古代?中世?残念。近代です!神魔と綴る近代史   作:暇つぶし放浪記

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二話 名を穢された女神

 

 

 

 幸い、紅茶の準備には然程、時間を取られなかった。

 既に用意されたポットから中身を注ぐだけ。

 おそらく、エリザベスが入れたものだろう。

 招かれざる者とはいえ客もいるし、今はまだ午前五時だ。

 使用人や工場労働者でもない限り、まだ朝食を取るような時間帯じゃない。

 そういう時、この国の多くの人は軽食をとるか、紅茶を飲んで腹を満たす。

 

「バアラト。聞いたことのある名前だ。」

 

 紅茶で喉を潤した後、ゆるりと口火を切る。

 勿体ぶった言い回しなのは昨夜の出来事へのささやかな意趣返しだ。

 

「確か、聖書に出てくる悪魔の由来がそんな名前だったはず。」

 

 スッと顔を上げ、焦点を彼女に合わせる。

 弱々しい光が差し組む部屋にはまだ夜の名残が強く残っていて、翳る雲に合わせて暗い影が彼女の顔に降りる。

 

「それがお前か?」

 

 開かれた窓からすっと風が吹き込み、カーテンがゆっくりと昇っていく。

 来客用に燃やしていた暖炉の火が不規則に揺れる。

 部屋は一瞬、静かになり、途端に冷え込んでしまったよう。

 バアラトの反応は明瞭だった。

 ずっと咲き続けていた微笑みが消えた。

 下がった口角のせいか、桜色の唇を噛んでいるようにさえ見える。

 だが、それも一瞬の事。

 すぐに表情は取り繕われ、作り物のような美を取り戻す。

 

「えぇ、その通りです。」

 

 これも想定の内。

 そう言わんばかりの対応だ。

 やっぱり、この情報だけで揺さぶるのは無理か。

 名乗っただけとはいえ、自分が与えた情報だからな。

 そこから情報を探られる可能性を考慮していないわけがない。

 

「つまり、お前は正真正銘、『神魔(デーヴァ)』って訳か。」

 

 背をソファーに預け、小さく息を吐く。

 その拍子にどっと倦怠感が肩に重たくのしかかってくる。

 薄々、気付いていたが、よもや本当だったとはな。

 

「知ってるんですか?」

 

 虚を突かれたような上擦った声。

 大きな目がぱちぱちと頻りに瞬く。

 まさかこの時代に悪魔とでも呼ばれると思ってたんだろうか?

 

「一応な。」

 

 神魔。

 かつて人類が神や悪魔と呼んできた存在。

 上位世界と繋がりを持ち、『権能』と呼ばれる超常の力を扱うことが出来る。

 彼らは人間に契約を持ち掛け、力や知恵を与える代わりに、人々から信仰を集め、時に力の代行者である『契約者』を作ることもあった。

 

「ただ、俺の知る限り、二百年前の教会の世界統一を機に姿を消したって話だったはずだけど?」

 

 天暦1653年、教会は世界統一を果たした。

 これは長く続いた神魔同士による信仰を巡った争いの終結を意味し、教会の崇めるエルが唯一の神となったことを意味する。

 つまり、バアラトが隣でくつろいでいる現状はその知識や理解に真っ向から喧嘩を売っている。

 ありていに言えば、有り得ないことだった。

 

「なんでかは知りませんが、封印が弱まっていたので、出てきちゃいました。」

 

 てへっと軽く舌を出して、悪戯っぽく言う。

 迷惑だから、今すぐ戻ってくれ。

 そう思うものの、特に驚きはしなかった。

 寧ろ、この時代の事を考えれば、彼女が封印から抜け出せたのも当然の事だろう。

 

「それで封印から目覚めたばかりの女神が俺に何の用だ?それに何で俺のことを知ってる?女神に知り合いなんていないぞ。」

「人なら知り合いはいるんですか?」

「勿論、いないさ。二百年前からの顔見知りも、俺が元王子だって知ってる人間も、エリザを除いて一人もいない。」

 

 だから、聞いてんだろ?

 早く答えろよ、と殺気を込めて睨みつける。

 だが、その程度のことで悪魔は動じない。

 おどけたように肩を竦め、冗談のようなことを口にする。

 

「奇遇ですね。私もそんな人とは知り合っていません。貴方のことを教えてくれたのは竜でしたから。」

「竜?」

「はい、赤と白の双子の竜です。――その様子だと心当たりがあるみたいですね?」

 

 見透かしたような微笑みにアルスは内心、舌打ちする。

 隙など一切、見せていない筈なのに、気付けば会話の主導権を奪われている。

 

(しかも、絶妙に嘘を吐いているか分からない。)

 

 視界の端で飾られている一枚の絵画を捉える。

 そこに描かれているのは赤と白の一対の竜。

 古くから伝わるこの島の守り神で、アルスの血筋とも深い繋がりのある存在だ。

 だから、竜から聞いたという答えはあながち嘘だと言い切れない面もあったし、何なら他のどの可能性よりも高かった。

 それだけに結論に迷う。

 本当に厄介な相手だ。

 考え込んだ末に大きな溜息を吐き、話を変える。

 

「それなら目的の方は?大方、俺を神輿に革命を成功させ、大々的に信仰を広めるとか、そんなところだろうけど。」

 

 答えを待つことなく結論付け、ふんぞり返る。

 尋ねてはみたものの、わざわざ聞くまでもない事だった。

 彼女は『神魔(デーヴァ)』であり、その行動の多くは信仰を集めることに収束する。

 そして、そのために最も手っ取り早いのは権力者と繋がりを得ることであり、求心力のある偉業を成し遂げるのに役立つことだ。

 その二つを満たす革命はまさにうってつけのイベントだ。

 昨晩のバアラトの言動にも説明がつくしな。

 だが、当の本人は唇を尖らせ、不服そうにしていた。

 

「そういう狙いがないわけではないですけど。それだったら、貴方である必要性もないじゃないですか。革命後は全員、権力者になるわけですし。」

 

 そんな反論を口にしながら、彼女は上体を横に傾け、肩に凭れ掛かってきた。

 咄嗟に振り向くと、優し気な眼差しが出迎える。

 

「私は貴方が良いから、ここに来たんですよ。」

 

 それは子供の頭を撫でるように柔らかく、憐憫と弱さに満ちていた。

 だからこそ、困惑する。

 これが一目惚れの類であれば、そういうこともあるのかと思うだけだが、初対面の相手からこんな感情を向けられる意味が分からない。

 アルスは何かに備えるかのように身を固くし、押し黙る。

 

「ふふふ、でも、貴方ならそんな事、お見通しかもしれませんね。だって、私の名前を知っているんですから。当然、私がなんと呼ばれていたのかも分かっているはずです。」

 

 あぁ、そういうことか。

 揶揄うような、悲しんでいるような声色にアルスはその意図を悟る。

 そして、緊張を解き、頭を押し付けてすり寄ってくるバアラトを受け入れた。

 

「『蠅の王(ベルゼブブ)』か。」

「いつ聞いても女性に付ける名前じゃないですね。」

 

 口でこそさらりと流したが、体をより密着させ、腕を組んでくる。

 まるで逃げないでと言わんばかりに。

 きっと分かっていても平静でいられなかったんだろう。

 その弱さこそ彼女の不可解な距離の近さの理由だった。

 

「お前は名を穢されていたんだったな。」

「はい、エルに敗れた時のことです。その時の彼とは協力関係にありましたが、彼は既に私のことを警戒していたのでしょう。敵国と内通している噂を流し、私が身の潔白を証明するために前線に出ざるを得ない状況を作り出した。そして、その隙を使って自身がその地位に成り替わったんです。」

 

 擦り切れてしまいそうなほど、切なげな独白。

 バアラトとエルは同じ地域で信仰されていた歴史を持つ。

 そして、雨の降らないその地域では嵐の神とも称されるバアラトの権能が重宝され、より多くの信仰を集めていた。

 それが気に入らなかったエルは一計を講じ、バアラトを罠に嵌めた。

 

「前線から戻ったとき、私はもう裏切り者に仕立て上げられていました。」

 

 成り代わる際も流言飛語が良く使われたと聞いている。

 元々、内通の疑いを持たれていた上に、本人がその場に居らず、誤解を解くすべもないので、言いたい放題することが出来たんだろう。

 

「神殿は取り壊され、肥溜めに変えられいて、彼らは捕らえた私に『蠅の王』という名前を付けた。」

 

 お前は蠅の群がる汚物と同じだという意味で。

 二度と誰もバアラトを信仰したいと思わせないように。

 落ちる声音に合わせて、部屋の影がゆっくりと濃くなっていく。

 

「その時から私は自分の名前に誇りを持てなくなってしまった。」

 

 そこで彼女は言葉を切った。

 震える声の残響が静寂の中に溶け入る。

 静かになった部屋にはカチカチと刻まれる時計の音だけが響き、長い時を一人ぼっちで待っているような気さえする。

 

「――だからこそ、私は取り戻したい。真の名前を、その誇りを。」

 

 伽藍洞に響く力強い宣誓。

 窓辺に滲む光がすっと濃くなり、放射状に広がっていく。

 それに合わせて肩にのしかかる体重が徐々に遠ざかった。

 振り向けば、凛と背を糺すバアラトの姿があった。

 上る朝日を一身に浴び、まっすぐな眼差しで果てしない未来を見据えている。

 

「貴方は違うんですか?名前を奪われた王子よ。」

 

 どくんと脈打つ心臓。

 膝に置いた拳に力が篭る。

 この身に宿る最も大事な何かが彼女と共鳴し、瞋恚の炎を猛らせる。

 最早、その怒りが彼女のものなのか、自分のものなのかさえ、分からなくなるほど激しい感情だった。

 

「共に革命を起こしましょう。そして、作るんです、私たちが本当の名前で生きられる世界を!」

 

 差し伸べられた白い手。

 それを受け入れろと激情が駆り立てる。

 熱くなる体、沸騰する血潮、輪郭がぼやけ、炎と一つになったみたいだった。

 それでも、いやそれだからこそ、何処までも冷ややかな理性が己を見下ろしていた。

 一瞬、影が差す。

 瞳孔が僅かに開くと、遅れてやってきた光が矢のごとく目に突き刺さる。

 世界が輪郭を失い、白に包まれる。

 

『ごめん、私は君の本当のお母さんじゃないんだ。だから、お母さんとだけは呼ばないでくれないかい?他の呼び方なら何でも大丈夫だから。』

『これから言うことは絶対に誰にも言っちゃだめだよ。君の本当の名前は――』

 

 その果てに原初の記憶がフラッシュバックする。

 初めて味わった痛み。

 自分という輪郭が剥がれ落ちていった感覚。

 この世で唯一、本当の名前を呼んでくれた人。

 存在の再定義。

 その声だけが世界との繋がりを取り戻してくれる。

 彼女なしには、□□□□□は存在することさえ出来ない。

 

「悪い、一緒にはいけない。」

 

 伸ばしかけた手を膝元まで引き、首を横に振る。

 バアラトの動きが凍る。

 大きく見開き、突き飛ばされたような表情だ。

 それだけ入れ込んでいたってことなんだろう。

 話を聞く限り、自分の境遇と重ねているようだったし。

 納得のいく説明が必要だな。

 

「この羽織、俺が成人した時にエリザから貰ったものなんだ。」

 

 今から二年前、一六歳になった時のことだった。

 師から受け継いだ東洋の刀に合わせて、同じ地域で使われている羽織を取り寄せてくれた。

 

「その時、思ったんだ。俺の紫衣はこれでいいって。」

 

 本当の名前を取り戻したいという気持ちは分からなくはない。

 アルスという名前で生きていると、全てがどうでもよくなる時がある。

 だが、□□□□□にはエリザベスがいた。

 彼女がその名を呼んでくれたから、傍にいてくれたから、自分を見失わずに済んだ。

 生きる意味を見出せた。

 

「例え、王位に返り咲けず、華やかな暮らしが出来なくても、この先どれだけつまらない人生が待っていたとしても、あいつが傍にいてくれるなら、それでいい。」

 

 バアラトの手を取れば、もしかしたら王になれるのかもしれない。

 だが、きっとエリザベスを巻き込んでしまう。

 

「あいつを危険に曝すぐらいなら王位なんていらない。」

 

――だから、悪い。俺はお前とは一緒にはいけない。

 同じ痛みを持つ片割れに万感の意を込めて詫びる。

 固唾を呑んで聞いていたバアラトはうっと声にならない悲鳴を上げ、上半身を僅かにのけ反らせる。

 リビングにつかの間の静謐が戻る。

 彼女はそれを破らんと何か口を開いては、押し黙り、やがて飲み込めない何かをぐっと喉の奥にしまった。

 

「……そうですか。残念です。」

「悪い。」

「いえ、謝らないでください。私と違って、貴方には守るべきものがあった。それは素晴らしい事なんですから。」

 

 労わるように微笑みかけられ、アルスは苦渋に表情を染めた。

 罪悪感と情けなさで胸がいっぱいだった。

 泣きたいのも、辛いのも彼女の方だというのに、逆に慰められるなんて。

 行き場のない感情を持て余し、膝元に置いた拳で力任せにズボンの布を引き寄せる。

 

「それでは私はこれで。お騒がせしてすみませんでした。今後も家族との時間を大切になさってください。」

 

 バアラトは立ち上がると、挨拶もそこそこに立ち去ろうとする。

 向けらえた背はとても小さく、今にも消えてしまいそうなほど儚げだった。

 気づけば、アルスは手を伸ばしていた。

 

「待てよ。」

 

 細い手首を掴み、力強い声で呼び止める。

 

「お前、行く宛てはあるのか?そうじゃないなら暫く泊っていけ。『神魔(デーヴァ)』とはいえ、女が一人で野宿とか洒落にならない。」

「お気遣いは嬉しいのですが、だとしても貴方には既にかかわりのない事です。」

「そうはいくか。ここまで人に情を移させておいて、今更無関係ですなんて、身勝手が過ぎる。」

 

 そう、アルスはとっくに彼女に同情してしまっていた。

 出来ることに限りがあるが、なるべく彼女の手伝いをしたいと思うほどには。

 

「それにお前が昔の宗教みたいなやり方を考えているなら、ほぼ確実に失敗するぞ。」

「どうしてそう言い切れるんです?」

「時代が違うからだ。今は英雄と魔術の時代でもなければ、教会と聖書の時代でもない。科学と国家の時代なんだ。」

 

 社会を形成する基盤そのものが全く違うのだ。

 やってみなければ分からないなんて楽観が通じる段階ではない。

 構造的に不可能だ。

 確信をもってそう断じると、バアラトは弱々しくたじろいだ。

 さすがに時代の変化が一切ないと考えるほど、お気楽ではなかったみたいだ。

 

「取り合えず、今晩だけでも泊っていけ。さっきの話もその時にしてやるから。」

「……これでも貴方を気遣ったつもりだったんですが。」

「水臭いこと言うなよ。恋人同士なんだろ?俺たち。」

 

 物言いたげな不満に、してやったりと不敵な笑みを返す。

 低い唸り声を出すバアラト。

 やがて大きなため息を吐いた彼女は、やや乱暴にソファーに座り直した。

 

「そういう割には一晩の関係(ワンナイト)じゃないですか。」

「熱い一夜ならそれでもいいらしいぞ?」

「なんですか?それ?」

「さぁ、俺もよく分からん。」

 

 小太りな男の事を思い出し、愉快に喉を鳴らす。

 いつの間にか伽藍洞はいなくなっていた。

 殺伐として寒気は朝日に温められ、暗がりもどこかへと消える。

 会話の合間にカチカチと時計の音が響き、穏やかに時間を刻む。

 もっとも、紅茶は冷めてしまっていたけれど。

 

 

 

 

 

 

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