アイドルに執着されるドルオタ 作:未完
『きらりす』の握手会を無事に終えた俺は、今月のバイト代を使い果たす勢いでグッズを買い漁り、買ったグッズの置き場に困っていた。
だが、後悔はしていない。後悔など、できようはずもない。これは一種の贖罪でもあるのだ。小学生の頃とは言え、応援すると宣言した手前、一年も見つけられず放置してしまった己の愚かさに対する。
とはいえ、罪悪感から握手会に参加したわけではない。忘れかけていた手前、こんなことを言うのはあまり信用されないかもしれないが、俺はちゃんとした彼女のファンであるつもりだ。
何せ、初恋なのだから。
自分の心に正直で、夢に邁進する彼女の輝かしさが幼い自分にとっての
そんな俺は今、教室で小さくガッツポーズを取っていた。
授業と授業の間に挟まるほんの十分間の休憩時間。
教室中はざわめきに包まれ、束の間の休息にクラスメイトは笑顔を浮かべている。
スマホの画面を見ながら小さく息を吐いた俺の横で、浩太は得心したような表情を浮かべて、陽介はニコニコしながら俺のことを見ていた。
「クリスマスライブ当たったか」
浩太が問う。
そう。俺がガッツポーズをしていたのは、すぐそこに待ち受ける年末のクリスマスライブに向けたチケットが当選したからだ。
『きらりす』は最近、SNSでバズったこともあって話題性も高まり人気が高まっている状況にある。俺が彼女を見つけたのもその話題性に乗っかる形だったけれど。
人気の急上昇に伴い、ライブのチケットが当たる確率にも影響しているのだとか。
「うん。一次抽選が外れた時は死ぬかと思ったけど」
「大げさな。そんなことでいちいち一喜一憂してたら身が持たねぇぞ」
「いやするでしょ、一喜一憂」
浩太は自分がドルオタの先輩であることを誇りにでも思っているのか、何かにつけて先輩面をしたがる。
そもそも、推しているアイドルグループが違うというのに。チケットの抽選に関しては誰もがドキドキするものじゃないのかと、俺は疑問に思いながら言い返した。
何せ、俺はアイドルオタクになってからまだ日が浅いのだ。浩太の言っていることが妄言ではないと断言することができない。
「俊が普通だと思うよぉ? そりゃあ、一喜一憂くらいするよねぇ」
──ましてや、初恋の相手がいるアイドルグループともなればね。
と、陽介が言う。
まあ、そうだろうなと思った。
しかし、アイドルオタクの人というのは、毎度毎度こういうことをしているのかと、ついこの前までの自分では絶対にしなかったであろう行動に新鮮さも覚えたりする。
なんだかんだで高校まで生きてきたけど、ここまで何かに情熱を入れていたことはなかったかもしれない。
かつての二年間。
初恋の記憶が呼び起された俺は、なんとも言えない多幸感が溢れている。
「そういや俊は、今でもその神崎陽彩のことが好きなのか?」
率直に疑問に思ったのか、浩太がそのような問いを投げかけてきた。
「あ、アイドルとしてってことじゃなくて。初恋相手として、恋愛対象として、な」
念を押すように浩太は言う。
俺にとって、彼のその問いは難しいものがあった。
俺は答えるまでほんの僅かに時間を要する。
「うーん……。難しいな。好き、かと言われると『分からない』って感じかな」
「分からない?」
「もう、五年も前のことだから、恋が続いているのか自分でもまだよく分からない。とはいえ、尊敬はしているよ。昔からの夢を実際に叶えることができた人だからね」
「なるほどなぁ……」
「まあ、アイドルだから、例え好きだったとしても叶わぬ恋だけどね」
「はぁ……。そういうもんかね」
彼女は既に夢を叶えた。
夢に向かって走り抜ける彼女の姿が好きだった俺は、これからも応援し続けると思う。だけど、それはひとりのファンとして。彼女の横に並ぶことはない。
客席から歓声を上げるのが、ファンというものだろう。
「ところで、アイドルのライブにおけるマナーとか、教えてもらっていい?」
俺にとっては、今はこちらの方が大事だ。
年末に迎えるクリスマスライブ。
一年の締めくくりに相応しい祭典に、『きらりす』のライブ初参加の男が行く。
それも、仲間も何もなく。
聞くところによると、ファン同士でSNSを通じてコミュニティが発達しており、そういうネット上で知り合った人同士で行くことも多いのだと言うが、俺は少し怖かったのでそういうコミュニティに一人で突撃する勇気はなかった。
そのため、今回はひとりでライブに参加することになる。
ライブにおける心得とか、暗黙の了解とか、マナーとか、やるべきことなどがあるかもしれない。
俺はドルオタ初心者と呼べるほどに界隈のことがまだよく分かっていないのだ。そういう予備知識はいくらあっても困らない。
「俺は『きらりす』のファンじゃないから一概には言えないが、アイドルのライブっていうのは、そんな肩肘張るようなものじゃないぞ。応援グッズを身に纏って、歌に合わせてペンライトを振ればいい。今どき、内輪ネタで新規を困らせるような厄介なやつは、『ファン』なんて呼ばれないからな」
浩太はそう言う。
まあ、それも真理ではあるのだろう。
ただ、俺が知りたいのはそういうことではなくて。
無知は罪とも言うけれど、そういう無知はできる限り無くして、万全の状態で挑みたいのだ。そんなことを伝えれば、困ったように眉を下げながらも、仕方なさそうに浩太はドルオタの心得というものを教えてくれた。
あくまで、これは『きらりす』とは関係なく、一般的なと付け加えられて。
☆
そんなこんなで、あっという間に時間は過ぎ去り、十二月の中旬。
服の間を通り抜けるそよ風が、随分と冷たくなった。ハンドクリームやリップクリームを備えておかなければ、乾燥して割れてしまうほどに、カラカラと乾いた空気が漂っている。
だけれども、俺はこの空気は嫌いではなかった。どこか哀愁漂うような、心が凪いでいくような、そんな季節が好きなのだ。
クリスマスライブ当日。
クリスマスと名がついているが、本当にクリスマス当日にライブを行うわけではない。まあ、それは当たり前と言えば当たり前で、特に疑問に思うようなことではない。
俺はやや大きめのリュックを背中に、ライブ会場へと向かう列車に乗る。
ライブに関する事前知識は、できる限り頭に詰め込んできた。
だけれども、緊張が消えることはない。
習うより慣れろとか、百聞は一見に如かずとか、そんな諺があるけれど。やっぱり、何事も経験に勝る物はないのだというのを実感する。
こういうのは、やはり一度行ってみなければ真に理解することは叶わないのだろう。
不安が消えたわけではないけど、不安をそのままに俺は電車の中でぼーっとする。
電光掲示板に映る次の駅を見ながら、今日が一体どういう日になるのかを想像していた。
そんな風に時間を使っていたら、あっという間に目的地に到着する。
慣れない土地だが、意外と不安は少なかった。何故だろうかと思ったけれど、その理由はすぐに分かった。
この駅で降りた大半の人が、自分と同じ目的を持って、同じ会場を目指しているから。
自分は誰かと一緒にいるわけではないのに、妙な一体感というものに包まれている。この人たちに付いていけば、自ずと目的地に到着するだろうという確信が、僅かに不安を和らげているのかもしれない。
そんなことを考えていた時のことだった。
「──あの」
分厚い防寒着の上から、肩をトントンと叩かれる感触がした。
振り返ってみると、そこには俺と同い年くらいの男性が緊張しながらも何かを持った右手を差し出しながら話しかけてきていた。
「これ、落としましたよ」
そう言われて、俺は彼の手のひらに包まれた物体を見る。
そこには、ポケットに入れておいたはずの財布があった。
「──! あ、ありがとうございます!」
俺は慌ててポケットに手を入れ、財布がないことを確認する。そしてすぐに、差し出された財布を手に取った。
一番失くしてはいけないものを落としていたという事実に、心臓がどんどんと鼓動を早めていく。
嫌な汗が背中を伝う不快感に身を包まれながら、俺は財布を拾ってくれた青年にあらん限りの感謝を伝えた。
「いえいえ。危なかったですね」
彼は困ったように笑いながら、なんてことないように言う。
何と善き人なのだろうか。
俺は心の中で土下座をする勢いで感謝を述べ、しかし現実でやるとただの奇人であるため常識の範疇に留めながら、財布をリュックの中にしまって、再度目的地を目指す。
「……あ、あの」
だが、目の前の男性はまだ何か用があるらしい。
なんの目的があってこれ以上会話を続けようとするのだろうかと、恩人に向けるにしては失礼だが、それでも少しばかり警戒心が芽生えてしまう。
何か、変に恩着せがましくおかしな要求でもされたらたまらないななんて、そんなことを思ってしまう。
しかし、その警戒は杞憂に終わることになる。
「……もしかして、『きらりす』のファンの方ですか?」
「……え?」
「あ、すいません。勘違いでした」
まさかそんな質問をされるとは思わず、俺は目を見開いて素っ頓狂な声を出してしまった。
しかし、どうやら彼にはそれが否定に聞こえたようで、小さくなりながらそそくさとこの場を去ろうとしている。
「あ、いや! そうじゃなくて!」
俺は慌てて彼を引き留める。
「俺も『きらりす』のファンです」
振り返った彼の表情は、少しの驚きと喜びが浮かび上がっていた。
☆
「いやあ、すみません。僕、今日が初めてのライブなんですけど、ひとりだと不安で……」
そう語るのは、俺が落とした財布を拾ってくれた同じアイドルを推す男の人──土井学さんである。
「知らない人に声をかける勇気もなかったんですけど、ひとりも怖くて……。偶々、落とし物を拾ったので衝動的に声をかけてしまいましたけど、迷惑だったりしませんか?」
「いえ、そんなことないですよ。気持ちは痛いほど分かります。僕も今日のライブが初参加ですから」
「えっそうなんですか!? じゃあ、僕たち一緒じゃないですか!」
「そうですね」
なんとも奇妙な縁もあったものだと思う。
まあ、しかし俺もひとりは怖かった。初めての場所に一人で行くというのはやっぱりどうしてもハードルが高くなってしまう。
土井さんの存在は、俺にとっても渡りに船だったのだ。
「ちなみに、おいくつですか?」
「十七です」
「え、同い年……」
「お、マジですか。こんな偶然あるんですね」
まさか、同い年の同性で、同じアイドルが好きで、今日がライブに初参加という境遇の人がいるとは。
しかし、同い年となると敬語というのは少しおかしいかもしれない。そう思って、俺はため口でいいと言った。
「なら、敬語じゃなくてため口でいいですよ。同い年ですし」
「いいんですか? というか、それならそっちも敬語はやめてくださいよ」
「分かった。なんか、面白いこともあるものだね」
「そうです……そうだね。あ、もしよかったらさ、連絡先交換しない?」
これも何かの縁だし、同じアイドルを推す仲間は欲しかったし。と、土井君は言う。
俺は断る理由もないし、俺にとってもありがたい提案だったので連絡先を交換した。
そうこうしているうちに、ライブ会場へと到着する。
流石に席は近くではなかったため、すぐにお別れとなってしまったけれど、ライブが終わっても会おうと約束して、各々ライブを楽しむことにした。
☆
会場内は冬だというのに熱気にあふれ、上着なんて着ていたら熱中症になってしまうのではないかと思うほどのものだった。密集した人の熱。ライブを楽しみにしていた人たちの興奮の熱。熱、熱、熱。
まだ始まってもいないというのに、この熱量。思わず俺も当てられて、心臓の鼓動が徐々に早まる。
ファンの人たちの顔は、まだかまだかとソワソワと、しかしすごく楽しそうで。それが何とも心地よかった。
ライブ開始前のアナウンスと共に、会場内は布切れが擦れる音すらも目立つほどの静寂に包まれた。
会場の明かりが消え、ステージにライトが集中し、そして始まったライブは爆発と間違うような歓声と共に迎えられた。
一曲目の『煌めく明日に向かって』が奏でられる。
四人のパフォーマンスはまるで一つの生き物のように舞い、思わず目を奪われた。
『今日は来てくれてありがとうー!!!』
と、曲の合間に陽彩ちゃんが言う。
マイク越しに響く可憐な声は、俺の脳髄を強く揺さぶった。
気づけば夢中になってペンライトを振り、周りの人たちと同じように叫んだ。
目も、耳も、声も、全部。全部が彼女たちに奪われる。
推しだとか、そういうのも関係なく、メンバー全員のパフォーマンスに見惚れて、気が付けば、俺は自然と涙を流していた。
これが、ライブ。
これが、彼女が憧れたアイドル。
そして、俺が憧れたアイドル。
熱い。全身が熱い。
まるで浮遊でもしているのかと思うほどの高揚感。夢でも見ているのかと思うほどの非現実感。
暗がりで輝くステージの上で、笑顔を絶やすことなく歌って踊る彼女たちの姿はまるで、偶像と言うにはあまりに輝かしすぎて。
乾いた喉も、枯れた声も気にならない。
ペンライトを握る手が自然と強くなる。
一度、彼女と目が合ったような気がした。貫くような、陽彩の名に恥じぬ太陽のような輝きが、俺の両目を灼いた。
灼熱が、俺の両目に焼き付いて離れない。
気が付いたら、ライブは終わっていた。
茫然自失としながらも、俺はスマホの通知を見る。
そこには、土井君から今日のライブの感想について語りたいから一緒にご飯を食べないかというものだった。
俺はすぐに了承の返事をした。
あまりに衝撃だった。あまりに、強烈だった。
俺の憧れは、やはりとてつもなく大きかったのだということを、今日改めて分からされた。
今日の出来事は心に深く刻まれて、決して忘れることのできない大切な思い出となるだろう。
☆
「いやあ、凄かったよね!? ライブってあんなに熱くなれるものだったなんて初めて知ったよ!」
ライブ終わり、日も沈み辺りが暗くなってきたころ。
俺は今日知り合ったばかりの土井君と、近くのファミレスでライブの感想会を開いていた。
「うん。すごかった。めちゃくちゃ感動した」
今でもまだぼーっとしてしまう。
先ほどライブ会場にいたばかりだというのに、どこか遠い思い出のように感じる。それほどまでに、衝撃的だったということなのだろう。
「何より僕がやばいと思ったのは、『白銀にのせて』だよ! クリスマスライブだから当然なんだけど、冬をモチーフに恋模様を歌ったあの歌は、なんというか今の季節と重なってすごく感動した!」
『白銀にのせて』。
『きらりす』の恋愛ソングにして、ちょっとばかりの悲しさと、それでも前に進む勇気を歌った曲。
冬という季節の、「別れの季節」という部分にフォーカスしながらも、それでも前に進む強さが特徴的で、少し悲しいのに元気が貰える曲としてファンの間で根強い人気を博している。
「氷川君は今回のライブで良かったところとかないの?」
「俺は元々、『ビター・スウィート・ドーナッツ』の『甘く着飾ったドーナッツ』って歌詞が好きだったんだけど、今回、琥珀ちゃんの歌い方に感情が籠っていて、いいなって思った」
「分っっっかる! 『ビター・スウィート・ドーナッツ』は自分に自信がなくて何者かになりたいと思っていたかつての琥珀ちゃんの思いを歌詞に起した曲なんだけど、『甘く着飾ったドーナッツ』の部分はまだまだ完全に自分に自信が持てなくて、不安と虚勢を内包した不安定な歌詞なんだけど、それを今回のライブでまるで本当に壊れちゃいそうな感じに表現していてほんとによかった!!!」
俺は君の言語化能力が凄いと思うなぁ。なんて思いながら、メロンソーダを飲む。
そう。
今回のライブで感じたことは、陽彩ちゃんだけではない他のメンバーにもやはり魅力がたくさん詰まっているということを再認識させられた。
どこまで行っても、やはり俺の憧れは変わらないのだけど、それでも『きらりす』はレベルの高いアイドルグループで、他のメンバーの魅力にも当てられてしまうことがあった。
「でもやっぱり、俺は陽彩ちゃん推しだから。一番は『きらめきを放て!』かな。アイドルになろうとした彼女の憧れがそのまま形になっていて、いいなって思う」
「氷川君は陽彩ちゃん推しだもんね!」
そんなこんなで、会話は弾み。
もうどれだけファミレスで語り尽くしたのだろうか。
スマホを見れば、そろそろ帰らなければならない時間が近づいてきた。
お互いに話し疲れてきたし、ここら辺が丁度良いだろう。
そうして、お互い何か切り出すわけでもなく自然と解散の流れになってきた。
会計を済ませて、最寄り駅に向かう。
「……あ。そういえば言ってなかったんだけど、僕はこの近くに親戚の家があって、今日はそこにお邪魔させてもらうことになってるから、ここでお別れかも」
「そうなんだ。なら、ここで解散かな。今日はありがとう、ほんとに楽しかった」
「こちらこそ、また機会があったら一緒にライブに行ったり、ライブがなかったとしても遊ぼうね」
「もちろん」
そして、手を振って別れた。
すっかり暗くなった夜道で、俺は充実した一日を振り返っていた。
はあ、と息を吐けば白くなった靄が浮かび上がる。
冷え切った空気の中、それでも胸の内は温かく心地よかった。
今日のことは絶対に忘れられないななんて、気分上々で帰路につく。適度な疲労が身体を襲い、これでは風呂に入るのも億劫かもななんて、他愛のないことを考える。
そんな折だった。
目の前で、黒塗りの車が路駐した。
こんなところで一時停止とはどうしたんだろうかと思ったが、興味もないのですぐに意識から外す。
そうして車を追い越し、俺は歩く。後ろで扉が開いて閉まる音がして……。
そして。
「──氷川君!」
聞き覚えのある、声が響いた。
今日、何度も聴いた声。そして、五年前にも、何度も聴いた。その声。
俺は驚いて振り返る。
まさか。いや、そんなはずはない。
そうして恐る恐る、声の主の顔を見る。
「……久しぶり。私のこと、覚えてるよね?」
「──神崎?」
そこには、やはり神崎陽彩が立っていた。
曲名と歌詞は適当です。
ドルオタとしての氷川君は陽彩ちゃん呼び。
あの頃の友人としての氷川君は神崎呼び。