そして1900年冬、旭川で一人の二等卒を見つける。
──男の名前は尾形百之助。問題は、兵卒のままでは結婚できないことであった。
名前 …有坂 霞子
年齢…18歳(東京愛物語の1901年時点)
血液型…AB型
誕生日…1882年8月30日
好き(得意)…銃火器(特に三十年式歩兵銃)、洋食(特にビーフスチウとエビフライ)、万年筆(後にガラスペンに気に入りが移る)
嫌い(苦手)…父の仕事を侮る人、回りくどい物言い、自分の気持ちを察して欲しがる人、しいたけ
趣味…射撃訓練の見学、観劇、友人との文通、ねえやとの外出
特技…社交辞令、縁談の断り状を書く、生け花
最近気になっている事…父の作った銃を何処の誰が最も巧く美しく扱うのか
座右の銘・信念…自分を疑わない
容姿…黒髪に象牙色の白い肌、鳶色の瞳をした圧のある美女。イエべ秋、エレガント顔、痩せ型寄りの骨格ストレート。
少しツリ目で華やかな顔立ち、薄く笑んだ赤い唇とそれを引き立てる口元のホクロがチャームポイント。
真っ直ぐな黒髪を腰元まで伸ばしていて、普段は上げ巻きに強引に纏めている。
胸もお尻も主張が激しめ。洋装が似合う。
身長160㎝体重55㎏。
一人称は妾(アタクシ)。
性格…静かで淡々としていて、竹を割ったようなハッキリとした好き嫌いのある分かりやすい性格。
機嫌の良し悪しが顔に出ず、常に薄く微笑んだ表情で固定されている。不快な思いをしても眉一つ動かさないが、ねえやにだけは機嫌の良し悪しを察知されている。
物事を決めるまでは長考するが、一度決めると易々と決定を覆さない。
他人を褒める時も叱責する時もほぼ同じ表情と声音で言葉を発する為周りからは何を考えているか分からない人間だと思われている。
人間関係
・有坂成蔵…父親、尊敬しているけれど大声を出さないと話が成立しないので会話はしたくない(普段は筆談をしている)
・イワ子…ねえや、誰よりも信頼しているが、誰よりも振り回している
・尾形…銃(狙撃)の腕が素晴らしい、将校に出世させて婿に迎えたい、顔も別に嫌いではなく美形だとは思っている
備考…有坂成蔵の長女で、先妻の遺児。二歳の時に母親を亡くし、後妻の手で育てられた。後妻との仲は良好だが、継娘の突飛過ぎる行動・言動に後妻は度々頭を抱えている。
華族女学校の第12期卒業生。
イメージフラワー…赤いダリア≪花言葉…華麗、栄華≫
イメージアニマル…鳶
ボイスイメージ…早見沙織さん(かつて神だった獣達へのベアトリスっぽい感じ)
『イワ子、妾決めましたわ』
「……念の為お聞きしますが何を?」
『結婚相手は自分で探します。お父様にお願いして全国の射撃訓練を見学させて貰うんですのよ』
「ただでさえ同級の皆様はご縁談が纏まって皆様中退なされるか…中退なさっていなくとも婚約者が決まっておりますのに…先が決まらないまま卒業まで残っているのはお嬢様だけでございますよ……今から婿探しなんて始めたら婚期が…」
『関係ありませんわ。妾はあんな、お蚕様や炭鉱で成り上がった死火山の煙臭い男に嫁ぐなんて真っ平御免よ。この妾にあんな男に妻として頭を下げろと言うおつもり?
汗水垂らさず金勘定だけしている男など、戦争屋の娘にはお似合いになりませんわ。妾はお父様の〝坊や〟を誰よりも巧く美しく扱う男を婿にします。そう決めました』
「………ハァ…また私が奥様にお叱りを受けるのですね」
『お
「………そうですか」
1900年初夏。東京の永田町で華族女学校の卒業を控えて縁談が纏まっていないたった一人の生徒となった〝有坂
…そうして霞子はこの言葉の通り、夏に女学校を卒業すると婿を探して大日本帝国陸軍砲兵会議議長であり陸軍少将である父親〝有坂 成蔵〟の許可のもと全国の衛戍地を巡って射撃訓練の見学を始めた。
──まずは戸山学校、陸軍士官学校、東京周辺の近衛・第一師団各部隊、そして関東の陸軍衛戍地。霞子のお眼鏡に適う男は見つからない。冬になるのだからと引き止めるイワ子の反対を押し切って霞子は北上の道を選んだ。
────そして北海道へ。
1900年12月下旬。旭川衛戍地の歩兵第二十七聯隊兵営にて、霞子は感嘆の息を漏らした。
『イワ子』
「…なんでしょうか」
『決めましたわ。とうとう決まりましたわ。あの方よ。誰か、あの二等卒の名を教えてくださる?』
「先程発砲した者でございますか?」
『ええ、そうよ』
「──〝尾形 百之助〟という、先日入営したばかりの初年兵です」
『…そう。ありがとう』
霞子の笑みがほんの僅かに深まった。のを見てイワ子は戦慄した。ねえやとしてお仕えして十年以上が経つが、こんなに機嫌の良い霞子は初めて見たからだ。
…早速お父様にお願いしませんとね、そう呟く霞子は既にいつもの微笑みに戻っていたが。
──陸軍第七師団歩兵第二十七聯隊に所属する尾形百之助を婿に迎えたいので手筈を整えてくださいまし。霞子が北海道からそういう趣旨で打った電報への有坂の返答は、是であった。
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「お呼びですか、鶴見少尉殿」
「ああ。尾形二等卒、貴様に縁談が来ておる」
「…は?」
「相手は陸軍少将有坂閣下のご長女だ。これ以上ない良縁だぞ〜?」
「……は?」
「ちなみに貴様には士官候補生を志願してもらう。勉学に励むように」
「………は?」
「兵卒のままではご息女と結婚できんだろう?」
「…………は?」
1900年12月末。尾形百之助の受難の日々が始まった。
この日尾形は上機嫌な上官〝鶴見 篤四郎〟に写真館へ連れて行かれ、訳も分からぬまま写真を撮られ、そしてその写真を釣書に添えられてご令嬢の邸宅へと送られた。
…後日尾形の元に届いたのは霞子の釣書と写真だ。釣書に記された経歴も、添えられた写真の霞子の容色も、あまりにもご立派だった。だがそれに気後れしている暇など無いと言わんばかりに、鶴見に課される課題。訓練。課題。訓練。
──目まぐるしい日々の末に、1901年夏。尾形は士官候補生の召募試験に及第した。
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『まぁ…お顔も宜しいんですのね』
「お嬢様……顔も見ないで結婚相手をお決めになられたんですか?」
『人間の顔なんて、目が二つに鼻と口が一つずつついていれば充分じゃない』
「…はぁ…」
『あの方の三十年式の扱いは素晴らしかったわ。あの腕だけで結婚相手として不足はないのに、顔まで良いだなんてね。
我ながら見る目があると思わない?イワ子』
「………そうですね」
時は遡って1901年1月。麻布の自宅で霞子は質素な釣書と添えられた写真に目を通してそんな事を呟いた。
…霞子より先に目を通していた父は尾形の素性や経歴を知った上で、霞子が気に入ったのなら構わない、と大きな声で肯定した。継母は、薩摩閥の将校の私生児なんて、と良い顔をしなかったが、霞子の一度決めたら曲げない頑固さをよく知っているが故に、暫く様子見をして尾形の父親〝花沢 幸次郎〟からの接触がない事を確かめると漸く頷いた。
霞子の後顧の憂いは断たれ、あとは今年の士官候補生召募試験の結果を待つのみとなる。
──1901年晩夏。父から手渡された陸軍士官候補生召募試験の及第者名簿に尾形の名前を見つけた霞子は、ほんの僅かに目を細めて、ホラ言った通りでしょう、と言いたげにイワ子を見た。
イワ子は深く溜め息を吐いた後、ご慧眼でございますね、と力なく笑う。
[────────────────────────────────────────────────────────]
「尾形一等卒〜」
「…宇佐美…」
「召募試験及第おめでとう。百之助が士官候補生になって、半年後には上等兵、八ヶ月もすれば伍長、それから士官学校へ行く頃には軍曹で、卒業して帰ってきたら今度は曹長の見習士官かぁ……ゆくゆくは少尉。もう百之助って呼べなくなっちゃうね?」
「……意味が分からん。ずっとだ。去年の暮れから世界が可笑しくなったとしか思えん」
「いいんじゃないの?逆玉の輿…その顔に感謝しなよ〜?」
「……俺はあのお嬢様と、顔を合わせた事も、会話をした事も、手紙のやり取りをした事もねぇんだぞ。鶴見少尉殿が俺の写真を送ったのだって縁談が来た後だ」
「じゃあ何でだろうね???」
「………分からん。何も…」
「あっ…そぉ……まぁ頑張って〜、お嬢様に見限られたら百之助、軍での立場とかなくなっちゃうからね」
1901年初秋。正式に士官候補生として採用されて、同年兵達より少し早く一等卒に昇進した尾形は、自分の人生を猛スピードで出世街道に乗せた有坂一家の思惑が理解出来ずに考え込んでいた。
…尾形としてはこの縁談は破談になって欲しかった。少将の娘だなんて、中将の息子とは言え妾腹で認知もされていない自分とは釣り合いが取れない。けれど中央の高級将校との太いパイプを得られると歓喜している鶴見の前で手抜きなど許されずに召募試験に及第してしまったし、正式に士官候補生に採用されてしまった。
霞子に送った釣書だって、こんな家との縁談ならせめてどこか然るべき家の養子にでも入れ、出自を繕ってから釣書を送るものではないのか。ところが鶴見はありのままの出自と経歴を記して送ったのに、破談になるどころか召募試験の教師役として有坂閣下の部下が送られて来た。
──訳が分からなかった。先程〝宇佐美 時重〟に言った通り、世界が可笑しくなったとでも思わないとやってられない程に。
尚この縁談が立ち上がってから今日までの間、霞子からの手紙は一通も届かない。
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「お嬢様」
『なに?』
「せめて尾形様にお手紙くらいは送って差し上げたら如何ですか?
召募試験に及第されたのですし、お祝いの言葉くらいはかけて差し上げませんと…お可哀想ですよ」
『まぁ、イワ子ったら。お会いした事もない殿方にお祝いの手紙だなんて馴れ馴れしいわ。はしたないことよ』
「その会った事もない殿方に結婚を申し込まれたのはお嬢様ですよ」
『…だって、三十年式の扱いがあまりにも卓越していたんですもの。妾の旦那様になるのはあの方しか居ないと、そう確信しておりますの』
「でしたら尚の事です!」
『では……何と書けば宜しいの?』
「まずは及第のお祝いを申し上げて、文通から始めてみては…」
1901年秋。麻布の自宅で便箋を前に万年筆を握った霞子。
〝拝啓 尾形百之助様
東京も近頃は秋の息吹を感じるお天気となり、朝晩のブランデーが欠かせぬ日々となりました
北海道は東京よりもずっと寒いでしょうから風邪など召しませぬやう
近頃気に入っております葡萄酒を一瓶添えましたので、お召し上がりくださいませ
ところで士官候補生召募試験の及第おめでとうございます
妾の見込んだ通りでしたわ〟
と書き始めてイワ子に便箋を破り捨てられた。
こんな上官からの手紙みたいな内容でいいと本当に思っていらっしゃるんですか?と詰められて霞子は首を傾げ、イワ子は深く溜め息。
…結局イワ子の監督の元何枚か便箋を破り捨てられたり丸めて捨てられたりを繰り返して、尾形への初めての手紙を書き上げた。
〝拝啓 尾形百之助様
東京も近頃は秋の息吹を感じるお天気となり、朝晩のブランデーが欠かせぬ日々となりました
北海道は東京よりもずっと寒いでしょうから風邪など召しませぬやう
近頃気に入っております葡萄酒を添えましたので、どうぞ皆様とお召し上がりくださいませ
士官候補生召募試験の及第お慶び申し上げます
心よりのお祝いとして添えた品をお受け取りください
敬具 有坂霞子〟
ワインと旭川の将校御用達の洋裁店への紹介状(代金は有坂家に請求される)を添えた手紙が北海道へと旅立った。
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「やあ!君が尾形百之助くんだね!?娘からの手紙を届けに来たよお!!!」
「……は?」
「何か言ったかね!!?」
「尾形一等卒。有坂閣下は長年の兵器開発で聴力が弱くなっておられるのだ。大きな声で返事をしなさい」
「……はっ!尾形百之助一等卒であります!!」
「うむ!良い手をしている!!これからも励みなさい!!!」
1901年秋。旭川。敬礼姿勢のまま尾形は言葉を失った。怪訝な顔になった尾形の足を鶴見が踏みつけ正気に戻す。
過分なお言葉をいただき大変恐縮です、脊髄反射で答えると有坂は満足気に笑って尾形に木箱を押し付け去って行く。
…その後ろ姿を見送って木箱を見下ろす尾形に鶴見は、開けなさい、と促した。ズシリと重い。
木箱を開けると、手紙の下に藁苞に包まれた国産ワインがギッシリと詰まっていた。早速一本引き出した鶴見が、国産の甘口か…初心者にも飲みやすい良い物だ、皆に振舞ってやりなさい、と笑う。尾形は酒があまり得意ではない。消毒液の味にしか感じないのだ。
──手紙を開く。青みがかったインクの文字が流麗に並んでいた。文面も真っ当だ。一見。
近況報告。身体を気遣う言葉。差し入れへの説明。召募試験及第へのお祝い。そう並んで最後に、将校御用達の洋裁店への紹介状が同封されている。しかも請求は有坂家へいく。
意味が分からないまませっせと外堀が埋められていく事を悟った尾形は逃げ出したくなった。
「うむ。この一筆があれば肋骨服も問題なく仕立てられるな。良かったじゃないか尾形〜。周りの叩き上げの将校達を見てみろ。いつだって軍装の支払いに追われているというのに…お前は恵まれているな?」
「……ここまでされる意味が分かりません」
「何を後ろ向きな事を。男冥利に尽きると思って受け取っていなさい」
「はい…」
美麗に微笑む鶴見に、尾形は小さく震えた。周りに敵しか居ない事を悟って。
…士官学校への入学まで、あと一年を切っていた。
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『まぁ、見てイワ子。素敵な毛織物だわ』
「お嬢様の白い肌にお似合いです」
『尾形様はお色が白くていらっしゃるのかしら』
「……写真を見た限り、黒くはなさそうですけど」
『では同じもので背広を仕立てて頂きましょう。この生地、取り置きしてくださる?尾形様が東京にいらしたら、採寸していただけば宜しいわ。妾はスカアトをお願いいたしますわ』
「かしこまりました」
時は過ぎて1902年初夏。霞子はまだ尾形と顔を合わせた事がない。手紙は交わしているけれど。霞子が三通送って一通返ってくるかこないかの頻度だけれど。
…秋に士官学校の入学を控えた尾形に、何か祝いの品を用意しよう、そういう考えで霞子は銀座を訪れていた。そんな理由で高価な背広を仕立てるのが霞子だ。イワ子は、もう何も言うまい、と口を噤んで粛々と支払いを済ませた。
──テーラーの従業員に採寸される霞子は上機嫌だった。僅かに口角が持ち上がっている。イワ子は思わず目頭が熱くなった。あのお嬢様が恋をなさっている、と。
霞子は意外と多趣味だ。女学校時代の級友と観劇に行ったり、イワ子と街で買い物をしている事もあれば、家で静かに本や新聞を読んだり、来客の為に花を活けたりもする。
そんな霞子の日常に新しい趣味が出来た。尾形からの手紙を読んで返事を書く事だ。
霞子はただ、筆無精な方なのね、軍務でお忙しいのね、と微笑んで済ませているが、相手の素っ気ない文面を見れば縁談に乗り気でないのは明らかだった。少なくともイワ子から見れば。
────それでも、霞子は楽しそうに手紙を待ち侘びては返事を書いて、返事が来なくとも日々の出来事や季節の変化を手紙に書いて送る。そのいじらしい姿がイワ子には可愛らしく映った。
酒も煙草もやらないと聞けば贈り物からそれらの姿は消えたし、甘いものは嫌いではないと聞けば日持ちする焼き菓子を添えるようになり、襦袢が傷んだと聞けば新しい物を贈る。そんなやり取りに喜ぶ少女らしさにイワ子は安心すら覚えた。
『…秋になるのが楽しみですわねイワ子』
「尾形様を誘って帝国ホテルでお食事などなさっては?
お嬢様はあそこのビーフスチウがお好きですから」
『ええ、きっとお気に召していただけるわ』
「……そうですね」
霞子の眦がほんの僅かに緩む。尾形様がお嬢様のこの愛らしさに気付いて絆されてくれる殿方であればいいと、イワ子は心から願っている。
[────────────────────────────────────────────────────────]
「……帝国ホテルで食事会、だと?」
1902年晩秋。東京の市ヶ谷台。陸軍士官学校の寄宿舎での暮らしが落ち着きを見せ始めた頃。霞子からの手紙を開いて目を通した尾形は小さく震えた。
来週の日曜日にお食事などいかがでしょう、尾形様さえ宜しければ帝国ホテルに席を設けます、そういう旨の手紙だった。
…要る事も要らん事も散々考えて迷いに迷った末に尾形は、霞子お嬢様さえ良ければご一緒致します、と短く返事を書いた。
──翌週日曜、同室の生徒達に揶揄われながら陸軍士官学校の制服──軍曹の制服で帝国ホテルに向かう尾形の顔は、宛ら戦場に向かう兵士の顔だった。
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『初めまして、尾形様。改めて…有坂霞子と申します』
「……尾形百之助です」
『そんなに緊張なさらないで。椅子にかけてお料理を待ちましょう?』
「………失礼します」
『お会い出来るのをずっと楽しみにしていましたの』
「そうですか…」
1902年晩秋の日曜日。帝国ホテルの小食堂にて。尾形と霞子は初めての対面を果たした。
…常の微笑みを僅かに柔らかくして尾形に椅子を勧める霞子はイワ子から見たら大層上機嫌で、そして微笑ましかった。尾形は無表情だが。いっそうんざりした色すらある。婚約者が相手とは言え婚前の令嬢を男と二人きりには出来ないと霞子の後ろに控えていたイワ子は、手紙から受けていた印象通りの尾形の様子にハラハラしていた。
──前菜が運ばれてくると尾形はテーブルに並んだ大量の銀食器に戸惑った様子を見せ、少し小さくなって霞子の様子を窺う。迷いなく一番外側の食器を手に取る霞子の真似をする尾形に、イワ子はほんの僅かに微笑ましい気持ちになった。二人は無言のままだけれど。
前菜のゼリー寄せを一口残して食器を斜めに揃えて下げるように合図する霞子の事をそのまま真似する尾形は味も分からないまま、美味しゅうございますね、と微笑みを絶やさない霞子に頷いて僅かに下を向く。育った環境の違いをまざまざと突きつけられて、嫌味とすら受け取っていた。
スープを飲む仕草も、魚料理を一口大にする手つきも、ビーフスチウを食べる動きも、尾形は必ず霞子が一口食べるのを見てから真似して、そして霞子のやる通りに一口残して食器を下げさせる。
コーヒーとデザート菓子に至るまでずっと霞子の一挙一動を見て真似る事で手一杯だった尾形は気付いていなかった。自分の分だけ酒が提供されない事と、自分まで女性と同じように一口残して食器を下げさせる必要はないという事に。
「……一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
『どうぞ』
「何故、俺なんです」
『三十年式の扱いが、どなたよりお上手でしたから』
「……それだけですか」
『結婚相手を決めるには充分でしたけれど』
尾形は動揺のあまりにテーブルの下で膝が跳ねた。霞子は、何を今更、と言わんばかりの表情だ。イワ子は胃が痛くなり始めた。そこは〝お慕い申し上げております〟くらい言うところです!と叫びたくなる。
…真顔の尾形がグラスの水を飲み干して、本日はご馳走になりました、と立ち上がる。ほんの僅かに霞子の眉が下がる。この後は銀座のテーラーに連れて行きたかったのだ。
──しかし、空気は吸って吐くもので読んだり察したりするものでは無いと思っている霞子は退いたりしない。
『あの、尾形様』
「……何でしょう」
『この後、お時間はございます?』
「……ありますが」
『でしたら銀座までご一緒くださらない?』
「…………銀座?」
『贔屓のテーラーに素敵な毛織物を取り置いて貰っていますの。背広をお仕立しましょう』
「…必要ありません。士官学校の生徒の外出は制服のみと決められています」
『……そうですか。では生地はお父様の背広にでも致します。差し出がましい事を致しました』
「………失礼します」
『ええ、今度は尾形様の行きたい所に参りましょうね』
「……はい」
一瞥たりとも振り返らない尾形の背を見送った霞子がぽつりと、きっと呼ぶ場所を間違えてしまったのね、と微笑んだ。僅かに眉を垂らして。
…イワ子はただ、きっとそうでございますよ、と慰める事しか出来なかった。
[────────────────────────────────────────────────────────]
「……何故諦めない!」
「どうした尾形。また有坂嬢の事か?」
時は過ぎて1903年初春。陸軍士官学校の寄宿舎に届けられた見慣れた封筒に尾形はとうとう怒鳴り声をあげた。同室の生徒も、またか、という調子で声を掛けてくる。
…あの食事会の後、先日は慣れない場所へお誘いして失礼しました、次は尾形様のお好きなところへ参りましょう、お休みの日にお時間がおありでしたら教えてくださいませ、という趣旨の手紙が届いた。そして尾形はその手紙に答えて数回逢瀬を重ねている。毎度素気無い態度をとって殆ど口も聞かずに、公園や遊園地に連れ出して霞子を長時間歩かせるなどして。それもこれも全てはこの縁談を破談にする為に。
──鶴見から、絶対に破談にするな、とキツく言い含められている尾形に選択肢などなかった。霞子への態度は、直接〝この縁談を破談にしてください〟と頼む事なんて口が裂けても出来ない尾形の精一杯の意思表示だ。
しかし霞子からは毎回、いい景色でした、楽しい時間でした、また連れて行ってくださいませ、と前向きな手紙が届く。尾形に逃げ場などない。茶化すばかりの同室の生徒達も敵だ。
────それでも尾形は諦めなかった。なんとか破談にしてやろうとあの手この手を使って霞子に自分を諦めさせようとした。
上流階級の令嬢が行くべきではない場所──芝居小屋の寄席や混雑する祭や縁日──にも連れて行き、自分は下劣な男だと存分に見せつけようとした。しかし霞子は常の微笑みのまま、イワ子を連れてしずしずと尾形の後ろをついて来る。そして後日には、楽しゅうございました、今度はどこそこのお祭りに行きたいです、尾形様が一緒だと安心して過ごせますね、と斜め上を向いた手紙を寄越してくるのだ。
この無意味な攻防は尾形の士官学校卒業まで続く。
[────────────────────────────────────────────────────────]
『ご卒業おめでとうございます』
「ありがとうございます…」
『軍曹の制服も今日で見納めですね。原隊へお戻りになれば、今度は曹長の見習士官でしょう?では、これから採寸に参りましょう。少尉任官に備えて肋骨服を仕立てませんと。お父様の贔屓のテーラーには既に声を掛けておりますの』
「…はい」
1903年11月末。尾形はついに士官学校を卒業した。
来賓として出席した有坂少将に伴って参観していた霞子に声を掛けられて、尾形は小さく震えた。とうとう外堀という外堀を埋め尽くされてしまったからだ。
…これから尾形は原隊復帰して曹長・見習士官という形で数ヶ月過ごした後に少尉に任官する。少尉になってしまえば、縁談が本当に纏まってしまう。もう逃げられない。尾形は絶望した。
──三十年式を誰よりも巧く扱った、ただそれだけの理由で尾形の人生は一変した。取り返しがつかない程に。
確かに尾形は出世を望んでいた。だがそれは、己の努力と実力で伸し上がって将校の椅子を手に入れ、父も異母弟も大した存在ではないと、将校の椅子など己のような者でも座れる大した価値のないものだと、そう証明する為だ。なのに。
────今の自分はどうだ?有坂家の力でそこへ押し上げられたようにしか見えない。誰が見たってそう言うだろう。
それが尾形の絶望の根源だ。そんな事は露とも知らない霞子は、常の微笑みをほんの僅かに深めて尾形を眼差した。尾形にはその眼差しが、養豚場の豚が肥えるのを今か今かと待ち侘びる養豚家のように思えるのだ。
[────────────────────────────────────────────────────────]
「兄様!ご婚約おめでとうございます!」
「……ありがとうございます」
「お相手は有坂少将のご息女と伺っております。
大変良い方で、兄様が士官学校に通っておられる間もマメに差し入れを送ってくださり…兄様は大変な良縁を得られたのだと勇作は喜ばしく思っております。
隊の皆も兄様のお戻りを待ち侘びておりました!」
「そうですか」
1903年12月。北海道旭川。見習士官として歩兵第二十七聯隊に復帰した尾形を待ち受けていたのは〝花沢 勇作〟の目を刺すように眩い笑顔だった。
…そして決して人好きする性格をしているとは言えない己を妬んだり僻んだりする事なく出迎えた、今は部下になってしまった同年兵やかつての上官達から、己が不在の間も隊全体に充分に行き渡る量の酒や煙草や甘味が霞子から差し入れられていた事を知る。
添えられた手紙には毎回〝尾形様がお世話になっております、些細な品ですがお納めください〟と書かれていたと。
あの宇佐美までもが、まぁ気の利く女ではあるんじゃないの、と半ば懐柔されていた。尾形は戦慄した。本当に敵しか居なくなってしまったのだ。
──そしてトドメは鶴見だった。尾形の士官学校卒業と少尉任官の決定を言祝いで、そして。有坂嬢は実によく出来たお嬢さんだ、大変な良縁になったなぁ、有坂嬢を大切にするんだぞ、そう美麗に微笑むのだから。
これでは異母弟との一方的な確執どころではない。
────しかし救いがある。日露関係の緊迫だ。このままいけばそう遠くない未来に戦争になる。
死にたいなんて思っていない。決して思っていない。しかし戦傷が原因で銃を持てない身体になれば、霞子からの興味関心は失せるだろう。だって霞子は、尾形の狙撃の腕だけを愛しているのだから。
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『尾形様…無事のお戻りをお待ちしております。軍人の娘が言ってはならない言葉とは分かっていますが……どうかご生還くださいましね』
「……死ぬ気は無い。死なんと約束は出来ん」
『承知の上でございます…それでも、妾が貴方の生還を祈っていると、忘れないでくださいませ』
1904年11月。日露戦争開戦から九ヶ月。北海道防備にあたっていた第七師団は第三軍への編入が決まり、ついに旅順へ向かうこととなった。
…広島の宇品港から輸送船に乗る尾形を見送りに、わざわざ追ってきた霞子はイワ子に持たせていた風呂敷包みを差し出して、御守りです、と言う。
──まさか
「…何だこれ」
『千人結です。女学校の級友達や親戚に頼んで皆で縫いました…旅順は冷え込みますから、腹巻の代わりにでもなさってください』
「……有難く頂戴します」
『では、武運長久を祈っております……そう言って送らなければなりませんね』
霞子はいつもの微笑みで、僅かに口角が震えるいつもの微笑みで、そう言って頭を下げた。
…すぐさま霞子に背を向けた尾形は知らない。霞子の足元に雫が落ちた事を。
──そして霞子がイワ子に抱き締められて、妾は立派に振る舞えていましたこと?と震える声で問い掛けた事を。
────尾形百之助は知らない。
[────────────────────────────────────────────────────────]
「兄様!今日もご無事でしたか!」
「…勇作さんも、ご無事で何よりです」
「きっと
「………そうですね」
「私も時々手紙を頂くのです。義姉様はいつも兄様のお話をされています」
「…………そうですか。アレは勇作さんに何と話しているんです?」
「ふふ、今は内緒です。戦況が落ち着いたら天幕でお話しましょう」
「…分かりました」
1904年11月末。旅順要塞の攻略に頓挫した第三軍は攻撃目標を変更し、第七師団の将兵約一万五千人は消耗の激しい第一師団に代わって二百三高地の攻撃の主力として投入された。
凄惨な白兵戦は昼夜を問わず繰り返され、日露両軍の夥しい数の死体が積み重なった。少尉として小隊長の地位に就く尾形と、聯隊旗手として真っ先に標的にされる勇作は、何の奇跡か偶然か、未だほぼ無傷で息をしている。
…それを勇作は、義姉様の守護だと言って無垢に笑った。
尾形が霞子の寄越してきた千人結を腹に巻いているのは寒いからだ。迷信なんて信じていない。
肋骨服の隠に霞子の写真を忍ばせているのは死に腐った時に身元が分かるようにだ。故郷で待つ女に縋ってなんかいない。
──曖昧に薄ら笑いを浮かべて答える尾形に気を悪くする様子もなく、血と泥と臓物に塗れた戦場でも清く気高い
────もう、あの日の話の続きを聞く事は出来ない。
[────────────────────────────────────────────────────────]
『頼まれてた包帯をお持ち致しました』
「そこ置いといて!」
『かしこまりました』
1905年1月。第七師団の旅順へ向けた出発から先、霞子は広島の陸軍予備病院で篤志看護婦の一人として働いていた。
12月の始めに二百三高地の奪取が報じられてから、本土の女性達の間で頭髪を高く結い上げた〝二百三高地髷〟が流行するのを酷く冷たい眼差しで見る霞子は、第七師団が組織的な軍略を成せない程の損害を受けたという報に顔を真っ白にしながら、前線から次々に病院船で運び込まれてくる傷病兵の看護に追われた。
…仕事に追われている間は、不安に駆られずに済む。夜毎震えているのなんて瑣末事だ。霞子に付き従う形で篤志看護婦をしているイワ子に霞子の寝かしつけまでさせているけれど。
──霞子は旅順の尾形に宛てて毎日のように手紙を書いた。まるで東京で普通に暮らしているかのように。広島の予備病院で尾形が傷病兵になって担ぎ込まれてくるのが今日か明日かと怯えて待っている様子なんて、とてもじゃないけれど見せたくなかったから。想像すらさせたくなかった。
尾形が淡々としているように見えて実は、物凄く後ろ向きで自己肯定感が低くて、その癖して自尊心が高い男だという事は、霞子にも流石に分かっていた。だからこそ霞子は、尾形に自分の弱っている姿を見聞きさせたくなかったのだ。
『イワ子…旅順要塞を落とした第七師団の生存者は再編成をして今度は奉天に送られるそうよ』
「左様でございますか」
『尾形様は今、何処で何をなさっているのでしょうね』
「一兵卒ならともかく尾形様は少尉とはいえ将校ですから、お怪我をされても優先的に手当が受けられていますよ」
『そうだといいわね……でも本当は、お怪我もして欲しくないの。痛みに苦しむくらいなら、苦しむ間もなく死んでいて欲しいわ。
お継母様は〝霞子を結婚早々未亡人になんて出来ない〟と言って妾の結婚を先送りにしたけれど、妾…他人のまま死に別れるくらいなら未亡人になりたかったわ』
「……お嬢様…」
イワ子は言葉が出なくなった。
民家を借り上げて大勢の篤志看護婦達が狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めで生活しながら代わる代わる予備病院に通って看護をする生活の中で、看護婦取締の配慮で、イワ子と同じ勤務に組まれ夜勤から外されている故に、イワ子はこうして夜毎霞子の弱音を聞いている。
…お嬢様に少しなりとも情があるのなら、無傷で還ってくるかいっそ即死していてくれ。イワ子は旅順の尾形にそう祈った。
──そうして霞子を慰めて過ごす事暫く。軍の再編成に伴って確認された生存者の中に尾形の名前がある事に張り詰めていた気が緩んだのか卒倒した霞子は、継母の手で麻布の自宅に連れ戻された。イワ子はしっかり怒られた。
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「宇佐美、来てるか」
「もう何がって言わなくても僕に通じると思ってます?来てませんよ〜」
「……そうか」
「たまには自分から送ってみたらどうです〜?」
「…東京で遊び暮らしてる女に戦地の血腥い話聞かせて何になるって言うんだ」
「………これは上官に対してじゃなくて〝百之助〟に対して言うけど、あのお嬢様をまだそんな風に思ってるんだったらお前バカだよ?自分がされてきた事とか、してもらってきた事考えろよ」
1905年2月。軍の再編成に伴って、激戦の間休止していた郵便物の配布が行われた。家族からの手紙や差し入れの小さな生活用品が小隊ごとに配られる。
…それを鶴見に褒められたいが為に個人宛に振り分ける雑務を自らこなしている宇佐美にそう声をかけるのが、尾形の最近の日課になっていた。
毎日鬱陶しいくらいに届く、暫く放置していたら馬鹿みたいな量が溜まる、尾形宛ての霞子からの手紙が絶えていた。
宇佐美が言った。自分がされてきた事してもらってきた事を考えろ、と。
──された事は明白だ。二等卒の己に縁談を申し込んできて、勝手に出世街道に引き摺り込んで、その街道を直走らせた。そして今や少尉として戦場で軍刀を振り回して小隊を指揮している。尾形は本来狙撃兵だというのに。
してもらってきた事を考えて一番に思いついたのは数々の差し入れだった。尾形の小隊は同年兵とかつての上官達が多く揃った小隊で、妙に纏まりが良かった。真相は霞子のマメな差し入れに懐柔されていただけだったが。
その小隊で尾形は指揮官だというのに何度も部下に庇われた。それが原因で死んだ者も居る。危険から遠ざける為とはいえ塹壕に突き落とされたり引き摺り戻されたりして怪我を負った事もままある。
そして部下達が口を揃えて言うのだ。あの奥様の所に生きて帰りましょう、と。
「もうすぐ極秘作戦が始まるみたいだから、手紙出すならこれが最後の機会ですよ〜?」
「…三分待て」
「分かりました〜」
こうして尾形は初めて自分から霞子宛の手紙を書いた。
〝前略 有坂霞子様
俺はまだ生きています
部下達のおかげで負傷は最小限に留まっております
安心されたし
敬具 尾形百之助〟
そう書かれた質素な手紙が、旅順から旅立った。
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「お嬢様、尾形様からのお手紙が届いておりますよ」
『本当?イワ子、すぐに寄越して頂戴』
「……急に元気になりましたね」
『いけなくって?それよりも早く封を切らせて』
「はいはい」
1905年3月。奉天占領の報せが日本中を駆け巡っていた頃、霞子の手元に旅順からの手紙が届いた。日付は少し前のものだ。未だ自室のベッドから風呂と手洗い以外の用事で降りる事を許されていない霞子は、イワ子に手紙を持ってこさせるといそいそと封を切って、中身に目を通す。短い手紙だ。
『…ご無事ですって。文面を見た限りだけど大きなお怪我もなさっていないみたい……安心されたし、優しい結びですわね』
「よございましたね」
『ええ、本当に…』
豊かな胸に手紙を抱いて微笑む霞子の顔は、すっかりいつもの通りの読めない微笑みに戻っていた。イワ子は内心で、お嬢様のベッド生活の終わりを奥様に進言しようと決めた。
…霞子は、この数日後に離床した。
──そしてこの日から約二ヶ月半後、5月28日。日本海海戦におけるバルチック艦隊の壊滅を以て、日露戦争は実質的な終戦を迎えた。
それまでの間霞子の手には数通、尾形からの生存報告の手紙が届き続けていた。
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『お帰りなさいませ、尾形様』
「………ああ」
『五体満足でのご復員お見事でございます』
「…霞子お嬢様がくださった、千人結のおかげかも知れませんね」
『まぁ、ご謙遜なさらないで。尾形様の粉骨砕身の努力の結果ですわ』
1906年3月、北海道旭川にて尾形と霞子はミルクホールで久しぶりの対面を果たしていた。
尾形は奉天に居る間に現場の指揮官不足と部下の損耗を抑えつつ任務を達成する手腕を評価されて中尉に昇進していた。4月頭には論功行賞も待っている。恐らく功五級か功四級の金鵄勲章が授与される事だろう。
霞子は僅かに目を細めて、暖かいミルクセーキに口をつけた。
…出征したばかりの尾形に与えられた小隊30名のうち、死者は2名、終戦まで野戦病院から出られない程の傷を負った負傷者は12名。半分以上の顔ぶれが終戦までを戦い抜いた。この戦果ならば論功行賞で大尉への昇進があるかも知れない。霞子の微笑みが僅かに深まる。
──尾形の五体満足での復員の報せに継母は漸く首を縦に振り、父は最初から乗り気であったが故に、尾形と霞子の結婚式は同年10月、日比谷大神宮にての挙式と偕行社にての披露宴を予定している。
招待者名簿を作り終え、今は招待状をひたすら書いているところなのだが、霞子は尾形に復員の祝いをする為に旭川を訪れているのだ。
『イワ子』
「はい、お嬢様」
『…お祝いの品ですわ、どうぞお納めくださいまし』
「……随分大きいですね。中身をお伺いしても?」
『昨年制式採用された最新式の小銃です。三八式歩兵銃と申しますのよ。部隊配備はまだ先ですが…お父様にお願いして用意して頂きましたの』
「ありがとうございます」
『三八式実包は尖頭弾になりましたが、三十年式の実包も使えますのよ』
「ありがとうございます」
『どういたしまして。存分に使ってやってくださいまし』
早速撃ってきたいのですが、とソワソワ解散を急かす尾形に、今まで贈ってきたあらゆる物の中で一番の好感触を得た霞子は、尾形の離席を許して見送ると、呆れた顔でこちらを見てくるイワ子に、可愛い方ね、と微笑んだ。
…このお二人はもうこれでいいんだ、イワ子は小言を飲み込んだ。
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『百之助様…礼服がお似合いですわ。胸の勲章も素晴らしいです』
「……ありがとうございます」
『これからこの胸の勲章が増えてゆくのだと思うと、楽しみですわ』
「………そうですか」
1906年10月。偕行社のホールで、霞子は微笑んだ。
複数の軍司令官や師団長、その他軍上層部の壮麗な礼服姿の高級将校達が当たり前のように集まって談笑したり酒を飲んでいる、尾形からしたら異様な光景の中で新郎としてひな壇に座らされて、尾形は小さく震えた。遠くから見る分には分からない程度に小さく、震え続けていた。
壇上では有坂が相も変わらぬ大声で霞子と尾形の馴れ初めや新婦の父親として新郎の舅としての想いを叫んでいる。
…初めて見る霞子のうっとりした笑顔と、その赤い唇から紡がれた〝初夜が楽しみですね〟という言葉に尾形は、この世の絶望には底がない事を知った。
──もう逃げられない、自分はこの父娘の飼い犬として、この女の種馬として生きるしかないんだ、と。
────尾形──改め〝有坂 百之助〟の受難(勘違い)の日々はこれからも続く──
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「とうとう尾形が中尉…そして有坂家の婿殿か……大出世だなぁ?宇佐美」
「本人ずっと嫌そうですけどね。何が不満なんだか」
「ふふ…飼い主に構われ過ぎて嫌がるようになった猫のようなものだ。フリだよフリ」
「……嫌な奴。素直に好きだって言ってやればいいのに。お嬢様が喜びますよ」
「軍人としては優秀だが…男としてはまだまだ未熟者だなぁ?」
「全くです」
1906年10月。偕行社のホールの片隅で、歩兵第二十七聯隊代表として参列した鶴見と宇佐美は、ひな壇の上で〝人生が終わった〟と言いたげな顔をしている百之助にそれぞれ表情を動かした。
…1900年12月。尾形の人生が大きく動き出してから約6年。凄まじい勢いで、しかし本意ではないという顔で出世街道を駆け上って鶴見の階級に並んだ百之助。その様子を間近で見てきた鶴見は思う。そして言葉にした。
──言わばこれは〝尾形百之助の受難〟だな。宇佐美が手を叩いて笑った。
────fin.
あとがき
重ったい〝その罪の在処〟後編の息抜きにバカのテンションで書ける小話集みたいなの書こ〜、とか思って手をつけたんです。木曜日に設定詰め始めて。
そしたら息抜きの方が筆が進んでこんな事になりまして……ちゃんと後編は書いてます、書いてるんです。本当です。
でも物書きあるあるじゃないですか、落書きとか息抜きの方が捗っちゃうの。許して…
そもそもこの話、何が書きたかったかというと最初から最後までずっと〝可哀想可愛い尾形百之助〟です。長編の方で徹頭徹尾尾形を幸せにする事にしているので、こっちでははっちゃける事にしました。
突然知らん少将令嬢から婿に指名され、訳も分からないまま士官候補生にされ、外堀を埋められ、逃げようとすればするほど霞子に好かれ、戦争に行って五体満足で帰ってきたらいよいよ結婚が確定し、最後には婿養子にされる尾形。
可哀想〜〜〜〜♡
可愛い〜〜〜〜〜〜♡
こういう尾形が私は大好きです。尾形は可哀想な時に一番輝いてますからね!!!
しかも本人は最後まで〝俺はこの父娘に人生を滅茶苦茶にされた〟と思っているんですが、途中から普通に霞子からの手紙を待ってるし、自分から生存報告を送るようになるし、千人結も巻いてるし写真も持ってるし、三八式を貰ったらウキウキで撃ちに行く。
お前、結構満更でもないだろ。
霞子は多分これからも普通に幸せです。
百之助は多分これからもずっと受難です。
可哀想可愛いね♡
頑張れ、有坂百之助♡