを指でなぞっている。ロブロイが前へ立つと、隣の椅子からバッグを下ろしてくれた。
「少し、聞いてもいいですか?」
「レースのこと?」
「はい」
「なら、いいよ」
ロブロイは隣へ座った。
「私が前へ出たとき、すぐ追おうと思いましたか?」
リーフは少し考え、ボトルを持った手を止めた。
「最初は、まだ。前にいる子も上げてたから」
「そのあとですか?」
「オータムグロウが出たあと。私の前にいた子も、そっちについていったでしょう」
ロブロイは頷いた。自分が走っていた位置からは見えなかったが、画面では確かめた。
「前が開いたから、そこから上げた。曲がってる間に追いつきすぎると、また外へ出ないといけないし」
「では、私が動いたから、追う場所もできたんですね」
「うん。でも、動かなかったら私も同じように待ってたかは、分からないよ」
リーフはラベルから指を離した。こちらを見ている。
「今、次のこと考えてる?」
「……はい」
「じゃあ、ここまで」
ロブロイは思わず顔を上げた。リーフはボトルを両手で持ち、少し口元を緩めている。
「今ので、だいぶ答えた気がする」
「ありがとうございます」
「そういうお礼、言われると余計に気になる」
ロブロイは膝の上へ手を置いた。具体的な作戦ができたわけではない。けれど、前へ出ることと、相手へ追いやすい場所を作ることが、同じ動きで起こっていた。それは今日、聞かなければ分からなかった。
「私も、次は簡単に追いつかせません」
「うん」
リーフは迷わず頷いた。今の話を怖がる様子はない。それが悔しくて、ロブロイは言葉を足した。
「追いつかれても、すぐには抜かせません」
リーフの目が、少し細くなった。
「そこは、私も譲らない」
榎本が戻ってきた。リーフはボトルをバッグへ入れ、立ち上がる。ロブロイも、自分のトレーナーが廊下へ来たのを見つけた。
「ゲーム、明日はできそう?」
リーフに聞かれ、ロブロイは一度だけ瞬いた。
「はい。午後なら」
「私も。時間、あとで送る」
リーフはバッグを肩へかけた。その手元を見て、ロブロイは呼び止めた。
「リーフさん」
「うん?」
「今日、来てくださって、嬉しかったです」
リーフが足を止めた。
「勝てなかったのは、本当に悔しいです。でも……来ないでほしかったとは、思いません」
そこだけは、今日のうちに言っておきたかった。
リーフは少し黙ったあと、バッグの紐を持ち直した。
「うん。私も、走ってよかった」
榎本が出口の方を示した。リーフはもう一度ロブロイを見て、明日、と言って歩き出す。
ロブロイはその背中を見送ってから、自分のバッグを取った。畳んだタオルの下に、図書室で借りた本が入っている。帰りに続きを読むつもりで持ってきたものだ。
今はまだ、文字が頭へ入る気がしない。
本を奥へ戻し、スマホを取り出した。トレーナーと帰る車の中で、今日の映像を止めて見たい場所だけ、メモしておくことにした。