星を掴め ―― 嗤われた【重力魔法】、時間も光も支配して最強になった 作:朝凪小夜
ルーチェがその話を持ってきたのは教会でステラと会った数日後のことだった。
いつものように俺のねぐらで討伐の計画を練っていたときだ。木箱の上に珠地域の地図を広げ次に狙うべき聖点の候補を絞り込んでいた。
「クロト。……一つ、話しておきたいことがあるの」
ルーチェが地図から顔を上げて言った。金の髪が灯りに揺れる。碧い目がいつもより少しだけ慎重な色をしていた。何かを切り出すときのあいつの癖だった。俺はそのときはそれをただの気遣いだと思っていた。
「なんだ」
「北の深奥。……セルフィリアの大珠のことよ」
セルフィリア。
俺はその名を地図の上に探した。珠地域の最も北。深奥と呼ばれる未踏の一帯。そこにまだ誰も支配していない巨大な聖点があるという。噂ではこの一帯で最大級の。人がまだ足を踏み入れたことのない絶望の領域。
「未踏の大珠だな。……候補には入れてた。だが遠いし、規模が大きすぎる。今の俺たちじゃまだ早いって、話してただろう」
「そう。……でも」
ルーチェは少し言い淀んだ。それから静かに続けた。
「そのセルフィリアを、ヴェルドー家が狙ってる。……近く、大規模な討伐隊を編成するらしいわ」
ヴェルドー家。
その名に俺の指が止まった。
ヴェルドー家。
ステラの許嫁の家だ。
「……それって」
「ええ」
ルーチェは俺の言葉を待たずに頷いた。
「ステラの箔付けよ。セルフィリアの大珠を獲る。それも、これ以上ないほど大きな武功を。それで庶民の血に箔をつけて正式に輿入れを決める。……ヴェルドー家の筋書きはそういうこと」
俺はしばらく地図の上のセルフィリアの一点を見つめていた。
北の深奥。最大級の未踏の聖点。俺がいつかと候補に挙げていた場所。今の俺たちにはまだ早いと後回しにしていたその場所を。
ヴェルドー家が狙っている。ステラの箔付けのために。
――同じ頂を。
俺はなんとも言えない気持ちになった。
俺があいつに近づくためにいつか目指そうとしていた聖点。それを、あいつを俺の手の届かない場所へ完全に連れて行くための道具として、あいつの許嫁の家が狙っている。
同じ聖点を。まったく逆の意味で。
「……皮肉な話だな」
俺は思わず呟いた。
「俺があいつに近づくために目指す場所を。あいつを遠ざけるために、あいつの許嫁が狙ってる。同じ、セルフィリアを」
ルーチェは俺をじっと見ていた。碧い目が俺の表情を静かに読んでいる。俺がその皮肉をどう受け止めるか。俺の胸のどこにその言葉が刺さるか。それを確かめるように。だがそのときの俺はあいつのその視線をただ案じてくれているのだと思っていた。
俺は地図の上のセルフィリアを指でなぞった。
もしヴェルドー家があそこを獲れば。ステラの箔付けは成る。輿入れが決まる。あいつは完全に貴族の世界の住人になる。俺の手の届かない場所へ。永遠に。
なら俺は。
どうすればいい。
ヴェルドー家より先にあそこを獲るのか。だがそれは今の俺たちには無理だ。最大級の未踏の聖点。竜が狼の大群がひしめいている。ヴェルドー家が大規模な討伐隊を編成してようやく挑めるような場所。俺とルーチェの二人だけではどう考えても届かない。
ならヴェルドー家の討伐隊に。末席として加わるのか。だがそれでは。手柄はヴェルドー家のものだ。ステラの箔付けに俺が手を貸すことになる。あいつを遠ざけるための片棒を担ぐことに。
……どちらも駄目だ。
俺は頭を抱えたくなった。
考えれば考えるほど道は袋小路に突き当たる。ステラに近づきたい。だがその手段の聖点は、あいつを遠ざけるための道具として、あいつの許嫁に狙われている。俺が何をしても、あいつを遠ざける結果にしかならない。追いかけようとすれば、あいつを遠ざける片棒を担ぎ。先を越そうとすれば、力が届かない。どちらへ進んでも壁だ。
これが俺の恋の行き着く先か。
俺は自嘲した。
届かないと分かっていた。分かっていてそれでも追ってきた。だが追えば追うほどあいつは遠ざかる。俺の目指す道とあいつを奪う道が同じ場所を向いている。追いかけることがそのまま遠ざけることに加担するような。
馬鹿げている。
本当に馬鹿げている。
「……クロト」
ルーチェの声が俺を現実に引き戻した。
「そんなに思い詰めないで。……まだ何も決まってない。近くなんて言ってもまだ噂よ。ヴェルドー家の討伐がいつになるかも分からない。セルフィリアがそう簡単に獲れる場所じゃないことはあなたも知ってるでしょう」
「……ああ」
「今は目の前の力をつけることよ。焦らないで。……道はきっと見える。私がついてるから」
ルーチェの言葉は静かで優しかった。
俺はその言葉に少しだけ救われた。そうだ。まだ何も決まっていない。焦っても仕方がない。今は力をつける。ルーチェの言う通りだ。
その夜、ルーチェが帰ったあと。
俺は一人、地図の上のセルフィリアを見つめていた。
北の深奥。最大級の未踏の聖点。
俺とあいつを隔てる最後の頂。
――いや。
ふと俺は思った。
最後の頂ではなく。もしかしたらこれは。俺とあいつが最後に同じ場所を見上げるその頂なのかもしれない。
あいつはあそこを獲って、俺から遠ざかる。俺はあそこを目指してあいつに近づこうとする。方向は正反対だ。だが見上げているのは同じセルフィリア。
その一点でだけは。俺とあいつはまだ繋がっている。同じ頂を見上げている。
馬鹿げた慰めだ。
分かっている。あいつは俺のことなど見ていない。あいつがセルフィリアを見上げるとき、その隣にいるのは許嫁のヴェルドー家の子息だ。俺じゃない。あいつの見上げる頂と俺の見上げる頂は同じ名前でもまるで違う場所なのかもしれない。あいつのそれは輝かしい輿入れの飾り。俺のそれは届かない相手への、細い、細い糸。
それでも。
俺はその馬鹿げた慰めを手放せずにいた。
同じ頂を見上げている。それだけが俺とあいつを繋ぐ、細い、細い糸。その糸を握りしめて。俺はまた明日から力をつける。セルフィリアにいつか届くために。
何のために届きたいのか。
その答えは相変わらず俺の中ではっきりとした形を結ばなかった。
ただあいつがあそこを見上げるなら。俺も見上げる。あいつがあそこへ向かうなら。俺も向かう。
その一点でだけ同じ道の上に立っていたい。
――それが俺の恋なのだと。
そのときの俺はまだそう信じていた。
――同じ頂を三人が見上げていた。
俺は。ステラは。そしてヴェルドー家は。それぞれのまるで違う理由で同じセルフィリアを。