病んだ少女に、代償として血を求めるタイプの魔剣を与えてはならない 作:ねりぃ
遠くで、ぎぃ、と扉が軋む音が聞こえた。
続いて衣擦れの音。がしゃん、と何かを床に置く音。そして、ぱたぱたと走る足音。
四つ目の音を聞いて、私はようやく心の安寧を取り戻すことができる。今日も妹ーーミルは、大きな怪我をすることなく無事に帰ってきてくれたのだと。
無事に帰ってきてくれたのだから、いつまでも暗い顔をしていては逆に私の方が心配されてしまう。ミルはただでさえ危険な仕事をして心身共に疲弊しているのだ。私のせいで、家に帰ってまで気苦労を負わせるわけにはいかない。
確かに体調は芳しくない。体は怠いし、頭も喉も痛い。それらをミルに隠し通すことだって出来そうもない。でも、そんな私が心まで落ち込んでいては、ミルに余計な心配をかけさせてしまう。
せめて笑顔で出迎えよう。
そう思い立ち、両手で頬を引き上げようとしてーー右腕がないことを思い出した。
ミルを『大狼』の攻撃から庇って負った、名誉の負傷。
あの時の行動を間違っていたとは思わない。そうしなければミルは間違いなく首を食いちぎられて死んでいた。仮にあの日をもう一度繰り返して、それでもあの状況を回避できないのなら、私は喜んで再びこの身を差し出すだろう。
ただし、それは右腕以外だ。左腕なら喜んで差し出そう。脚だって、右腕を失うよりかはマシだ。片方だけあったってまともに動けないのだ、いっそ両脚くれてやっても構わない。
右腕さえーーそこにかつて存在した『
仕事も、家のことすら満足にできない私をミルに介護させるくらいなら、あの時、右腕でなく、首を差し出していればーーーー。
ーーいや、ダメダメ! 今は嫌なことは全部忘れないと! 笑顔、笑顔ーー。
ミルを迎えるため、ベッドから上体を起こしたところで、ばたん、と部屋の扉が勢いよく開かれる。
「ただいま、お姉ちゃん!」
「ーーおかえりーーミルっ!?」
何とか作り出した、ギリギリ笑顔と呼べなくもないような代物は、私の目がミルの容態を捉えた途端に霧散する。
ミルは、全身の至る所が血の滲んだボロ布に巻かれていた。頭も、腕も、胴も、足もーー怪我を負っていない部位が見当たらない。
特に酷いのは太ももの傷で、まだ完全に止血できていないのか、布は鮮血で真っ赤に染まっている。
「怪我が!? ーーごほごほっ」
「お、お姉ちゃん大丈夫!?」
大丈夫だって? それはこちらのセリフだ。
ミル、あなたは、そんな酷い怪我でリビングからこの部屋までの短い距離をわざわざ走ったの?
確かに元気な足音を聞くと安心するという話はこの前したけど、だからってそんな無理してまで私を安心させようとしたの?
そんな気遣いはいらない。
むしろもっと自分の身体を気遣って。
というか、そんなことをしてもあなたの様子を見たら心配するに決まってる。遅いか早いかの違いで、むしろ心の準備が一切出来なかったせいで心臓が破裂しそう。
そんな、ミルを責めるような言葉が口から飛び出すのを、私の冷静な部分が何とか飲み干した。ただでさえ体に大怪我を負っているのだ。こんな自分勝手な言葉で、心にまで傷を負わせるわけにはいかない。
第一に治療。それからミルをベッドに寝かせて、ご飯を食べさせてあげて、眠くなるまで話を聞いてあげるのだ。説教はその後でいい。
「ーー私は大丈夫、それよりあなたよ。消毒はもうしてある? 治癒魔法は受けなかったの?」
「えっと、消毒はしたよ? 魔法は……混んでたし、その……早く、お姉ちゃんに会いたくて…………」
「ーーっ」
ミルは、もじもじしながら目を逸らす。
一見ただ恥ずかしがっているだけのようだが、ミルを生まれた時から知っている私には分かる。これは、何か後ろめたいことがあることのサインだ。
その内容も簡単に想像がつく。
ミルはいつも私を心配しているのだ。
特に今日のような、体調が悪く動けない日には、ミルはなるべく私の側にいてくれる。
だけど、それでも出かけないといけない日ーー魔物の襲撃で召集がかかった日には、なるべく余分なことを省いた上で、大事なことすらすっ飛ばして帰ってくるのだ。それは防壁での後片付けだとか、武器の手入れだとか、パーティでの反省会だとかーーそれらの中でも一番やめて欲しいのが、怪我の治療をすっ飛ばすこと。最初に額から血をドバドバ流しながら帰ってきた時は、心臓が止まるかと思った。
その時にこっ酷く叱ったのが生きているのだろう、最低限の応急処置はして来るようになったが、人員が少なくどうしてもそれなりに長い待ち時間が生じてしまう治癒魔法での治療は未だにすっ飛ばしがちだ。
加えてその時、私はミルに、過度に私のことを心配するな、したとしてもそれを行動に移すなとも叱ったのだが、それは今のような「早くお姉ちゃんに会いたかった」という言い訳へと反映されている。お説教の成果は芳しくない。
まあつまり、今のミルにとって後ろめたいこととは、私を心配するあまり私の言いつけを破って怪我を癒すことなくさっさと帰ってきてしまったことだ。
ミルが怪我を応急処置だけで放置してしまうのは、私が頼りないから。私が、目を離すと死んでしまうのではないかと思わせる程に弱いからーー。
ーーああ、私はミルの足枷だ。生きているだけで、ミルを心身共に傷つける。もういっそのこと、死んでしまった方がーー
「今日ね、『大狼』が出たの」
「ーーっ!」
「あの時のヤツほど、強くも大きくもなかった。けど、体、竦んじゃってーー」
「ミル…………」
「怖かった、怖かったよ……」
ふらふらと覚束ない足取りでこちらへと寄ってきたミルは、両手を広げて私にしなだれかかり、私の存在を確認するかのようにしがみついてくる。ミルの身体は、震えていてーー私は思わず、ミルを抱き返してしまう。ミルが怪我人であることも忘れてーー今私の出せる、ありったけの力で。
こんなことをしたら、せっかく止血をしたミルの怪我が開いてしまうかもしれない。足の怪我が更に酷くなってしまうかもしれない。そんな、私の冷静な部分が発する警告を、今度は受け入れることができなかった。
だって、ミルが今日の戦いで体に負ったどんな怪我よりも、心の傷の方が大きいから。ミルが私の生存を確信するには、片腕だけでは足りないから。半分しか包めない分、強くしないと伝わらないから。
ああ、本当に私は足枷だ。生きているだけでミルに負担をかけて、怪我をさせて、心配させてーーそして、もし私が死んでしまえば今のミルでは立ち直れない。外すも地獄、外さぬも地獄、呪われた足枷だ。
何か、考えないと。ミルをこの地獄から解き放つ方法を。
tips :
魔法を使うためのエネルギー源となる物質、
この世界のあらゆる生命体は何らかの形で