アイドルに執着されるドルオタ 作:未完
小学生の頃、二年間だけ同じクラスだった男の子がいる。
クラスの中心にいるような子ではなかった。けれど、友達は多かったし、なんというか、落ち着いた印象の子だった。
それが、私が抱いた第一印象。
特別、関わるようなこともない。一人のクラスメイト。
給食で同じ班になれば一緒に会話するし、何かの行事で同じグループになれば普通に話す。
特別仲がいいわけではないけど、特別仲が悪いわけではない。
嫌いでもなければ、好きでもない。普通のクラスメイトで、嫌悪感なく接することのできる良くも悪くも距離の取れた関係性。
それが崩れたのは、授業で将来の夢を語ることになった際のことだった。
国語の時間での作文の課題。
自分の将来の夢を文章にして、クラスのみんなの前で発表する。その時間に、偶々隣の席だったのが彼だった。
作文なんて個人作業は、小学生にとって飽きるもので。
しばらく静かな時間が続いたと思ったら、徐々に隣や後ろの席の子と話し始める子が出てきて、そうして教室中がざわめきで溢れ出したころ。
先生も特別叱るほどうるさくもないし、まだ様子見という段階。
私は一行すらも書くことができずに、原稿用紙とにらめっこしていた。
自分の将来の夢はある。アイドルだ。
テレビで見たアイドルの輝かしい活躍に憧れて、私もアイドルになりたいと思った。
だけど、それを誰かの前で言うのは憚られた。
一度、家族に将来はアイドルになりたいと宣言したことがある。
もちろん、『応援している』とか、『なれるといいね』みたいな肯定的な返事が返ってきた。
だけど、私は満足できなかった。というのも、その言葉には真剣さのようなものが籠っていなかったのだ。
今思えば当たり前のことだと思う。
小学校高学年とはいえ、まだまだ子供。将来どうなるかも分からない可能性の卵で、そして現実を知らない夢見がちな子供。
そんな子供が語る『アイドル』なんて夢は、微笑ましいものであれ真剣に相手するようなものではない。
茨の道でしかないのだ。
今の私が、もしファンの女の子に私もアイドルになりたいなんて言われたら、頑張ってねとしか言えない。
それ以上はないのだ。ましてや、子の未来を案じる親の立場に立って、まだまだ小学生の娘の「アイドル」という夢を、それはそれは真剣に応援し、現実的な問題までも指摘してくるようだったら嫌だろう。
でもまあ、子どもというのは大人の心なんて分からないもので。
当時の私はそれが嫌だった。
自分はこんなにも真剣に、将来の夢を語ったというのに。大人たちは話半分に聞き流して、まるで私を侮っているようではないかと。なんで、私と同じ情熱を持ってくれないのかと、理不尽に憤ったものだった。
でも、そんな怒りをぶつけたところで、大人たちは困るばかりで。私が何で怒っているのかを知っても、向き合おうとせず私の怒りをどう鎮めるかということばかりを考えていた。
そして、私は自分の将来の夢というものがどういうものなのかを子供なりに考えるようになった。
誰かに聞いたり、自分で調べたり。
そうしていくうちに、少しだけ分かった。自分が目指しているものが、どれほど不安定なものなのかというのが。
なるほど。そう簡単になれるようなものじゃないらしい。そう簡単に続けられるのもじゃないらしい。そう簡単に上手くいくようなものじゃないらしい。
そんなものを目指すくらいなら、もっと他に選択肢があるだろう。
それが、賢い生き方なのだという。
私は徐々に迷い始めた。
アイドルへの憧れは、熱に浮かされただけの、一時の気の迷いだったのではないかと。
私は本当にアイドルになりたかったのかと。それほどまでの情熱が私の中にはあるのかと。別に、アイドルなんて目指さなくてもいいんじゃないかと。
大人が言うには、もっと安定した道があるらしい。だったら、その道を歩くのが正しいんじゃないかって。
そんなことがあったから、私は自分の将来の夢を正直に書き綴るのに躊躇った。
小学校三年生くらいの頃、クラスの誰かがアイドルになりたいと口にしたことがある。それに対して、誰も真面目に対応しなかった。クラスの男子はちょっと意地悪なところもあったから、そんなのぜってー無理だなんて心無い言葉を投げかける。
先生は、やはり真剣に扱わなかった。
その子は「なんだとー!」と反発していたが、四年生になるころにはその夢はなくなっていて、今はパティシエになるのが夢なのだとか。
曰く、「アイドルも良かったんだけどー、今はパティシエになりたい!」らしい。
夢って、そうコロコロ変わるもの?
私は少し揺らいだ。
目の前の原稿用紙は白紙のままだ。
本当になりたいものは今でも変わっていないけれど、それは声を大にして言えるようなものじゃないのかもしれない。
迷いながらも、私は一度だけアイドルと書いてみた。書いて、すぐに消した。
やめておこう。もっと、無難なものがあるだろう。
少しの名残惜しさがあったが、私は何か他の職業がないかを吟味し始めた。
その時のことだった。
「あれ。アイドルじゃないの?」
「……え?」
隣から、声を掛けられた。
「あ、ごめん。ちょっと見ちゃった。いや気になってさ。神崎の夢が何なのか」
いや、見ないでよ。
というのが、まずひとつ。
見られて恥ずかしいというのがひとつ。
そんな思いを抱えながら、隣の男子を睨んだ。
彼は私が原稿用紙に『アイドル』と書いて、そして消したところを見ていたらしい。
少し慌てる。
あまり見られたくなかったことを見られたのだ。隠しておきたかったことが、誰かの目に映った。それだけで、私はほんのわずかな恨みを覚えた。
そして、私は目の前の男子が私の夢をどう思うのかと気になった。
笑うのだろうか。それとも、無関心なのだろうか。
決まっている。見られたら笑われる。夢見がちな子供だと思われる。誰も真剣に扱ってくれないから。
そう考えて、そして気づいた。
目の前の男の子──氷川君──は、笑ってなどいないではないかと。
そこで私は、率直に聞いてみることにした。
私がアイドルになることが夢だと知って、どう思うか。
「私の夢がアイドルだとして、氷川君はどう思う……?」
恐る恐る。何を恐れているのかも自覚できないまま、私は少しばかり緊張で早まる鼓動と浅くなる呼吸に意識を向けていた。
「うーん。まあ、似合ってるんじゃない?」
なんてことなく、そう言った。
最初は、やっぱそうだろうなと思った。だって、関心がない人の答え方だった。
自分にはどうでもいいけど、別に否定するものでもないみたいな。そんな熱意の返答。
そして、それは当たり前。当たり前なのだ。
そもそも、『似合っている』なんて言われたこと自体、彼がちゃんと真面目に考えてくれていたことの証左だと、今思えば分かる。
でも、自分の夢が何なのか。この情熱は偽物なのかと、迷走していながら、それを言語化できる知的レベルもない小学生の私にとって、ぶっきらぼうに放たれたその言葉は失望するに足るものだった。
まあ、我ながらなんと理不尽なのかと呆れることだけど、欲しかった言葉以外は全て否定に聞こえる年頃だったのだろう。
だが、彼はそこで終わらなかった。
少しばかり黙ったかと思うと、おもむろに口を開いて言う。
「うん。やっぱり似合ってると思うわ。神崎可愛いし。……あ」
「……え?」
「あ、いや、今のはそのー……。好きとかそういうことじゃなくて、そう! きゃっかんてき? に見て、神崎はアイドルやれるくらい可愛いってこと」
どうでもいい言い訳を早口で捲し立てる氷川君だったが、私はそんなことは耳に入らなかった。
「……可愛いかな」
「まあ、そうなんじゃねぇの。……今ちょっと想像してみたんだ。テレビで歌って踊る神崎のことを。そしたらさ、あんま変じゃないなって」
──こういうの、違和感っていうんだっけ?
なんて言いながら、氷川君は自分の作文に戻っていった。
霧が晴れるとは、こういうことを言うのだろうか。
自分の夢を否定せず、真剣に考えてくれる人がいる。少なくとも、私がアイドルになったことを思い浮かべてくれた。
「あ、もし本当にアイドルになったらサインとかくれよ。アイドルと友達とか、かっけーし」
自分の原稿用紙に将来の夢を綴りながら、氷川君はそんなことを言う。
「……今じゃなくていいの?」
「……なんで? サインってアイドルになってから貰うもんじゃないの?」
「昔の方が価値があるらしいよ」
「マジ? ……でもいいや、ちゃんとアイドルになったら貰うわ」
「アイドルって何すんの?」
「ファンの人たちに夢を見せて、喜んでもらう」
「へー。すごいな」
「あとは歌ったり踊ったり」
「歌って踊る。神崎はできんの?」
「練習中」
「習い事とかしてんの?」
「うん。ダンスとピアノやってる」
「お、ピアノは俺もやってる。でも最近あんまり楽しくない」
「アイドルってどうやったらなれるんだろうな」
「スカウトされるか、自分から応募するんだって」
「おうぼってなに」
「やらせてください! ……みたいな?」
「そんなんでできんの?」
「それだけじゃダメだよ。ちゃんとアイドルとして合格かを審査されるの」
「なにそれこわーい」
気が付いたら、授業中なのにおしゃべりを続けていた。
アイドルの夢を根掘り葉掘り聞かれることなんてなかったから、私も楽しくなっていっぱい喋った。
そうして、教室中のざわめきが一層うるさくなってきたころ、担任の先生が静かにと注意する。すると、クラスもすぐに静かになって、おしゃべりができる状況じゃなくなった。
私は少しの名残惜しさを感じながら、それでも僅かに上がった口角を自覚しながら、未だ白紙の原稿用紙に向き合う。
作文は何を書こうか考えて、結局アイドルについては書かなかった。
☆
その日から、私と氷川君は色々と話すことが増えた。
今日の給食は揚げパンだよとか、今日の宿題多くない? とか、そういう他愛ないことから、アイドルについて図書室で一緒に調べたり、今はこんなアイドルがいるんだよというのを教えたり。
偶に、私が歌ったり踊ったりするところを見せたり。
すると彼は、「すげーすげー」と手を叩いてはしゃぐのだ。
そうしていると、徐々に自分の中の悩みも薄れ、この夢を誇っていいのかもしれないという想いが強くなってきた。
そしてどこかで、この日常はずっと続くのだろうと思い込んでいたのだろう。
だって、夏休みだって冬休みだって一緒に遊んだし、学校に行けばクラスに彼がいる。林間学校の肝試しだって同じ班になったし、調理実習では意外にも家庭的だった氷川君の自炊力を見せつけられたし。
習字道具一式を忘れてあたふたしている横顔とか、裁縫の時間に針が指に刺さらないかずっとビクビクしながら方縫いしている所とか。
掃除の時間に友達と、どっちが早く雑巾がけできるか競っていたりとか。
それを見て呆れたりとか、そういうなんてことのない時間はずっと続くのだと思っていた。
だけど、それは続かなかった。
小学六年生に上がった私に、お父さんとお母さんは、小学校の卒業と同時に引っ越すことになったと言った。
中学校は、ここではない遠くの学校になると。
私は嫌だと泣いた。
だけど、やっぱりこれは覆すことのできないことで。
この楽しかった日常を手放すのが嫌だった。ようやく自分の夢を誇りに思えるようになってきて、氷川君以外の誰かに伝えることだってできるかもしれない。両親に真正面から、私はアイドルになりたいのだと宣言できるかもと思えてきた矢先にこれだった。
でも、申し訳なさそうにごめんと謝るお父さんとお母さんを見ては、それ以上嫌だとは言えなかった。
そうして、すぐに卒業はやってくる。
卒業式は、なんてことなく終わった。
クラスのみんなで写真を撮って、先生とも写真を撮って。
そうして、徐々に家に帰る人が出てきた頃。
お母さんは友達のお母さんに挨拶をしていて、私が引っ越すことはクラス中に知れ渡っていた。
友達は、引っ越しても仲良くしようねと言ってくれる。またいつか会おうねとも。
そうした友達とのやり取りも、私にとっては大事なことだ。だけど、そればかりでは氷川君と何も話せずに終わってしまう。
彼はどこにいるのか。帰っていないだろうかと私は考える。
帰ったとしても、彼の家に行けばいいだけなのだが。
ようやく落ち着いてきて、自由に動けるようになってきた頃、私は氷川君の姿を探した。
探して探して、ようやく辿り着いたのは誰もいない体育館の裏。
ひとっこひとりいないその場所で、私は果たして見つけられなかった彼のことを思いながら、少し焦る。彼に何も言えずに終わることだけはしたくなかった。
だから──。
「……神崎?」
ふと、背中から声がかかった。
聞き覚えのある声だ。この二年間、ずっと聞いてきた親しみのある音色。
「……氷川君」
「探したよ。急にいなくなるもんだから」
どうやら、彼も私を探していたみたいだ。入れ違いのような形になってしまったらしい。
「引っ越すんだってな」
「……うん」
「ちょっと寂しくなるな」
「……うん。あのさ、私がアイドルになったら、ファンになってくれる?」
「……当たり前じゃん。今更かよ」
私の言葉に、氷川君はため息交じりにそう答えた。
まさか、今更そんなことを聞かれるとは思っていなかったとでも言いたげだ。
「もうファンみたいなものでしょ俺。ファン第一号」
カッコつけながらそういう彼に、私は少し泣きそうになりながら笑顔で頷いた。
「……うんっ! アイドルになったら、絶対にライブに来てね! 絶対だから!」
「ああ。もちろん」
☆
それから、中学生になった私は勇気を出して両親にアイドルになりたいことを伝えた。真剣に、私はアイドルを目指しているのだと。
すると、両親に私の熱意が伝わったのか、ちゃんと応援してくれるようになった。
そうして紆余曲折ありつつ、高校生になった私は遂に憧れていたアイドルになることができた。
『きらりす』という四人グループのアイドルで、知名度こそまだあまりないものの、事務所としては大手であるためそれなりの人気を博している。
メンバー内での色々もあった。お互いの方針が嚙み合わなくて致命的な所まで行きそうになったり、それをどうにかしてフォローしたり、喧嘩することも偶にあるけど、それでも絆を深めつつ、今年でようやく結成から一年が経とうとしている。
だというのに、観客席に氷川君らしき人は見えない。
本人に直接連絡してやろうとも思ったけど、小学生の頃の知り合いを伝っても彼の連絡先を知ることはできなかった。それに、アイドルたるものスキャンダルに少しでもつながりかねないことはしない方がいい。
だから、彼には見つけてもらうしかないわけだけど……。
絶対にライブに来てねと言ったのに、ファン第一号とまで豪語したのに、まだ私の前に現れていないのは如何なものかと思う。
私は、貴方のおかげでアイドルになることができました。
だから、そのお礼だけでも言わせてほしいのに。
バカ。
次に私の目の前に現れたら、絶対に逃がしてなんてやらないから。