古代?中世?残念。近代です!神魔と綴る近代史 作:暇つぶし放浪記
この国の夜は冷える。
すでに春だというのに寒気が漂い、暖炉の火が欠かせない。
だが、今はその寒さが心地いい。
暖炉から離れ、電灯から遠い窓辺に椅子を構える。
暗闇と冷気が意識を鋭く研ぎ澄まし、目が冴える。
常在先陣の心持ちでバアラトを待つ。
「お待たせしました。」
待ち人来たり。
開かれた扉から姿を見せるナイトガウン姿のバアラト。
電灯の光を弾く金髪が微かな湿り気と光沢を帯びている。
恐らく、シャワーを浴びた後なのだろう。
「取り合えず、座れよ。」
暖炉に近い
だが、バアラトは動かない。
案内された方を一瞥したのちに、暗闇に佇むアルスをじっと見つめる。
そして、これみよがしに溜息を吐く。
「また変な事を考えてるんですか?身を清めたのはそういうことをする為じゃないですよ?」
「知ってるよ!!ていうか、考えてねぇし!体が冷えるだろうから、そっちのほうが良いと思っただけだ!」
「ですよね。知ってました。」
軽くなら殴っても許されるんじゃないか?
ふふっと得意げに鼻を鳴らし、あっさりと寝台に腰掛けたバアラトに怒りの拳を震わせる。
だが、どうしてだろう、黒焦げになって地面に横たわっている未来しか思い浮かばないのは。
結局、無謀な企みを諦め、緩んでしまった緊張を口から吐き出す。
「それで時代が違うというのはどういう意味なのでしょうか?」
開口一番、切り込んで来た。
いきなり過ぎる問いかけにアルスはハッと顔を上げ、思わず身を竦めた。
我が身を射抜く力強い眼差し。
瞳の奥には炎が反射していて、紫紺の輝きがゆらゆらと揺れる。
漂う光と熱がゆっくりと部屋を制圧していく。
ごくりと喉を鳴らし、考えを改める。
彼女は決してふざけていたわけでも、茶化していたわけでもない。
本気で臨むからこそ、主導権を握り、本当に重要な部分を聞きだそうとしていたのだ、と。
「いきなりだな。」
「それはあの時の貴方も同じですよ。」
「まぁ、それもそうか。」
泣き言はこれでおしまい.
ふっと息を吐き、意識を切り替える。
「さっきの質問の答えだが、言葉通りの意味だ。一つ違うだけで常識や価値観、社会のシステム、全てが異なる。特に最後の時代の変化はお前にとっては致命的だな。」
と言っても、ピンとこないだろうから、順を追って説明していく。
「英雄と魔術の時代。これは分かるだろうけど、お前たち『
立てた三本の指を一つ説明するごとに折っていく。
やや簡素な説明だが、この二つは正直、大した問題ではない。
多神教が一神教となり、明確に勝者が決まったというだけに過ぎない。
また勝負をし直せばいいだけの話だ。
問題は残る一本であった。
「最後に科学と国家の時代。信仰が意味を失い、教会と宗教が衰退した時代。」
指は折らずにすっとバアラトへと向けた。
伸びた背が気圧されたように仰け反る。
くぐもった絶句の後にバチリと暖炉の火が弾け、伸びた影が大きく揺れた。
それがやがて収まると、バアラトは重々しく閉じられた口を開ける。
「何があったんです?」
震えを押し殺した声音だった。
動揺が透けて見えるが、己の存在証明への否定に対する不安を気丈にも抑え付けている。
それだけにより追い詰めてしまうことに気が滅入る。
だが、知らないままよりはずっと良い。
気を入れ直して、問いに答える。
「幾つかある。一つは科学技術が進歩したことで、『
宗教には固有の価値観を持つものも多いが、それでも幾つかの似通った部分もある。
この世界は神が創り、人や動物もまた神によって造られた。
いわゆる天地創造や人類創造説などその典型である。
だが、これらは科学的観点からは明確に否定される。
神が世界を創ったという証拠はどこにもないし、人類も我々の祖先が交配を繰り返した果てに現在の形へと進化したのであって、最初からこの形であったわけではない。
つまるところ、これらは宗教の作り出した嘘、
「その結果、教会は天動説や人類創造説などの嘘で人を騙していたって扱いになった。」
「……それを言い出したのは貴方たちなのに?」
「だとしても、その勘違いを利用したのは本当だろ?その方が信仰を集めやすいって判断して。」
その作為が見えてしまったからこそ、人々は神を信じにくくなったのだ。
押し黙ったバアラトにアルスは意図せず責めるような口調になってしまっていたことに気付く。
バツが悪くなって横髪を掻き、話を先に進める。
「科学が進歩したのは魔法技術の停滞も一つの要因になってる。魔法は便利だが、使える人間が限られてるし、魔道具を作るのも技術的な理由で難しい。対して科学は誰でも使えるし、誰でも研究できる。母数が違うから、技術の成長速度も、普及速度も桁違いに早い。」
そして、これも教会が衰退した一つの理由でもある。
魔法は神の使う『権能』とは異なるものの、神が人類に齎した恩恵の一つである。
それが与える影響力が弱まれば、必然的に教会の影響力にも陰りが差す。
「更に国が支援したのも大きかった。」
もし国の支援を受けられなかったら、科学的な発見や技術は邪な行いであると弾圧され、失われてしまっていた可能性もある。
教会の力はそれ程に強かったし、自らの権勢を脅かす科学への弾圧は苛烈だった。
「大国を含め、殆どの国はエル教の配下だったんですよね?それなのにどうして裏切るような真似を?」
「教会に従うメリットよりもデメリットの方が気になり始めていたんだろう。世界統一をする間は敵国を植民地にしたりすることで、土地や資源を手に入れることが出来ていたが、世界統一の後は目に見える報酬が無くなった。なのに、教会は偉そうに頭を押さえつけてくる。」
聖書と教会の時代における、教会と国家の関係は御恩と奉公の関係に例えられる。
主人である教会が御恩として領土の安堵や新たな領土を与える代わりに、国家は寄進や戦働きをして奉公する。
だが、世界統一後は新たな領土がなく、褒章も少なくなっていて、国家はそれに不満を感じ始めていた。
「それに科学技術の進歩は経済活動の生産性を向上させるから、国家にとっても恩恵が大きい。総じて、教会に歯向かってでも支援した方が得だと判断したんだろう。」
結局、人間も国家も、より得だと思う方を選ぶ。
複雑な定義や理論を用いずとも、その事は直感的に理解できるだろう。
「そして、産業革命を経て、科学技術は人々の生活の中心になった。」
産業革命とは、技術革新が起こった特定の時期を指す。
主に紡績機の発明や蒸気機関の改良、石炭を利用した製鉄技術の開発などが行われた時期を指すことが多いが、今尚、化学分野の発展や電気の利用など技術革新が起こり続けている事を考えれば、現在もまたその途上にあると言える。
そして、その事実こそ、科学がいかに人々の生活に根付いているのかを裏付ける何よりの証拠だった。
不意に夜の静けさが顔を出す。
燃え盛るような熱は鳴りを潜め、やけに寒さが肌を刺す。
バアラトは眉根を寄せて、深く考えている様子だった。
「……一つ、気になることがあります。」
バアラトはしばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
なんだ?
真摯な目で応じる。
「国家の正当性はどうしたのでしょうか?王権神授――古くから宗教と国家には深い繋がりがあり、国家の正当性は神によって保障されていました。それを失うということは民を治める正当性を失うということでもあります。だからこそ、どれだけ強大な国力を手にしても、国家は教会に従っていたんじゃないんですか?」
その問いに一瞬だけ息を呑む。
鋭いな。
彼女の言うことは正しい。
少なくとも、国家の正当性が教会に依存する限り、国家が教会を滅ぼすことは出来ない。
それをするのは自滅と何も変わらないからだ。
「もう一つ大きなことがあったのがそれだ。」
だが、それが変わってしまったからこそ、科学と国家の時代なのだ。
「科学技術が発展し、教会の力が落ちていく中でそれに代わるように様々な思想が生まれた。その中で王権神授説に成り代わったのが、自然権思想と社会契約説だ。」
と言っても、これらはそこまで難しいものでもない。
「掻い摘んで言うと、自然権思想は人は生まれながらに権利や自由を持ってるって発想だ。そして、社会契約説はその権利を国民の代理人である国家に預ける必要性があるって考え方だな。」
「前者は分かりますが、どうして預ける必要性が?」
「万人が権利を持っていて、それを統制する存在がいないと、お互いに争い合って、周りが迷惑するからだ。」
人は権利を持つと自分が正しいと思い込む。
子供の喧嘩なんてまさにそう。
お互いに自分が正しいって言ってきかないし、物を壊したり、怪我をさせたりする。
だから、そういう争いを減らすために、保護者や学校の先生のような言うことを利かせる存在が必要になる。
それと同じで、人々は権利を国家に信託して、自らの代理人たる存在を作らないければならないってのがこの説の言い分だった。
「こうして、国家は国民によって再定義され、教会から独立して、主権を手にする存在となった。」
それはもう二度と国家が宗教的権威に従うことがない事を意味する。
一度、言葉を切って、大きく息を吸う。
乾いた口に涼気が入り、わずかばかりの気休めをくれる。
「なんで俺が無理だって言ったのか、そろそろ分かっただろ?」
膝に置かれた手がぎゅっとガウンを握りしめる。
彼女も理解しているのだろう。
八方塞がりな状況を。
大衆の信じるものが宗教から科学へと変化し、国家も宗教から離れて行動する。
たとえ、革命に成功し、権力者に取り入ったとしても、その効果は限定的。
宗教分離が邪魔をして国教にすることさえ困難だ。
かといって、普通に信仰を増やそうとしても、うさんくさい新興宗教として一蹴されるだけだ。
魔法も頼りにならないし、『契約者』はなれる人数に限りがあるから、大局に影響を与えにくい。
どう考えても、手詰まりだ。
「だから、じっくりと腰を据えて、計画を練ったほうが良いと?」
「あぁ、ここなら寝食の心配をする必要もないし、俺も出来る範囲で手伝ってやれる。」
「……エリザさんの了承は得ているのでしょうか?」
「どうせ許可する。お前のこと、気に入ってるみたいだし。」
苦し紛れの質問に肩を竦め、不敵に笑みを浮かべる。
その言葉が出た時点で結論は見えている。
勝利を確信した瞬間、視界の端を閃光が過ぎった。
咄嗟に手で振り払ったものの、全身をビリっとした感覚が襲う。
そこで漸く雷撃を放たれたのだと気づく。
「痛っ!?何すんだ!?」
「いえ、勝ち誇ったような顔が気に入らなかったので、つい。」
「八つ当たり!?」
「いえ、お茶目ですよ。手加減もしてますし。」
にこりと微笑み、いけしゃあしゃあと宣う。
そして、都合の悪い話題を変えるかのように彼女は言葉を続けた。
「それより、ここに暫く住まわせて頂くという話、是非お願いします。」
居住まいを糺し、深々と頭を下げる。
先程の慇懃無礼な態度とは裏腹な誠実な振る舞いにアルスは言葉を詰まらせ、何とも言えない様子で背もたれに体重を預ける。
何というか、素直じゃない奴だ。
わざわざ礼儀正しくしないといけない理由を自分で作るなんて。
雷撃を振り払った手を持ち上げ、光に翳す。
痛みは既になく、怪我した痕もない。
手加減したというのは本当なのだろう。
まだ残る熱をぎゅっと握りしめる。
以って、これを一つの握手とした。