ゼンノロブロイが一緒に走りたいって言うから…… 作:Lagavulin
帰省する日の朝、リーフは鞄を持って榎本の部屋へ寄った。出発の時刻と休み中の連絡について確認するためだったが、椅子へ座る前に、昨日までは言うつもりのなかったことを口にした。
「来年も、続けます」
榎本は手にしていた書類を机へ置いた。
「レース?」
「はい。ロブロイと、約束したので」
「そう。決めたんだね」
リーフは頷いた。どんなことを言われ、何と答えたかまで説明すると、列車に乗る前に疲れ果ててしまう。昨日のロブロイの声を思い出しただけで、鞄を握る手に力が入った。
「次は、まだ決めてないです」
「そこは休み明けに考えよう。春に出る候補と、準備に使う時間を並べてみるから」
「授業も、ちゃんと出たいです」
「うん。大学のこともあるしね」
榎本は、先に決めてあった帰省の日程へ目を落とした。明日から走る量を増やそうとも、休みを短くしようとも言わない。
「休んでいる間に、来年の出走を聞かれたら、まだ相談中と答えておくね」
「お願いします」
「休み中、ほかに相談したいことはある?」
「今のところは、ないです」
立ち上がりかけたリーフは、少し考えてから付け足した。
「……榎本さんにも話したって、ロブロイに伝えておきます」
「分かった」
榎本は椅子にもたれかかって言った。
「ロブロイには敵わないな」
「……どういう意味ですか」
「そのままの意味だよ」
榎本はそれだけ答え、机の上の時刻表を指で示した。そろそろ駅へ向かった方がいい時間だった。リーフは鞄を肩へ掛け、今年世話になった礼を言って部屋を出た。
*
家へ帰ると、母が昼食を温め直してくれた。
食卓には焼き魚と卵焼きが並んでいた。父は昨日の有馬記念の話をしたがり、リーフが箸を取るより先に、最後はどちらが勝ったと思ったかと聞いてきた。
「分からなかった。画面に名前が出て、やっと」
「お父さん、こっちでも立ち上がってたよ」
「あれは立つだろう」
修司が母に言い返し、リーフも頷いた。勝ったと分かったあと、自分も立ち上がって拍手していた。
「来年も走ることにした」
焼き魚の骨を外しながら言うと、両親の返事が一瞬遅れた。
「榎本さんにも、朝、言ってきた。休みが終わったら、出るところを相談する」
「そっか」
母は、小さく笑った。
「大学の見学は、また行くんでしょう?」
「うん。前に行ったところも、別のところも見たい」
「じゃあ、予定が分かったら教えて。送っていける日なら行くから」
父は、今度は先に箸を取った。三冠の次は何を狙うのか、どこまで勝てそうかとは聞かれなかったので、リーフは少し楽になった。
「ロブロイに、続けてほしいって言われて」
「一緒に走りたいって?」
「……うん」
それだけでは全然足りない。けれど、あの言葉をこの食卓で繰り返すのは無理だ。リーフが味噌汁の椀を持つと、母は自分の卵焼きを父に取られそうになり、そちらへ箸を伸ばした。
「それ、私の」
「まだあるだろう」
「おかわりは、そっち」
リーフは椀で口元を隠したまま笑った。食べ終わったら、自分の部屋へ鞄を運ぶ。今日は、それ以外には何も決まっていない。
*
休みに入って3日目、ゲームの画面で、最後の箱が指定された場所へ収まった。
散らかった工場の一角を片づけるだけの作業に、思ったより時間を使ってしまった。誰かに見せるわけでもない。急ぐ必要がなく、途中で止めても困る人がいないので、リーフはこのゲームを帰省中にやろうと決めていた。
箱をもう1列そろえるか。それとも、そろそろ本を読むか。
椅子の上で足を伸ばしたところで、スマホに通知が出た。ロブロイからだった。
『前にお話しした本、読み終わりました』
リーフはゲームを保存し、スマホを取った。最後の章について、ロブロイがどう思ったか聞きたかったのだ。途中で送ってもいいか迷った感想が、こちらにも残っている。
『最後、主人公が戻ってきたところ?』
『はい。あそこで名前を呼ぶのが、よかったです』
『分かる。それまで名前を呼ばなかった人が、やっと呼んでくれたから』
文字を打ちながら、本棚へ手を伸ばした。ページを開くと、思っていたより前から、その場面へつながる会話があった。
リーフは引用したい行を探しかけ、やめた。これを全部打っていると、感想を話すより長くなりそうだ。
『今、少し話せる?』
返事を待つ間に机の上を空けた。ほどなく通話がつながり、ロブロイの声が聞こえた。向こうでも本を手にしていたらしく、聞きたい場面のページは、すぐに見つかった。
「主人公、もう少し早く帰ってきてもいいと思った」
「でも、迎えが来るまで、待っていてもらえるとは思っていなかったんでしょうね」
「だから、待ってる方は困るんだよ」
「それは……はい。とても困ると思います」
ロブロイが笑った。リーフも、本の端を押さえたまま笑った。学園では同じページを見せれば済むところを、別々の本を持って確認するのが、少しもどかしい。
声が途切れると、ゲームの音が小さく聞こえた。ロブロイに尋ねられ、片づけの途中だったと答える。画面の端には、次の作業に使う箱が積まれていた。
「戻ったら、一緒に遊んでたゲームの続きもしよう」
「よろしいんですか? お休みの間に進めるのかと」
「あれは、一緒にやる方だから」
ロブロイが、少し黙った。
「……はい。楽しみにしています」
リーフは本を閉じ、学園へ戻る日を確認した。休みはまだ残っている。明日は朝に近所をゆっくり走り、昼にはプログラミングの本を読むつもりだった。母と買い物へ行く約束もある。
「帰った次の日、空いてる?」
「午後でしたら。午前中に、取材のお話が1つあって」
「じゃあ、午後」
リーフは予定へ書き込んだ。昨日まで空欄だった場所が埋まったのを見て、その日の昼食は早めに済ませておこうと思う。
「ロブロイに、会いたい」
言ってから、閉じた本をもう一度開いた。今は読むところなどないのに、何かしていないと、返事を待っているだけだと分かってしまう。
「私もです。帰ったら、会いに行きます」
「うん」
少し長く通話をしてから、リーフはゲームへ戻った。続きを始める前に、本を鞄の横へ置いておく。ほかにも貸せそうなものがあったので棚を見たが、2冊目を取ったところで、学園へ持ち帰る教科書の山が目に入った。
これ以上増やすと、また鞄が閉まらない。
リーフは迷った末に、本を2冊とも机へ残した。明日、荷物を詰め直すことにして、画面の中の箱を先に片づけた。