ゼンノロブロイが一緒に走りたいって言うから…… 作:Lagavulin
11月になって、リーフはようやく、目覚ましをかけずに眠る休日を取った。
起きたら食堂の朝食が終わりかけていた。急いで着替え、残っていた卵焼きと味噌汁を食べる。部屋へ戻って洗濯機を回し、その間にゲームを起動した。
今日は、工場の入口に溜まっている箱を片づけたい。運ぶ道を1本増やすだけのつもりが、隣の設備を動かすことになり、昼前までかかった。箱が少しずつ減っていくのを眺めてから、洗濯物を干していないことに気づく。
こういうことで慌てる休日は、久しぶりだ。
菊花賞のあと、榎本と選んだ取材は2件だけ受けた。三冠のうちどれがいちばん難しかったかと聞かれ、3つとも違ったので答えに困った。次に何を目指すのかには、まだ決めていないと同じ返事をした。
校内では今も声をかけられる。けれど、誰にも会わずに部屋で過ごす日までなくなったわけではない。
午後は情報系の入門書を開いた。書いてあるとおりに短いプログラムを入力し、画面へ文字を出す。変数の名前を変えたら動かなくなり、直したつもりの場所とは別の行に、前の名前が残っていた。
それを見つけたところで、ロブロイから連絡が来た。
『新刊、買えました。読み終わったらお話ししたいです』
リーフは机の端に積んである同じ本を見た。こちらは、まだ袋から出したばかりだ。
『私、まだ最初』
『私もです。今日は、ここから読めるので』
リーフはプログラムを保存した。本を取ってベッドへ移り、まずは最初の章を読むことにした。
*
有馬記念の話が出たのは、それから数日後だった。
図書室を出て、ロブロイと校舎の外へ向かっていた。窓の向こうでは、薄暗くなった走路に照明が点いている。
「トレーナーと、年末の予定を相談しているんです」
「有馬記念?」
「はい。出走を目指して、準備したいと思っています」
ロブロイは歩く速さを少し落とした。リーフも合わせる。
「リーフさんも、一緒に出ませんか」
誘われるとは思っていた。榎本にも、年内にもう走るつもりがあるか聞かれている。答えは、家へ帰る日を調べたときから、ほとんど決まっていた。
「ごめん。年末は、出ないつもり」
ロブロイが黙った。腕に抱えていた本が、少し下がる。
「身体が、まだ戻っていないんですか?」
「そっちは大丈夫。練習も、少しずつ戻してる」
「でしたら、間隔は取れますし。移動も、中山なら」
「うん。出られないわけじゃないんだと思う」
玄関まで来たので、リーフは靴を履き替えた。言い方を探しながら、ロブロイが支度を終えるのを待つ。
「しばらく、次のレースがない状態で過ごしたい。何日までにこれを終わらせて、そのあと準備して、って考えないで」
先日の休日には、本もゲームもできた。やりかけた勉強の続きも気になる。来月もそんな日を取れると思うと、ほっとする。
「年末は家にも帰りたいし。今回は、休む方にしたい」
「そうですか……」
「うん……」
リーフは、嘘はつかなかったが、本当のことを言わなかった。
ロブロイに1つだけ、打ち明けられないことがあった。
菊花賞のあと、目元を赤くしていたロブロイの顔を、ときどき思い出す。3回とも誘ってよかったと言ってくれた。それでも、また自分が勝って、またあんな顔をさせたら。その次も同じことが続いたら。
嫌われたくない。憎まれたり無視されたりしたら、もっと怖い。出るなら勝ちたいし、手を抜くつもりもない。けれど、一緒に走ろうと誘ってくれたからといって、何度負かしても今までのように仲良くしてもらえると、当たり前には思えなかった。笑って話ができる今の仲は、失いたくなかった。
ロブロイは、外へ出てからも少し黙っていた。
「……分かりました」
「うん」
「一緒に走れたら、嬉しかったです」
声が小さかった。リーフはすぐには返せず、ロブロイの持っている本へ目を落とした。
残念そうにされると、気にはなる。けれど、年末に向けて予定を組み直したいかといえば、やはり違う。
「私も、ロブロイが出るのは見たい。応援には、行けるか考える」
「はい。決まったら、教えてください」
寮へ向かう道で、ロブロイが本を持ち直した。
「あの、新刊はどこまで読みましたか」
「3章の途中。あの人、帰ってきてからずっと怒られてる」
「黙って出ていったので……」
「でも、ちゃんと助けてきたんだよね」
「待っていた人たちは、それを知らなかったので」
リーフは、栞を挟んだ手前の場面を思い出した。帰ってきた本人は説明をしようとしていたのに、まず座って食べなさいと言われていた。
「この人、食事のあとには話を聞いてもらえるの?」
「続きは、読んでからにしましょう」
その返事だけ、いつものロブロイだった。リーフは頷き、今夜はもう少し先まで読むと伝えた。
*
「年内は休養で、変わらない?」
翌日の練習後、榎本に聞かれた。
「はい。ロブロイにも言いました」
「分かった。問い合わせにも、その予定で答えるね」
「出ない理由、また聞かれますか」
「聞かれると思う。次の出走は未定で、休養と学業に充てる。それで十分だよ」
リーフは靴紐をほどいた。断れば注目されなくなるとは思っていなかったが、説明を自分で何度も繰り返さなくていいのは助かる。
「ロブロイの練習、少し手伝うのは大丈夫ですか」
「内容による。リーフの練習に組み込める範囲なら、向こうのトレーナーと相談しよう」
「最後の区間だけとか。ずっと速く走る方は、私もやりたいので」
榎本が予定表を開いた。リーフも椅子を寄せる。休養明けの身体を確かめる日に、短い併走を入れる余地はあった。
ロブロイへ連絡すると、翌日、トレーナー同士で話すことになった。
『ありがとうございます。私の方でも、試したい練習があります』
続けて届いた文には、練習で前へ出られたとき、すぐ追いすぎないようにしたいと書かれていた。リーフは読んでから、返事を打った。
『私、前へ出る役?』
『お願いできれば』
『分かった。速さは、トレーナー同士で決めてもらおう』
そのあと、読み終えた新刊の話も送った。帰ってきた登場人物が、結局また出かけることになった件についてだ。
ロブロイから、今回は皆で行くので、と返ってきた。
リーフはその場面を開き直した。たしかに、食卓にいた人まで荷物をまとめている。前の巻では留守番だった子が、いちばん大きな鞄を持っていた。
『この子、荷物を持ちすぎじゃない?』
送ってから、ロブロイも同じ場面を開けるよう、ページ番号を付け足した。