古代?中世?残念。近代です!神魔と綴る近代史 作:暇つぶし放浪記
「あぁ、やばい。寝てた。」
昼下がり、アルスは微睡みから目を覚ました。
うるさいぐらいの無音が耳に痛い。
背中を撫でる嫌な予感に体を起こす。
上手く働かない頭に手をやり、リビングを見渡した。
幸い、探し人はすぐに見つかった。
来客用のソファーを
(ふぅ、いなくなってなかったか。)
聞こえてくる健やかな寝息に安堵の吐息を紛れ込ませる。
夜勤明けで疲れていたとはいえ、客人そっちのけで眠っているのは流石に礼を欠いている。
しかも、相手は自分が無理に呼び止めた相手。
眠っている隙に逃げられる可能性も十分ある。
無礼なだけでなく、不用心でもあった。
今回はバアラトも眠っていたから、何とかなったが、次はこうはいかないだろう。
反省しなければならない。
「……腹が減ったな。」
落ち着いたからか、ぐぅぅと腹の虫が鳴る。
時計に目をやると、短針は1の数字を指していた。
昼食にはいい時間だ。
ゆっくりと立ち上がり、厨房に向かう。
(客人相手に昨日の残りだけじゃまずいよな。)
アルスは竜の意匠と魔法陣の施された大きな箱を開けて、中身を吟味する。
中には昨日の残り物らしきシチューと新鮮な野菜、塊肉が所狭しと詰まっている。
冷蔵庫なので当たり前ではあるが。
早く閉めろよと頬に吹き付ける冷気に促されるように、手早く幾つかの食材を取り出す。
(一応、魔力の充填もやっとくか。)
この冷蔵庫は魔道具の一種で、魔力を充填する限り、何度でも使える。
充填するのもお手軽で、横にある手形に手を合わせるだけ。
手早く済ませ、さっそく料理に取り掛る。
慣れた手つきで鶏肉とジャガイモの下処理をし、フライパンで焼く。
ジューっという音が鳴り、俄かに騒々しくなる厨房。
漂い始めた馥郁とした香りと生活感を感じながら、用意したパンにバターを塗る。
後はシチューを温めて、出来上がった品を更に盛り付ければ、出来上がりだ。
(……エリザは飯食ってんのかな?)
ふとそんな考えが頭に過ぎる。
そして、食ってるわけがないと項垂れる。
多分、昼食は愚か、朝食すらまともに摂ってないだろう。
彼女は自分のことになると、本当に無頓着になるのだ。
(後で差し入れでも持っていこう。)
皿に盛った料理をダイニングルームに運び、テーブルに並べる。
メニューは鶏むね肉のソテーとハッシュドポテト、シチューの三点とパンの組み合わせだ。
やや庶民じみて、おもてなしって感じじゃないが、昼食時ということを考慮して許してもらおう。
ディナーに本気は出せても、ランチは上流階級でも比較的、お手軽に済ませるお国柄なのだ。
「おーい、起きろ。飯の時間だぞ。」
ゆさゆさと華奢な肩を揺さぶる。
その度に寝苦しそうな呻き声が大きくなっていく。
なんか新手の玩具みたいだな。
嗜虐心が刺激され、昨日と今朝のお返しをしてやれと悪意が鎌首をもたげる。
思いっきり揺すってやろうと肩に両手をかけたその時、固く閉じられた瞼がすっと持ち上がった。
交錯する視線。
うきうきとした悪戯心が完全に無になり、一瞬の静寂が生み出される。
アルスはゆっくりと彼女の肩から手を引き、中腰だった姿勢を伸ばした。
「おはよう。」
そして、何事もなかったように晴れやかに挨拶する。
だが、返ってきたのは非難めいた眼差し。
彼女はむくりと上体を起こし、両手でお尻を持ち上げるようにしてソファーの端に大きく移動する。
「確認しますが、何をしようとしたんです?変態さん。」
抑揚のない声で問う。
口元には微笑みが張り付いているが、目は決して笑っていない。
視線を下げれば、ブラウスの上からでもはっきりと見て取れる豊満な胸が両腕に抱かれている。
男が魔が差すには十分すぎる理由だ。
いや、バアラトの容姿を考えれば、それだけではむしろ理由の方が物足りないぐらいか。
宝石のような輝きを放つ大きな瞳に、愛らしい鼻、唇は薄く儚げで、はっきりとした顎の輪郭が美しい。
ハーフアップに纏められた金髪は月明かりのように柔らかく光り、軽く波打ちながら背へと流れる。
華奢な肩から続く線形は大きな起伏を経て、黒いベルトに引き締められた細いウエストに繋がり、ふわりと柔らかなロングスカートからは長い脚が伸びる。
まさに可憐。
美が姿を持って動いていると言ってもいい。
それでいて、触れるだけで貪り食いたくなるほど蠱惑的。
いっそ手を出さない方が男ではないのかもしれない。
それを踏まえた上で、アルスは待ったをかける。
「多分、勘違いしてるぞ。」
「では、何をしようとしたか言ってください。」
「イタズラしようとしてたけど。」
「やっぱり変態じゃないですか!!」
枕の代わりにしていたクッションをツッコミと共に荒々しく投擲する。
鋭くて直球な後者とは裏腹に前者は放物線を描いているが。
思ったよりもいい反応にアルスはけらけらと喉を鳴らしなら、クッションを受け止める。
そして、一切悪びれる素振りを見せないまま弁明を続けた。
「そういうイタズラじゃねぇよ。俺はお前に同情してるんだ。境遇の違うもう一人の俺だって。そんな相手に性的興奮なんて出来るわけないだろ。」
さっきの罵倒は甘んじて受け入れるが、流石に自分に興奮するほど変態じゃない。
「お前だってさっきはベタベタしてたけど、そういう感情じゃなかっただろ?」
か細い喉からうっと詰まった声があがる。
ボディタッチが過剰だったのは、自他の境界線が分からなくなっていたからであり、同時にそのことを彼女が無意識に望んでいたからだろう。
色仕掛けにしては迂遠すぎるし。
「ほら、分かったら、飯にするぞ。」
踵を返し、ついて来いとダイニングルームへと促す。
背後の力強い気配は中々、動こうとしなかったが、あと一歩でリビングを出るという所で漸く動き始めた。
小さく空気を揺らした一言の後に。
「でも、同じじゃなかったじゃないですか。」
アルスはそれを聞こえなかったことにした。
所詮、これが同情で、その場しのぎで、ただの偽善に過ぎないとしても、何もしないよりは与えられるものがあると思っていたから。
◇
「美味しい。」
料理の味は好評だった。
野菜のたっぷり入ったシチューを食べた後、ポツリと呟く。
余程、意外だったのか、何回か目を瞬かせ、試しと言わんばかりに次の皿にまで手を伸ばす。
一口サイズに切ったソテーに舌鼓を打ち、ごくりと飲み込むと、今度こそ感嘆の唸り声を鳴らした。
「やっぱり美味しいです。」
「それは良かった。口に合うか少し心配だったからな。」
軽く笑って、肩から力を抜く。。
バアラトが封印される前に暮らしていたのは数百年前の異国の土地。
横は兎も角、縦にも距離がある中で、この国の食事に馴染めるのか、正直、不安だった。
だから、何事もないようで本当に良かった。
「でも、意外ですね。料理とか身の回りのことは他の方にやってもらってるのかと思ってましたが。」
「エリザは仕事があるし、使用人も俺の秘密を知られるわけにはいかないから、雇えない。自分のことは自分でやるしかなかったんだよ。」
「大変だったんですね。」
「別に。皆やってることだしな。」
王族のやることとしては異常だけど、一般人からすれば日々の家事を自分でこなすなんて当たり前のことでしかない。
だから、それを苦労話のように語るのは恥ずかしい事である気さえした。
ハッシュドポテトをパクリと食べ、悪くないと頷く。
「その割には得意げですけどね。」
「うるせぇよ。」
澄ました素振りとは裏腹の感情を見透かされ、語気を強める。
無論、バアラトは動じない。
調子を取り戻したようにクスクスと喉を鳴らすだけだ。
アルスは憮然として溜息を吐き、話題を変える。
「ところで、この後どうする?俺はエリザに差し入れを持っていこうと思ってるんだが、お前も一緒にくるか?」
「それはデートのお誘いということでしょうか?」
「そうだよ。今度はエロいイタズラもするから覚悟しとけよ。」
「では、私は痺れるようなサプライズを用意しておきますね。」
「ただの電撃じゃねぇか。」
最早、サプライズですらない。
答えが先に分かってて驚かないんだから。
売り言葉に、買いに言葉。
弾んで沈む他愛のない会話を繰り返しながら、食事を済ませ、エリザの店に向かう。
移動時間は十五分ほど。
馬車に揺られながら、徐々に背が高くなる建物の列を見送る。
「大分、街の雰囲気が変わってきましたね。」
「この辺りは駅の近くだからな。他の場所より発展してるんだよ。」
このルートの街は首都近郊に位置し、鉄道の発展によって栄えた歴史を持つ。
当時の技術だと機関車が遅く、一日で港から首都まで移動することが出来ず、近場に一夜を過ごす宿が求められたのだ。
そして、宿泊客が増えたことで、彼らを顧客
エリザの店もその内の一つだ。
馬車を降りて、真新しい石畳を少し歩くとそれが見えてくる。
白を基調とした外観で、明るさと均質さによって広く演出された店先に観葉植物が彩りを添える。
ガラス張りの飾り窓の向こうには変わった服装のマネキンと幾つかの家具やインテリアが置かれていて、日常生活の一幕が閉じ込められているかのよう。
客らしい上品な身なりの女性が出てくるのを待って、店内へと入る。
「いっらしゃいませ。って君達か。」
外行きようの凛々しい顔で出迎えたエリザベスだったが、アルスの顔を見るなり、ふっと表情を柔らかくする。
ジャケットに覆われた肩が昼下がりの暖かな陽光にゆっくりと押し下げられる。
「こんにちわ。差し入れを持ってきました。」
「ありがとう。……わざわざ、このために?」
渡されたバスケットをまじまじと見た後、アルスへと顔を向ける。
そこには人間らしい呆れと驚きがありありと浮かび上がっている。
「朝は迷惑をかけたからな。そのお詫びだ。」
「気にしなくていいのに。しかも、バアラトちゃんまで連れてきて。マザコン過ぎってフラれちゃっても知らないよ?」
「大丈夫ですよ。家族思いなのは良いことですし、私ももう一度、この店に来てみたかったので。」
「そう?それなら良いんだけど。」
口ではそう言いつつ、アルスに向けられた一瞥は鋭く、こんないい子を逃すなよと釘を刺すかのようだった。
そもそも付き合ってはいないんだけどな。
もっとも、それを説明しても、状況がややこしくなるだけなので、誤解を解いたりはしない。
バアラトにも事前にそのことは伝えてある。
念のため、アイコンタクト一つで暗黙の了解を確かめ合った後、アルスは話題を変える。
「それでさっきの人はお客さんか?」
「うん、ショーウィンドウの服が気になったんだって。」
「たしかに。あれは目立ちますよね。あまり見たことない服装ですし、何より上品で綺麗でしたから。」
他意を感じさせない自然さで絶賛するバアラト。
無論、彼女も気付いてはいるのだろう。
色や柄は異なるが、目の前にいるエリザベスも似たような服装をしていることに。
「そう言って貰えると嬉しいかな。作ったのは私だから。」
照れたようにはにかみながら、体重を片足に乗せる。
ベージュのジャケットとスラックスに包まれた立ち姿は凛々しく、柔らかい。
灰茶色の横髪をイヤリングの光る耳朶に乗せ、エリザは店内を見渡しながら言う。
「今は主に雑貨を取り扱ってるけど、元々はこの店もは呉服屋だったんだ。だから、技術自体は受け継いでたし、昔のお得意さんとか、どうしても欲しいって人からはオーダーを請け負ってるんだ。」
丁寧に陳列された雑貨の数々とインテリア。
その中に時折、混じる飾られた衣服。
この店には彼女の歩んできた歴史の一部がありありと刻みつけられている。
「って言っても、この服に関してはこの子のお陰でもあるけどね。」
「実は凄いんだよ」と茶化しながら、親指をアルスに向ける
遅れて付いてくるバアラトの視線。
その大きな目には驚く自分の姿が映っている。
どうしよう。全くと言っていいほど心当たりがない。
眉間に皴を寄せ、記憶の糸を手繰り寄せようとするが、手ごたえはない。
まるで暗闇で暗中模索しているような気分だ。
ついに思い出すのを諦めたアルスは開き直って言う。
「特に何かした覚えがないんだけど。」
「まぁ、君はそうだろうね。でも、私は覚えてるよ。色々迷ってた時に、女性の社会進出は必然的に起こるから、自信を持っていいって勧めてくれたこと。あれがなかったら、こういうデザインの服はボツにしてたと思う。」
「……あれはそんな大したことじゃないだろ。割と誰でも思いつくことだし。」
バアラトの前だからって、無理に褒めなくていいのに。
露骨なおためごかしのように感じるが、恐らくは善意の事なので口にするのは気後れする。
そんな感情も察したのだろう、エリザベスはそれ以上、そのことを追求せず、とんと背中を叩く。
「でも、ほっといたら、同じ服ばっかり着るのは辞めたほうが良いよ?モテないし。」
ほっとけ!!
それこそ言ってほしくない言葉だわ!!
もっとも、そんな悲痛な青年の叫びは女性には届かない。
一人はからからと喉を鳴らし、もう一人は吊られて笑い始める。
全く穏やかな昼下がりに相応しい光景である。
アルスたちはそれから少しの間、話を続け、店を後にした。
その帰り道、家路についてくる影が長い。
もうすぐ夜が来る。