~八幡Side~
──放課後。
旭高校の校舎には、部活動へ向かう生徒たちの声が響いていた。
運動部の掛け声。
廊下を歩く生徒たちの足音。
窓から差し込む、九月の強い西日。
そんな中。
比企谷八幡は、一つの教室で何とも言えない表情を浮かべていた。
「……で?」
気怠そうに口を開く。
「俺は何で、こんなところに連れてこられたんですか?」
目の前には、腕を組んで立つ平塚静。
そして。
窓際の席で本を読んでいる、一人の少女。
雪ノ下雪乃。
長い黒髪に、整った顔立ち。
誰が見ても美少女と呼ぶであろう容姿をしている。
ただし。
「平塚先生。その方は本当に、こちらへ入部されるのですか?」
「そのつもりだ」
「……そうですか」
雪乃は八幡へ視線を向けた。
「随分と目つきの悪い方ですね」
「……おい」
「何か?」
「初対面の相手に対して、もう少し言い方ってもんがあるだろ」
「事実を述べただけですが?」
「……さいですか」
……何だ、この女。
八幡は心の中でため息をついた。
平塚先生は、そんな二人のやり取りを見て満足そうに頷いている。
「うむ。なかなか相性が良さそうじゃないか」
「どこがですか」
八幡は即答した。
「先生。俺には、どう見ても相性最悪に思えるんですが」
「そうか?私はそうは思わんぞ」
「……はぁ」
話が通じない。
いや。
そもそも、話を聞く気があるのだろうか。
「それで、先生」
雪乃が本を閉じる。
「この方を連れてきた理由を、お聞きしても?」
「ああ」
平塚先生は頷いた。
「比企谷には、人との関わり方を学んでもらおうと思ってな」
「……人との関わり方?」
雪乃が首を傾げる。
「ああ。こいつは少々、ひねくれた考え方をしている」
「少々、ですか」
「おい」
八幡が口を挟む。
「初対面で人の性格を決めつけるのはどうかと思うんですが」
「あなたの言動から判断しただけよ」
「……そうですか」
本当に、遠慮のない女だ。
「比企谷」
平塚先生が声をかける。
「お前が提出した作文、覚えているな?」
「……ああ」
『青春とは嘘であり、悪である』
自分が書いた文章だ。
別に間違ったことを書いたつもりはない。
青春を謳歌している連中が、友情だの恋愛だのと騒いでいる。
その裏側にある
「お前は、人との関わりを否定するようなことを書いていたな」
「否定したわけじゃありませんよ」
「ほう?」
「必要以上に群れる必要がないと言っただけです」
「……なるほど」
平塚先生は腕を組む。
「だが、お前には友人がいるだろう?」
「……まあ」
「長尾と上杉だ」
「…………」
八幡は少しだけ視線を逸らした。
「小学校からの腐れ縁ですよ」
「それだけか?」
「……それだけです」
「ふむ」
平塚先生は小さく笑った。
「では、比企谷。お前に質問だ」
「……何ですか?」
「長尾と上杉が困っていたら、お前はどうする?」
「……は?」
突然の質問だった。
「答えてみろ」
「……まあ、内容によりますね」
「ほう?」
「景紘なら、大抵のことは自分で何とかするでしょうし。風太郎なら、勉強関係なら俺の出る幕はないですから」
「それ以外なら?」
「…………」
八幡は少し考えた。
そして。
「……放っておけないでしょうね」
小さく答えた。
「ほう」
平塚先生が笑みを深める。
「それは何故だ?」
「……何年も一緒にいるからですよ」
「つまり、友人だからか?」
「……まあ、そういうことになりますね」
「そうか」
平塚先生は満足そうに頷いた。
「なら、お前にも他人を助ける気持ちはあるということだ」
「……先生」
「何だ?」
「話が飛躍してません?」
「していないさ」
……いや、してるだろ。
八幡は心の中で突っ込んだ。
すると。
「……なるほど」
雪乃が静かに口を開いた。
「つまり、比企谷君は他人との関わりを否定しているわけではなく、自分が認めた相手としか関わろうとしないのね」
「……まあ、そんなところだ」
「随分と狭い世界で生きているのね」
「……おい」
「何か?」
「初対面の相手に、そこまで言うか?」
「事実でしょう?」
「……ぐっ」
言い返せない。
……いや。
言い返せないわけではない。
ただ、反論するのが面倒になっただけだ。
「雪ノ下」
平塚先生が声をかける。
「比企谷に、この部の活動を説明してやってくれ」
「……分かりました」
雪乃は本を机に置いた。
そして、八幡へ向き直る。
「この部は奉仕部よ」
「……それは見れば分かる」
「困っている人を助けることを目的としているの」
「……ボランティア部みたいなもんか?」
「少し違うわね」
雪乃は静かに首を振った。
「ただ手を貸すだけでは、その人のためにならないこともあるでしょう?」
「……まあな」
「だから、私たちは問題を解決するための手助けをする。本人が自分の力で前へ進めるようにね」
「……なるほど」
八幡は小さく頷いた。
……言っていることは、理解できる。
ただ。
「……で?」
「何かしら?」
「俺がここにいる理由は?」
「平塚先生が連れてきたからでしょう?」
「そういう意味じゃねえよ」
「では、どういう意味?」
「……いや、もう良い」
……面倒くさい。
本当に面倒くさい。
「比企谷」
平塚先生が口を開く。
「お前には、しばらくここで活動してもらう」
「……拒否権は?」
「ない」
「ですよねー」
予想どおりだった。
「それじゃ、俺は帰っても?」
「駄目だ」
「……はぁ」
……帰りたい。
今すぐ帰りたい。
景紘なら、今頃何をしているだろうか。
風太郎の相談にでも乗っているのかもしれない。
……いや。
あいつの場合、余計なお節介を焼いている可能性の方が高いか。
そんなことを考えていると。
「比企谷君」
雪乃が声をかけてきた。
「……何だ?」
「あなたは、この部の活動に不満があるの?」
「……まあ、あるな」
「そう」
雪乃は小さく頷いた。
「では、あなたは何故、人を助ける必要がないと思うの?」
「……別に、助ける必要がないとは言ってねえよ」
「では?」
「助けを求めていない奴に、無理やり手を差し伸べる必要はないってことだ」
「…………」
雪乃の表情が、少しだけ変わった。
「……なるほど」
「何だよ」
「あなたの考え方は、随分と消極的なのね」
「そうか?」
「ええ」
雪乃は真っ直ぐに八幡を見つめた。
「困っている人がいても、その人が助けを求めるまで何もしないということでしょう?」
「……場合によるな」
「曖昧な答えね」
「世の中、白黒はっきりつけられることばかりじゃねえだろ」
「それはそうね」
雪乃は一度頷いた。
「けれど、だからといって何もしなければ、何も変わらないわ」
「……そうかもな」
「あなたは、変わることを恐れているのではなくて?」
「…………」
八幡は黙り込んだ。
……何だ、この女。
初対面だというのに、随分と踏み込んでくる。
「……雪ノ下」
「何かしら?」
「お前、友達いるか?」
「…………」
一瞬。
雪乃の表情が固まった。
「……それが何か?」
「いや、何となくな」
「質問の意図が分からないのだけれど」
「俺も、お前の質問の意図が分からなかったからな」
「……そう」
雪乃は小さく息を吐いた。
「少なくとも、あなたよりは人との接し方を理解しているつもりよ」
「……へぇ」
「何か?」
「いや、別に」
……なるほど。
こいつも、なかなか面倒な性格をしているらしい。
「……ふふっ」
そんな二人を見て、平塚先生が笑った。
「やはり、相性が良さそうだな」
「どこがですか!」
八幡は思わず声を上げた。
雪乃も不満そうに先生を見る。
「先生。私も、その意見には賛同しかねます」
「そうか?私は面白いと思うが」
……この先生。
絶対に楽しんでいる。
◇◆◇◆◇
それから、しばらく。
八幡と雪乃は、互いの考え方について言い合いを続けていた。
もっとも。
言い合いというより、雪乃が八幡の考え方を指摘し、八幡が皮肉で返すという流れだったが。
「……つまり」
雪乃が口を開く。
「あなたは、他人との関わりを最小限にしたいのね」
「そういうことだ」
「でも、友人はいる」
「ああ」
「矛盾しているわ」
「……何がだ?」
「他人との関わりを避けたいのに、友人関係は維持しているのでしょう?」
「……別に、全員と関わりたくないとは言ってねえだろ」
「そう」
雪乃は少し考えるように視線を落とした。
「では、そのお友達はどんな方なの?」
「……は?」
「長尾君と上杉君だったかしら」
「……ああ」
「どんな方なの?」
八幡は少し考えた。
「……景紘は、まあ……」
「まあ?」
「人が良すぎる奴だな」
「……人が良すぎる?」
「ああ。困っている奴を見ると、放っておけない。初対面の相手でも平気で話しかけるし、頼まれごとを断るのも苦手だ」
「……なるほど」
「そのくせ、本人は大したことをしているつもりがない」
「……そういう方なのね」
雪乃は小さく頷いた。
「では、上杉君は?」
「……風太郎か」
八幡は小さくため息をついた。
「勉強しか頭にない奴だ」
「……勉強?」
「ああ。学年トップの成績を取るためなら、睡眠時間も削る。金のことになると、さらに面倒になる」
「……随分と極端な方なのね」
「そうだな」
「それで、あなたは?」
「……俺?」
「ええ」
雪乃が真っ直ぐに見つめてくる。
「その二人と一緒にいて、楽しいの?」
「…………」
八幡は少し黙った。
……楽しい、か。
そんなこと、考えたこともなかった。
小学校から、ずっと一緒だった。
特別な理由があったわけではない。
ただ。
気づけば、いつも三人でいた。
「……まあ」
八幡は小さく答えた。
「悪くはないな」
「……そう」
雪乃は、それ以上何も言わなかった。
ただ。
ほんの少しだけ。
その表情が柔らかくなったように見えた。
◇◆◇◆◇
──翌朝。
「……というわけだ」
教室。
八幡から昨日の出来事を聞いた僕は、思わず目を丸くした。
「……奉仕部?」
「ああ」
「八幡が?」
「そうだ」
「……へぇ!」
僕は思わず笑顔になった。
「良かったじゃない!」
「どこがだよ」
八幡が露骨に嫌そうな顔をする。
「いや、新しい友達ができるかもしれないし」
「……お前な」
「それに、困っている人を助ける部活なんでしょ?」
「まあ、そうらしいが」
「八幡に向いてると思うよ?」
「……は?」
八幡が怪訝そうな顔をした。
「何でだよ」
「だって、八幡って何だかんだ言って面倒見が良いから」
「……どこがだ」
「小学校の頃から、いろいろ助けてもらってるし」
「…………」
八幡は黙り込んだ。
……あれ?
何か変なこと言ったかな?
「……景紘」
「うん?」
「お前、そういうことを平然と言うの、やめた方が良いぞ」
「え?何で?」
「……何でもねえ」
……変なの。
すると。
「……奉仕部か」
風太郎が口を開いた。
「八幡には珍しいな」
「俺だって好きで入ったわけじゃねえよ」
「まあ、そうだろうな」
「……お前、少しは否定しろよ」
「事実だろ」
「……くそっ」
僕は思わず笑ってしまった。
「はははっ!」
本当に、いつもどおりだ。
「それで、八幡」
「何だ?」
「雪ノ下さんって、どんな子だった?」
「……ああ」
八幡が少し考える。
「……面倒な女だな」
「……え?」
「頭は良いらしいが、口が悪い。人の考え方にいちいち突っかかってくる」
「……それって」
「何だ?」
「八幡と似てない?」
「似てねえよ!」
即答だった。
……うん。
やっぱり似てる気がする。
「まあ、機会があったら僕も挨拶してみたいな」
「……やめとけ」
「何で?」
「お前まで巻き込まれるぞ」
「ははっ。大丈夫だよ」
「……そういうところだぞ」
八幡が深いため息をつく。
……まったく。
心配性だなぁ。
◇◆◇◆◇
──昼休み。
午前中の授業が終わり、僕たちはいつものように食堂へ向かっていた。
「……なあ、風太郎」
「何だ?」
「昨日の家庭教師の件、どうなった?」
八幡が尋ねる。
「……まだ進展はない」
「だろうな」
「何だ、その言い方は」
「いや、昨日の様子を見てれば分かるだろ」
「……くそっ」
風太郎が悔しそうに舌打ちする。
僕は苦笑した。
「まあまあ。焦らずにいこうよ」
「……そうは言ってもな」
「中野さんも、まだ怒ってるみたいだし」
「……分かっている」
「ちゃんと謝れれば、少しは変わると思うよ」
「……そうだと良いが」
……うん。
風太郎も、少しは反省しているらしい。
そんなことを考えながら、食堂へ到着する。
いつものように、昼休みの食堂は大勢の生徒で賑わっていた。
「さて。今日は何を食べようかな」
「俺はいつもどおりだ」
「……焼肉定食、焼肉抜き?」
「当然だ」
「ははっ。そうだよね」
八幡が呆れたように呟く。
「……お前、本当に飽きねえな」
「安いからな」
「……さいですか」
そんな会話をしながら、食券を購入する。
そして。
空いている席を探していた時だった。
「……あれ?」
僕は思わず足を止めた。
「どうした、景紘」
風太郎が尋ねる。
「いや、あそこ……」
僕が視線を向けた先。
そこには、見覚えのある女の子が座っていた。
赤みがかった長い髪。
星形の髪飾り。
中野五月さんだ。
……けれど。
今日は、一人ではなかった。
彼女の周囲には、四人の女の子が座っている。
そして。
「……え?」
僕は思わず目を見開いた。
……似ている。
いや。
似ているなんてものじゃない。
髪型や雰囲気は違うけれど。
顔立ちが、驚くほどそっくりなのだ。
「……風太郎」
「……何だ?」
「中野さんって……」
「……ああ」
風太郎も、何とも言えない表情を浮かべていた。
「……まさか」
八幡がぼそりと呟く。
「……五つ子か?」
「…………」
「…………」
僕たちは、しばらくその場に立ち尽くした。
そして。
「……すごいねぇ」
思わず、そんな言葉が漏れた。
まさか。
昨日出会った中野五月さんに。
こんなにもそっくりな姉妹がいるなんて。
この時の僕は、まだ知らなかった。
彼女たちとの出会いが。
僕たち三人の日常を、これまで以上に賑やかなものにしていくことを。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
今回は八幡と雪ノ下雪乃の出会い、そして景紘たち三人と五つ子の初遭遇を描きました。
奉仕部という新たな居場所を得た八幡。そして、景紘たちの日常にも少しずつ変化が訪れ始めます。
果たして、五つ子との出会いは三人に何をもたらすのか──
次回から、物語はさらに賑やかになっていきます!
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それでは、また次回!