ゼンノロブロイが一緒に走りたいって言うから…… 作:Lagavulin
榎本は、リーフが送った写真を見て、まず本の題名を指した。
「この日は空けたい?」
「できれば」
「分かった。じゃあ、そこから避けて考えよう」
リーフが最初に言うつもりだったことは、それで済んだ。
面談室の机に、リーフ自身の予定が並んでいる。課題の提出日、いつもの練習、大学の資料を調べるつもりで空けていた週末。その横に置いたスマホには、ロブロイの手帳の写真が表示されている。
「ダービーへ出るなら、春はそこまでにしたいです」
リーフから言うと、榎本は頷いた。
「うん。その前提で考えていた。今の状態なら、途中で別のレースを挟む必要もない」
「練習は、増えますか?」
「距離に合わせて内容は変える。でも、毎日の時間を大きく延ばす予定にはしない。2400mの走り方を確かめて、戻り方も見ていこう」
リーフは、自分の書き込んだ予定を見た。帰ってから何もできなくなるほど増えるのなら、今日は断るつもりで来ていた。今の話では、そうはならない。
「あと、取材は」
「全部は受けない。レースへ出ることとは、別に決めよう」
榎本は空いていた欄へ、休む日を書き入れた。リーフはそこを指で押さえ、前後の授業を確かめる。
これなら、本も読める。ゲームの約束も、全部なくさずに済む。
「ロブロイからは、どう言われた?」
急に聞かれ、リーフは写真の方へ目を戻した。
「今度は、最後まで勝負できる走りを作りたいって」
「うん」
「それで……ダービーで私に勝って、最初に私の顔を見たいって」
口に出すと、改めて重い。
榎本はすぐに笑わなかった。少し考えるように頷き、それからリーフを見た。
「リーフは、その走りを見たい?」
「見たいです。でも、ロブロイに負けるつもりはないです」
今度は榎本が笑った。
「じゃあ、こちらも準備しよう。出走を決める前に、今日の練習を見てから、もう一度話そうか」
リーフは頷いた。写真だけ見ていると、もう決まった予定のような気がしてくる。実際に走り、身体がどう感じるかも確かめたかった。
*
その日の練習では、前半を抑えて長めに走ったあと、終盤に速さを上げた。
途中で急いで抜く相手はいない。リーフは榎本と決めた速さを保ち、脚の動きと呼吸を確かめる。上げる場所へ来てから歩幅を広げると、前に見えていた目印が近づいた。
走り終えたあとも、脚は動いた。ゆっくり歩きながら、東京の直線を思い出す。
共同通信杯では、坂を上がったあとにまだ前へ進めると思った。ダービーでは、その直線までに走る距離が違う。今日の感覚だけで本番まで分かったつもりにはなれないが、試してみたい走り方はあった。
「最後、どのくらい残ってた?」
榎本に聞かれ、リーフは脚の状態を説明した。無理に全部使ったわけではないこと、上げたあとも姿勢を保てたこと。普段なら短く済ませるところを、今日は少し詳しく話した。
榎本は記録を見てから、次の練習を提案した。リーフも、途中で相手が動いた場合を確かめたいと頼む。
話し終えたあと、タオルで顔を拭いた。
「……出たいです。ダービー」
榎本は顔を上げた。
「この予定で進められるなら。夏の前に、もう1回」
「分かった」
リーフはタオルを首へかけた。
東京なら、行ったことがある。休みの取り方も、今度は少し分かる。ロブロイと同じ世代のダービーを走れるのは、今年だけだ。
来年になって、あのとき走っていればと本を読みながら考えるのも、落ち着かない気がする。
「ロブロイには、自分で言います」
「うん。練習の日は、ロブロイのトレーナーと相談しておく」
リーフはスマホを取り出した。文章を打ちかけて、やめる。ロブロイから、今日は図書室にいると昼休みに聞いていた。
着替えてから、そちらへ行くことにした。
*
ロブロイは返却された本を棚へ戻していた。
リーフは入口で声をかけ、最後の1冊が収まるまで待った。ロブロイが空の台車を押して戻ってくる。
「どうしましたか?」
「ダービー、出る。トレーナーと決めてきた」
台車が止まった。
ロブロイはリーフを見たまま、しばらく何も言わなかった。それから両手を台車の取っ手から離し、胸の前で握る。
「本当ですか?」
「うん。さっき、走って確かめた。休みも取れそうだし」
「ありがとうございます」
声は小さいのに、顔は少しも隠せていなかった。笑いかけて、口元を押さえ、もう一度こちらを見る。
そこまで嬉しいんだ。
リーフは台車の横へ寄った。通路を空けると、ロブロイも気づいて壁際へ動かす。
「それで、聞いていい?」
「はい」
「今度の作戦」
ロブロイは、まだ嬉しそうな顔のまま首を横へ振った。
「それは、お話しできません」
「返事、早いね」
「出てくださるなら、なおさらです」
リーフは少し笑った。昨日あれだけ話しておいて、肝心なところはちゃんと隠す。
「少しだけでも?」
「リーフさんは、少し聞いたら、その分を考えてしまうでしょう」
「考えるけど」
「ですから」
ロブロイは台車を決まった場所へ戻し、手を払った。こちらへ向き直った顔から、さっきの照れが少し引いている。
「練習は一緒にしたいです。でも、勝つために決めることは、私のトレーナーと考えます」
「うん。私もそうする」
リーフは頷いた。次に会う日まで、自分も考えることが増えた。
「ただ、リーフさん」
帰ろうとしたところで呼び止められた。
「私に合わせて、遅くはならないでくださいね」
「ならないよ」
今度はこちらが、すぐに答えた。
「ロブロイが速くなるなら、私も速く走る」
ロブロイは一度だけ深く頷いた。その顔を見て、リーフは肩へかけたバッグを持ち直した。
夕食の時間までは、まだ少しある。
「今日、借りる本ある?」
「はい。こちらの棚に」
ロブロイが先に歩いた。リーフもついていき、同じ段にある本の背を順に眺めた。