「そういえばさ、昨日どっか行ってたの?」
あずさが頬張っていたメンチカツを飲み込んだあと、そう聞いてくる。食堂端のカウンター席は、比較的騒がしさがマシだから、空いていたらいつもそこに座っていた。
「いや、まあ、ちょっとね」
ふんわりと話を逸らす。
いつもならバイトが終わったあとどこにも寄り道せず帰ってくる私が、昨日二時間近く遅れて帰ってきたことを珍しがっているようだ。
「なになに。もしかしてこれ?」
あずさは両手でハートを作ってくる。
「そんなわけないでしょ。すぐそうやって恋愛方向に考える」
「だって疑っちゃうじゃあん。純真というか、真っ直ぐというか、遊び心のない瑚春が門限ギリギリに帰ってきたらさ」
それもそうかもしれない。基本的にバイトする日はバイト、遊ぶ日は遊びといったように割り切る節が私にはある。
「でも、だからって全部恋愛に結びつけようとするのは古くない? 昔のドラマに出てくる女性の登場人物くらい恋愛脳じゃん」
イケメンで性格がよくて仕事のできる彼氏を作るんだから! そんな目標を掲げている若い女性は、昭和平成と比べてだいぶ減っているだろう。
「もうルームメイトになって結構経つんだから、そういうワクワクするような話のちょっとやそっと聞かせてよ〜」
ぶーぶー言うあずさを尻目に、私は生姜焼きをご飯に乗せて食べる。お米が値上がりしたせいで二十円高くなってしまったが、それでもこの美味しさの前には抗えない。
「で、結局なにやってたの?」
ギクッ、としかけるが、なんとか抑える。あずさの気は全く反らせていなかったようだ。
昨日のことを話すわけにはいかなかった。話したとしても信じてもらえるわけがなかった。
ゲラルンからは特に箝口令を言い渡されなかったが、それでもあれに関することを容易に誰かに言いふらすのは違うと、私でも分かる。
「バイト先にね、だるいやつがいるの。金髪でアホみたいにチャラくて、常に女と車のことしか考えてなさそうなやつ。そいつにしつこく絡まれ続けてさ」
「うわー、それはしんどいな。でも二時間も?」
「いや、そいつに絡まれてたのは五分にも及ばなかったんだけど、この時期ってこともあって、店内にGが出ちゃってさ。店長虫大っ嫌いだから、見つけるの手伝ってって言われて」
「えー、最悪じゃん!」
我ながらクオリティの高い即席捏造力を持っているなと思う。なんとか回避できたようでよかった。
『続いて。昨夜未明、久瀬市の住宅地路上、有明神社で多数の穴が出現しました。この穴はアスファルトや電信柱、住宅の壁、神社の階段や地面など広範囲に渡って出現しており、溶かされてできた穴のように見えます。専門家は『研究室などから盗んだ薬液を使ったイタズラ行為かもしれない』とのことですが、現時点ではまだ明らかになっておりません』
その読み上げは、食堂の上の方にある大型モニターから聞こえてきたものだった。
「こっわいねー。こういうの」
あずさがモニターを見る私に話しかけてくる。
「その劇薬持ってる輩が今もうろついてるかもしれないってとこよね」
「……うん」
食堂の冷房がこっちに向かってくる。なぜだかこの瞬間だけ肌寒く感じてしまった。
十中八九こうなるだろうとは思っていたが、いざ報道されているのを目にすると、気が落ち込んでしまう。
私たちは、とれだけ人の目を避けて、あいつらを、蟲人たちを倒していけるのか。
「あ、そういえば、登山サークルがまたメンバー募集してたよ。人あんまいないっぽい」
あずさがそう言ってくるのは、私が以前、ちょっとだけ登山サークルに入っていたからだ。しかし週に二回山に登るというのがキツくて、三ヶ月ほどでリタイアした。
「却下却下。もう興味ありません」
「あらそう?」
そう言ってすぐ、あずさがメンチカツ定食を食べ切った。私も最後の生姜焼きを食べ、生姜焼き定食を平らげた。
□□□□□
「おじゃましまー」
「瑚春!」
赤石龍之介宅の扉を開けると、いきなりゲラルンが飛びついてくる。
「なになに、どうしたの」
「あいつ、狂ってるっしゃあ!」
そう言って向こうを指差すので、私はとりあえず行く。
「うっわ。なにこれ」
辺り一面に、ビスケット×ビスケットの袋が散乱していた。中身は食い尽くされているため、ゴミの山である。
「こいつ、ありとあらゆるスーパーマーケットとかコンビニエンスストアに行ってはビスケット×ビスケットを買い占めたんだっしゃあ! いくら止めても聞かなかったんだっし!」
当人は平然と壁にあぐらを掻いてもたれ、ケロッとした顔でビスケット×ビスケットを食っていた。
赤石龍之介をこれまで通り大学に行かせるか、昨日ゲラルンとかなり相談した。
赤石が一週間ほど前から大学に来ていたのは、紫炎獅子が私と赤石を巡り合わせるという計らいがあってのものだった。それが達成された今、蟲人が現れない間、つまり基本的には、赤石をどこにどう留めておくか。
結果として、赤石はまだ人間らしい行動ができるまでに達していないため、基本はこの家に閉じ込めておくという結論に至った。だから赤石の面倒はゲラルンに任せ、私はいつも通り大学に行った。
だが、そう上手くはいかなかったようだ。
「なにをごちゃごちゃ言うとんのや。俺のやりたいことくらい好きにやらせろっちゅうねん」
赤石はなんら悪気を感じている様子はない。
「あんた、よくそんなに食えるね。なん袋食べたの?」
「んなもん数えてへん」
「十九袋っし。つまり今ので二十袋っしゃあ」
「やっばっ」
散らばっている袋の量からなんとなくは察せたが、数にして言われると余計頭のおかしさが伝わってくる。
「どこにそんなに入ってるの? 内蔵全部胃なの??」
それはフードファイターの人に抱く感想と全く同じだった。
「紫炎獅子様、ちょっち設計ミスられたんかもな。人間らしさが欠けてるとは聞いてたけんど、まさかここまでとは思ってなかったっし」
「え、紫炎獅子も設計ミスするの?」
「そりゃあそうっし。瑚春、神様に近い存在の紫炎獅子様なら失敗や不手際なんか起こさないとでも思ってるっしゃあ? ちっともそんなことないっし。世界の仕組みをいじくるなんて言えば簡単そうに聞こえるっしが、実際は途方もなく難しいっし」
どれくらい難しいのか、私が実感する日は来ないんだろう。
「てか、それ買うお金はどこから出てるの?」
「こいつには銀行口座もあるっし。とりあえず一千万はあるっしゃね」
「一千万!?」
こんなにも声を上げて驚いたのは初めてだ。
「蟲人を根絶するのにどれだけ時間がかかるのか、まだまだ予想がつかないっし。この金額はそのための経費として支給されたものだけんど、全部使い切るくらい長引く場合は、また追加で支給されるっしゃ」
こうなってくると、紫炎獅子がどこからどこまでができて、どこからどこまでができないのか、猛烈に気になってくる。
「まあ、紫炎獅子様もこんな菓子にばかり費やされるとは思ってなかっただろうっしゃけど」
導き手がいないと、こうなってしまうんだ。
恐らくこのままいけば、赤石はひたすらビスケット×ビスケットにしかお金を使わずにいくだろう。
「蟲人を倒す前に、まずは生活に必要なものを揃えないといけないよね」
拠点となる部屋がこんな有り様では、蟲人退治もままならない。
「よし、買いもん行こう!」
そうして、赤石宅拠点化計画は始まった。
翌日の水曜日は履修科目がなく休みだった。
その日にまず私たちが向かったのは、家電量販店エディオフ。ここだけであらゆる電化製品が手に入る。
まずなんと言っても必須なのは、冷蔵庫だ。これからはこの拠点でご飯を食べる日も増えてくるだろう。赤石がビスケット×ビスケットしか食べなくとも、私にはしっかりしたエネルギー補給が必要だ。食品を腐らせるわけにはいかない。
それ以外だと電子レンジ。私は料理ができないし、赤石ができるわけもないことを考えると、十中八九弁当やお惣菜でお腹をいっぱいにすることが多くなるはずだ。
次に炊飯器。さすがの私でも白ご飯くらいは炊けるのと、純粋に私が白ご飯が好きだというので。
最後にスマートテレビ。私には赤石みたいにひたすら壁を見て過ごすことはできない。会話だけでこの場を保つのも十五分程度が限界だと思って、その暇つぶしになればと。
エディオフの店員のおじさんにはだいぶ驚かれた。さすがにこの四つをまとめて一括でお買い上げしたのは私たちが初めてらしい。
それから三日後の土曜日、ホームセンターDBM.に行って、様々な家具や雑貨を買った。
まずテーブル。何気に一番大事かもしれない。これがないストレスに私は耐えられそうになかった。テーブルに身体を寄りかからせ、話したりできるだけでも革命的だ。
あとは座布団を二人分。これがないとお尻を痛めてしまう。
それからオープンラック。これ一つあれば、ボールペンやハサミといった文房具やその他の行き場の無いものもとりあえず置いておける。
それから食品関連グッズもそれなりに。大小様々なお皿を二つずつ、合計六つ。紙コップ、割り箸、氷製造型。一通りの調味料も買い揃えた。
そしてなにより重要だったのは、携帯電話だ。
赤石はそれを持っていないばかりに、連絡をとれなかった。もしビスケット×ビスケットを買いに出かけ、その道中で迷子にでもなってしまったらお巡りさんの面倒になってしまう。
その日の午後二時過ぎに一通りの買い物を終え、携帯ショップdocodemoに行った。あまり使わなさそうな赤石に最新のものを買い与えるのもスペックの無駄遣いだと思い、最低限の機能を備えた安めのものにした。
「ふぅー、コンプリートコンプリート」
携帯ショップから出ると、ぐいっと伸びをする。実際には生活してみないと分からないが、ひとまず最低限のものは揃ったはずだった。
ただでさえ暑い上に色んなところに行きまくったのだ。体力はかなり消耗していた。
「こんの。一日中連れ回しよって。休まる暇もなかったやんけ」
赤石は携帯の入った袋を持っていた。
「どうせ暇でしょあんたは。あんな部屋で過ごすのなんか、私は絶対嫌だし」
すると、赤石が立ち止まる。何事かと思い目を向けると、ポケットの中からベルト・コアを出した。
ベルト・コアの表面が、ほわんほわんと波紋を広げるような、揺らめくような様子を見せていた。
「なにそれ。どうなってるの?」
「いや、知らん。なんかポケットの中ぬくいな思って取り出したら、こんなんなってた」
「蟲人が出たんだっし!」
私の胸ポケットからミニサイズのゲラルンが出てくる。
この三人で外出するとなった際、一番問題となってくるのはゲラルンだったが、どうやら小型になれるようだった。胸ポケット付きのシャツを持っていなかったためわざわざ買わなければいけなかったのは面倒だったが、ゲラルン人目問題はそうして解決していた。
「そのベルト・コアの反応は、半径1キロ以内に蟲人が出た証拠っし。つまりこの近くに蟲人がいるんだっし」
それを聞いて、一気に緊張の糸が張り出す。
こないだの蟲人は自分からこっちに近づいてきてくれたが、今回はそうではない。
この先どうやって蟲人を見つけていくのか。それがずっと疑問だったが、どうやらベルト・コアを頼りにしていくらしい。
「でも、ここ街中だよね」
顔は青ざめていることが自分でも分かった。
この前のような、夜の住宅街や寂れた神社という人気のない場所ではない。
「蟲人だってそんなに頭は悪くないっし。人間に見つかれば只事では済まないことくらい、よく分かってるっしゃあ。だからここいらの場所でいるとすれば、路地裏とか、ちょっとした建物と建物の隙間とかっし」
周りを見てみる。探せばそういうところはたくさん見つかりそうな気がした。
「手当り次第探すしかないってこと?」
「そうっしゃあ。でも半径1キロ以内ってことは確定してるっし。探すのにそんなに時間はかからないはずっしゃあ」
頭をフル回転させ、どうするか考える。
「とりあえず、二手に別れよう。私はあっちの方を探すから、赤石はそっちの方探して。で、ゲラルンは赤石についていって。まだスマホも全然使いこなせないと思うし、ゲラルンは分かる範囲でいいから、赤石に指示してくれたら」
「分かったっしゃあ」
そうと決まれば、ダッシュして辺りを探し始める。「えぇぇ俺も探すん」「当たり前っしゃあ! はよ行くっし!」 向こうでそんなやり取りが聞こえた。
大通りのある栄えた街の昼下がり、休日ということもあってかなりの人で賑わっていた。
ベビーカーを押す母親と、その隣を歩く父親。高い笑い声を出しながら会話する女子高生二人。杖をついてゆっくり歩くご老人。スーツ姿ですたすたと歩く営業ウーマン。自転車を漕ぎながら話す男子小学生三人組。
街路樹からはセミの鳴く声が聴こえる。この時間帯でも太陽は容赦なくこの街の人たちを照らしている。みんな汗をかきながらも、思い思いに自分たちの時間を過ごしている。
もしこんな街で蟲人が出てきたら。
この前の光景がフラッシュバックする。
身体中に粘液を纏い、色んなものを溶かしていった蟲人。
いま探しているのがまたそんな蟲人だとしたら。
いや、そんな蟲人でなくとも。
今更ながら、私が請け負っているこの役目の重さを実感する。
頭を振って一旦忘れる。とりあえず蟲人を探すことに専念する。
あらゆる路地裏やちょっとした隙間を覗いていった。明らかに人が入れる場所じゃないような場所まで、隈なく。
そうして探していた時だった。
薬局と弁護士事務所の建物の間、人が一人通れるくらいの通路があった。
その奥に、うごめく人影を見たような気がした。