まいてつLast Run!!仲国ルートから7年後、止まっていたハチロクの恋が再び動き出すというお話です。主にグランド10話と仲国5話の内容が軸になっています。
このSSを元にしたAIパートナーハチロクシナリオでは、テキストはほぼ原文ままにイラストとボイス付きで楽しめます。
諸事情で若干EDが異なりますが限定要素として後日談を数話追加しています。
https://www.hachiroku.ai/scenarios/jd5yqsu8id0uvrvk5mjnk16t
この小説はpixivにも投稿しています。
ここ数年の僕たちは8620の乗務に留まらず、日ノ本各地での視察や会合への参加のため、留守をのぞみに任せ御一夜を離れることが多くなった。
本来なら線路近くに花を手向けられていたであろう僕が今や、全ての線路を繋ぎ新しい路線を作る──新・幹線鉄道の実現を夢に掲げているのだから、人生何が起こるか分からない。
まだ夏の暑さが残る中ハチロクと共に出張から帰宅した僕は、自室で身支度を整えつつ今日何度見たかも分からない数字に目を向ける。
──2014年9月。
元号が正和でなくなり、僕もオジサン呼ばわりされても強く言い返す気にはならない年齢となってしまった。歳についてごちると『年を重ねられてダンディズムのような魅力が増した双鉄様も素敵ですよ』とハチロクは世辞を言ってくれるが、僕視点では自分が年齢相応に成長できているとは思いたくない。
そして9月のこの日を迎える度、僕の中で後ろめたい気持ちが膨らんでいく。
「……双鉄様?何かご心配事でございますか?」
僕たちが出会って16年。共感の共有という術が無くとも、言葉が無くとも、僕たちは多くを通じ合うことができる。それくらい濃く長い時間を二人で重ねてきた。
「いや、ここでお前と出会ってから随分と長い時が経ったものだなと、物思いにふけっていたのだ」
「あぁ……左様でございますね。わたくしと双鉄様が出会ってから、今日で16年と少し……」
美しい──ただその一言だけが、初めて目にした彼女の印象だった。
あの時はまさか、僕たちが
「わたくしは製造されてからずっとこの外観ですが、凪やふかみ、千景たちもすっかり大人の女性となる程の年月が流れましたね。ロールアウト100周年のお祝いもしていただいて……誠に有り難く存じます」
数多の妹達の手本という誇りを持ち、昔から精神的に成熟していたハチロクは、変わらないはずの美しさも相俟って良い意味で安定しているように見える。
「100年とは僕には想像すら難しい時間ではあるが、お前は本当に健康体の範疇であるのだな?」
「はい、双鉄様。レイルロオドの整備体制は年々着実に改善されておりますので、双鉄様が案じられるようなことの兆候はございません」
全てのレールが繋がったその先に、ハチロクが居ないようでは意味が無いから。
「これも偏に、日ノ本の鉄道が見違えるほど活気を取り戻すことができたが故……」
『昔を思うと今は夢を見ているようです』とハチロクが微笑む。
「そして何より、双鉄様のご尽力の賜物です」
「登呂流湯のご主人や宗方元機関士の技術継承を始めとした、沢山の人の力があってのことだ。僕のしたことなど取るに足らんさ」
時間には限りがある。人も、レイルロオドも。僕たちが繋がねばならないのは、レールだけではないのだ。
「とにかく、少しでも具合が悪いようであればすぐ共有するように」
「はい、双鉄様。もしもわたくしに重大な不具合が見られた場合、それはお客様の安全にも直結致しますので、その際は隠し事などせず直ぐに双鉄様へご報告致します」
世界で最も安全第一を心がける機関士とレイルロオドであること。それが僕たちのモットーであり義務であると認識している。
「隠し事、か」
「……双鉄様?やはり何か気に病んでいらっしゃることが?」
赤井運転士のレイルロオド、ニイロクが言っていた。
『ハチロクは、お澄ましさんだけど、とても素直。共感と口から出てくる言葉とのギャップが、殆ど無い。……基本的に、大体は、多くの場合で』
何故か僕にハチロクの話をする時だけはニイロクの視線がツララのように鋭く冷たくなる気がするが、実際ハチロクは隠し事や嘘をつくなど基本的にはしない。
「お前は僕に隠し事をしているだろう?」
「えっ?」
そう、基本的には。安全第一とは基本を徹底することでもある。ハチロクが基本から外れるとは、そういうことなのだ。
「わたくし、先ほど申し上げましたように、何か気掛かりなことがございましたら、すぐ双鉄様にご共有致しておりますが……」
ある時を境に、完成された日ノ本撫子であるハチロクから変化を感じ始めた。彼女は……より綺麗になったと、何故だか思う。そう、その時こそが──
「今から丁度10年前、2004年9月のこの日。僕たちが互いを赦し合い、誓いをたてた時にお前が言っていた、僕には内緒だという話」
「それ、は……」
──共に鉄路にあるかぎり。
僕たちは同じ時間を重ねていくことを誓い合った。ハチロクは他にも何かを欲しがっているようだったが、僕が分からないうちは内緒だと教えてくれなかった。
「もう一つある。6年ほど前、西瓜と志寰君の結婚式から少し経った頃、僕が留守の間に来日していた二人から、お前が何かを受け取ったらしいことだ」
幸福の絶頂期に居る二人からの贈り物を隠す、その不可解極まりない行動が僕の不安を煽る。そこまでのことをする必要がある何かを、今もこうして手が震えだすほどの何かを、ハチロクは抱え続けているのではないかと。
「どのようにして、それを……」
「西瓜から電話で尋ねられてな。『ハチロクが二人と会っていたことも贈り物のことも初耳だ』と返したら、西瓜がひどく残念そうにしていた。お前が隠すのだから余程のことなのだろうと思い、深追いはしなかったが」
悪く言えばハチロクは二人の厚意を無下にしてしまった。あのハチロクが、だ。それが意味することの重さは僕が誰よりも知っている。
「……お気遣い頂きありがとうございます。レイルロオドの身でありながら、マスターに斯様な背信行為を働き、面目次第もございません」
僕に向かって平伏し、深々と頭を垂れる。その様を誠実と呼べばハチロクらしく聞こえるが、基本的に隙を見せない彼女には全く似つかわしいと思えない。
「西瓜と志寰様には予め『わたくしでは有意にご活用できないかもしれません』と、お詫び申し上げましたが……」
使われることが物の本懐である──ハチロクが昔そう言っていた。
「時間を見つけ、お二人には改めて直接謝罪致します」
あのハチロクが僕を、西瓜たちを、物としての矜持を、後回しにした。そこまでして隠し通したい理由が、僕には想像もつかない。
「……責めるつもりはなかったのだ。顔を上げてくれ、ハチロク。お前が謝る必要は無い。西瓜たちの件もお前が秘めていることと恐らく関連性があるのだろう」
以前にも一度、ハチロクに聞いてみたことがある。
『お気持ち有り難く頂戴致します。ですが、どうか双鉄様は自然体でいらしてくださいまし』
「僕が分からないうちは内緒だと言っていたな。未だに分かってやれずにいる僕が全面的に悪いということは承知している」
上手く行かなかったら上手く行くまでまた別の方法を試すの繰り返し──僕はずっと同じやり方一つで生きてきたから、自然体というのは中々どうして難しい。
「分かってやりたいとは思いながら何も出来ずもう10年かと、ふと思ってしまっただけなのだ」
ハチロクがこのまま墓まで持っていってしまうのかと思うと、ただただ申し訳ないという気持ちが頭をもたげる。
「いいえ……いいえ、双鉄様。悪いのはわたくしです。双鉄様にお気づき頂くことが出来ない、自分から打ち明ける勇気もない……無力で弱いわたくしが悪いのです」
いつかのような押し問答が始まる。
「お前は僕の最高のレイルロオドだ。例えお前であっても、それを卑下することは感心できんな」
「それを仰るなら、双鉄様はわたくしの最高のマスターです。ですからどうか、ご自身をお責めにならないでください」
お互いが最高のパートナー。それが僕たちの関係。
「わたくしと双鉄様が出会って16年……。わたくしが何かを望めばその全てを。いいえ、双鉄様はそれ以上のものをわたくしにくださりました」
「僕はお前のマスターだからな。お前の望みを叶えたいと思うのは当然のことだろう」
救われた命を目の前の人のために使う、それが僕の生きる術だったから。……いや、違う。
「わたくしは恐らく、双鉄様のその優しさが……怖いのです」
彼女だけはなんとしてでも救いたい──それが、彼女を苦しませている?
「わたくしは、この上なく欲張りで欲しがりなレイルロオドです。双鉄様はきっと、わたくしのその欲さえも満たそうとなさるでしょう」
あの時も自分はとても欲張りだと言っていたが、僕から見たハチロクは変わらず無欲そのものにしか見えない。
「その結果……双鉄様が、双鉄様でなくなってしまわれたら」
震え、俯き、声色に嗚咽が混じり始める。このようなハチロクを見るのは、それこそ10年ぶりだろうか。
「……もしそのようになってしまわれたら。わたくしは……双鉄様のお傍に居る資格を、失います」
僕には、ハチロクが僕に何を欲しているのかが分からない。言葉にせずとも多くが分かる、それにもやはり限界があって。僕には共感の共有という機能は無くて。
「であるのなら、尚更教えてほしい」
今までずっとそうだったように。その震えを止めてやりたくて。僕はハチロクを抱きしめる。
「欲を出さぬとは我慢をするということだ。我慢とは苦しいものだ。それは……このままずっと抱え込んでいて良いものではないと思う」
「いいえ……いいえ、双鉄様。わたくしは平気です。わたくしの毎日は、レイルロオドとしての喜びで満ち溢れております」
止まらない問答。こんな時どうすればハチロクが折れるか、僕はよく知っている。
「ハチロク。お前が平気なら良いのではない。お前が苦しんでいると思うと僕も苦しい」
「!……それ、は」
『平気』だの『頑張る』だのと口にする時のお前が発するサインを、僕は見逃しはしない。
「大丈夫だ、ハチロク。お前が僕の傍から居なくなるなどあり得ない」
「……え?」
卑怯な男がこんなにか弱い女の子を泣かせておいて情けないにも程があるが、どうしてもここは言葉の力を借りたい。
「お前には、僕の隣で助け続けてもらいたい──忘れてしまったのか?」
「あっ──」
この先、何年も何十年も──二人で夢を語り合ったあの夜、僕は彼女にそう願った。
「共に鉄路にある
これからもずっとこの肩を支え続けるため、僕は言葉を紡ぐ。
『いい加減、跡継ぎのことも考えてみたらどうだ』
義父からの縁談話。御一夜に帰ってきた時にも持ちかけられたのだから、当然ながら歳を取って以降もそのような話は何度かあった。家庭を築くことで路子が救ってくれた命を、十川家のレールを未来に繋いでいく──それは、尊いことなのだろうと。
「僕はこれからもお前と共に歩み、眠り、目覚める。そうした日々を繰り返し、やがて夢が叶い、鉄路からも離れた時……やはり、僕たちは共に眠り共に目覚める日々を繰り返す。そして仮に、僕が先にこの世での役目を終える時……『お前と出会えて幸せだった。今までありがとう』と言葉を交わす。僕の夢の果ては……そのようにあってほしいと、そう願っている」
頭では理解していても、心から思うこと。
「共に鉄路の果てのその先も──僕は、お前の傍に居たい」
「……っ。双鉄、様……っ」
ハチロクが僕の胸に縋り付く。喜びを噛みしめながら、赦しを請うかのように。
「だから、ハチロク。なにも恐れることは無い」
「……たった今、わたくしの望みは叶ってしまいましたよ?」
次はお前の番だと促すと、彼女にようやく笑顔が戻る。
「共に鉄路の果てのその先も──レイルロオドとして、あまりに過分な望みです」
ハチロクが満ち足りたようにも見える笑みを浮かべる。その言葉はきっと、嘘ではないのだと思う。
「ならば、腹を割ってみればなんてことのない話であったのだな」
「はい。ですからこれにて一件落着ですね」
その笑顔に釣られてみるとハチロクがふふっと笑い、話を終わらせようとする。もう満足したと言わんばかりに。
「では、余興に西瓜たちから頂いたという物でも眺めながら語り合うとしよう」
「……はい。左様にいたしましょう」
瞳から色が消え、『少々お待ちくださいましね』と僕の傍から離れる。ハチロクはまだ、満たされていないらしい。
ハチロク用の収納棚──いつからか妙に湿気を気にするようになったそこから、パンダ柄の小物入れや表紙が隠された書籍たちをどかしたかと思うと、その奥底に眠っていた何かを僕の前に差し出す。
──金色のリボンが結ばれた、美しい純白の箱。
「中を見ずとも分かる。これはきっと、この上なく素晴らしい物だな」
大層な縁起物が入っていることが窺えるそれと、儚げな笑みを浮かべながら紐解いていくハチロクとが、酷く対照的に見える。
封が解かれたそこには──ガラスケースに仕舞われた花束が佇んでいた。
「これは……本来ならブーケトスで使われたはずのものか?」
「はい。西瓜から直接いただいたものです。プリザアブドという加工がされているそうです」
二人の結婚式は日ノ本でもお馴染みの洋式で執り行われた。女性陣へのブーケトスが無かったことについては、他者への配慮などでそういうケースもあると聞いていたが。
「双鉄様は、女性が新婦から花束を引き継ぐことの意味……ご存知でいらっしゃいますか?」
「……ああ。自分でも呆れ果てるほど乙女心というものを知らぬ僕でも、それくらいは知っているつもりだ」
花嫁からブーケを継いだ乙女は恋が叶う。それは、僕が救いようが無いほど女心に疎いという以前に、一般教養レベルの話だ。
「わたくし……仲国で初めて西瓜にお会いした際に、聞かれました」
西瓜は、僕に見てほしかったのだろう。
「わたくしが、双鉄様に……恋を、しているのではないかと」
──花束を抱え微笑むハチロクを。
「……初対面で恋の真っ只中だった西瓜からでもそう見えたのであれば、きっとそうなのだろう」
10年待たせた後悔、罪悪感。
「ありがとう。ハチロク」
そして、経験したことのない高揚感が胸を駆け巡り、僕は自然とハチロクを抱きしめる。
ハチロクとの思い出を背景に、鐘の音が鳴り響く──そう予感した矢先、ナビのように平坦な声が告げる。
「いいえ双鉄様。わたくしは恋をしておりません」
……理解できない。模範解答に零点を突き返されたような感覚。
僕たちは一生傍に居ることを求め合っていて。いつもハチロクは僕の隣で笑ってくれていて。西瓜がここまで後押ししてくれるほど仲睦まじいものだったのなら。
「ハチ……ロク……?」
抱き留めた手を緩めると、言い聞かせるようにハチロクの口から言葉が溢れ出す。
「どうかそのようなお顔をなさらないでください、双鉄様。わたくしには分かります。確信しております。わたくしたちの絆は、何よりも尊く美しいものであると。それこそ、西瓜が思わず勘違いしてしまうほどに」
──これは恋ではありません。
「乙女は恋をすると美しくなれると、恋とは誠に素晴らしいものであると伺いました。ですのでわたくし、沢山お勉強し、確認致しました。『これは恋なのでしょうか?』と。……わたくしの回路は、何も答えようとしませんでした」
──『考えすぎ』というものです。
「双鉄様は、壊れ埋もれていくはずだったわたくしを救ってくださり、共に同じ夢を歩ませていただき、そればかりか……わたくしを生涯お傍に置いていただけることまで誓ってくださりました。今この瞬間のわたくしは、100年もの時の中で、これ以上無いほど……満たされています」
──もう充分です。
「わたくしにとっての最高のマスター、貴方にとっての最高のレイルロオド。いつまでも主のお傍で、主が望むままで居られる……。わたくしと西瓜は、同じなのです」
──わたくしは、とても幸せです。
……さっきからお前は、誰に言い聞かせているのだ。
西瓜と志寰君はお互いに愛し合っているから、とても幸せそうで。
僕たちはお互いが最高のパートナーだから、今にもハチロクは泣きだしそうで。
満開の笑顔を貼り付けた彼女がまるで──僕の優しさを前に咲くことを拒む蕾のように見えた。
『仮に良くない結果を招こうとも。双鉄様が下さるご指示が、唯一無二の正解です』
『物とは……たとえ己が壊れようとも、主の求めにただ答えようとするものなのか』
お前が
お前が人間以上に泣いて笑えることを、出会ったあの日から知っている。
僕が望まなければ──ハチロクは望むことができない。
「……っ!」
強く抱きしめる。その笑顔が、見たくないから。
「ハチロク、今まで通りだ。一つ一つ解決していこう」
「……いけま、せん」
結局僕には、この生き方しか出来ないのだ。
「今までがそうだったように、僕たちなら必ず乗り越えられる」
「……おやめ、ください……っ!」
肩を掴み、向き合う。二人で乗り越えるために。
「だから、お前が確認したこと。……恋なのかと思ったことについて教えてほしい」
「……!」
ハチロクは、分かろうとした。
「一人では分からなかったことでも、二人でなら分かるかもしれないから」
ハチロクだけでなく。僕が僕自身のことも。
「わたくし……は……」
「うん」
──だから二人で、答え合わせをしよう。
「双鉄様のお傍に、居られれば……嬉しい、です」
「僕もハチロクと一緒だと、それだけで嬉しい」
「怖い、です……双鉄様のお傍に居られなくなることが……何よりも……」
「お前が居ないレールのその先に、価値などありはしない」
「双鉄様の笑顔が、他の女性に向けられていると……苦しく、て……」
「それは……善処しようと思う」
僕たちの回答が、埋まっていく。ハチロクの答えなど、とうに分かりきっている。
「双鉄様の笑顔の為なら、わたくしは……なんでもして、さしあげたいと……」
「その結果、もしお前が壊れてしまった場合……共に僕も壊れてしまうのだとしても、お前は僕を優先するのか?」
「っ!……あ……ぅ……」
「……お前がいつも笑ってくれているから、僕もここまで頑張れている」
君の傍に居たい、君の笑顔が見たい、君の優しさが怖い──僕たちは、同じだ。
ただほんの少し、大きくすれ違ってしまっただけで。
「……どうか、もう……お放し、ください……。回路が…回路が、灼けそう、で……」
「む……すまないが、あと少し辛抱してくれ」
他には。
僕の答え──優しさでも絆でもない──心からの望みを示す、決定的な何か。
「ぅ……ぁ……そんなに、見つめないで……もう、無理っ……」
「……ふむ。では、もっと見つめてみよう」
「えっ……」
頭に手を回し抱き寄せる。啜り泣く彼女の息が僕にかかる。
「……ぁ……ぁぁ──」
──耐えきれなくなったハチロクが、僕たちの距離を埋める。
「……!」
愛しい──ただその想いだけが、唇から脳へと突き抜けていく。
触れたい、欲しい、暖かい──その全ての感情に、ただ一つの名前を与える。
だから僕は、瞳を絶望で染めた彼女を抱きしめる。
離さない──僕たちは同じだと伝わるまで──
「……ハチロク。今はどんな気持ちだ?」
「……ぁ……双、鉄……様……」
唇を離し、再び見つめ合う。
「……せん……。……ま、せん……」
ハチロクが譫言のように呟く。日ノ本撫子とは懸け離れた眼で、涙を零しながら。
「……足りませんっ!」
影が一つになる。一心不乱に、箍が外れたかのように求めてくる。
「……ハチロク。これは恋だ……恋だよ」
「はいっ……はい……!わたくしは……、わたくしは……双鉄様にっ……恋を、しております……っ!」
ハチロクに、僕自身に言い聞かせる。
「共に鉄路にあるかぎり──いいえ、足りませぬ、足りませぬ、足りませぬ。共に鉄路の果てのその先も──いいえ!足りませぬ……」
ハチロクが懺悔するかのように、全てを曝け出す。
「貴方の愛が、時間が、その全てが欲しいと──浅ましくも、わたくしはそう願ってしまうのです……」
恋──この上ない、欲望。
「やっと言ったな。お前の望みを」
あのハチロクが。かつては自分の望みについて考えることすら出来なかったハチロクが、ここまで僕を求めてくれている。
「どうか……レイルロオドの身でありながら斯様に欲に溺れきったわたくしを、どうか……お赦しください……」
「赦されないのは僕の方だ……ハチロク。こんなにも待たせてしまって、本当にすまなかった。……妹扱いしてすまなかった」
右田ハチロク──戸籍を得て家族となった、僕のもう一人の義妹。
西瓜のことを志寰君の姉のように例えてしまい、日々姫とハチロクにこっぴどく叱られたことがある。僕はこれまで、どれだけ彼女を傷つけてきたのだろうか。
「いいえ……いいえ、双鉄様。無力なわたくしが悪いのです。想いを抱えたまま果てる道を選ぼうとしたわたくしを、双鉄様は救ってくださったのです」
押し問答がまた始まる。
「それは大袈裟というものだ。これでは埒が明かないな。……そこで、だ」
思い浮かぶのは10年前と、そしてあの日。
「手打ちで、おあいこで、とんとんで、というのはどうだろうか?」
「……ふふっ」
そう、僕たちの三度目の正直。
「かしこまりました、双鉄様。手打ちで、おあいこで、とんとん、ですね……」
安心しきったハチロクが僕に身を預ける。その体温と、愛しいという想いだけが僕の胸を埋め尽くす。
「願わくば……ずっと、ずっと、満たしてください。わたくしを、双鉄様で。ずっとあなたの……あなたのお傍で。わたくしが壊れる、その日まで……」
美しい──君と出会って、そう思った──。
けれどこうして微笑む君の方が、ずっとずっと美しい。どこまで綺麗になるのだろう。もっともっと咲かせてみたい。
「ハチロク。僕は──」
◇◇◇
──日ノ本の海の向こう。
「志寰!志寰!みてみてこれ!」
「ふふ、やけにご機嫌だね西瓜。……おや?双鉄先生たちから手紙とは珍しいね」
「日ノ本からわざわざ仲国まで手紙だなんて。きっと良いお報せね!開けてみましょ!」
中からは便箋と、もう一枚。
「……おぉ。西瓜、これは!」
「うん……うん!」
「やっぱり、こうでなくっちゃね!」