ゼンノロブロイが一緒に走りたいって言うから…… 作:Lagavulin
最後の目印を過ぎても、ロブロイの脚は動いた。
急に速くするのではなく、長めの区間を速さを落とさずに走る。夏の終わりに、トレーナーと確かめていたことだった。走り終える場所まで姿勢を崩さず、その先でゆっくり速さを落とす。
戻ると、トレーナーが記録を見せてくれた。
「前より、最後までそろってきた」
「はい。途中で苦しくなっても、そこからすぐには落ちませんでした」
ロブロイは呼吸を整えながら、今走った方を振り返った。ダービーの直線で、もう一度上げられたことは覚えている。あの動きを最後の短い間だけでなく、もっと長く続けられたら。
今日の練習は、途中の速さも決めてある。本番で同じように走れるかは、まだ分からない。それでも、確かめたかったところまで脚が持った。
「秋は、菊花賞を目指したいです」
ロブロイから言うと、トレーナーは顔を上げた。
「3000mで、今の走りを使いたい?」
「はい。最後だけで追い越そうとするより、早くから自分の速さで走って、最後まで残したいです」
「相手を追って、早く力を使い切った春とは変えたいね」
ロブロイは頷いた。前へ出る時刻を早めるだけでは、皐月賞の繰り返しになる。最後まで続けるために、途中をどう走るかも決めなくてはいけない。
「次は、途中で速さが変わる場合もやってみよう。自分で戻せるか、そこで確かめたい」
「お願いします」
トレーナーは次の練習を書き留め、それからロブロイへ目を戻した。
「リーフさんには、もう話した?」
「まだです。今日、ここまで走れたことを話してからにしようと思っていました」
トレーナーは短く頷き、先に身体を休めるように言った。ロブロイはタオルを取り、日陰へ入った。
隣の走路で、リーフが榎本と話している。こちらに気づくと、片手を少し上げた。ロブロイも返し、自分の記録へ目を戻す。
この距離なら、あの子が急に遅くなるとは思っていない。けれど、今の自分から試せることがある。ロブロイは最後の区間の数字へ印を付け、ノートを閉じた。
*
ロブロイが着替えを終えて食堂へ行くと、リーフは先に席を取っていた。
テーブルに鞄は置かれていない。向かいの椅子を空けて、こちらへ小さく手を振っている。ロブロイは飲み物を買い、その席へ座った。
「お疲れさま。最後まで、速さ落ちなかったね」
「見ていたんですか?」
「うん。こっちは先に終わってたから」
見られていたと知ると、さっきの走りをもう一度思い返したくなる。ロブロイはボトルを開け、少し飲んでから机へ置いた。
「菊花賞へ行きたいと、トレーナーに話しました」
リーフはすぐには返事をせず、こちらを見た。
「3000m?」
「はい。最後まで速さを保つ走りを、もっと使えるようにしたいんです。今日だけでできるとは言えませんが」
「私も、3000mはレースで走ったことないから。どこで上げるのがいいか、まだ分からない」
「リーフさんも、練習するんですか?」
「確かめてみる。トレーナーとも話した」
ロブロイはボトルから手を離した。まだ出るとは言われていない。けれど、同じ距離を考えている。
「でしたら、途中まで一緒に走っていただけませんか。ずっと同じ速さではない練習もしたくて」
「うん。こっちも、そういうのはやりたい。内容は、トレーナー同士で合わせてもらおう」
返事が来て、ロブロイは肩の力を抜いた。
「今日は、練習のお願いだけです。出走は、もう少し確かめてから、改めて」
「頼むつもりはあるんだ」
「はい」
リーフが少し笑った。
「知ってたけど」
ロブロイも笑いかけ、そこで言葉を止めた。リーフがこちらを見る。
「何?」
「……また誘われるのは、嫌ではありませんか」
予定を無視して何度も頼んだつもりはない。それでも、春に2度誘い、どちらも来てもらった。これからも、リーフが出るか迷うたびに、自分は走ってほしいと言うのだろう。
リーフは少し考えた。
「返事を待たずに決められたら嫌。でも、聞かれるのは、別に」
「そうですか」
「ロブロイは? また私を誘って、本当にいいの」
問い返され、ロブロイは顔を上げた。
「私、勝つつもりで行くよ。出るなら」
「知っています」
「うん。だから、次も負けるかもしれないって分かってて、また呼ぶんだなと思って」
ダービーのあと、ロブロイはすぐにはリーフのところへ行けなかった。7馬身という表示を見るたび、最後に残していた力まで使ったことを思い出した。
その相手と夏の新刊を買い、帰省してからも感想を送り合っている。昨日も、読み終えた本を最初に教えたくなったのはリーフだった。
「あんなに負けたのは、嫌です」
リーフは黙って聞いていた。
「今も、映像を見ると悔しいです。次も同じだったらと思うと、怖くもなります。でも、リーフさんがいなければいいとは、思えません」
言葉にすると、困るくらいはっきりした。ロブロイは机に目を落とさず、続きを言った。
「いちばん仲のいい人に、いちばん勝ちたいんです。どちらも、ほかの人では代わりになりません」
リーフが、飲もうとしていたボトルを置いた。
「……困るね」
「すみません」
「謝ってほしいんじゃなくて」
リーフは少しだけ目を逸らし、食堂の奥を見た。近くの席には、まだ誰も来ていない。
「ロブロイが悔しそうだと、気になるんだよ。でも、走ってるときは、絶対に前へ行かせたくないし」
「はい」
「勝ったあとも、話したいのはロブロイだから。あのとき何を考えてたのかとか、本の続きとか」
ロブロイは返事を忘れた。
リーフは気まずそうに、ボトルの蓋を閉めた。それから、もう一度こちらを見る。
「同じじゃないけど。私も、ロブロイだから話したいんだと思う」
ロブロイは、さっきまで次の距離でどう走るかを伝えるつもりだった。用意したことなら、もっと話せる。けれど今は、すぐ次の言葉が出てこない。
「……負けた日は、少し待っていただくかもしれません」
「うん」
「でも、そのあとには話したいです。私も」
リーフが頷いた。ロブロイはようやく、机に置いた自分の飲み物へ目を落とした。
「次は、待たずに話せる方がいいですけど」
「その場合、私が待ってもらうかもね」
顔を上げると、リーフは少しだけ笑っていた。勝つ側と負ける側を入れ替えた話を、初めて自分からしてくれた。
「そのときは、待ちます」
「うん。まだ負けてないけど」
ロブロイも笑った。食堂へ入ってくる生徒が増え、向こうでトランセンドがこちらを見つけて手を振った。
リーフが鞄を自分の足元へ寄せる。ロブロイも隣の椅子を少し引き、3人目の座る場所を空けた。