ゼンノロブロイが一緒に走りたいって言うから…… 作:Lagavulin
榎本梓は、走り終えたリーフへタオルを渡しながら、来月の学内選抜の話をした。
「今なら、いい走りができると思う。参加してみない?」
リーフが共通練習で指導を受けるようになって、2週間ほど経つ。榎本は、リーフの言う「今日はここまで」を聞いてから理由を尋ねる人だった。走るのが楽そうだからというだけで、勝手に本数を増やすこともしない。
ただし、レースへ勧めることはある。そこまでなくなるとは、リーフも思っていなかった。
「観客、入りますよね」
「入る。映像も記録する」
「今回は、やめておきます」
用意していた返事は、詰まらずに出た。
「集団走の練習なら受けたいです。見られるところで走るのは、今はちょっと」
「分かった。選抜とは別にできるから、そっちを考えよう」
榎本は申込用紙をしまった。リーフはタオルで顔を拭き、続きの言葉を待った。
せっかく力があるのに、とか。
1度だけだから、とか。
「来週、火曜は小テストがあるんだっけ?」
「はい」
「じゃあ、その日の自主練習は短めにしよう。予定を書き直しておく」
話は本当に終わった。
*
翌日、榎本は片脚で立ったときのリーフの姿勢を見ていた。
「右だけ、少し内へ入るね。普段は困らなくても、疲れると大きくなるかもしれない」
「直ります?」
「癖を確かめよう。今ここで無理に形を作るより、短い補強を足したい」
昨日の選抜の話は出ない。断ったから指導が冷たくなることも、もう1度だけと説得されることもなかったが、それでも後ろめたい気持ちは勝手に出てくるのだと思った。
練習が終わると、走路の入口でロブロイが待っていた。
「今日は短編集にしました。次の巻まで、少し間が空くので」
「ありがとう。選抜、出るんだよね」
「はい。トレーナーさんと相談して、申し込みました」
ロブロイは用紙の控えを見せた。
「リーフさんは、今回は見送ると伺いました」
「うん」
「では、その前の週の併走、お願いしてもいいですか。最後にペースを上げるところを練習したくて」
「時間が合えば。メニュー、あとで送って」
それだけだった。
リーフは本を受け取ったあと、帰りかけたロブロイを呼び止めた。
「選抜って、普通に見に行ける?」
「見に来てくださるんですか?」
「知らない人に紹介されなければ」
「しません。席、調べておきますね」
ロブロイは、さっきまでより明るい声で答えた。
入学してからずっと仲良くしてくれたロブロイに、何か返してあげたい気持ちがあった。
*
数日後、リーフは榎本に少し時間を取ってもらった。
面談室は小さく、ほかの相談者はいない。話すことをスマホへ書いてきたが、机の上で開くのは少し恥ずかしかった。リーフは最初の1行だけ覚えて、顔を上げた。
「今まで走った記録、限界じゃないです」
榎本は頷き、手元のペンを置いた。
「余裕があるのは見ていたけど、どのくらい?」
「速い方の設定でも、まだかなり。疲れたふりはしてないです。ただ、出す速さを決めて走ってます」
痛みや疲れを隠したことはない。けれど、見せた記録だけで運動量を考えてもらうのも、そろそろ違う気がする。
榎本が区間ごとに尋ね、リーフは走ったときの感覚を答えた。母と練習してきたことも話した。最後まで聞いた榎本は、メモへ目を戻してしばらく黙った。
「これは、今のメニューをそのまま強くすればいい、という話じゃなさそうね」
「そんなに増えます?」
「まず確かめる。身体の状態を見ながら。必要なら、あなたの了承を取ってお母さんにも聞きたい」
「それは大丈夫です。……でも、記録を人に見せるのは、先に言ってほしいです」
「事情は理解しているつもり。ほかへ紹介するときも、相談する」
リーフはスマホの画面をちらりと見た。残りは、大学へ行くことと、練習の終了時刻についてだった。
「私、ゲームもしたいです」
「聞いてる。更新日があるんでしょう」
「更新日以外も」
「そこも含めて、時間を決めよう」
榎本が少し笑ったので、リーフも肩の力を抜いた。
「それで、担当をお願いしたいです」
「レースに出るかは、まだ決めていないのよね?」
「はい。だめなら、今言ってください」
「担当を引き受けるわ。そのうえで、走ってみたいと思ったら、私にも教えて」
面談室を出る前に、次の確認日を決めた。榎本は大勢を呼ぶことはせず、まずは普段の練習と身体の状態を見ると言った。
廊下へ出てからスマホを見ると、ロブロイから選抜の案内が届いていた。観客席の入口に丸が付いている。リーフは開始時刻を予定に入れ、返信を打った。
見に行く。練習も、金曜なら一緒にできる。
送信してから、面談用のメモを消した。最後に書いておいた「急に出走を決められたら断る」は、読み上げずに済んだ。