「That's all. Thank you for listening」
その声と同時に、何人かの手が上がり、チェアパーソンが彼らに順に回していく。会場は驚くほど静かだった。私はそんな様子に、納得のいかなさと、その中に一瞬嬉しさのようなものを感じて、おもわず顔を伏せた。あの子は、質問者に向き合っていたようだった。
共同研究者には、私の名前もあった。彼女の実験には何度も協力させられたから。
他のセッションにも停滞を打破しようと、既存の完成した物理に対して新しい理論を立てる者はいた。蓮子曰く、ここ10年の流行りらしい。
彼らと私たちが違うところは、理論に実験による検証が伴っていること。だから、少なくとも突飛な提案ではないのだ。なのに、どうしてこんなにも静かなのだろう。質問をする研究者は、淡々と既存の物理にどう還元されるかのみを質問する。まるで、封をして回る役人だ。
彼女との、ここ数年のことが蘇ってくる。
この世にはまだ不思議がたくさんある。私たちはそれが見えていないだけ。そう大言壮語を語る彼女に、力を貸してと、強引に連れられて作ったのが、秘封倶楽部だった。封じられた秘密を暴くから、秘封。それからは、彼女と毎日のようにやりとりをして、時には神社仏閣を巡り、時には霊験あらたかな山に登り、時には宇宙に飛んで、時には地下都市にも忍び込んだ。彼女は犯罪スレスレなことを平気でやるのだから、困ったものだった。それについていく私も同罪なのだけれど。
ある時、彼女は不思議を記述する理論を書く目処が立った、なんて言い出した。私たちが調査していたものは、まだ見えないミクロな理論がマクロに現れた結果とかなんとか熱弁していたけれど、私にはさっぱりだった。
それから一年、私は彼女に要請されて、検証のための実験を何度も手伝わされた。頼られるのは悪くない気分だった。だけど、焦燥感は増していくばかりだった。
だから
「20番目のスライドだったと思いますが、ええそこです。この仮定は強すぎませんか?というのは、前のページの――」
「ありがとうございます。しかしこの仮定がなければ――」
先ほどまでと打って変わって、トーンが上がった蓮子の声に、焦点が現実に戻る。
質問の内容はわからないけれど、たぶん、ようやくちゃんとした質問が来たのだ。その証拠に蓮子はとても楽しそうに回答しているもの。
それから二人だけで数分間議論し続ける。
時間を忘れて白熱するふたりに呆れたのか、チェアパーソンが咳払いをした。
「Perhaps you can continue this discussion offline」
チェアパーソンの一言で、蓮子はすこし恥ずかしそうに引き下がる。
「それでは、続きはバンケットで」
「はい、ぜひ」
そう一言だけ交わして、発表は終了した。
チェアパーソンが腕時計を見た。
「Let's thank the speaker again」
拍手はまばらだった。
なのに、どうして蓮子の顔は、満足気なのだろう。
その夜は学会のオフィシャルバンケットだった。私も一応は共同研究者だから、同伴者として、参加することになっていた。
会場はホテルの広間で、席はなかった。背の高い丸テーブルがいくつも立っていて、既にいくつか輪ができていた。
私はしばらく、蓮子について回っていた。時折私にも研究の話が飛んでくるのを、頑張って返していた。
軽く世間話もするのだが、私が研究者ではないと知ると、相手はなんだか上の空になって、また別のテーブルへ移っていってしまう
それにうんざりして、アルコールが回ってきたころ、蓮子が後ろから声をかけられる。
「こんばんは、昼間はどうも。いやあ、話したくて探してましたよ」
「ええ私も。ああ、紹介します。彼女は共著者のハーンです」
「マエリベリー・ハーンと言います。どうぞよろしく」
「ああ、スライドに名前がありましたね。よろしくお願いします」
そうして、昼間の話の続きが始まった。当然私はついていけない。時折実験のことについて聞かれるのだが、しどろもどろの私の代わりに蓮子が答えることで、私の役割は全くなくなっていた。
ちょうど会場の雰囲気にも疲れていたところだった。
「ごめん、少し酔いすぎちゃったみたいで……ちょっと壁際で休んでいるわ」
「大丈夫なの?」
「ええ、休めば大丈夫よ」
「でも」
肩に置かれた彼女の手をとって、大丈夫よ、と言い聞かせてその場を離れた。
「大丈夫ですか?」
「彼女は少し疲れたみたいで」
なんて会話が後ろから聞こえた。
お手洗いから戻って来れば、彼女の席の輪が大きくなっている。質疑応答の際には手を挙げていなかった人まで、周りに集まっている。気にはなっていたのだろうか。
壁際で、少しだけ煽るようにお酒を飲んだ。いや、嘘だ。止まらない。
蓮子の方に手を伸ばしてたら、彼女がそれに気づいて、手を振った。振り返すと、また彼らの方を向いた。
見た目よりもずっとずっと遠く感じた。蓮子なら、それはエキゾチック物質が目の前にあるのよ、なんて言うのだろうか。
今日は、きっと一つの区切りなんだろう。私たちが、蓮子が提案した理論は、この世の不思議を記述できる理論でもある。だから……
よそう。
視線が逃げ場を求めて、会場内をさまよう。ふと、入口近くで地酒が振る舞われているのが目に入る。
今どきは珍しい、旧型酒だ。相当な高級品であるはずなのに、ただの学会で振る舞われるなんて、太っ腹だなと思う。
足は自然とそちらへと動いていた。
お酒は幾つかの種類が提供されていて、ある分は飲み放題のようだった。だけど、みんな話すことに夢中なのか、列はそれほど長くない。
私はグラスをもらって、一口で飲み干した。
きづけば、どうやって戻ってきたのかもわからない。
蓮子がかたをかしてくれて、ドアまで開けてくれている。
「気持ち悪い……」
部屋にはいって、玄関灯のまぶしさで、一層気持ちがわるくなった。
飲みすぎた、調子乗りすぎたんだ。
「あなたがこんなに悪酔いするなんてね。飲み合わせが悪かったのかしら……大丈夫?」
「だ、大丈夫……じゃない……」
「ほら、お手洗いいきましょう」
「うん……れんこお~ごめんなさい……」
「はいはい」
気持ち悪い気持ち悪い。トイレの水面に映る自分の顔は、少しだけ頬が上がってる。きもちわるい。
掴んだ便器の冷たさが染みる。
このまますべて出てしまえばいいのに。
「吐いたら楽になった?」
私がベッドに座ると、蓮子も隣に座った。
「すこしだけ」
少しだけ。
そうだ、吐いたら楽に。じゃあ吐いてしまえばいいじゃないか。
きもちがわるいのに?
蓮子は心配そうなかおをしている。
その顔をみて、また嬉しくなって、すぐにいたみできえた。
吐き出したものをみて、蓮子はどんな顔をするのだろう。顔をしかめる?心配してくれる?表情すらかえてくれない?
こんなことをして、ここにとどめておくのも、きもちがわるい。
でも、聞いてしまうのもこわい。
でもそれも、蓮子のことを信頼していないみたいだ。
「メリー、なにか」
蓮子が口を開くのを見て、私は手を突き出してとめた。
知ってる。いつも先回りされてしまう。そう、一緒にいたからわかるんだ。
あなたはプランク並みの頭脳だもの。
これだけは私が聞かなくちゃならない。だって、一緒にいるのが怖くなる。
「ずっと聞けなかったことがあるの」
鼓動が、またうるさくなってきた。
またお酒がまわってきた気がする。
あなたがいなくなった未来を想像して、嫌悪して、恥ずかしくなって、ようやく口が開く。
「私たちの……秘封倶楽部の活動は、これで終わり?」
玄関灯だけでは、頼りなくて、あなたの顔が見えない
「うーん」
それだけ言って、ジッと固まってる。
判決を言い渡されるときの犯罪者は、こんな気分なのかもしれない。
「メリー」
「う、うん」
「私は言葉をまくし立てて、あなたを説得できる。でも、あなたはそれじゃあ納得しなかったわよね。だから」
だから?
続きを待ってると彼女の顔がちかづいて――
虹彩の筋の一つ一つまではっきりと見えた。
あ、って思ったけれど
「れんっ」
「あはは、胃液とお酒のフレーバーだ。まあそりゃそうよね」
蓮子の顔は、笑ってた。