──昼休み終了後。
午後の授業が始まるまで、あと数分。
僕──長尾景紘は、自分の席で教科書を広げていた。
「……うーん」
「どうした、景紘」
隣から声をかけてきたのは、上杉風太郎。
小学校時代からの親友であり、学年トップの成績を誇る秀才だ。
「いや、この間出された課題なんだけど……最後の問題が分からなくてさ」
「見せてみろ」
「良いの?」
「ああ」
僕がノートを差し出すと、風太郎は問題を
「……ここだな」
「ん?」
「お前、途中の計算を間違えている」
「あ、本当だ」
「まったく。問題文はちゃんと読め」
「ははっ。気をつけるよ」
風太郎は呆れながらも、丁寧に解き方を教えてくれた。
こういうところは、本当に頼りになる。
もっとも。
「……風太郎」
「何だ?」
「さっきの中野さんには、ちゃんと謝った方が良いと思うよ?」
「…………」
途端に、風太郎の表情が曇った。
「……まだ言うのか」
「だって、初対面であんなこと言ったら怒るよ」
「事実を言っただけだ」
「うーん……」
困ったなぁ。
風太郎は決して悪い奴ではない。
むしろ、家族思いで面倒見も良い。
ただ。
人との接し方が少し不器用なのだ。
「……景紘」
「ん?」
今度は後ろから声が聞こえてきた。
比企谷八幡。
こちらも小学校時代からの親友だ。
「諦めろ。こいつに女心を理解させるのは、数学の赤点常連に微分積分を教えるより難しい」
「……八幡」
「何だ?」
「それ、ちょっと言いすぎじゃないかな?」
「事実だろ」
「お前にだけは言われたくないぞ、八幡」
「ほう。俺は女心を理解していないんじゃない。理解する必要がないだけだ」
「……それ、余計に問題じゃない?」
「景紘。世の中には知らなくて良いこともあるんだよ」
「ははは……」
相変わらずだなぁ。
そんな会話をしていると。
ガラッ。
教室の扉が開いた。
「ほら、お前たち。席につけ」
担任の先生が教室へ入ってくる。
僕たちは慌てて席へ戻った。
「午後の授業の前に、転校生を紹介する」
……転校生?
僕は思わず顔を上げた。
そういえば。
昼休みに出会った中野さんも、今日転校してきたと言っていたっけ。
「入ってきなさい」
先生の声に応じて、一人の女子生徒が教室へ入ってきた。
赤みがかった長い髪。
星形の髪飾り。
そして、旭高校とは違うデザインの制服。
……あれ?
「中野五月です。以前は黒薔薇女子に通っていました。まだ分からないことも多いですが、よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる少女。
間違いない。
昼休みに出会った中野五月さんだった。
「……あれ?中野さん?」
思わず声が漏れる。
すると。
中野さんも僕に気づいたらしい。
一瞬、驚いたように目を見開いた。
そして。
小さく微笑んでくれた。
……うん。
まさか同じクラスになるなんて。
世間は狭いものだねぇ。
「……おい」
隣から風太郎の声がした。
「……どうしたの?」
「……あいつ」
「うん?」
「昼休みの……」
「ああ。中野さんだね」
「……何でここにいるんだ?」
「いや、転校してきたからじゃないかな?」
「そういう意味じゃない!」
……うん。
分かってるよ。
「……景紘」
後ろから八幡が声をかけてきた。
「ん?」
「何か、面白いことになりそうだな」
「……そうかな?」
「少なくとも、風太郎にとってはな」
「おい、八幡!」
「何だよ。事実だろ」
……まったく。
この二人は。
◇◆◇◆◇
転校生の紹介が終わり、午後の授業が始まった。
五月さんは先生に案内され、空いていた席へ座る。
どうやら、僕たちと同じクラスになったらしい。
……まあ。
さっきの紹介を見れば分かることだけど。
それにしても。
「…………」
隣の風太郎が、先ほどから落ち着かない。
教科書を開いてはいるものの、視線は何度も五月さんの方へ向いている。
……珍しいなぁ。
風太郎が授業中に勉強以外のことを気にするなんて。
そんなことを考えていると。
ブブッ。
机の中に入れていたスマホが小さく震えた。
……ん?
確認すると、風太郎からメールが届いていた。
『景紘。後で話がある』
……話?
僕は隣を見る。
風太郎は真剣な表情で黒板を見つめていた。
……何だろう?
◇◆◇◆◇
午後の授業が終わった後。
「景紘。ちょっと来い」
風太郎に呼ばれ、僕は教室の隅へ移動した。
「どうしたの?」
「……家庭教師の件だ」
「ああ。昼休みにらいはちゃんから連絡があった仕事?」
「そうだ」
風太郎は小さく頷く。
「さっき、詳しい情報が届いた」
「へぇ。どうだった?」
「……それが」
風太郎は携帯電話の画面を見せてきた。
そこには、家庭教師の仕事に関する情報が表示されている。
そして。
「……転校生?」
僕は思わず呟いた。
「そうだ」
「転校生って……」
「……あいつだ」
風太郎が視線を向けた先。
そこには、クラスメイトと話している五月さんの姿があった。
「……え?」
「家庭教師の生徒が、中野五月だった」
「…………」
「…………」
……なるほど。
それで授業中、あんなに落ち着かなかったのか。
「……すごい偶然だね」
「感心している場合か!」
「いや、だって……」
昼休みに出会った転校生。
その子が、風太郎の家庭教師の生徒。
しかも。
初対面で大喧嘩。
……うん。
これは大変そうだ。
「……どうするの?」
「決まっている」
風太郎が真剣な表情で答える。
「何としてでも、あいつと仲良くなる」
「……へぇ」
思わず目を丸くしてしまった。
風太郎が自分から女の子と仲良くなろうとするなんて。
「……何だ、その顔は」
「いや、珍しいなぁって」
「仕事だからな」
「ああ、なるほど」
……そういうことか。
「とにかく、時給五千円だぞ。絶対に逃すわけにはいかん」
「ははっ。風太郎らしいや」
僕は苦笑しながら頷いた。
「でも、まずは謝った方が良いと思うよ?」
「……分かっている」
「本当に?」
「分かっていると言っているだろ」
……少し心配だなぁ。
◇◆◇◆◇
そして。
風太郎の奮闘が始まった。
「おい、中野」
「…………」
「昼休みのことなんだが……」
「…………」
五月さんは、風太郎の方を見ようともしない。
「……聞いているのか?」
「…………」
完全無視。
……うん。
予想はしていたけれど。
「中野さん」
僕が声をかけると。
「あ、長尾君」
五月さんが振り返った。
「どうしましたか?」
「いや、風太郎が何か話したいみたいなんだけど……」
「そうなんですか?」
「うん」
「……私は特にありません」
「……そ、そっか」
……これは手強い。
風太郎の顔が引きつっている。
「……景紘」
「うん?」
「何でお前には普通に話すんだ?」
「いや、僕に聞かれても……」
「くそっ……」
……まあ。
理由は分かるんだけどね。
◇◆◇◆◇
その後も、風太郎は諦めなかった。
「中野。勉強で分からないことがあれば──」
「長尾君。次の授業の教室はどちらでしょうか?」
「あ、うん。こっちだよ」
「ありがとうございます」
「……おい」
「…………」
また無視。
別の休み時間には。
「中野。これ、さっきの授業のノートだ。必要なら──」
「長尾君。少し質問しても良いですか?」
「もちろん」
「この学校の図書室は、どちらにありますか?」
「ああ。それなら……」
「……中野!」
「…………」
……うーん。
これは。
さすがに風太郎が可哀想になってきた。
もっとも。
最初に失礼なことを言ったのは風太郎なんだけど。
「……景紘」
「うん?」
「どうすれば良いと思う?」
「まずは、ちゃんと謝ることかなぁ」
「……謝ろうとしているんだが」
「うん。でも、まだ謝れてないよね?」
「…………」
風太郎が黙り込む。
……やっぱり。
この辺りは、もう少し頑張ってもらうしかないかな。
◇◆◇◆◇
放課後。
ようやく授業が終わり、教室には帰宅する生徒たちの声が響いていた。
「……疲れた」
風太郎が机に突っ伏す。
……珍しい。
勉強では決して弱音を吐かない風太郎が、ここまで疲れているなんて。
「お疲れ様、風太郎」
「……景紘」
「うん?」
「女って、何であんなに面倒なんだ?」
「……それはちょっと問題発言じゃないかな?」
「事実だろ」
「いや、風太郎の場合は自業自得だと思うよ?」
「……くそっ」
僕は苦笑する。
後ろでは、八幡が本を読んでいた。
「……風太郎」
「何だ?」
「お前、根本的なところを間違えてるぞ」
「……何?」
「謝罪ってのは、相手に聞いてもらうためのものじゃない。自分の非を認めるためのものだろ」
「…………」
「お前の場合、謝ったら仲良くしてもらえると思ってる時点で間違いなんだよ」
「……八幡」
「何だ?」
「お前、たまにまともなこと言うよな」
「たまにって何だ、たまにって」
「はははっ!」
思わず笑ってしまった。
……でも。
八幡の言うことも、もっともだと思う。
風太郎は家庭教師の仕事を成功させたい。
だから、五月さんと仲良くなろうとしている。
けれど。
五月さんからすれば、そんな事情は関係ない。
ただ、初対面で失礼なことを言われた。
それだけなのだ。
「風太郎」
「……何だ?」
「焦らなくても良いんじゃないかな?」
「……だが」
「ちゃんと謝って、それから少しずつ話せるようになれば良いと思うよ」
「…………」
風太郎はしばらく黙っていた。
そして。
「……考えておく」
小さく答えた。
……うん。
少しは伝わったかな。
その時だった。
ガラッ。
教室の扉が開いた。
「比企谷八幡はいるか?」
低く、よく通る女性の声。
僕たちが振り返ると、教室の入口に一人の女性教師が立っていた。
国語科の教師であり、生活指導も担当している。
生徒思いで面倒見が良い先生だけれど、怒らせると少し怖い。
……いや。
かなり怖い。
「……比企谷」
「……はい?」
八幡が顔を上げた。
「ちょっと職員室まで来い」
「……先生。俺、何かしましたっけ?」
「心当たりがないのか?」
「ありすぎて特定できませんね」
「威張って言うことじゃないだろう……」
先生が呆れたようにため息をつく。
「八幡。また何かしたの?」
僕が尋ねると。
「景紘。お前まで俺を問題児扱いするな」
「いや、普段の言動を考えるとな……」
風太郎がぼそりと呟く。
「風太郎。お前にだけは言われたくねえよ」
「何だと?」
「……二人とも、落ち着いて」
僕が苦笑しながら間に入る。
すると。
「比企谷。無駄口はそこまでだ」
平塚先生が腕を組んだ。
「来い」
「……へいへい」
八幡は気怠そうに立ち上がる。
「……八幡」
「何だ、景紘」
「大丈夫?」
「大丈夫だろ。たぶんな」
「……たぶん?」
「まあ、死にはしねえよ」
「縁起でもないこと言わないでよ」
「ははっ。じゃあな」
珍しく小さく笑った八幡は、平塚先生の後を追って教室を出ていった。
◇◆◇◆◇
~八幡Side~
──職員室。
「……で?」
平塚先生の机の前に立った八幡は、面倒そうに口を開いた。
「俺、何かしましたか?」
「何かしたか、だと?」
平塚先生が一枚の紙を取り出す。
「これに見覚えは?」
「……作文ですか?」
「そうだ。お前が提出した作文だ」
八幡は紙を受け取った。
そこには、自分が書いた文章が並んでいる。
題名は──
『青春とは嘘であり、悪である』
「……ああ」
「思い出したか?」
「はい」
「何か言うことは?」
「……我ながら、なかなか良い文章ですね」
「比企谷……」
平塚先生のこめかみが、ぴくりと動いた。
「お前は、これを真面目に書いたのか?」
「もちろんです」
「……そうか」
先生は深くため息をつく。
「お前の文章には、他人との関わりを拒絶するような考え方が目立つ」
「別に拒絶しているわけじゃありませんよ」
「ほう?」
「必要以上に関わる必要がないと思っているだけです」
「……なるほど」
平塚先生は腕を組んだ。
「だが、お前には友人がいるだろう?」
「……まあ」
「長尾と上杉だ」
「…………」
八幡は少しだけ目を逸らした。
「小学校からの付き合いですからね」
「それだけか?」
「……それだけです」
「ふむ」
先生はしばらく八幡を見つめていた。
そして。
「比企谷。お前に一つ、課題を与えよう」
「……嫌な予感しかしませんね」
「安心しろ。良い経験になる」
「先生がそう言う時点で安心できないんですが」
「口答えするな」
「……はい」
平塚先生は立ち上がった。
「ついてこい」
「……どこへ?」
「お前に必要な場所だ」
「……はぁ」
八幡はため息をつきながら、先生の後を追った。
◇◆◇◆◇
校舎の廊下。
放課後ということもあって、周囲は静まり返っていた。
「……先生」
「何だ?」
「俺、これから何をさせられるんですか?」
「着けば分かる」
「……そうですか」
それ以上聞いても無駄だと悟ったのか、八幡は黙って歩き続けた。
やがて。
平塚先生が一つの教室の前で立ち止まった。
「ここだ」
「……ここ?」
扉には、小さな札がかかっている。
──奉仕部。
「……奉仕部?」
八幡が首を傾げる。
「何ですか、それ」
「困っている生徒を助ける部活だ」
「……はぁ」
「お前には、ここで少し学んでもらう」
「……何を?」
「人との関わり方だ」
「…………」
八幡は何とも言えない表情を浮かべた。
……面倒なことになった。
そんな心の声が聞こえてきそうだった。
「入るぞ」
平塚先生が扉を開ける。
ガラッ。
その先にあったのは、静かな教室だった。
机と椅子。
窓から差し込む夕陽。
そして。
窓際の席で、一冊の本を読んでいる少女。
長い黒髪。
白い肌。
整った顔立ち。
どこか近寄りがたい雰囲気を纏った、美しい少女だった。
「雪ノ下」
平塚先生が声をかける。
少女がゆっくりと顔を上げる。
「……平塚先生」
落ち着いた声。
その視線が、先生の隣にいる八幡へ向けられた。
「そちらの方は?」
「新しい部員候補だ」
「……部員候補、ですか?」
少女は八幡を見つめた。
そして。
「……随分と目つきの悪い方ですね」
「…………」
八幡の眉がぴくりと動く。
「……初対面でそれかよ」
「事実を述べただけですが?」
「……そうですか」
……何だ、こいつ。
八幡は心の中で呟いた。
平塚先生は、そんな二人を見て満足そうに頷いた。
「よし。紹介しよう」
そして。
「比企谷八幡。こちらは雪ノ下雪乃だ」
「…………」
「雪ノ下。こちらは比企谷八幡」
「……よろしくお願いします」
「……どうも」
二人は、ぎこちなく挨拶を交わした。
こうして。
比企谷八幡と雪ノ下雪乃。
二人の出会いが、静かに始まった。
そして。
この出会いが、やがて長尾景紘たちの日常にも大きな変化をもたらすことになる。
もちろん。
この時の八幡は、まだ知る由もなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
五月との関係修復に悪戦苦闘する風太郎。
そんな親友を見守る景紘と八幡でしたが、今度は八幡にも新たな出会いが訪れました。
ついに登場した雪ノ下雪乃。そして、物語に加わる奉仕部。
『五等分の花嫁』と『俺ガイル』、二つの物語が少しずつ交わり始めます。
果たして三人の幼馴染と五つ子たちは、これからどんな青春を過ごすのでしょうか?
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