尾形百之助の受難   作:Mねぇ

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profile


名前 …有坂 霞子(かこ)

年齢…24歳(金塊争奪戦開始時点)

血液型…AB型

誕生日…1882年8月30日

好き(得意)…百之助様、銃火器(特に三十年式歩兵銃)、洋食(特にビーフスチウとエビフライ)、ガラスペン

嫌い(苦手)…父の仕事を侮る人、百之助様を雑に扱う人、回りくどい物言い、自分の気持ちを察して欲しがる人、しいたけ

趣味…射撃訓練の見学、家政の取り仕切り、友人との文通、ねえやとの外出

特技…社交辞令、人付き合い、生け花

最近気になっている事…百之助様とのお子はいつ出来るのか

座右の銘・信念…自分を疑わない

容姿…黒髪に象牙色の白い肌、鳶色の瞳をした圧のある美女。イエべ秋、エレガント顔、痩せ型寄りの骨格ストレート。
少しツリ目で華やかな顔立ち、薄く笑んだ赤い唇とそれを引き立てる口元のホクロがチャームポイント。
真っ直ぐな黒髪を腰元まで伸ばしていて、普段は庇髪に纏めている。
胸もお尻も主張が激しめ。洋装が似合う。
身長162㎝体重56㎏。
一人称は妾(アタクシ)。

性格…静かで淡々としていて、竹を割ったようなハッキリとした好き嫌いのある分かりやすい性格。
機嫌の良し悪しが顔に出ず、常に薄く微笑んだ表情で固定されている。不快な思いをしても眉一つ動かさないが、ねえやにだけは機嫌の良し悪しを察知されている。百之助には違いが分からない。
物事を決めるまでは長考するが、一度決めると易々と決定を覆さない。
他人を褒める時も叱責する時もほぼ同じ表情と声音で言葉を発する為周りからは何を考えているか分からない人間だと思われている。

人間関係
・有坂成蔵…父親、尊敬しているけれど大声を出さないと話が成立しないので会話はしたくない(普段は筆談をしている)
・イワ子…ねえや、誰よりも信頼しているが、誰よりも振り回している
・百之助…夫、可愛い方、銃(狙撃)の腕が素晴らしい、顔も別に嫌いではなく美形だとは思っている

備考…有坂成蔵の長女で、先妻の遺児。二歳の時に母親を亡くし、後妻の手で育てられた。後妻との仲は良好だが、継娘の突飛過ぎる行動・言動に後妻は度々頭を抱えている。
華族女学校の第12期卒業生。
現在は旭川の陸軍将校達の営外居住地域に父に建ててもらった和洋折衷(洋が九割)建築の屋敷で暮らしている。
結婚にあたって家から持たされた持参金の額は父親の年俸(約3000円)三年分に色をつけた10000円。加えて自分の自由に出来るお小遣いの財源として年金利が500円程になる程度の有価証券や国債を持たされている。


イメージフラワー…赤いダリア≪花言葉…華麗、栄華≫

イメージアニマル…鳶

ボイスイメージ…早見沙織さん(かつて神だった獣達へのベアトリスっぽい感じ)


有坂百之助の受難

 

 

「………………申し訳ありません」

 

『まぁ、どうして謝るのです?』

 

「……男として、使い物にならなくて…」

 

『そんな日もありますわ。人間ですもの』

 

 

1906年10月。初夜を迎えた寝室で〝有坂 霞子〟は震える〝有坂 百之助〟におっとりと微笑んだ。

シルクサテンのネグリジェ姿でベッドに横たわる霞子に覆い被さって、動揺に瞳を揺らす百之助の手に自身の手を重ねた霞子は、こうして手が触れるのも初めてですものね、と目を細める。

 

…百之助の手が震えているのを感じて霞子は僅かに笑みを深めると、同じベッドで眠る事から始めましょう、と初夜を切り上げて枕元の灯りを消した。

 

 

──翌朝、寝不足である事が一目で分かる顔色をした百之助に、霞子は仕方がなさそうに微笑んだ。

 

 

『旭川に戻るまでの道中、寝室は別にいたしましょうか?』

 

「………いえ、結構です」

 

『では、お辛い時は仰ってくださいね』

 

「……はい…申し訳ありません」

 

『それでは妾は部屋で身支度を整えて参りますね』

 

「はい」

 

 

ベッドを降りて僅かに寝乱れた髪を手櫛で整えながら退室する霞子の後ろ姿に漸く肩の力を抜いた百之助は静かに項垂れた。叱責の言葉一つなかった事が逆に不審に思えて。

 

…何故失望しないんだ。そう呟いて立ち上がる。百之助と霞子が寝室として宛てがわれた有坂邸の客室は、飾られた洋花の香りがした。

 

 

──有坂百之助の受難の日々は始まったばかりだ。

 

 

────霞子は、旭川に移り住む為に私物を整理してすっかり寂しくなった自分の部屋でイワ子にコルセットの紐を締め上げて貰いながら、小さく呟く。

 

 

『ねえイワ子、殿方ってどういう時に女を抱きたいと思われるのかしら』

 

「……未婚で女の私に聞かれましても…」

 

『お兄様に聞いてもいいと思う?』

 

「やめて差し上げてください」

 

『どうして?』

 

「妹君に性事情を根掘り葉掘り聞かれるなんて、坊っちゃまがお可哀想です…」

 

 

ただでさえ怖がられてるんですから、とは口が裂けても言えないイワ子は押し黙ってコルセットを締め上げた。ので霞子は強制的に黙らされた。

 

…朝食の席にて、大声で昨日の結婚式と披露宴の感想を話し倒す陸軍中将〝有坂 成蔵〟に、父に合わせて同じく大きな声で答える霞子の兄の陸軍大尉〝有坂 勤〟と、話を振られた時に大きな声で返事をする以外は静かに食事を続ける継母や弟妹達の横で、霞子は手のひらサイズの雑記帳に万年筆でツラツラと字を綴り、その都度イワ子に頼んで成蔵の元へ運ばせていた。

婿としての立場もあって話を振られる度に声を張り上げて返事をしていた百之助は、この家に居て霞子がこんなに静かな女なのは何故だ、そもそも家長の話に筆談で答えるのはアリなのか、有坂閣下は何故娘のこの態度を許しているんだ、と勝手に思考の迷宮に迷い込んでいて、朝食の味などちっとも分からなかった。

 

 

『せっかくですもの、観光に行きましょう。休暇は長めにとってありますのでしょう?』

 

「…帰省休暇という名目で最大日数取得してありますが…閣下が旭川に用意してくださったという家を整理する時間も考えるとあまり猶予がないのでは」

 

『イワ子も旭川について来てくれますし、お[[rb:継母>かあ]]様が熟練の女中を二人とまだ若い行儀見習いの女中を数人譲ってくださったの。イワ子以外の女中達は先に旭川の新居で家事や生活用品の手配をしてくれてる筈ですわ』

 

「……中尉の俸給じゃそんな人数養えないが…」

 

『妾の持参金がありますもの。問題ありませんわ』

 

「……そうか」

 

『婚礼調度品以外の家具や生活用品も手配済みですわ。そろそろ旭川に着いている頃ですので、女中達の道中の護衛と力仕事の為に一時的に旭川に行って貰った男性使用人達が妾の指定した通りの位置に配置してくれていますわ』

 

「………そうか」

 

『ええ、妾達は移動の間の着替えだけ持って旅をして、そのまま入居出来ますわ。そのように手配しております』

 

「…………そうか」

 

『旭川に着くまでゆっくりと観光いたしましょう』

 

「……霞子様が、そう言うなら…」

 

 

霞子は嬉しそうに微笑んで、百之助に背広を手渡した。

 

…二人はこれから、鉄道、船、馬車での移動を乗り継いで、道中で観光を挟みながら旭川の新居へ向かう。荷物はそれぞれ普段着と衛生用品と旅の間の手慰みを纏めたトランク一つ。百之助が想定した霞子の荷物よりかなり身軽だった。

そして百之助は、霞子の中で決まっている旅程を聞かされていなかった。ので何も知らずに馬車に乗り、日暮里駅で降ろされる。

 

 

「どこに寄り道するんですか?」

 

『まずは茨城に行こうかと思っておりますの。百之助様の近しいご親族は皆様鬼籍に入っておられるとは聞いておりますが、ご挨拶もしていないでしょう?』

 

 

お墓参りくらいさせてくださいまし、そう続ける霞子に、百之助はポカンと口を開けた。

 

…そして百之助の頭の中を疑問符が回り始める。何故俺の実家を気に留める。今更墓参りなどして何になる。遠縁の親戚なんかには結婚した事すら知らせていないのに、こんな派手な女を連れて田舎に帰ったら何と言われるか。そもそも東京育ちのお嬢様があんな田舎に行ったところで退屈なだけだろう。色々と考えて、言いたい事は山ほどあったけれど飲み込んで、お心遣い痛み入ります、と答えた。

 

 

──そうして、列車と馬車を乗り継いで故郷に辿り着くなり奇異の視線に晒された百之助は、やはり連れてくるべきではなかった、とうんざりした心地で中尉になってから伸ばし始めて後ろに撫でつけている髪を掻き上げた。

 

 

「……霞子様が見て楽しいものなんざ何も無いでしょう。墓参りを済ませたらすぐに東京に帰りましょう」

 

『そんな事はありませんわ。百之助様が幼い頃を過ごされた場所というだけで妾にとっては素敵です。

思い出の場所などはありませんの?』

 

「……幼い頃に鳥を撃っていた畔があります」

 

『まぁ、昔からお上手でしたのね。ご案内頂けますか?』

 

「…はい」

 

 

霞子の微笑みに言い返す気をなくした百之助は、霞子とイワ子を連れて田畑の連なる山裾へと向かった。

 

…その道中で、百之助は一人の老爺に呼び止められる。お前尾形の所の倅だろう、立派になって、と。

足を止めた霞子を置き去りにする事も出来ずに止まった百之助の嫌そうな顔に気付いているのかいないのか、老爺は話し続ける。

 

 

──曰く、誰かと思ったらお前か、綺麗なべべ着て立派な奥さん連れて…おっ母さんも爺さん婆さんも草葉の陰で鼻が高かろうよ。そう言って自分の妻を大きな声で呼び寄せて、大きな声に隣近所の人間まで集まってきて、これ持ってけ、あれも持ってけ、と漬物や野菜を持たせてくる。機嫌よく微笑んだままそれを受け取って和やかに世間話をしている霞子を振り返る百之助の顔には、こうなるから嫌だったんだ、と書いてある。

 

 

────百之助本人が前向きに関わってきたかと言えば決してそんな事はないが、霞子と百之助の付き合いは長い。一兵卒だった百之助から見れば殿上人にも等しいご令嬢である霞子は、意外な事にどんな社会階級の人間とも付き合いがいい。華やかに着飾って結婚式に参列していた霞子の友人達も、大臣の娘から庶民の豪商・豪農の娘まで様々だった。

今も、土汚れのついた百姓の娘に囲まれて化粧品の話なんかをしている。

 

 

「……そろそろ行かないと日が暮れますよ」

 

『まぁ、申し訳ありません。お話し相手をしてくださりありがとうございます。

妾達、お墓参りをしに来たんですの。これで失礼させていただきますね』

 

 

百姓に平然と頭を下げる霞子を信じられないものを見る目で見た百之助は、畔には明日ご案内頂けますか?と朗らかに微笑んだ霞子に頷いて、生家の墓がある寺に向かった。

 

…墓参りを済ませる頃にはすっかり夕暮れ時で、寺の住職の厚意で寺に一泊させて貰う事になる。

お世辞にも裕福とは言えない故郷の、お世辞にも豪華とは言えない寺の客間で、薄い布団に包まった霞子が、良いところですわね、と百之助の故郷を評して微笑んだ。

 

 

──その晩、百之助はおずおずと、眠る霞子の髪に触れた。

 

 

 

 

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『まぁ、あんなに遠くの鳥を撃っていたのですか?』

 

「……まぁ…それくらいしか、する事がありませんでしたから」

 

『妾が百之助様と同じ歳の頃は銃の反動で尻もちをついていましたわ』

 

「………ご自身でも撃っていたんですか?」

 

『はい。的に当てられるようになったのは10代も半ばになった頃ですが』

 

「…それまで練習を?」

 

 

田畑の中に通る畔に立って、百之助にそう問われた霞子は、幼い頃は村田銃を分解して叱られていたんですの、と恥ずかしそうに微笑んだ。そして百之助は、薄笑いでその横顔を見た。

百之助の反応に気付いていない霞子は続ける。村田銃を分解していたのは十歳の時の話だという事。十一歳の頃に二十六年式拳銃を邸宅の裏庭で撃って大目玉を喰らった事。十四歳で初めて的に当てた上で尻もちをつかなくなった事。それから調子に乗って殿方の遊猟に小銃を担いで参加した事。十六歳で初めて鹿を仕留めた事。

 

…百之助の笑みが深まった。百之助にしては珍しい、穏やかな笑みだった。

 

 

──霞子がそこで百之助の方を向いて、呆れていらっしゃるでしょう、と僅かに眉を動かす。百之助は薄笑いで、いやぁそんな、と煙に巻く。そんな二人の横顔を二歩後ろからイワ子は、眩しそうに見つめていた。

 

 

────この晩。東京に戻る列車の中で百之助は、初めて霞子の頬に触れた。肉色白粉の塗られた、柔らかくて瑞々しい女の頬に、生まれて初めて触れた。

そして霞子は幸せそうに微笑んで、その手に小さく擦り寄った。

 

 

 

 

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『青森まで案外あっという間でしたわね』

 

「道中での途中下車に寄り道が無けりゃもっと早く着いてましたよ」

 

『…意地悪を仰らないでくださいませ』

 

「ハハァ、東京育ちのお嬢様には田舎町がよっぽど珍かに見えたようで」

 

『否定は致しません…』

 

 

1906年11月始め。青森駅。霞子は百之助の言葉に小さく俯いて、イワ子の抱える荷物が随分増えた事に申し訳なさそうに微笑んだ。

港までもう寄り道は致しませんことよ、と宣言する霞子を、百之助は胡散臭そうに見た。

 

…本来なら一泊二日程で辿り着く青森までの道のりで、霞子は実に沢山の寄り道をした。月を跨ぐ程に。

各地で名産品に舌鼓を打ち、気に入ったものは旭川に居る使用人達への土産として日持ちするものを選んで購入し、温泉にも入って。その間に百之助との関係も随分と気安いものに変わっていった。

 

 

──まず、百之助は霞子と同じ部屋で眠れるようになり、初夜の翌朝のように寝不足が見てとれる顔はしなくなった。

そして二人は、眠る前に互いに触れ合う時間を設けるようになった。それは髪や頬に触れるだけの、児戯のような触れ合いの域を出ないけれど。霞子の頬に触れる百之助の手は、徐々に唇に近付いてきている。その事に気付いていない霞子は、夜毎嬉しそうに百之助の手に擦り寄って、自分は百之助の顎髭や男の割に白くてまろい頬を撫で、そして朝までぐっすり熟睡している。

 

 

────霞子は結局、港でイカ焼きを購入した。百之助は鼻で笑った。

 

 

 

 

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「お帰りなさいませ、旦那様、奥様」

 

「………ああ」

 

『ただいま。お土産が沢山ありますのよ。イワ子、配っておいてちょうだい』

 

「かしこまりました」

 

 

1906年11月。東京から旭川まで、二週間近くに及ぶ道程を旅して百之助と霞子は旭川の邸宅に到着した。北海道に着いてからも寄り道したがる霞子を半ば引き摺るようにして。

 

…旭川の新居はとても兵卒上がりの中尉のものとは思えない大きく豪華な洋館で、百之助は自分の家だと言うのにまるで他人の家に招かれたような警戒ぶりで足を踏み入れた。使用人達に出迎えられて少し肩が跳ねる程度にはおっかなびっくりと。霞子は実家から連れて来た顔馴染みの使用人達に早速土産を配っているが。

 

 

──使用人達は甘い物に控えめに喜びの声を上げ、百之助と霞子に頭を下げて受け取ると、袂にしまい込んだりして解散して行く。出迎えに出て来ただけで仕事の途中だったらしい。

 

 

「……こうも他人が多いと落ち着かん」

 

『では少し減らしますか?これから下男も雇おうと思っていたのですが』

 

「…今居る男共はどうするんだ?」

 

『女中達の護衛として置いていたので、下男を雇い入れ次第麻布の実家に返しますが…』

 

「……下男には退役軍人でも雇え。こんなデカい家に女ばかり置いていたんじゃ、どうぞ強盗に入ってくださいと言ってるようなモンだ」

 

『はい、そう致します』

 

 

邸宅の造りを把握している霞子の案内で辿り着いた居室で霞子にコートを預けながらそう言った百之助に、霞子は素直に頷く。

そして霞子は自身の居室──夫婦の寝室を挟んで百之助の居室と一続きになっている──で上着を脱いで机に向かうと百之助の上官である〝和田 光示〟大尉宛に、日露戦争を終えて退役した軍人を下男として雇い入れたいので紹介して欲しい、という旨の手紙を書いてイワ子に手渡した。

 

…数日後には返事が返ってきて、真面目で実直な退役軍人を数人向かわせるので雇ってやってくれ、と書かれていた。

 

 

──そうして邸宅の扉を叩いたのは、百之助の小隊で日露戦争を戦って怪我を理由に退役した数人の軍人だった。霞子はその全員を即決で雇い入れて、百之助は頭を抱えた。懐いた犬のような眼差しで慕ってくる元部下からの圧が強くて。

 

 

 

 

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「本日はお招き頂きありがとうございます。有坂夫人…新婚夫婦の家にむさ苦しい男が大人数で押しかけてしまって申し訳ないですなぁ」

 

『まぁ、お気になさらず。百之助様と日露戦争を乗り越えた皆様を早くお招きしたいと思っていましたの』

 

「これはこれは…以前から思っていたが実によく出来た奥方だ。喜ばしいなぁ?有坂中尉…」

 

「…はい、身に余る妻です」

 

 

1906年11月中旬。帰省休暇明けを控えた百之助の元を〝鶴見 篤四郎〟中尉に連れられて百之助の小隊の兵士と鶴見の側近の見慣れた顔触れが訪っていた。その中には相も変わらぬ無表情の〝月島 基〟軍曹と好青年然とした微笑みの〝宇佐美 時重〟上等兵が居る。百之助は頭が痛くなり始めた。

 

…広間にご案内致しますね、と朗らかに微笑む霞子の様子も頭痛の種だ。少しは他人を警戒しろ。

 

 

──旭川に着いてすぐに、休暇の間の週末に百之助の近しい部下や上官を招いて日露戦争の慰労として食事会を開きたい、そう霞子が言い出したのに頷いたのが間違いだったと百之助は切に思っている。まさかこんな厄介な面子が勢揃いで押しかけて来るなんて思ってもいなかったので。

 

 

『こちらへどうぞ。皆様に気兼ねなくお過ごし頂けるよう、立食形式に致しましたの。お好きなものをお好きなように召し上がってくださいませ』

 

「おお…!甘い物も多いですなぁ……恥ずかしながら私は酒が飲めず、大の甘党なのでこれはありがたい」

 

『では、お楽しみください』

 

「では皆、好きに過ごしなさい」

 

「はっ」

 

 

壁際に並んだ長机に所狭しと並んだ料理に目を輝かせて三々五々に散っていく兵卒達を見て、霞子は笑みを深める。百之助は胃がキリキリしてきた。見事に厄介な面子が散らずに霞子の周りに残っているからだ。

 

…そして案の定、宇佐美が先鋒を切って霞子に話しかける。

奥様、と感じよく声をかける様が獲物を狙う爬虫類のように思えるのは百之助だけだろうか。

 

 

『はい、なんでしょう?』

 

「奥様は百の…じゃなかった、有坂中尉殿の何処を好きになったんですか?」

 

『三十年式の扱いが、誰よりも卓越していましたので…?』

 

「…そんな事で父君を動かして有坂中尉殿を士官候補生に推薦したんですか?」

 

『ええ、そうです。妾、夫にするなら頭を下げるのに相応しい殿方に限ると、昔からそう思っていましたので』

 

「今はどう思ってらっしゃるんです?有坂中尉は今や指揮官…自慢の狙撃を披露する立場ではなくなってしまいましたよ?」

 

『尊敬しておりますよ。我が家の下男は百之助様の元で戦って戦傷退役した元軍人なのですが、いつも礼儀正しく、とても真面目に働いてくれます。それもこれも、百之助様をよく慕っているからだと思っております。そのように部下と良い関係を築いて日露戦争を戦い抜いて、五体満足でご復員された事を素晴らしいと、そう思っておりますの』

 

「……そうですかぁ…良かったですねぇ有坂中尉殿。こんな素敵な奥様が居て、それもこんなに慕ってくれて…恵まれてますねぇ」

 

「……そうだな」

 

「じゃあ僕もご飯を頂きますね?

…なぁ谷垣一等卒〜、しいたけ入ってないのどれ?」

 

 

興が削がれたとばかりに長机に向かう宇佐美の姿に百之助は密かに胸を撫で下ろした。

 

…そこで動き出したのが月島だ。珍しい事に。有坂夫人、と声をかけてきて、なんでしょう?と答えた霞子に、貴方は兵卒一人の人生を大きく変えた事は自覚なさっていますか?と問うた。本当に珍しい事に。百之助は思わず意識を傾けた。

 

 

『それはまぁ、自覚しておりますけれど…けれど、百之助様に能力が無ければここまで階級を上げる事もなかったのですから……能力のある人にその能力を発揮する機会を作る事はそんなにいけない事でしょうか?』

 

「本人が望んでいなくても、ですか?」

 

『申し訳ありませんが…何を仰いたいのですか?』

 

「尾形…有坂中尉殿の意思を一度でも確認されましたか?とお聞きしています」

 

「コラコラ月島〜、落ち着きなさい。メッだぞ月島〜。

有坂夫人、申し訳ありません。月島には少々思うところがあるようで…ご不快な思いをさせてしまいました」

 

『いえ、お気になさらず。きちんとお答えします。

一度も確認した事はございませんが…妾、百之助様に嫌だと、望んでいないと、そう一度でも言われていれば身を引きましたわ。天地神明に誓ってそう言えます。言われた事が無かったので、お嫌ではなかったのだろうと、そう判断していましたの…けれど月島様がそう仰るという事はきっと、それが間違いだったのでしょうね……申し訳ありません、百之助様。離縁のお申し出はいつでもお受けします…例えどうなっても、父からの報復や制裁などはないように致します』

 

「……………俺は…」

 

 

今の暮らしは嫌いではないです。最初は不本意でしたが…人の気持ちなんざ簡単に変わるもんでしょう。そう答えた百之助に月島は目を剥き、鶴見は小さく溜息を零した。

 

…そして鶴見は、芝居がかった仕草で百之助の肩を叩き、言う。

お前は相変わらず素直じゃないな〜、日本男児たるもの女性の一人も悦ばせられないでどうする、本当に未熟で私まで恥ずかしいではないか、と。百之助が眉を寄せる。不快げに。

 

 

──それを見た霞子は静かに崩れかけていた笑みを取り繕って、鶴見様は手練でいらっしゃいますね、と珍しく世辞を吐いた。鶴見はニッコリと微笑んだ。

 

 

────その後の食事会は穏やかに進み、鶴見は甘味を端から端まで食べて喜びを顕に、月島は神妙に詫びを言ってから、宇佐美は百之助の脇をつついてから、連れられていた兵卒達は一人ずつ名前を名乗って霞子が差し入れてきたものの中で何が一番嬉しかったかを律儀に述べてから、ゾロゾロと邸宅を去って行った。

 

 

「……霞子、アイツらを二度と呼ぶなよ。特に鶴見中尉と宇佐美だ。他人んちで好き勝手しやがって…月島はまだいい」

 

『かしこまりました。鶴見様と宇佐美様ですね。直接のご招待はもうしません。けれど、他の方を招待した時について来てしまった時はもうどうしようもないので…その時は許して頂けますか?』

 

「………追い返せ」

 

『無理です…』

 

「……そうだよな…」

 

 

その晩、ベッドの上で向き合って横になってそんな話をした後に、百之助は少し身を乗り出して、霞子の唇を塞いだ。

 

…ヒュ、と息を呑んだ霞子を鼻で笑って、もう一度。

 

 

──月島の前で言ったことは嘘じゃねぇよ、そう言って、もう一度。

霞子はほんの少し泣きそうな顔をしてから、瞼を閉じてそれに応えた。

 

 

 

 

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「おはようございます、奥様」

 

『おはよう。朝から雪かきありがとう』

 

「いえ。兵営でもこれは下っ端の仕事だったんで慣れっこですよ」

 

『厨房に温かい甘酒があるわよ』

 

「ありがとうございます!」

 

 

1906年12月。朝の身支度の手伝いで百之助の肋骨服の前合わせを閉じて、兵営に向かう百之助の見送りに立った霞子は、毎朝持ち回りで早朝から雪かきをしてくれる下男に微笑んで、ご褒美の手配を済ませている事を告げてから、百之助に向き直った。

行ってらっしゃいませ、そう頭を下げる霞子の旋毛を見る度に、あの食事会から先百之助は妙にソワソワした気持ちになる。

 

…霞子はあの日、百之助を〝頭を下げるのに相応しい殿方〟と称した。それがまだ、腑に落ちずにいるのだ。

 

 

──しかし矜恃が邪魔をして素直に霞子に聞けない百之助は、長風呂の霞子が一人で湯に浸かっている間自由時間を過ごすのが習慣になっているイワ子を呼びつけた。

 

 

「お呼びでしょうか」

 

「…ああ。聞きたい事がある」

 

「おじょ…奥様の事ですね?」

 

「……お嬢様でいい。ややこしいから。アレが何を考えているのサッパリ分からんのだ。いつ何時も薄笑いで、同じ調子の声で喋る。なんなんだアイツは」

 

「ふふ、お嬢様はお気持ちを言葉以外の形で外に出すのが苦手なのです。率直に物を言う方なので、お言葉を聞いていれば分かりますよ」

 

「…それが分からんからお前に聞いてるんだ。アイツがいくつの時から仕えている」

 

「お嬢様が6つの時に有坂家にご奉公にあがり、8つの時に今はご高齢で引退されたばあやの手伝いでお嬢様と関わるようになり、10の頃に傍付きのねえやになりましたが、その頃にはもうあのようなご様子で…いつもニッコリと機嫌良さそうに微笑んで、突拍子もない事をしでかしては奥様やお兄様に悲鳴を上げさせるお嬢様でしたよ。旦那様はいつも手を叩いて笑っておいででしたが」

 

「霞子のとんでもねぇのを助長したの有坂閣下じゃねぇか」

 

 

そうなんです、と沈痛な様子で答えたイワ子に、百之助は小さな同族意識のようなものを抱いた。珍しい事に。

旦那様は2歳でお母様を亡くされたお嬢様を殊更可愛がっておいでなのです、先妻の方とは大変仲睦まじく…先妻様の遺した勤おぼっちゃまと霞子お嬢様には思い入れが強くあらせられるのです、勿論今の奥様の事もその間のお子様も大切になさっていますよ、とイワ子は続けた。

 

…生きてか死んでかはともかくとして、別れた妻との間の子を大切にする父親。百之助にとっては複雑な感情を抱かざるをえない存在だった。けれど霞子があんな性格に育った理由は理解した。親に愛され、大切にされ、自分を否定されずに育ったのだ。きっと〝自分は生まれてきて良かったのか〟なんて問いは抱いた事が無いのだろう。

 

 

──アイツは何故、兵卒上がりの俺を婿にしたんだ。百之助はやっとイワ子にそう聞けた。

 

 

「お嬢様は女学校時代に数多の縁談を断っていらっしゃいます。お相手は華族は勿論、大臣の息子に財閥の御曹司、鉄道、炭鉱、銀行…ありとあらゆるご職業で成功された立派な紳士達です。中にはお嬢様の年間の予算として一万円近い額を割くと申し出てきた方も…それでもお嬢様は首を縦に振らず、非の打ち所のない、しかし望み一つない手紙一通で破談にしてきたんです」

 

「…それが何故だと聞いている」

 

「お嬢様曰く、尊敬に値しない、妾が妻として頭を下げる価値がない、彼らには旦那様の仕事に対する敬意がない、との事で…」

 

「……俺には頭を下げるのにか」

 

 

そこでイワ子は、仕方がなさそうに微笑んで、結局今まで破談にしてきた殿方が好みじゃなかっただけだと思いますよ、と答えた。そして続けた。

 

 

「貴方様は本当に面倒臭い殿方です。後ろ向きで、捻くれてて、その癖して自尊心は人一倍。口を開けば嫌味に皮肉…そうでないかと思えば自己否定の材料探し。

〝三十年式の扱いが卓越していた〟なんて一言で敬意と好意が長続きするようなお相手じゃないんですよ。分かってます?」

 

「解雇されたいのか」

 

「ええどうぞ、そうなったらお嬢様に個人的に雇って頂きますので」

 

「結局クビに出来ねぇんじゃねぇか」

 

「そんな貴方様をお嬢様は〝可愛い方〟と仰るのです。これが愛でないなら何なんです。もっと自信を持ってくださいませ」

 

 

それでは、と退室の許可も取らずに肩を怒らせて百之助の居室を後にするイワ子を、百之助は半開きの口で見送った。

 

…翌日イワ子は昨日の事などなかったような顔で、食卓の椅子を引いて霞子を座らせた。

 

 

──百之助の悶々とする日々が始まる。

 

 

 

 

[────────────────────────────────────────────────────────]

 

 

 

 

「なぁ谷垣知ってるか」

 

「谷垣聞いたか」

 

「何をだ?」

 

「有坂中尉殿が可笑しくなったらしい」

 

「自分の部下に〝俺は可愛いか〟って聞くようになったらしい」

 

「………はぁ?」

 

 

1907年1月。旭川の兵営で〝谷垣 源次郎〟は〝二階堂 浩平〟と〝二階堂 洋平〟の言葉に食堂で素っ頓狂な声を上げた。

可愛くないよな、性格悪いよ、嫌味で皮肉屋、アイツが可愛いんだったら宇佐美上等兵だって可愛くなっちゃうよ、顔だけなら三島の方がずっと可愛い、とかわりばんこに捲し立ててくる二階堂兄弟に縮こまった谷垣は、可愛らしいところならあるぞ、と答える。谷垣は日露戦争を百之助の小隊で戦った兵卒で、戦時中の百之助の振る舞いもよく見ていた。

 

…百之助が戦場で霞子の縫った千人結を腹に巻いていた事も、胸の隠に霞子の写真を忍ばせて度々それに触れていた事も──そしてそれが必ず、突撃命令を出された直後であった事も、知っている。

 

 

──だから谷垣は〝奥様の所に生きて帰りましょう〟そう言って先頭に立とうとする百之助を塹壕に引き摺り戻していたのだ。疱瘡にかかった妹のフミも、自分が反対を押し切って入軍した事で悲嘆に暮れて身体を弱らせた母も、そして早合点でフミの仇と決めつけた賢吉も、全てを喪って帰るところを失くした谷垣よりもずっと、生きる価値があると、そう思ったから。

実直にそう語った谷垣に二階堂兄弟は、いやそれ可愛くないよ、と声を揃えて答えた。

 

 

────ちなみにこの数ヶ月後に谷垣には〝インカㇻマッ〟という生涯の伴侶に出会うのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 

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「……お前、俺の事を〝可愛い〟とか思ってるそうだな」

 

『イワ子ですね?彼女にしかそんな話してませんもの』

 

「………可愛くねぇ所見せてやるよ」

 

 

1907年2月。旭川の有坂邸寝室にて。

日課となりつつある寝る前の口づけの後、恨みがましそうにそう言った百之助が身軽に覆い被さってきて、霞子は肩を跳ねさせた。百之助の人の悪い笑みが枕元の灯りに浮かび上がる。

 

…ネグリジェを捲り上げられて、冷たい空気に晒された霞子の白い肌が粟立つ。その陰影さえ美しかった。その事さえも癪で、百之助はその肌に舌を這わせて自分の寝衣の前を寛げた。

 

 

──そして東の山の稜線が白く輝き始めるまで、百之助は霞子を離さなかった。

翌朝機嫌良く軍服を整えて出勤する百之助の横に霞子の姿はない。ベッドの中でウトウトしている霞子を起こしに向かったイワ子は、寝乱れただけでは到底収まらない乱れ方をしたベッドに一安心。

寝起きの霞子はぽつりと、可愛いだけじゃなかったわ、と不満のような惚気を零して、朝から申し訳ないんだけどお風呂を沸かして貰えるかしら、とイワ子に言った。

 

 

────そしてこの2ヶ月後に、霞子の懐妊の報が邸宅から兵営まで駆け巡る事になる。

有坂百之助の受難(考え過ぎ)の日々はまだ終わらない──

 

 

 

 

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「……ほう、有坂夫人が身ごもったか」

 

「そのようです」

 

「ふふ、逃げ道という逃げ道を自分で塞いでしまっているではないか……実に面白い男だ。見ていて飽きんなぁ?」

 

「……そうですね」

 

 

1907年5月。小樽の第七師団拠点にて。鶴見が不気味に微笑んだ。月島が僅かに眉を寄せる。悪趣味、とでも言いたげに。

 

…そして鶴見は、あの奥様はきっといい母親になるが…父親の方はどうなる事やら、そう呟いて手を広げてこう言った。

 

 

──言わばこれは〝有坂百之助の受難〟だな。月島は深く溜息を吐いた。

 

 

 

 

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あとがき


新婚編・完!

というわけで、四ヶ月越しにようやく初夜を迎えました!おめでとう有坂百之助!!頑張れ有坂百之助!!!

前作では霞子に見初められ、本人の意思とは関係なく外堀を埋められ続けた百之助ですが、今作ではそんな百之助が自分の意思で霞子との結婚生活を受け入れるまでを書きました。
百之助には、何かが出来る自分だけじゃなく、何も出来ない自分も愛されているんだと、少しずつ知っていってほしかったんです。
その為にも、二人が少しずつ触れ合い、時間をかけて距離を縮めていく過程は大切にしました。何しろ百之助ですからね。あの捻くれた面倒臭い男ですからね。

ちなみに霞子は、百之助の後ろ向きで、素直じゃなくて、その癖して自尊心ばかり高いところもひっくるめて〝可愛い方〟だと思っています。
なので百之助がいくら〝可愛くねぇ所〟を見せつけたところで、その評価が覆る事はありません。むしろ〝可愛いだけじゃなかった〟と妻からの評価が上がってしまいました。

残念でしたね有坂百之助!!!
そして最後には霞子の懐妊も明らかになりました。父親との関係に散々苦しんできた百之助が、今度は自分自身が父親になるわけです。
……また余計な事を考えて一人で悶々とする未来しか見えませんね!!!!
そんなわけで、有坂百之助の受難はまだまだ続きます。
霞子は多分ずっと幸せです。

お読みくださりありがとうございました。
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