ゼンノロブロイが一緒に走りたいって言うから…… 作:Lagavulin
ロブロイが談話室へ来たとき、リーフはゲームの開始画面を出して待っていた。
冬休み明けの休日で、昼食を終えたばかりの時間だった。奥の席には誰もいない。ロブロイが隣へ座ると、リーフは持ってきた本を先に渡し、それからコントローラーを差し出した。
「2冊も、よろしいんですか」
「うん。帰りに重かった」
「……すみません」
「私が読んでほしくて持ってきたんだけど」
ロブロイが、本を鞄へしまう途中で顔を上げた。
「じゃあ、早く読んで感想をお伝えします」
「急がなくていいよ。ゲームもあるし」
リーフが続きを選ぶと、画面には2人分の小さな作業員が現れた。大きな木箱を持ち上げ、部屋の反対側にある扉まで運べば終わる。以前、時間が足りずに残していた面だった。
持ち上げるところまでは、すぐにできた。けれど、机の横を通ろうとして、箱が引っ掛かった。リーフは手を止めたが、ロブロイの作業員はまだ進もうとしている。
「待って。そっちから押すと」
「こちらを、少し先に……あっ」
木箱が回り、机の上の花瓶が落ちた。
2人で画面を見た。割れた花瓶を、ゲームは何事もなかったようにその場へ残している。
「これ、弁償とか、ある?」
「ない、と思います」
「じゃあ、見なかったことにしよう」
ロブロイが小さく笑い、コントローラーを持ち直した。今度は一度箱を置き、通れる向きに変えてから持ち上げる。狭い扉を抜けたところで、画面に大きな丸が出た。
「できました」
「花瓶は割れたけどね」
「次は、割らないようにします」
「もう1回やるの?」
ロブロイは答えず、やり直す方へ目を向けた。リーフは笑って、同じ面をもう一度選んだ。
年末に抱きしめたときのことは、隣に座られてすぐ思い出した。けれど、コントローラーを渡してからは、それより箱の角の方が気になった。肩が近くても、何を話せばいいか考えなくていい。
花瓶を残したまま箱を運び終え、今度こそゲームを止めた。リーフが飲み物を取ると、ロブロイは鞄の口を開けかけ、また閉じた。
「リーフさん。春のこと、ご相談してもいいですか」
「うん。まだ何も決まってないけど」
「天皇賞春で、一緒に走っていただきたいんです」
リーフは飲み物を置いた。
「3200mだよ」
「はい」
「私は、もう少し短い方が得意だと思う」
「……存じています」
静かな返事だったが、ロブロイは目を逸らさなかった。リーフはその顔を見て、少し遅れて、そういう誘いなのかと気づいた。
「知ってて、誘ってるんだ」
「はい。少しでも勝てるところで、リーフさんに勝ちたいんです」
有馬記念を勝った相手が、コントローラーを膝に置いたまま、真面目に言った。
「菊花賞では、長く走っても4馬身離されました。もう200mあれば勝てたとは、思っていません。でも、距離が伸びれば、長く速さを保つ私の走りを生かせるかもしれません。そこを伸ばして、勝つ方法を探したいんです」
「私も、練習するよ」
「はい。それも、分かっています」
リーフは椅子の背へ寄りかかった。ロブロイは自分に有利な条件を選び、そこへリーフを誘っている。図々しい頼みだと自覚しているらしく、声は少し小さくなっていた。
「……そういうところ、遠慮しないよね」
「……だめですか?」
ロブロイは一度目を伏せたが、もう一度リーフを見た。
「自分に都合のいいお願いだとは、思っています。一緒に走ってほしいと言って、そのうえ、私が勝てそうなところに来てほしいなんて」
「だめとは、言ってないけど」
「でも、勝ちたいんです。リーフさんに。そのために、まだできることがあるなら、全部やってみたいので」
そこで少し言葉が途切れた。ロブロイはコントローラーを机へ置き、息を吸った。
「……わ、私に3200mで負けるのが怖いですか?」
リーフはぽかんと口を開けたまま、ロブロイを見た。
聞き間違えたのかと思ったが、ロブロイは頬を赤くして返事を待っている。
「……今の、考えてきたの?」
「はい。リーフさん、勝負に対しては真剣ですから……」
リーフは口元を押さえたが、笑いが漏れた。
確かにこれは敵いそうもない。ここまで一生懸命になられると、どうすれば出られるかを考えてしまう。長い距離の準備も、春の予定も、まだ榎本に聞いていない。
「……分かった。榎本さんに相談する。準備できるなら、出るよ」
ロブロイの表情が、ぱっと明るくなった。
「ありがとうございます」
「出るなら、ちゃんと勝ちに行くよ」
「はい。私も、勝てるように準備します」
リーフは飲み物を取り、空になった缶を見て置き直した。
「今日は、もうレースの相談は終わり」
「分かりました」
「帰るまで、私と遊んで」
ロブロイはすぐに頷き、コントローラーを持ち上げた。次の面を選ぶ前に、今度はどちらから箱を動かすか、2人で画面を見ながら決めた。
*
1月の終わり、長めの練習を終えたリーフは、走路の端で呼吸を整えていた。
決めた速さで前半を走り、最後に上げる。その最後の区間の記録を見せられ、リーフは榎本へ頷いた。短い距離ならもう少し上げられるところで、脚が思ったほど前へ出なかった。
「菊花賞の最後に、似てます」
「うん。速く走れなくなるわけじゃない。でも、その先でもう一度上げようとすると、使える力が少ないね」
「最後まで待てば、少しは残せます」
「待っていて届く位置ならね」
リーフは画面の数字を見直した。ロブロイは、待っていていい速さでは走らないだろう。菊花賞では直線より前から追い、最後に並び返されて、さらに上げた。
「3200m、出ることはできそうですか」
「準備を進めて、状態を見ながら。得意な距離とは違う走り方が必要になるけど、無理だとは思ってない」
榎本は、休養を挟んだ先の予定を見せた。復帰戦は2月の京都記念。まず2200mでレースへ戻り、そのあと春の長い距離へ向けて練習を組む案だった。
授業も、休む日も、予定に残っている。リーフは4月の欄へ目を移し、しばらく見てから顔を上げた。
「それで、お願いします」
帰りにロブロイへ連絡すると、放課後、図書室へ来てくれた。声を抑えながら礼を言われ、リーフは本を閉じた。
「お礼はいいよ。私も、出るって決めたから」
「でも、嬉しいので」
ロブロイは、それ以上は言わずに隣の席へ座った。読みかけの本を開いても、しばらく同じページのままだった。
*
2月の京都記念で、リーフは7つ目の勝利を挙げた。
直線で前へ出ると、そのまま差が開いた。5馬身差。走り終わったあとも、最後の加速の感覚がはっきり残っている。菊花賞のときより余力があったと榎本へ伝え、次の週は決めていたとおり走る量を減らした。
その休みの間にも、ロブロイは日経賞へ向けて練習を続けていた。
リーフが併走に加わったある日、ロブロイは終わりを待たずに速さを落とした。長く速く走ろうとして、早いところから上げすぎたらしい。肩で息をしながらトレーナーの話を聞き、次に試す位置を、走路の向こうへ指で示している。
翌週には、同じところで落ちなくなっていた。リーフが横から近づいても、すぐに追い返そうとはしない。終点に使う分を残し、その手前で、もう一度しっかり脚を伸ばした。
「今の、前より長く続いた」
リーフが言うと、ロブロイは息を吐きながら頷いた。
「最初に、使いすぎていたので」
「途中で私が来ても、気にしなかったね」
「気には、していました。とても」
横にいたロブロイのトレーナーが笑った。リーフも笑ったが、走っている間には、そこまで気にされていたとは分からなかった。
3月、ロブロイは中山の2500mを先頭で駆け抜け、日経賞を勝った。
リーフは画面で見ていた。並ばれそうになってからも、ロブロイの速さが落ちない。最後の坂を上がりきったところで差が開き、そのままゴールした。
観戦のあと、リーフは自分の練習記録を開いた。長い距離を走ったあとの加速は、少しずつよくなっている。それでも、2200mの最後と同じようにはいかない。
どこから来られても、直線でまとめて追い越せばいい。そんなつもりで京都へ行くのは、やめた方がよさそうだ。
祝う連絡を送ると、夜になってロブロイから返事が来た。礼と、次は一緒ですね、という言葉のあとに、借りていた本を返したいとある。
『明日、図書室でいい?』
『はい。2冊目の方も、読み終わりました』
リーフは翌日の練習が終わる時刻を送り、ノートを閉じた。次に貸せそうな本を何冊か選び、明日の感想を聞いてから決めることにした。