ゼンノロブロイが一緒に走りたいって言うから…… 作:Lagavulin
「三冠を達成した今、次に目指すものはありますか?」
リーフはマイクを見てから、客席へ目を向けた。
レースが終われば静かになるわけではない。むしろ、ここから聞かれることが増える。頭では分かっていたが、名前の前に無敗の三冠ウマ娘と付くと、返事まで立派なものを求められている気がした。
「あの。次のレースは、まだ決めていません」
用意していた言葉は言えた。質問した相手が頷き、では今日いちばんしたいことは、と続ける。
「帰って、休みたいです」
客席から笑い声が上がった。
変なことを言っただろうか。リーフはマイクを持ち直した。隣で榎本が、ゆっくり頷いている。
「でも、勝てて嬉しいです。3つとも、走ってよかったと思います」
今度は拍手が大きくなった。
リーフは少しだけ息を吐いた。嘘を言ったわけではない。さっき走った直線を思い出すと、今も顔が緩みそうになる。休みたい気持ちも、それで消えたわけではなかった。
*
控える場所へ戻る途中で、ロブロイを見かけた。
トレーナーと話しているところだった。目元が少し赤い。リーフは近づきかけたが、ロブロイがこちらへ気づいたので、その場で止まった。
「おめでとうございます」
ロブロイから言ってくれた。
「ありがとう」
「……すみません。もう少し、あとでもいいですか」
「うん」
リーフは頷いた。
「今日じゃなくてもいいよ。帰ってからでも」
ロブロイも頷き、トレーナーの方へ向き直った。リーフは榎本の隣へ戻る。今日は、先に済ませなければいけないことが、まだいくつもあった。
*
ライブでは、中央に立った。
客席の向こうまで光が並び、曲の合間にも名前を呼ばれる。春に初めて大きな舞台へ上がったときより、動きは覚えられている。それでも、全員がこちらを見ていると思うと、指先に力が入った。
次の振りへ移るとき、少し離れた場所のロブロイが見えた。
ちゃんと踊っている。前を向いて、自分の位置で腕を上げている。リーフも、次に上げる方を間違えずに済んだ。
終わってから、見えたよと言いかけたが、言葉は飲み込んだ。今すぐ伝えなくてもいい。ロブロイの方にも、終えたばかりのことがたくさんある。
そのあと両親にも会い、母からよかったと何度も言われた。父は写真を撮ろうとして、先に笑ってしまい、カメラを下ろした。
「ちゃんと撮って」
「分かってる。もう1回」
リーフが姿勢を整えると、母も隣へ来た。榎本に撮ってもらった写真には、父まで入っている。リーフは画面を見て、これを送ってほしいと頼んだ。
泊まる部屋へ戻った頃には、本を開く気力もほとんどなかった。
榎本と明日の移動だけ確かめ、ベッドへ腰を下ろす。スマホにはいくつも通知があったが、今日は親しい相手のものだけ見た。
トランセンドからは、短い祝いの言葉と、ライブの最後まで見たという連絡が来ている。ハヤヒデからは、坂を越える前に動いた判断への感想が届いた。
ロブロイからも、連絡があった。
『明日、帰る前に少しお話しできますか』
リーフは起きる時刻を確かめ、朝食のあとなら空いていると返した。それから、余計かもしれないと思いながら、1行だけ足した。
『今日は、ちゃんと寝て』
すぐに、リーフさんも、と返ってきた。
リーフはスマホを枕元へ置き、部屋の灯りを落とした。
*
翌朝、ロブロイは宿のロビーにいた。
出発まで少し時間がある。ほかの出走者たちは朝食へ行ったり、荷物を運んだりしていた。リーフは榎本へ行き先を伝え、奥の席で待っていたロブロイの向かいへ座った。
「眠れた?」
「はい。思ったより、すぐに」
「私も」
ロブロイが少し笑った。昨日より声が出ている。リーフは持ってきた飲み物を机へ置き、相手が話し始めるのを待った。
「昨日は、途中で動いていただけましたね」
「うん。あそこからずっと行かれたら、嫌だった」
リーフは坂へ入る前の背中を思い出した。
「本当は、直線まで待つつもりだったんですか?」
「もう少し待つ案はあった。でも、ロブロイが落ちなかったから、やめた」
ロブロイは頷いた。嬉しそうにしかけた顔が、すぐには笑顔にならない。
「早めに追わせることはできても、勝てませんでした」
リーフは何も言わなかった。
「トレーナーにも、春とは違うことができたと言ってもらいました。自分でも、できたと思います。でも、昨日はそれを聞いても、ずっと4馬身の方を考えていました」
机へ置かれたロブロイの手が、少し握られた。
「隣まで来たとき、もう一度だけ前へ出られました。あのまま行きたかったです」
「うん。私も、先頭は譲りたくなかった」
ロブロイがこちらを見た。
「だから、限界まで上げた。負けたくなかったから」
リーフはそれ以上、言い換えなかった。上手に走っていたと褒めたいだけで、ここへ来たわけではない。昨日のレースで何を考えていたかは、聞かれたとおりに答えたい。
ロブロイは一度息を吐き、椅子へ座り直した。
「三冠、おめでとうございます。昨日は、ちゃんと言えなかったので」
「聞いたよ。ありがとう」
「もう一度、言いたかったんです」
リーフは頷いた。ロブロイの顔を見ると、こちらも、昨日から言いたかったことを思い出す。
「誘ってくれて、ありがとう」
ロブロイの目が上がった。
「3つとも。出てよかったと思ってる」
「……そう、ですか」
「うん」
ロブロイはしばらく黙っていた。それから、小さく笑った。
「私も、誘ってよかったです。3回とも」
声が少し揺れたが、ロブロイは目を逸らさなかった。
「負けたことは、まだ全然よくないですけど」
「それは、そうだよね」
リーフも少し笑った。昨日の結果が、都合よく嬉しい話だけにはならない。ロブロイはリーフに勝つために、あそこまで走ったのだから。
「リーフさん」
「うん」
「いつか三冠のことを思い出すとき、私のことも、一緒に思い出してほしいです」
リーフは返事をしかけ、口を閉じた。
皐月賞では先に動かれた。ダービーでは、並んでからもう一度上げられた。昨日は、直線よりずっと前から追うと決めた。
どこを思い出しても、ロブロイがいる。
「一緒も何も。3つとも、ロブロイと走った日だよ」
「……そうでしたか」
「うん、ロブロイと一緒に走りたかったから、3つとも走ったんだよ」
ロブロイは、今度こそ返事をしなかった。リーフは机の飲み物を取った。言ってから、自分の声まで少し大きく聞こえた気がした。
「……本の話も、していいですか」
少しして、ロブロイが言った。
「うん」
「昨日、見つけたんです。前に読んでいたシリーズの新刊が、11月に出るそうで」
ロブロイがスマホを出した。リーフは画面へ目を向け、表示された表紙を見た。
「この人、また出るんだ」
「はい。前の巻で、もう帰ってこないのかと思っていたので」
「それ、帰りに話したい」
出発までの時刻を見て、リーフは飲み物の蓋を閉めた。ロブロイもスマホをしまう。
「隣、空けておいてもいいですか?」
「うん。途中で寝るかもしれないけど」
「私も、寝るかもしれません」
2人で席を立った。荷物を取りに行く前に、リーフは新刊のページを送ってほしいと頼んだ。ロブロイがその場で送り、届いたことを確かめてから、別々の部屋へ戻った。