彼女はアイドルになるという夢を持っていて、俺はそれを応援していた。
しかし、小学校を卒業するとその子は遠くへ引っ越した。
俺も中学に上がると同時に、その子との記憶は薄れていった。
そして、高校二年の夏。
画面の中で、アイドルとして活動する彼女の姿があった。
アイドルの夢を応援し、ファン第一号とまで言い切ったのに、それを忘れて過ごしていた男が、本当にアイドルになっている初恋の子を見て今更オタクをする話。
自分の夢を熱烈に応援してくれた幼馴染に、責任を取ってもらいたい話。
小学生の頃、二年間だけ同じクラスだった女の子がいる。
控えめな性格から、あまりクラスの中心に立つような子ではなかったが、その整った容姿からクラス中から人気を博していた子だ。
彼女は俺の初恋の相手でもある。
可憐な見た目と控えめだが可愛らしい笑顔に惹かれたのだ。
終ぞ想いは告げられず、小学校を卒業した後に彼女が親の転勤の都合で遠くへと引っ越してしまったため、もう会うことも叶わない。
当時小学生だった俺と彼女に、自分のスマホというのはまだなく。中学に上がってから買ってくれるという親との約束を果たす前に分かれてしまったものだから、連絡先はない。
たった二年間だけ同じクラスだった女の子。
今でも好きかと聞かれると、少し答えに窮するけれど。それでもあの頃は楽しかったと思えるのは、偏にその子の存在あっての思い出だからだろう。
小学校を卒業してから既に五年が経とうとしているというのに、こんな昔のことを思い出したのはなぜだろうと、俺は四時間目の授業の終わりを告げるチャイムを聞いた。
まだまだ暑さが残る九月の下旬。夏休みが終わりを告げてからそろそろ一ヶ月が経とうとしている。
休み明けの憂鬱さが少しは和らいできたというのに、湿気と残暑に気分は下がりっぱなしである。
高校二年の夏。
去年から引き続き同じクラスの中、友人グループと共に昼食を囲む。
我が校はクラス替えという概念がないため、このグループとの付き合いも二年目に突入している。そのため、それなりに気心が知れている。
「そういや、そろそろ修学旅行だな」
購買で購入したであろう焼きそばパンをかじりながら、浩太は言う。
「そうだね。明日の総合の時間に班決めするんだったっけ?」
浩太の言葉に、俺はそういえばと返す。そんな俺の確認に対して返事をするのは、陽介だ。
「そう。同じ班になれるといいねー」
先日、文化祭も大盛況で終え、高校生活におけるイベントもかなり消費してきたように感じるが、しかし次に待ち構えるのは高校生活で最も大きなイベントである修学旅行である。
それが近づいてきている事実に少し浮足立つ気持ちもあるが、まあまだ先のことだろうとあまり深くは考えない。
さて、そんないつもと変わらぬ昼休みの時間。いつものように購買で買ったパンをさっさと食べ終えた浩太は、スマホを取り出し、片耳にイヤホンを装着してSNSを徘徊し始めた。
いつものことだが、なんとなく何を見ているのか気になり、俺は彼のスマホをのぞき込む。
あまり褒められたことではないが、一年以上の付き合いがあるからできることだ。
彼の画面に映し出されていたのは、とあるアイドルグループの動画だった。
縦スクロール型の動画の中には、俺たちと同い年か少し上程度の年齢の女子アイドルグループが歌って踊っている。
「最近バズってるよな、『きらりす』。俊はこういうのあんま興味ないっけ?」
「そうだね。あんまり詳しくはないかな。アイドルに全く興味がないという訳じゃないけど」
「へー! 意外。てっきりそういうの通ってないのかと」
「通ってはないけどね……」
アイドル。
その言葉を聞くと思い出すことがある。
俺の初恋だったあの子が、将来の夢として語ったのがアイドルだ。
当時は周りの人があまり本気で彼女の夢を応援していなかったらしく、彼女は心底お怒りだった。
そんな彼女の愚痴を聞いた俺は、至って真面目に彼女ならばアイドルくらいにはなれるだろうと思った。
当時、俺が知っているアイドルなんて、それこそAで始まって8で終わる女性アイドルグループとか、山に風の国民的男性アイドルグループくらいしか知らなかった。
ただ、そんな世間知らずなおこちゃまの目から見ても、彼女がテレビの中で歌って踊る姿が容易に想像できたため、俺は応援していると伝えた。
そして、プロになったらライブに来てね、と言われ、俺は頷いた記憶がある。もう、色も失った記憶だけれどそれだけはなんとなく覚えていた。
だが、それでも俺はアイドルの追っかけにはならなかった。
理由は一つではないし、そこまで劇的なものでもない。
小学校を卒業し、中学に上がると環境は激変し、それまでの常識も一気に変わる。世界が広がる感覚とでも言うのだろうか。部活動なんて知らない概念があり、当たり前のように週に四日は六時間目まで授業がある。高校受験という難関も待ち構えて。
人間関係だって一気に変化する。そんな中で、昔のことを引きずっている余裕なんてなかったのかもしれない。
新しい友達、新しい関係。楽しくも大変な毎日を過ごす中で、既に別れた人との思い出は少しずつ風化していったのだろう。
そんな、昔のことを思い出しながら俺は浩太のスマホの画面に映ったアイドルたちを眺める。
イヤホンをしているため音は聞こえないが、それでも見目麗しい同年代の女の子たちが踊っている様子は中々惹かれるものがあった。
そうしてボーっと、ただなんとなく画面を見つめていると、ふと強烈な既視感に襲われる。
浩太は『きらりす』と言っていたが、彼女たちの中にひときわ俺の目を惹く女の子がいたのだ。
赤と白を基調とした衣装に包まれた彼女の顔は、あまりに俺の記憶を刺激した。
顔立ちは大人びてきているが、間違いなくあの頃の面影を宿している。俺の初恋がそこにはいた。
驚愕に目を見開き、俺はすぐさま自分のスマホでも『きらりす』の名を検索する。そして出てきた適当な動画をタップする。
「ん? どうした?」
急に血相を変えて自分のスマホで動画を見始めた俺を不思議に思ったのか、浩太を始め陽介までも俺の方を見ている。イヤホンもせず、音を垂れ流しながら『きらりす』の動画を見始めたのは二人にとっておかしな光景だったのかもしれない。
しかし、俺にとっては一大事も一大事だった。
もし、俺の懸念が本当だった場合、それは即ちとんでもないことだ。
隅々まで動画を見て、彼女の顔を確認し、歌声も聴く。公式サイトで名前も調べた。
出てきた名は、『
あまりに、あまりに身に覚えがありすぎる名前。顔、声。全てがかつての記憶と一致する。
「ど、どうした急に。……もしかして、一目惚れでもした?」
俺のスマホの画面を覗き込みながら、浩太は問う。
神崎陽彩の姿が映し出された俺の画面と、先ほどまでの俺の行動とを合算してそう考えたのだろう。
「……まあ、そのようなもの、かも」
「……マジかよ」
☆
神崎陽彩。
俺の初恋の相手であり、小学生の頃のたった二年間だけ同じクラスになったことがあるクラスメイト。
淡く儚い記憶の底で、アイドルになりたいと語った少女。
それが今、液晶画面の中にいる。
整った顔立ちはかつてよりも更に磨きが掛かり、大人びた魅力と幼げな可憐さを両立させている。
「俊がそんなこと言うの、結構珍しいねー」
俺が呆然と陽彩の姿を見ていると、横から間延びした声が聞こえてくる。
俺たち三人グループの一人、陽介だ。
開いているのか閉じているのか分からない糸目に、欠伸しそうな声音。ずっと眠そうな雰囲気を漂わせているが、その実それが彼の素である。
「恋とか、愛とか、そういうの、あんまぁり興味がなさそうだったというか、ね」
「そうだな。一目惚れなんてのが信じられねぇよ」
「……そ、そう?」
二人からの評価に、俺は少し戸惑いながら聞き返す。
俺は別に、色恋に興味がないわけではないはずだ。小学生の頃の初恋を今でも覚えているくらいなんだから当然だろう。
しかし、二人の目にはそう映っていなかったらしい。
「まあねぇ。何というか……浩太が、あの子可愛くね? なんて話を振ってもぉ、俊はあんまりそそられてる雰囲気がなかったしぃ」
「そそられるて」
「確かにな。なんつうか、一歩引いて見てるような。そんな印象が俊にはあった」
「でしょぉ? だから、意外だなって。ましてや一目惚れなんてさ」
どうやら、友人二人にとって俺はそう見えていたらしい。
俺は別に、浩太に「あの子可愛くね?」って話しかけられたらかわいいって答えていたような気がするけれど。
そんなことを考えつつも、俺はスマホの画面に映った『神崎陽彩』の姿を二人に見せながら言う。
「この子は、俺の小学校時代の知り合いなんだよ。二年しか同じクラスじゃなかったし、ぼんやりとしか覚えてない所もあるけど、でも顔も声もあの頃の面影があるし、何より名前が同じだから間違いないと思う」
「……マジか」
「……なるほどぉ。それで、その神崎陽彩ちゃんが俊にとっての初恋の人ってこと?」
「よくわかったね」
「一目惚れ、なんて言っていたからねぇ」
「俺は別に言ってないけどね?」
「言っていたようなものでしょぉ?」
その言葉は否定しない。
「そんなこと現実にあるんだな」
「ねー。俊に好きな人がいたっていうのも意外だしぃ」
それに関しては俺も同じことを思っている。
小学生の頃の同級生が、夢を叶えてアイドルになっているなんて、俺も夢にも思っていなかった。
しかし、同時に大きな罪悪感が襲い掛かる。
彼女は、確かに有言実行した。
幼いころの夢を実現し、アイドルになってSNSでバズった。
だというのに、俺はあの日の約束を半ば忘れ今まで過ごしてきた。
プロになったらライブに行くという約束をしていたのにも関わらずだ。
彼女は果たしてプロになった。だが、俺はまだ彼女のライブを見てもいない。
何というか、物凄い不義理を果たしているのではないだろうか。
真面目に夢を叶えている彼女に対して、一度でも応援するなんて言った俺は今、プロになった彼女を全くと言っていいほど応援できていない。
これほどの約束やぶりがあるだろうか。いや、ない。
背中に冷や汗が流れる感覚に襲われながら、俺は慌ててファンクラブを開く。
会員登録と、次のライブのチケットの予約抽選など、やるべきことが目白押しだ。
「浩太。こういうアイドルのファンクラブに入会するのって、どうすればいいの?」
「おお。マジで好きなんだな、その子。よし、なら俺がしっかり教えてやるよ」
「助かる」
そうして、俺は『きらりす』のファンクラブに入会した。
既に結成から一年が経過しているアイドルグループであり、事務所もそれなりに有名どころであったらしくかなり多くの会員がいるようだった。
「お、このグループ、来週新曲のCDが発売するらしいぞ。それに、握手会のチケット付き」
「買おう」
「お、おう……。まあ、抽選だから当たるとも限らねぇけどな」
「それでもいい」
血眼になりながら、俺はスマホとにらめっこ。
半年後のライブのチケットの第一次抽選予約も応募して、新曲CDとファンクラブの入会金。先月と先々月のバイト代が消え去りそうだが、それでもいい。
後は、このアイドルグループに関する情報収集と発表している曲を大体網羅して、神崎陽彩のソロ曲も出ているのであれば芯まで聴く。
そうしてようやく、一端のファンと言えるだろう。
必死に情報収集している俺を見ながら、陽介は言う。
「俊って、もしかしてかなり一途なのかもねぇ」
☆
京都某所。
「なんだかんだ、同じ班になったな」
「そうだねぇ~」
修学旅行当日。
俺たち三人はなんだかんだで同じグループとなり、京都内を散策していた。
金閣寺、清水寺、伏見稲荷大社。有名どころばかりである。しかし俺は、それら日本が世界に誇る歴史的建造物の数々をあまり見れてはいなかった。
というより、ずっと心ここに非ずという感じである。
「俊は、他のことに夢中って感じかなぁ?」
「だな。話しかけても生返事だし」
「『きらりす』について考えてるんだろうねぇ」
あれからそれなりに時間が経ち、俺はすっかり『きらりす』の沼に嵌っていた。
空き時間はスマホで『きらりす』の情報を追っているし、そうではない時間でも頭の中はずっと『きらりす』のことばかり考えている。
そして何より、今日は抽選販売だった握手会のチケット付きCDの当選発表の日なのだ。
心ここに非ずになっても仕方がないだろう。
「当選発表は12時だったか。……そろそろだな」
「そうだねぇ。……うーん、あと五分かぁ。なら、適当なベンチにでも座って、一緒に当選発表を見るぅ? このままだと俊、誰かにぶつかりそうだし」
「そうだな。そうするか」
浩太と陽介は心ここにあらずな俺を見かねてか、素晴らしい提案をしてくれた。
そうして、俺たちは目についたベンチに腰掛ける。
時刻は11時59分。
心臓が鳴り響く音がするが、それすら意識できないほどに集中し、俺は自分のスマホに映る公式サイトのマイページとにらめっこしていた。
そして、時刻は12:00。スマホの左上に表示された数字を認識した瞬間、俺はページを引っ張り情報を更新する。
すると、画面は変わり少しスクロールすると何やら色々と文字が書かれている。
関係のないところを読み飛ばし、肝心の本題部分に目をやると。
「──っしゃぁぁぁぁぁぁ! 『きらりす』の握手会当たったぁ!」
「うるせぇ! 公の場ってこと忘れんな!」
見事、当選。
その事実に、俺は喜びを全身で表現し、浩太に怒られた。彼の言うことはごもっともであり、冷静になった俺は口を噤む。
突然それなりに大きな声を出してしまったことを反省しながら、周りから変な目で見られてたりするかなと周囲を観察すると、違う高校の制服を着た女子グループが俺のことを見てそそくさと退散していた。
やらかしたな。と、俺は思いながらもそれでもじわじわとやってくる喜びに不思議な気持ちになる。
「ま、とりあえず当たってよかったな。運のいいことで。さ、飯食いに行こうぜ。……陽介? 何見てんだ?」
どこか遠くを見つめていた陽介の姿を怪訝に思った浩太が話しかける。すると、陽介は何事もなかったかのように俺たちへと向き直った。
「……いや、なんでもないよぉ。行こうか~」
何はともあれ、俺は無事に握手会のチケットを獲得するに至った。もちろん、『神崎陽彩』のチケットである。
☆
そうして、月日は流れ。
あっという間に握手会当日となってしまったわけだ。
アイドルの握手会なんて、今まで全く通ってこなかった道であるから緊張もひとしお。
俺は念入りに準備をして会場へと足を運んだ。
浩太や陽介からは激励の言葉を貰っているし、浩太からはあっという間に終わるから目に焼き付けとけよと忠告されている。
案内に従って会場に入り、中々驚くほど厳重な手荷物検査を終え、遂に俺は『神崎陽彩』の列に並ぶ。
そわそわして、じっとしていられない気持ちをぐっとこらえて。
そうして、一人、また一人と列は進む。
スタッフの淡々とした声と、アイドルの煌めいた声。そしてファンの興奮した声が聞こえる。
果たして、ようやく俺の番となった。
「次の方どうぞー」
スタッフさんに促され、俺は歩みを進めた。
そして、ようやくご対面だ。
目の前に立つのは、あの日の面影を宿した正真正銘の『神崎陽彩』だった。
実際にこの目で見て確信した。彼女は俺の勘違いでもなんでもなく、初恋の相手だったということを。
画面越しに見るのではまだどこか気のせいなのではないかという懸念があった。
だが、それはあり得ない。
大きく丸い瞳に、元気いっぱいの笑顔。間違いなく、俺があの頃目を奪われた輝きが、何十倍にも増して目の前に立っている。
「いつも応援ありがとう!」
あまりに現実離れした光景に、一瞬だけ呆然としていた俺は彼女の声と差し出された右手を見て意識を取り戻した。
俺はすぐさま右手を差し出し、手を握り返す。
「あのっ! 応援しています!」
「うん。ありがとう! 折角だし、お名前教えてっ!」
「あ、はい! 俊です! 氷川俊って言いますっ!」
もう自分でも何が何だかだ。
あまりにハイスピードな会場の雰囲気と、憧れであり初恋が目の前にいる感動とでごっちゃになり、俺はただ聞かれたことに反射で答えるだけの機械に成り果てた。
持ち時間が5秒というのも、思考がもつれる原因でもあるだろう。
「はい。お時間でーす」
応援していると告げ、聞かれた名前に答えるだけで時間は来てしまった。
スタッフさんの終了宣言に名残惜しさを感じながらも、俺はルールに則ってこの場を離れる。
最後に一言、付け加えて。
「応援しています! がんばってください!」
俺のこと覚えていますか? と聞きたい気持ちはあった。だが、そんなことはこの場で言うことでもないし、学校が同じだっただけの同級生なんて腐るほどいるだろう。それに、彼女も俺のことなんてすっかり忘れているはずだ。
ちょっと名残惜しいけれど、これくらいがちょうどよい距離感なのだろう。
少しでも自惚れると、ファンとは言えなくなってしまう。
そうして、俺の渾身の握手会は幕を閉じ──。
「……あの?」
時間が来たから右手を話して背を向けようとしたはずなのに、右手が離れない。
俺は確実に右手の力を抜いている。離そうと思って右手は開いた。
だが、離れない。
原因はたったひとつ。向こうが、離すことを忘れている。
怪訝に思った俺は、陽彩ちゃんの顔を見る。
すると、そこには目を見開いて呆然とこちらを見つめている彼女の姿があった。
「あっ。ご、ごめんなさい! えーっと……。うん、これからも応援よろしくね!」
そうして手は離れた。
俺は不思議に思いながらも会場から離れる。
スタッフさんもどこか怪訝な様子だったけれど、ボーっとしていたのだろうか。
俺はそんなことを考えながら、しかし幸せな気持ちを胸の内にしまい込み、その足で物販スペースへと足を運んだ。
この熱を保ったまま、最高の推し活というやつだ。
続くとは思う。