ゼンノロブロイが一緒に走りたいって言うから…… 作:Lagavulin
ロブロイが練習区画へ着くと、白く広がる髪が遠くからでも見えた。
ビワハヤヒデだ。
映像で何度も見た、G1を勝っている先輩。その横で、リーフが靴の紐を結び直している。2人が同じ画面に収まっているだけで、少し不思議な気がした。
この練習へ誘ってくれたのは、リーフだった。
榎本の指導を受け始めてから、リーフは普段より速い設定でも走っているという。その記録と、トランセンドの計測に協力したときの記録を、本人の了承のもとでトレーナー同士が比べた。結果、ビワハヤヒデ側から併走の相談が来たらしい。
『速い人と走る方が、自分の練習もしやすいから。見に来る?』
届いた文面は、それだけならいつもの練習の誘いに近かった。
「来てくれてありがとう」
リーフが手を挙げた。榎本がロブロイへ、見学できる位置を示す。
「今日は2本。長い方を先に走って、十分に休んでから短い方。記録は、ここにいる関係者とロブロイのトレーナーまでで共有することになっている」
「はい」
予約された時間の区画には、2人のトレーナーと記録係しかいない。ロブロイは邪魔にならない場所へ荷物を置いた。
最初は、ビワハヤヒデが前を走った。
入りから速い。ロブロイが終盤に上げていくときに近い速さで、2人は次の曲線へ入る。リーフは少し後ろにつき、間隔を変えずに進んだ。
ロブロイは時計を見た。いつもの800mを越えても、同じ並びのままだ。自分なら呼吸が苦しくなり、前との差を気にし始めるところで、リーフの肩は落ち着いている。
指定された区間を終えると、ビワハヤヒデが時計を確かめた。
「後半、少し速くなったが」
「はい。そのままでよければと思って」
「きつくはなかったか?」
「まだ大丈夫です」
リーフは榎本に脚の感覚を説明し、水を飲んだ。言葉の切れ方まで、ロブロイとの練習後とほとんど変わらない。
ただ、いつもより目が明るかった。
「これくらいで長く走れると、楽しいです」
榎本が頷く横で、ビワハヤヒデはリーフを見ていた。何か言いかけ、いったん自分のトレーナーへ向き直る。
休憩と状態の確認を挟み、次の1本に入った。
「終わりの加速を確かめたい。目印のところから、さっき話した範囲まで上げる」
ビワハヤヒデがリーフへ言った。
「並んでいてくれればいい。無理に先へ出る必要はない」
「分かりました」
ロブロイは、先輩が手を抜いて走っているとは思わなかった。先輩には、次の大きなレースへ向けて仕上げたい動きがある。そのために、相手を必要としている。
2人が目印を通過した。
ビワハヤヒデの脚が伸びる。映像で見た、あの加速だった。近くで見ると、身体が急に前へ運ばれていくように見える。
その横に、緑のリボンが残った。
遅れて追いついたのではない。速さが上がり始めたところから、リーフは隣にいた。ビワハヤヒデがもう1段上げても、肩の位置がずれない。
ロブロイは思わず身を乗り出した。
速い。
知っているつもりだった言葉が、今までよりずっと遠いものを指している。
終点を抜けた2人は、十分に距離を使って減速した。リーフは走路を離れる前に後ろを確認し、先輩へ道を譲った。そんな普通の動作が挟まるまで、ロブロイは声を出せなかった。
「今の、すごかったです……!」
リーフがこちらを向いた。
「ありがとう。私も、気持ちよかった」
「いつも、あのくらいで走れるんですか?」
「場所があれば。今日は先輩がいてくれたから、走りやすかった」
ビワハヤヒデは息を整えながら、リーフへ尋ねた。
「君は、これでも上限ではないんだな」
リーフは榎本を見た。榎本が頷くと、小さく答えた。
「はい」
「そうか」
先輩は黙り、記録係から時計を受け取った。2つの区間を見比べ、自分のトレーナーと短く話す。先ほどまでの調整の相談より、言葉が少なかった。
「もう1本、と言いたくなるな」
「今日はここまでです」
榎本が答えると、ビワハヤヒデはすぐに頷いた。
「分かっている。私も次の予定があるからな。……君とレースで会うなら、今日の分も考えておく」
リーフは返事に少し詰まった。ロブロイがよく知っている、人に期待されたときの顔だった。
帰り道、ロブロイはリーフへ何度も感想を伝えた。リーフは先輩の走りや、榎本に言われたことを話してくれた。
けれど、次の併走の話をするところで、ロブロイは言葉を飲み込んだ。
自分がやっと最後まで保てるようになった速さ。1週間かけて、少しだけ伸ばした区間。それに合わせるために、リーフはどれほど抑えていたのだろう。
頼んだ練習は、そのとおりにしてくれた。リーフの力を全部見せてもらう約束などしていない。
それでも、リーフの隣を走る時間を、自分も分けてもらっていいのだろうか。
「ロブロイ、本は?」
「あ……今日は、まだ読み終えていなくて」
「そっか。急がなくていいよ」
ロブロイの鞄には、読み終えた本が入っていた。返却口の前まで来てから気づき、ロブロイはリーフを呼び止めた。