「ちょ、おいって。どこ行くんやて」
男の戸惑いをフル無視し、ひたすらに走る。
どこに逃げよう。この辺りで隠れられる場所はあったか。
焦るせいで全く頭が働かない。
とにかく走るしかできなかった。
一瞬振り返ってみる。
あいつの姿は見えなかった。
よかった。追ってきていないのか。
そう安心したのも束の間だった。
ベチュ、ボチュベシュグジュ! ビチャベチャクチャベチョ!!
通りからそいつが出てきたと思いきや、とんでもない速さでこっちの方に向かってくる。単に走ってきているというより、粘液で滑り、今にも倒れそうな勢いで向かってきているといった感じだった。
恐怖が何倍にも膨れ上がり、私は走る速度を限界まで上げる。
どこか隠れられるところはないか。無理やり脳を回転させる。
そのとき、ある場所に差し掛かる。
鳥居の奥にはずっと階段が続いていた。階段には草があちこちに生えていて、半分獣道のようでもあった。
そうだ、神社があったんだ。
ここしかない。
私は鳥居をくぐり、一気にその階段を駆け上がる。
「ちょいっ、脚いってまうってっ。さすがに階段くらいゆっくり登ろうや」
「そんなこと言ってたら殺されるって! 見たでしょ! あいつの出した液体!」
感情的になってしまうものの、足は緩めなかった。
後ろを一瞬見る。
バクシビロンベクチャアドロリ!!!
怪物の身体はさっきの三倍ほどの粘液に覆われていた。もはや原型が見えにくく、どろどろとした塊が迫ってきているようでさえあった。
ひたすら登ることを続ける。
すると、道が二手に別れていた。
どうする、どっちにいく。
この神社に来たのは初めてだった。
行き止まりだったら、終わる。
まて。
なにも、二人一緒に同じ道に行かなくてもいいんじゃないか。
「あっち行って! 私こっち行くから!」
勝手に指示し、私は独断で右の方の道を行く。
「え、ちょい」
男の戸惑いを傍らに、私は男と反対方向の道を走った。
もし行き止まりだったとしても、分散すればどっちかは助かるんじゃないか。そう思った上での決断だった。
ギュルルルル、べシャア!!!
どうやら怪物は、私に狙いを定めたようだ。後方から迫ってくる音が聴こえる。
とにかく道なりに進むしかなかった。あまり舗装されていない、草の生い茂った道だった。その草の量は、進む度に増えていく。
「いっ——」
足をつられ、盛大に倒れる。どうやら膝を擦りむいたらしい。
しかし、痛がっている暇はなかった。一秒ほどで起き上がって、また走る。
ギュロロロン、ズベブチャアァァァァァ。
怪物の近づいてくる音が、段々ととんでもないものになってくる。決して振り向くことなく、無我夢中で走った。
やがて、展望台のような場所へ辿り着く。周辺には明かり一つない。唯一あるとすれば、下方に広がる街の、まばらな明かりくらいだった。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
息があがりすぎて、今にも倒れそうだった。
ズチッ。
後ろから音がして、振り返る。
怪物は私を袋のネズミだと思ったのか、速度を緩め、ゆっくりと近づいてくる。
私は一歩ずつ下がった。後ろには展望デッキとベンチくらいしかなく、武器になりそうなものは見当たらない。
そもそも暗すぎて、よく分からない。いまさら蒸し暑さを自覚し、汗が出ていることに気がつく。
これが絶体絶命というやつか。こんな状況にもかかわらず、妙に冷静な自分がいる。さっきまであんなに焦っていたのに。
極限状態になると、人はかえって冷静になるのかもしれない。
ギルギルゥゥゥ、ワシャアァァァァ。
怪物が腕を広げる。見えなくともよく分かるそのおぞましさに、恐怖はピークに達する。
そのとき、ふと思い出した。
私はリュックサックのポケットをまさぐる。
取り出したのは、オレンジ色の石だ。
今朝見つけた、出処の一切わからない謎の石。
捨てようと思っていたが、結局存在自体を忘れてしまい、入れたままだった。
ひょっとして、今が使い時なんじゃないか。
その石をひたすら握りしめる。両手で、胸の前に掲げて。
「頼むからなんとかしてよ! じゃないと、なんのために出てきたのか分かんないって!」
やけくそだった。しかし、何もしないまま死ぬのを待つよりは、いいと思った。
それが最後の、私の叫びになるのか。
その瞬間、怪物が自分の身体の粘液を、一部もぎ取った。それを私に、投げつけてくる。
死ぬ。
私、こんなところで死ぬんだ。
すごいあっけないな。
せめてもうちょっと、生きてたかった。
これじゃあママに、合わす顔もない。
「開けてっしゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
私の握りしめていた両手が、弾けるように離れる。
「うわっ!」
あまりの衝撃で後ろに倒れてしまう。
なにか大きなものが、私の手から出てきた。
いや、私の手からではない。石からだ。
それは炎のような形をしていた。暗いこの空間が、それによって照らされる。
ギユブァ!
炎が怪人に体当たりし、怪人は後方に倒れた。
その反動で、炎も反対側に飛んでいく。
すると、私の元に、なにかが飛んできた。
「……なにこれ」
これもまた、炎のような形をした物体だった。ゆらゆらと揺らめいて、光っている。なんなのかはよく分からない。
「お、おめぇが、フレアか?」
石の中から出てきた炎がしゃべった。状況をよく理解できず、固まってしまう。
炎には、まん丸の目がついていた。口もある。手足のようなものもある。手は球体、足は三角形だった。
「おめぇが、フレアなんだな!?」
その炎は、ふわりと人魂のように浮き上がり、そのままこっちまで近寄ってきた。驚きすぎて、仰々しく後退りをしてしまう。
「あれ? ど、どこいった。わいっちの持ってたベルトコア、どこいったっしゃあ!」
炎の浮遊体は、焦りながら辺りを漂う。
「あ! あった!」
その物体を見つけると、炎は小さい丸っこい手で物体を手に取る。
「これ、ベルトコアっしゃあ。ほら、はよフレアんなって、あいつぶっ倒せ」
言っている意味がよく分からなかった。
「ほら、早く」
炎は私に、そのベルトコアなるものを押し付けてくる。
色々と混乱し過ぎて、わけが分からなかった。
疑問が山のようにある。
どれから聞けばいいのか。
でもまずは、これだろう。
「あんた、何者……?」
「今はそんなこと聞いてる場合じゃないっしゃあ! はよ変身せんかいなぁ!」
「はぁ? なによ変身って! わけわかんないこと言わないでよ!」
「なにぃ? お前が変身者だろ! なんで知らないんだっしゃあ!」
「知るわけないでしょ! ていうかあんた、まじで誰なの! どうやって石の中から出てきたの! わっけわかんない頭おかしくなりそう!」
やけになって頭を掻きむしってしまう。そろそろ頭がパンクしそうだった。
ギュララララァ、ベジン!
しかし、怪物は待ってくれないようだった。
怪物は腕をこっちに向けてくる。
すると、その腕がこっちに向かって伸びてきた。
はぁ? 伸縮自在とか聞いてないんですけど!
開き直りすぎて、そんなことまで叫んでしまいそうだった。
ギュラァァァァ!
怪物は私に、伸ばした腕を振りかざしてくる。
やられる。
次こそ私は、ペシャンコにされて終わるんだ。
そう思った時だった。
炎の浮遊体が前に出てくる。すると、怪物の腕を受け止めた。
「とりあえず逃げろっしゃあ! 話はあとからっしゃあ!」
浮遊体は小さな身体で、怪物のでかい腕を受け止めていた。
今はその言葉に甘えるしかなかった。
私は腰を上げ、来た道を戻り始める。
私の片手には、ベルトコアがあった。浮遊体がそう言っていたから、そう呼ぶのが正しいのだろう。
「変身って、どういうことなの」
暗くて前がよく見えず、スマホのライトを起動する。
「なんなの、ベルトコアって」
浮遊体はこれで変身して倒せと言っていた。
これがあれば、あの怪物を倒せるのか。
しかしイマイチどう使うのか分からない。
「おーい!」
浮遊体がそう言いながらこっちに来る。どうにかしてあの怪物から逃れたらしい。
「ねえ、これ使ったらあいつ倒せるの?」
「当たり前っし! あいつらを倒すために、ベルトコアは存在してるんだっし!」
しかし、私には使えっこない。そもそも“変身”ってなんなんだ。この石の何がどうなって、あいつを倒せるというのか。
一体誰が、変身できるのか。
ふと、あの男を思い出した。
手のひらにバッテンがある、あの男。
私の夢に出てきたライオンの牙にも、バッテンがあった。
「もしかして」
全部繋がっているのか。
私がずっと見ていたあの夢も、
オレンジ色の石も、
男のバッテンも、
あの怪物も、
この浮遊体も。
とにかく、考えるのはあとだ。
「もしかしたら、私知ってるかも! 変身できる人!」
「ええ!? まじっしゃあ!? そいつ、どこにいるっしゃあ!!」
「ついてきて!」
そのまま走る。下りは登りの時よりもずっと足を踏み外しやすく、何度も転びそうになる。
すると、転びそうになって木製のフェンスに手をかける。
「いったっ!」
そのフェンスに大きなささくれができていて、手のひらを怪我してしまった。
「ああもうっ!」
感情が溢れかけるが、なんとか抑えてまた走り出す。
「なに怒ってるんだっしゃあ?」
「うるさい! 何から何まで、もう意味わかんない!」
私に降り掛かっているこの状況は、一体なんなのか。なんでよりによって、私がこんな目に遭わないといけないのか。理解不能は一瞬にして憤りへと変わってしまう。
ただ、投げ出すことはできなかった。
そうすれば、死んでしまう。あいつに殺されて終わる人生など、真っ平ごめんだ。
私はまだ、なにも成し遂げていない。
「あ、いた!」
男はさっきのことなど忘れたかのように、悠然と歩いていた。またあくびをした。楽観的にもほどがあるだろう。
「おーい!」
声をかけながら、男の腕を掴んだ。そのまま前方へ突っ走る。ここだと暗くてよく見えない。
「え、おい。今度はなんやねん」
男の戸惑いは無視する。いま来た道を戻ると、確実に怪物と鉢合わせしてしまう。だから、そのまま突っ切るしかなかった。
「おめぇか! おめぇが変身者なんだな!」
浮遊体が感激するように言う。
「うわ、なんやこいつ」
男はわけがわからない様子だった。
やがて、第二展望デッキへ辿り着く。私がさっき行った展望デッキより高い位置にあり、より広く街が見える。そして街灯が一つあった。
ギュラララララァ。
怪物が向こうからやってくる。
両手は触手のようにうねうねしている。その両手からボタボタと粘液が落ちた。地面の土がぷしゅーといって溶ける。
「これっ」
私は片手に持っていたベルトコアを男に渡す。
「なんやこれ」
男は受け取ると、珍しいものを見るようにベルトコアを見る。
「あなた、変身できるんじゃないの?」
「へんしん?」
男は眉をひそめる。
「ベルトコアで変身して、あいつを倒すっしゃあ!」
浮遊体がそう言う。
「何言うてんのか、よう分からんねんけど」
「うそ! だって手のひらにあるでしょ! バッテンの傷跡!」
男は「ああ」と言って手のひらを見る。
「でも、それがなんやねん」
「はあ?」
呆れた感情が表に出てしまう。身体が思わず項垂れた。
「この流れだったらどう考えてもあなたがなるもんでしょ!」
「いや流れってなんやねん」
「どうにかなんないの? じゃないと殺されちゃうって!」
「んなこと言われてもなぁ」
男は悠長に頭を搔く。なぜそうボケッとしていられるのだろう。
この男はさっきからそうだ。この状況なら普通はもっと焦るはずなのに、落ち着き払っている。動揺がまるで滲み出ない。
ギュルルル、ゲギュアァァァァァァァァァァ。
怪人の触手が、瞬時に私たちの元まで迫ってきた。
その時だった。
ベルトコアが、強い光を放った。あまりの眩しさに、私は両目を腕で覆う。
ブチィ!
なにかが切断される音が聞こえた。
光が収まり、私は腕を退ける。
「え……」
怪人の触手が、地面に落ちていた。切り離された断面からは、ドブ色とそのほか様々な色が混ざった液体が溢れ出ている。あれが、怪物の血なのか。
「ベルト・フレアだ!!」
浮遊体が突然叫ぶ。
男が持っているベルトコアを見ると、違うものになっていた。
横長の炎っぽい形をした、大きいもの。中央には丸いガラス窓のようなものがある。燃えたぎるような雰囲気のそれは、単なるインテリアとは訳が違うように思えた。
「これは、変身者の前でしか姿を表さない! まぎれもなく、おめぇが変身者だっしゃあ!」
浮遊体が興奮しながらそう言う。
男はぽかんとしていた。
「早くそれを腹に着けるっしゃ!」
そう催促される。
「いや、なんで俺が——」
「早くするっしゃ!!」
男は不服そうにしながらも、その通りにする。
すると、そのベルト・フレアの左側面から、炎のビームのようなものが発射する。それが男の腰を一周し、右側面にまで到達する。その瞬間、炎のビームは黒いギザギザのベルトに変貌した。
「きったぁー!!!」
浮遊体は小学生のように舞い上がる。
「……なんやこれ」
男は自分の腰に巻きついたベルト・フレアを、戸惑いの目で見る。
「『変身』って言うっしゃ!」
浮遊体が男の顔面に接近する。
「変身?」
「そうっしゃ!」
「なんで?」
「その掛け声がないと変身できないってしゃ!」
男はあからさまに面倒くさそうな顔をする。
「おいおい、ちょっと待ってくれや。俺はなぁ、今から家帰ってビスケット×ビスケット食う予定やってんぞ」
男が初めてまともな主張をした。しかしその主張は今の状況において、拍子抜けするようなものだった。
そういえば、男はまだ片手にビスケット×ビスケットを持っていた。
私はすかさずそれを奪い取る。
「あっ」
「あとで食べればいいでしょ!」
「てんめぇ。俺のビスケット×ビスケット返——」
「あいつ倒さなかったら、ここでみんな殺されて、ビスケット×ビスケット食べらんないから!」
私の手にあるビスケット×ビスケットを取り返そうと手を伸ばした男は、ぴたっと止まる。
「まあ、そうか」
スッと姿勢を正した男は、怪物と向き合う。怪物は片腕を失くし、苦しんでいるようだった。
「えー、なんやっけ。あぁ、『変身』って言うんか」
男は目を瞑る。
男なりの覚悟の決め方なのだろうか。
すると、男の周囲に風がまとい始める。落ち葉があれば、それが巻き上げられていただろう。
なにかが起こる気配がした。
ギュララァ……っ! ギュラギュララァ……!
怪物は尻もちをつく。腕を切断され、明らかに怯えているようだった。
「変身」
男の落ち着き払った声が響く。
その瞬間、私は一歩後退りした。ついにこの時が訪れるのか。男は今から、変身するのだ。
辺りを包んでいたのは、静寂だった。
特になんのアクションも起こっていない。
「え」
さすがに予想外すぎて、どう言えばいいのか分からなかった。
「ねえ、どういうこ——」
「待つっしゃあ」
ついさっきまで騒がしかった浮遊体は、冷静沈着な声で私を制す。
すると、男についたベルト・フレアが、揺らめく炎のようにゆらゆら照り始める。
その時だった。
ベルト・フレアの左右側面から、爆発せん勢いで炎のロープのようなものが飛び出してくる。
左側面から出たロープは男の上半身を、右側面から出たロープは男の下半身を覆っていく。ロープは加速度的に巻く速度を速めていく。
やがて、全身がそのロープに覆われる。男の身体が密閉された。
すると、みるみるそのロープが炎そのものに変化していく。男の身体が火だるまになってしまう。
女性のソプラノ歌手のような声が複数響いた。綺麗なハーモニーを奏でたその声が止むと同時に、その炎が溶けていく。
オレンジのヒーローが、そこにはいた。
サファイアのように青く輝く目があり、黒のマスクを基調に炎の仮面がひっついている。胴体、腕、脚、全てにおいて黒を基調としつつも、炎を思わせる装甲がそれぞれについている。
街灯しかなかった暗闇の展望台を、オレンジのヒーローは照らした。
「フレアっしゃあ!! 仮面ライダー! フレア!!」
浮遊体が感激する。
「仮面ライダー、フレア?」
それは、ちっとも聞いたことのないフレーズだった。
「この世界を救う、炎の戦士っしゃあ!!」