華胥の蝶、万灯に醒む   作:たそ@ハーメルン

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【付録】公式風キャラストーリー『眠蝶』

眠蝶(ミンディエ)

 

 

出身国 璃月

神の目 炎

武器種 長柄武器

命ノ星座 華胥蝶座

 

 

二つ名「幽明微睡」

祈願名「夢幻忘川」

 

 

【キャラクター紹介】 眠蝶

 

「ふぁ、ふ……。……あら、ここはどこだったかしら?」

 

最近、璃月の街角でまことしやかに囁かれている噂の「天女」。

茶屋の片隅や瑶光の浜、軽策荘の道端など、所構わずふらりと現れては、心地よさそうに微睡んでいる神出鬼没の女性。

 

気さくに言葉を交わしていたかと思えば、ふと糸が切れたように深い眠りに落ち、次に目を離した瞬間には煙のように消え去ってしまう。

まるで夢と現の間を飛んでいるかのような彼女を、人々は畏れと親しみを込めて、「眠蝶(ミンディエ)」と呼んでいる。

 

 

 

 

【キャラクターストーリー1】

璃月の茶館で語られる噂話は、いつの時代も尽きることがない。

最近、人々の口の端に上るのは、所構わず微睡んでいるという「天女」の噂だ。

 

「高熱でひどく魘されていた夜、青い蝶を連れた天女が枕元に立って、氷のように冷たい手で額を拭ってくれたんだ。

翌朝にはすっかり良くなったよ」

 

ある者はそう語り、またある老人は興奮気味にこう語る。

 

「うちの放蕩息子に早く嫁が来るようにと祈願したんだ。

そしたら次の日、雨上がりのぬかるんだ茶畑で、それはそれは美しい別嬪さんが微睡んでいてね。

驚いたことに、彼女の真っ白な服には、泥の跳ねが一つたりとも付いていなかったんだ。

神様が儂の願いを聞き入れて、天から遣わしてくださったのだと確信したよ。

急いで息子を叩き起こして畑に戻ったんだが……彼女は跡形もなく消え去っていた。

足跡一つ残さずにね」

 

老人の息子は「親父が耄碌して幻を見たんだ」と笑ったが、老人は頑なに首を横に振った。

曰く、幻などではない。

なぜなら、誰もいなくなった茶畑の葉の上には、彼女の髪飾りと同じ、淡く光る青い蝶が静かに羽を休めていたのだから、と。

 

人々は彼女を、気まぐれな仙人か、あるいは美しき幽霊の類だろうと噂した。

しかし、その話を耳にしたある博識な客は、彼女が身に纏っていたという汚れなき白装束について、意味深な言葉をこぼしたという。

 

「その服の仕立て……どこか、『往生堂』の儀礼服に似てはいなかったか?」

 

 

 

 

【キャラクターストーリー2】

「天裂け地割れど、山河は在りて。港朽ち月欠けど、草木は深し。嘆きの花散りて、涙は……あら、次の句は……」

 

絶雲の間の険しい山道で、ふらふらと歩きながら不思議な詩歌を口ずさむ彼女を見かけた薬草採りは少なくない。

その詩歌は、儚さと虚しさを内包した独特の響きを持ち、璃月港で有名な「往生堂の堂主」が歌う少し奇妙な詩と、どこか似た質感を帯びている。

ただ、彼女の場合は自作の詩歌を口ずさんだ数秒後には、もう次の句を忘れてこくりこくりと舟を漕ぎ始めてしまうのだ。

 

彼女の存在は、薄布を通して見る風景のようにひどく曖昧だ。

彼女がどこから来て、なぜここにいるのか、定かではない。

しかし、そんな浮雲のような彼女が、ふとその輪郭を明確にすることがある。

それは「誰かの命を救う時」だ。

 

ある時、獣道で足を滑らせて滑落し、足にひどい怪我を負った薬草採りがいた。

その薬草採りの前に、彼女はふらりと現れた。

彼女は怪我を見るや否や、迷うことなく崖に咲く薬草を摘み取り、氷のように冷たい手で素早く傷口にすり込んだ。

 

「清心の葉は止血に効くけれど、痛みが強いでしょう。甜花の蜜を少し混ぜておいたから、すぐに楽になるわ」

 

その的確な処置と豊富な薬理の知識から、彼女は相当な腕の持ち主であると、後に薬草採りが運び込まれた不卜廬の医師は語る。

また「その処方は理にかなっているが、とても古い時代のものである」とも。

 

「助かった、あなたは一体……」

 

薬草採りが痛みの引いた足に驚き、顔を上げて礼を言おうとした瞬間。

彼女は小首を傾げ、眉根を寄せた。

 

「ええと……私、何をしていたのかしら? ふぁ……なんだか、とても眠いわ」

 

そして、ふっと糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。

慌てて薬草採りが彼女を支えようと手を伸ばし、そして瞬きをした——その刹那。

 

そこにはもう、誰の姿もなかった。

まるで初めから白日夢であったかのように、千切れた清心の葉と、一匹の淡い青色の蝶だけが、風に揺れていた。

 

 

 

 

【キャラクターストーリー3】

和裕茶館の片隅の席で、男女が二人向かい合って座っていた。

往生堂の客卿である男——鍾離は、向かいの席でこくりこくりと舟を漕ぐ女の湯呑みに静かに茶を注ぎ足すと、深い響きを持つ声で、ある昔話を語り始めた。

 

「……あれは空が血に染まり、大地が悲鳴を上げていた頃のことだ」

 

鍾離の静かな声に、彼女は微睡みながらも耳を傾けている。

 

「ひどく荒れた山道を、一人の少女が何重にも積んだ薪を背負って歩いていた。

それは、夥しい数の亡骸を火葬するための弔いの薪だった。

見かねた一人の若者が手伝いを申し出ると、疲弊しきっていた少女は安堵の息を吐き、その提案を受け入れた。

二人は言葉少なに山頂へと薪を運び、共に弔いの儀に立ち会った。

すべてが終わった後、少女は煤けた顔で微笑み、お礼にと若者に一杯の茶を淹れた。

そして、山頂から見える荒れ果てた往日の璃月を見下ろし、こう呟いたのだ」

 

——いつか、あの変わらぬ岩峰の足元に、街灯りが戻る日は来るのでしょうか。

 

「若者が『必ずや』と短く答えると、少女は嬉しそうに目を細めて言った。

若者のように、岩の如き固い意志を持つ者がいるならば、この国はきっと大丈夫だ、と」

 

そこまで語り終えると、鍾離は静かに目を伏せた。

向かいの女は、「素敵なお話ね。その続きは」とねだるように口を開いたが、その声は途端に小さくなり、柔らかな寝息へと変わっていった。

いつしか彼女の意識は深い底へと沈み、輪郭が淡い光を帯びていく。

 

鍾離は何も言わず、ただ一口、静かに茶を啜った。

そして、彼が茶器を口から離し、ゆっくりと目を開けた時——向かいの席にいた美しい女の姿は、跡形もなく消え去っていた。

ただ、彼女が座っていた椅子には、一匹の青い蝶が留まっていた。

 

「良い茶であった」

 

鍾離の呟きは、誰に届くこともなく茶館の喧騒に溶けていく。

そして、その一連の光景を、茶館の屋根の死角からそっと見下ろしている一対の鋭い瞳があった。

深い業障を身に纏う夜叉は、彼女の姿が消えた後も、ただ無言でその場に佇んでいる。

 

神や仙人の永い時の前では、人の生など瞬く間に崩れる塵芥に等しい。

だが、その命が灯した一瞬の温もりを、岩も、風も、決して忘れることはないのだ。

 

 

 

 

【キャラクターストーリー4】

彼女がまだ「眠蝶」と呼ばれるよりずっと昔——五百年前の璃月に、胡梅(フーメイ)という名の少女がいた。

往生堂に属する胡家に生を受けた彼女は、一族の「生と死の境界を守る」という教えの中で育った。

しかし、彼女の心は常に生者の側にあり、その関心は死者を送る儀式よりも、目の前の命を繋ぎ止める医術へと向いていた。

薬草の香りを漂わせながら、病に苦しむ人々に寄り添い、懸命に治療を施す日々。

その願いが最も強く燃えたある日、彼女のもとに炎の『神の目』が現れた。

それを知った兄弟たちは、皆一様に彼女を抱きしめ、まるで自分のことのように喜んだ。

神の目を手にした彼女はますます医療に励み、その火は凍てつく冬に咲く一輪の紅梅のように、周囲の人々の心を温めた。

 

しかし、平和な日々は唐突に終わりを告げる。

漆黒の災厄が、世界を覆い尽くしたのだ。

空は不吉な色に染まり、魔物たちが大地を蹂躙し、彼女の日常は一変した。

薬草の香りは血と灰の匂いに掻き消され、救うべき命が増えるのと同じ速さで、弔うべき亡骸も積み重なっていった。

「命を救う医師」としての務めと、「死者を送る葬儀屋」としての務め。

そのどちらも手放すことのできなかった彼女は、昼夜を問わず、傷病者の看護と葬儀に追われることとなった。

 

昨日まで笑顔で言葉を交わしていた隣人が、冷たい骸となって運び込まれてくる。

救うために覚えた薬も、磨いた腕も、この災厄の前では何の役にも立たない。

その事実が、日ごとに彼女の指から力を奪っていった。

共に背中を預け、励まし合ってきた兄弟たちでさえ、終わりの見えない災厄の波に呑まれ、一人、また一人と帰らぬ人となっていく。

限界を超えた疲労と、救えなかった命への無力感。

精神が摩耗しきった彼女は、血濡れた手を握りしめたまま、ふと昏い思考を零してしまった。

 

「いっそ、死んだほうが楽なのかもしれない」

 

深淵の魔物たちが、その一瞬の心の隙を見逃すはずがなかった。

黒泥のような漆黒の力が足元に絡みつき、彼女の心に巣食った「諦観」を養分にして、あっという間にその身体を死の淵へと引きずり込んだ。

底知れない絶望の気配に触れ、彼女はすんでのところで我に返った。

 

「何も為せぬまま、死ぬわけにはいかない」

 

生き残った者たちのために、そして失われた命の尊厳のために。

彼女は残された命の火を燃やし、神の目の炎を纏って必死に抗った。

しかし、疲弊しきった彼女の力では、果てのない深淵の群れを退けることは叶わなかった。

 

 

 

 

【キャラクターストーリー5】

深い奈落へと突き落とされ、意識が闇に沈みかけたその一瞬——彼女は、漆黒を切り裂く一筋の鋭い光を見た。

それは、深淵の気配を察知して駆けつけた、一人の夜叉だった。

翡翠の槍で瞬く間に魔物を粉砕した夜叉は、死の淵へと落ちかけている彼女に気づいたようだった。

彼は槍を手放し、その瞳にわずかな焦燥を宿しながら、咄嗟に手を伸ばした。

しかし、その手はわずかに届かなかった。

 

夜叉の指先が彼女の指を掠め、何もない空を掴む。

そのまま彼女の姿は深い闇に呑まれ、魂も冷たい底へと沈んでいった。

 

——はずだった。

 

夜叉が手を伸ばした瞬間に放った、強烈な仙力。

彼女を死なせまいとする決意を纏ったその仙力は、まるで一本の糸のように、彼女の魂を生と死の境界に縫い留めた。

こうして彼女は、現世に生き返ることも、冥界へ渡ることもできず、ただ独り、境界の狭間に取り残されることとなった。

 

そこは風もなく、音もなく、光すらも届かない虚無の空間だった。

人間の精神にとって、時の流れはあまりに重く、残酷だった。

彼女の意識はやがて朦朧とし、いつしか時間の大半を深い眠りの中で過ごすようになった。

擦り切れきった彼女はもう、自分が誰であったかも、なぜこんな暗闇にいるのかも思い出せない。

ただ「いつかの誰かの思い」だけが、真綿のように絡みつき、彼女の存在をかろうじて繋ぎ止めていた。

 

それから長い、長い時が経ち、遠きナタの地で永きにわたる戦争が終結した。

それに端を発したテイワット全土の地脈異常、その巨大な脈動のうねりが、境界の底を漂っていた彼女を再び生者の世界へと引きずり上げた。

 

今の彼女にとって、現世は夢のように朧気で、幻のように形がない。

ただ水面を漂うように、行く当てもなく彷徨うように、彼女は生と死の間をゆらゆらと揺蕩っている。

 

蝶の模様は人の目を引くが、その羽音には誰も気づかない。

眠蝶は、地に足をつけぬまま、今日も静かに現世と冥界の隙間を飛んでいく。

誰かが彼女の羽音に気づき、その手を取ってくれるまで。

 

 

 

 

【キャラクターストーリー 神の目】

往生堂に生まれ育った梅は、誰しもいつかは死を迎えることを、幼い頃からよく理解していた。

それでも、まだ救えるかもしれない命を前にして、諦めることだけはしなかった。

 

ある夜のこと。

往生堂で看護にあたっていた患者が、危篤に陥った。

もはや医術で為せることは何もなかった。

患者の呼吸は次第に浅くなり、脈も弱まるばかりだった。

兄弟の一人が急ぎ患者の家族を呼びに向かったが、果たして間に合うかどうか。

 

梅は患者の傍らに腰を下ろし、その冷えかけた手を両手で包み込んだ。

——あと一刻。

どうか、あともう一刻だけでも。

この鼓動が、この温もりが、家族の帰りを待ってくれますように。

死が避けられぬものであることは、梅自身、よく理解していた。

それでも、祈ることだけはやめられなかった。

 

やがて夜が明け、朝日が山の端にかかる頃。

家族を連れた兄弟が、ようやく戻ってきた。

家族は患者の名を呼び、泣きながらその手を取った。

そして、最期の言葉を交わす時間を得た後、患者は静かに息を引き取った。

遺された家族は何度も梅たちに頭を下げた。

懸命に治療を続けてくれたこと、そして、最期の別れに間に合わせてくれたことへの感謝だった。

梅はただ、静かにその言葉を聞いていた。

 

葬儀の支度のため薬草袋を探った梅の指先が、覚えのない丸みに触れた。

取り出すと、掌に収まるほどの赤い硝子玉だった。

いつからそこにあったのか、誰にも分からない。

ただ、夜通し患者の手を握り続けて冷えきった彼女の指に、その玉だけが、小さな火のように温かかった。

 

神の目を授かっても、梅の暮らしが大きく変わることはなかった。

彼女はそれまでと同じように薬を煎じ、傷を手当てし、そして、救えなかった者を見送った。

 

それから五百年。

かつての願いも、己の名さえも忘れた彼女の胸元で、神の目は長らく輝きを失っていた。

その炎が再び灯ったのは、かつて誰かの手を握り続けた少女が、今度は自ら、差し伸べられた手を握り返した時のことである。

 

 

 

 

【キャラストーリー 飾られた霄灯】

『祭が近づいてきたので、霄灯を作った。

仕事の合間を縫って卓を囲んだが、七人も集まると話が尽きず、なかなか作業が進まない。

出来の良し悪しはさておき、皆、随分と手際がよくなった。

今年もよい祭りになりそうだ。』

――往生堂の古い堂主の手記より

 

海灯祭が終わり、璃月港にいつもの日々が戻った頃。

往生堂では、二つの霄灯を巡って、ちょっとした相談事が持ち上がっていた。

 

発端は、眠蝶が千岩軍から譲り受けた二つの霄灯だった。

一つは、竹の骨に細かな傷が残り、紙には土の汚れが滲んだもの。

もう一つは、多少の汚れこそあるものの、骨組みのしっかりしたもの。

後者は、胡桃へのお土産だという。

前者は、役目を終えて処分されるはずだったものを、眠蝶が自分から欲しがった。

 

「飛ばしたきりでは、寂しいでしょう」

 

眠蝶は現在、胡堂主の遠縁ということになっている。

海灯祭を機に往生堂へ居候するようになった彼女は、薬草の仕分けや掃除、時には葬儀の手伝いまで、何かと忙しい日々を送っていた。

その彼女が、ある日、胡桃に尋ねた。

 

「胡堂主。この霄灯、どこかに飾ってもよいかしら?」

「もちろん! せっかくのお土産なんだし、目立つところに飾らなきゃね!」

 

快く了承した胡桃だったが、いざ飾るとなると、なかなかよい場所が見つからない。

帳場の机では仕事の邪魔になるし、廊下では人がぶつかる。

かといって、物置に仕舞ってしまっては飾る意味がない。

二人であれこれ相談した末、ようやく窓辺の棚に落ち着いた。

ところが、霄灯を並べようとした胡桃が振り返ると、肝心の眠蝶は椅子に腰掛けたまま、すっかり微睡んでいた。

 

「ちょっと、眠蝶! 言い出しっぺが寝ちゃうなんて、ずるいじゃない!」

「あら……ごめんなさい。なんだか、日当たりがよくて……」

「まったく、仕方ないなあ。ほら、もう少しだから手伝って!」

「ふふっ。ええ、もちろんよ」

 

こうして二つの霄灯は、無事に往生堂の窓辺へと飾られた。

朝の光が薄い紙を透かし、土の汚れの縁を、ほのかに照らしている。

 

翌日、それを見た最初の依頼人は、首を傾げて言った。

 

「縁起がいいのか、悪いのか……」

「どっちも扱ってるのが、往生堂だからね!」

 

窓辺の灯は、今日も賑やかな声を聞いている。





ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

本作を書くにあたって、イメージソングにしていたのが、中島みゆきさんの「糸」でした。
本編最終話のタイトル「糸」も、そこからいただいています。

これにて、眠蝶のお話はひとまず完結です。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
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