ゼンノロブロイが一緒に走りたいって言うから…… 作:Lagavulin
ロブロイは、東京の芝2000mを走る自分を何度も想像していた。
トレーナーとの相談で、デビューは秋を目指すことになっている。夏までに基礎を固め、集団での走り方を練習し、状態を見て具体的な日を決める。まだ出走表に名前はない。それでも、最後の直線で前へ出るところまでは思い浮かべられた。
近頃は、その想像の中にもう1人増えていた。
「リーフさんは、いつ頃デビューするんですか?」
練習を終え、木陰のベンチで水を飲んでいるときだった。リーフは蓋を閉めてから、ロブロイを見た。
「する予定、ないよ」
「……まだ決めていない、ということですか?」
「今のところ、出ないつもり」
聞き間違いではなかった。
ロブロイは自分の膝に置いた予定表を見た。リーフにも似たようなものがあって、そこに夏か秋の予定が書かれていると思っていた。
「走るのは、お好きですよね」
「うん。すごく」
「でも、レースは……」
「大勢に見られるのが、ちょっと」
リーフは少し言葉を探した。
「ちょっとじゃないか。かなり。走る前も嫌だけど、走ったあとに名前を覚えられるのが嫌」
「話しかけられるから?」
「知らない人にね。練習を見たいとか、次はいつとか。たぶん悪気はないんだけど、毎回、急に返事を考えるのに疲れる」
普段、リーフは挨拶の前に少しだけ間を置く。ロブロイにはすぐ返せるようになったが、初めて会う指導者には、何を言われるか待ち構えているような顔をする。
「1回走ったら、その日で終わりにはならないでしょう」
「はい……」
「私、放課後に本を読んで、ゲームをして、ここで走れたら結構満足なんだ」
ロブロイは、リーフが町の配線を説明していたときの声を思い出した。あの時間も、この併走も、本人が大切にしているものだ。
「ごめんなさい。私、当然みたいに聞いてしまって」
「ううん。トレセンにいるんだし、普通はそう思う」
リーフが荷物へ水筒を戻した。これで話を終えれば、いつものように図書室へ行ける。ロブロイも、そうするべきかもしれないと考えた。
けれど、予定表の10月の欄を見ると、言わなかった言葉が喉に残った。
「それでも、誘ってもいいですか」
リーフの手が、鞄の持ち手から離れた。
「私、リーフさんとレースに出たいです」
先ほどの説明を聞いたうえで言うのは、わがままだ。ロブロイは相手の顔を見ながら続けた。
「一緒に走るようになって、前より練習が楽しみになりました。終わったら本の話をしようとか、今日はもう少し長く並んで走れるかもしれないとか。朝から、そんなことを考える日があるんです」
「……うん」
「私のデビュー戦にも、リーフさんがいてくれたらって、ずっと考えていました。応援してもらうだけじゃなくて、同じスタートから走って、最後に勝負したいんです」
リーフは黙って聞いている。うつむかずにいてくれるので、ロブロイも最後まで言えた。
「私は、勝ちたいです。大きなレースにも出たい。そのために強くなりたいし、できれば、リーフさんと一緒に強くなりたいです」
「……一緒にレースに出て、私に勝つために?」
「はい」
答えたあとで、自分でも驚いた。頼み事をしている相手へ、ずいぶん正直に言ってしまった。
リーフは口元を緩めた。
「そこは、譲らないんだ」
「……譲りたくないです」
ロブロイは両手で予定表を押さえた。
「リーフさんと走るのが好きです。だから、私にとって大事なレースでも、一緒に走ってほしいです」
今度こそ言い終えると、耳が少し熱くなった。リーフはすぐには答えず、ベンチの前の地面を見ていた。
「今、出るって約束はできない」
「はい」
「ライブも、観客も、その後も、まだ分からないことが多いから」
ロブロイは頷いた。急いで撤回したり、冗談だったことにしたりはしなかった。
「でも、練習は続けたい。私も」
ロブロイが顔を上げると、リーフがこちらを見ていた。
「それは、今、言える」
ロブロイは予定表を鞄へ戻した。折らずにしまうつもりが、角が引っかかる。リーフが鞄の口を少し広げてくれた。
「ありがとうございます」
「大事な予定表、曲がりそう」
「そっちも、ですけど」
立ち上がったあと、リーフが一歩遅れてついてきた。
「そんなに考えてたんだ」
「……はい」
「私、来週のゲームの予定くらいしか考えてなかった」
「それも大事です」
ロブロイが真面目に答えると、リーフは今度こそ小さく笑った。図書室へ向かう途中で、次の併走の日を相談した。リーフは土曜の午前を選び、昼からは1人で遊びたいと付け足した。